通州事件は、日中戦争勃発直後の1937年7月29日、中国・北京近郊の小都市、通州(現北京市通州区)で起きた冀東防共自治政府保安隊による反乱事件である。冀東政府とは、中国を侵略した日本軍が樹立した傀儡政権で、保安隊は冀東政府を防衛する中国人部隊であった。通州事件では、通州に住んでいた日本居留民225人(諸説あり。死亡者の約半数は朝鮮人)が保安隊により殺害された。
戦後の日本では、通州事件は戦争責任をめぐる右派と左派の論争のなかで取り上げられた。このとき、両派はともに都合よく通州事件の事実を切り取って独自の解釈を展開した。その一方で、通州事件の歴史的意義を探る実証研究はなおざりにされた。
冀東政府について研究していた筆者は、以上のような通州事件の研究状況を問題視し、事件発生から80年目を前にした2016年12月、日中両国に残された史料や証言をもとに、星海社から新書『通州事件―日中戦争泥沼化への道』を発表した。
拙著のなかでは、日本軍が反乱の予兆を察知しながらも、充分な対処をしなかったこと、事件の責任が冀東政府に押しつけられたこと、朝鮮人犠牲者への賠償額が少なかったこと、事件がメディアによりプロパガンダとして利用されたことなどを実証的に明らかにした。
刊行後、版元には読者からの手紙が何通か寄せられた。そのなかに、何枚もの便箋からなるKさんからの手紙があった。Kさんの両親は戦前、通州で開業医を営んでいて、通州事件で三女とともに命を落としたという。
筆者はKさんと何回か手紙のやり取りをした後、直接事件当時のお話をうかがおうと、Kさんのもとを訪ねた。
本記事は、Kさんへのインタビューを構成したものである。
Kさんは、1928(昭和3)年生まれの89歳(2017年時)。女子師範学校卒業後、小・中学校で教師を務めた。現在は、湖畔に佇むケアハウスで静かな余生を過ごしている。
筆者がKさんのお部屋におじゃまするなり、Kさんは「広中さんの本を読ませていただきました。初めてお会いするとは思えません」と、とても喜んで筆者を暖かく迎え入れてくれた。Kさんは89歳とは思えないほど若々しく、しぐさひとつひとつに上品さがあった。
筆者と対面したKさんは、少しずつ半世紀以上前の体験を話し始めた(引用文中のカッコは筆者注)。
Kさんの話は続く。
Kさんは、筆者に昔の記憶をひとしきり話し終えると、おもむろに席を立ち、書棚から2枚の写真を取り出し、筆者に見せながら次のように述べた。
Kさんは、戦後しばらくたったある日、親族を介して安藤利男が日本で存命であることを知った。安藤は、当時のニュース通信社である同盟通信社の元記者で、冀東政府の取材中に通州事件に遭遇し、いちじ保安隊に身柄を拘束された。しかし、安藤は保安隊の隙をついて通州を脱出し、数日かけて北京に逃げ延びた。安藤の脱出の顛末は、日本の主要紙で報じられ、通州事件の詳細が初めて日本で明らかにされた。
Kさんは、通州事件の被害者遺族のひとりとして、生き延びた安藤に事件当日のことを直接聞きたく、安藤の自宅に電話を入れた。そのときのことを、Kさんは次のように述べた。
Kさんが、通州事件の記憶を語るようになったのは、今からほんの数年前からであった。Kさんは言う。
いま、Kさんが憤っていることのひとつに、通州事件を見直そうと活発化する保守系団体の動きである。
Kさん一家。左下の次妹は、可鳳岐によって救出された(『讀賣新聞』1937年8月4日朝刊)。
Kさんは、インタビューの最後を次のことばで締めくくった。
筆者のインタビューを受けるKさん
通州事件が起きて80年がたったが、Kさんの心には事件による深い傷が残り、今もなお苦しみ続けている。そればかりでなく、通州事件の見方の違いで、同じ苦しみを分かち合ったKさんと妹は仲違いをしてしまった。
通州事件の被害者遺族を今でも苦しめている原因は何なのか。それは、私たち戦後世代が、通州事件について真正面に向き合って考えず、当事者である日本人として事件を歴史的に総括してこなかったためである。その結果、いま保守系団体が自分たちの都合よく通州事件を解釈し、中国に対するヘイトスピーチの道具にしてしまっているのではないか。
これ以上、被害者遺族を苦しませないためにも、また、真偽不明の言説を流布させないためにも、80年の節目を機に、私たちは、通州事件の歴史的意義について、真剣に問い直していく必要があろう。憎しみが憎しみを生む戦争を二度と起こさないためにも。
広中一成氏による単著、星海社新書『通州事件 日中戦争泥沼化への道』好評発売中
定価:880円(税別)
ISBN:978-4-06-138607