つくづく、「セクハラ報道のあり方」を考えさせられる事件だった。2月に行われたソチ五輪の閉会式後の打ち上げで、日本スケート連盟会長で参議院議員の橋本聖子氏が、フィギュアスケートの高橋大輔選手に「セクハラ」したと報じられた事件だ。今回の件では、女性から男性への“逆セクハラ”という言葉も聞かれるが、当事者の2人は「セクハラの事実はない」と否定している。
本論では、そんな当人たちの主張とは反するものの、報道で「セクハラがあった」とされていることから、「セクハラはあった」との前提に立つ。その場合、高橋選手には(1)セクハラを告発する、(2)セクハラを告発しない、という2つの選択肢があったが、彼は(2)の「セクハラを告発しない」を選んだ。
なぜこのような結果になったのか、考えてみたい。
8月20日発売の「週刊文春」には、「ソチ五輪スキャンダル 高橋大輔 貴公子の受難」と題して、橋本氏が高橋選手の背中へ手を回し、キスをしている写真などが掲載された。「セクハラ」の加害者であるとされた橋本氏は、「キスを強制した事実はありません」と文書で回答。一方の高橋選手は21日、報道陣の取材に応じて、「大人と大人がハメを外しすぎた。反省してますが、パワハラ、セクハラとは一切、思っていない」と語った。両者がともに、「合意の上での行為だったが、悪ふざけが過ぎた」というようなことを言ったわけだ。
8月22日には、JOCの竹田会長が、「総合的に判断した結果、これ以上本件を問題にすることは考えていない」とコメント。波風を立てたくない、との思惑も透けて見える。
9月1日には、橋本聖子氏が日本スケート連盟の会長辞任を申し出るも、慰留され、撤回している。
今回の事件については、高橋選手が(まるで)橋本氏をかばうかのようなコメントを出したこともあり、全体としては高橋選手に同情こそすれ、「男を上げた」など、良いイメージをもった人が多いようだ。一方の橋本聖子議員については、「女だからセクハラしても『おとがめ』なしか」などの批判や、ネットを中心に「気持ち悪い」などの誹謗中傷が寄せられている。
(写真)橋本聖子氏(左)と、フィギュアスケートの高橋大輔=2010年3月、千葉・成田空港 | 時事通信社
http://www.huffingtonpost.jp/2014/08/21/sexual-harassment-hashimoto_n_5698609.html
周知のように、セクハラという概念は1980年代後半に広く知られるようになった。幾度かの法改正を経て、現在では男性への性的嫌がらせや、同性間のそれも「セクハラ」とされている。男女関係なく、望んでいないのに性的な行為を強要されるのは「人権侵害」であるとの考えが主流だ。
今回の報道を見る限り、無理矢理キスを迫ったとされる橋本議員は、高橋選手の「性」の部分に、土足で侵入したように見える。そうした「性」への侵入は、被害者に「恥」の感覚を植え付ける。なぜなら性は、私たちの人格の根幹をなすものであり、親しい人にしか見せない領域だからだ。そんな「秘密の領域」を、他人に見られるのは恥ずかしい。強姦に遭った人は、被害を受けた後、しばしば「恥ずかしい」という感覚に襲われるという。ほんらい自分は何も悪くないのに、「恥」の感覚を抱いてしまうのだ。
その事実がさらに、マスメディアを通して公になることは、もっと恥ずかしいし、苦しい。単なる「プライバシーの侵害」といった言葉では言い表せないほど、鬱々たる「恥」の感覚である。性の領域を侵され、侵された事実を認めることは、心の深い部分をえぐる。だからこそ、セクハラなど性暴力の被害は告発されにくい。
たとえ今回の事件が、当人たちのコメントのように「合意の上での悪ふざけ」だったとしても、それが「セクハラ」として大々的に報じられている以上、高橋選手の性の領域は、少なくともマスメディアによって蹂躙されたことになる。
橋本聖子氏のセクハラを報じた週刊誌の記事には、「酒が入った橋本氏は高橋を側に呼び寄せると、突然抱きついてキスをし始めた。最初は嫌がるように(略)高橋だったが、(以下略)」などと書かれている。全て書き写せば、官能小説と見紛うような、微に入り細をうがつ描写だ。
大きな写真付きでこれらの報道をされた高橋大輔選手はおそらく、「恥ずかしい」と感じたのではないか。仮に、彼が「セクハラ」を受けた事実に悩んでいたとしても、このようなセンセーショナルな報道は、きっと望んでいなかったと思う。自分の大切な「性」の部分に、マスコミが土足で踏み込んでくることは、最初にセクハラを受けた時以上に、「恥」の感覚を強めたのではないだろうか。橋本氏のセクハラ行為が報じられることは、社会的に必要である。が、その報道のされ方によっては、被害者の名誉をも、傷つけてしまう。
これに関して思い出すのは、1999年に発覚した故・横山ノック元大阪府知事のセクハラ事件報道だ。評論家の斎藤美奈子氏は、『ものは言いよう』(2004、平凡社)で、この件の報道を鋭く批判している。中でも「週刊ポスト」は、「ノック事件」に並々ならぬ関心を注ぎ、細かな検証記事をよく載せていた。その記事は、横山ノック氏のセクハラを強く批判しながらも、その実、「どのようなセクハラ行為があったか」を、興味津々の読者に知らしめるのが目的だった。
「<被告人はさらにその手を××××の中に入れ、約30分間さわり続けた。(略)そのうち××××の下にも右手を伸ばし、××をさわり×××と××とで中に××するなどして執拗に弄んだ>(略)まったく呆れ返った“エロダコの犯罪”というほかない。」(『ものは言いよう』169-170頁。「×」部分は、斎藤氏による「自首検閲」による)
週刊誌が、このようにセクハラの実態を細かく描写するのは、加害者を糾弾する目的だけではない。何より「読者の関心を引きつけ、部数を伸ばすため」という意図がある。この記事を載せられたセクハラ被害者は、少なくとも「加害者のノック知事を批判してくれて、嬉しい」とは全く思わなかったはずだ。むしろ、自分の性的な部分にマスコミが土足で入ってきたことで、2度にわたってセクハラを受けたような気持ちになったのではないか。
いくら「性の解放」が進んでも、私たちは未だに、近代的な「貞操観念」の延長線上にいる。性は個人的な領域であり、みだりに他人に見せるものではない。公衆の面前で性的な行為を行えば、「公然わいせつ」の罪に問われる。公の場で、性的存在たることは、犯罪になるほど「恥ずかしい行為」である。
このように、性の領域が公になっていないからこそ、それは覗き見的な興味をそそる。密室で行われたセクハラの報道も、「隠された性の領域を暴きたい」という欲望のもとで、過熱していく。加熱する報道の中で、セクハラの当事者は「性的存在」として消費される。特に被害者にとって、その負荷は重い。
だから高橋選手は、性的存在とされ、メディアから辱めを受けないように、「大人と大人がハメを外しすぎた。反省しています」と語ったのだろう。そうしなければ、彼は一方的に性的存在にされ、それをメディアに繰り返し報じられ、セカンドセクハラを受け続けるからだ。彼のコメントが「大人の対応だ」と言われるのは当然である。高橋選手は「反省」の語りによって、主体性を回復したのだから。
しかし、その「主体性の回復」は、果たして高橋選手にとって、納得のいくものだったのだろうか。納得のいくものであったとしても、その選択のプロセスは、私たちに何となく、後味の悪さを感じさせる。「セクハラの事実はなかった」とコメントした彼は、「性的存在」として消費されないために、「告発しない」という選択肢を選ばざるを得なかったようにも見えるからだ。もちろん、それ以外にも、高橋選手が橋本氏のセクハラを告発しない理由はたくさんあるだろう。日本スケート連盟会長であり日本オリンピック委員会常務理事の橋本氏は、高橋選手からすれば大いなる権力者だ。そんな人物を「告発する」ことのデメリットは、容易に想像できる。さらに橋本氏は、今回の報道で、十分に社会的制裁を受けている。今さら高橋選手が「セクハラされた」と告発しても、自分のイメージが悪くなるだけ、という考えも、多少はあったかもしれない。もちろん、セクハラではなく「悪ふざけ」だった場合は、なおさら訴える必要はないし、できるだけ早く報道を収束させたいとの思いもあったと推察される。
有名人である彼が、セクハラを告発する行為は、アイデンティティの根幹をなす「性」の領域を、メディアにさらすことだ。世間からのセカンドセクハラも覚悟しなければならず、「性的存在」として消費され続けるのは確実である。結果、高橋選手にとっては「セクハラではなく、大人と大人がハメを外しすぎた」と“反省”するのが、最も合理的だったのだ。その対応は「正しかった」ということになるだろう。
あなたがもし、男性だったとして、高橋選手の立場に置かれたとしたら、どのようなコメントをするだろうか。自らの人格を形づくる「性の領域」を守るために、あなたは何を言うだろうか。黙っていることは、許されない。黙っていればいるほど、メディアはあなたを「性的存在」として消費しようとスクラムを組んでくる。
私たちには男女関係なく、性的存在にされたくない場所で、そうされることを拒む権利がある。あなたは、自分の「性」を守るために、どんな言葉を発するだろうか。また、発することができないだろうか。黙っていることは、許されない。
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著述家。1986年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。自らキャバクラで働き、調査を行った『キャバ嬢の社会学』がスマッシュヒット中。ブログ「コスプレで女やってますけど」は、月間10万PVの人気を誇る。
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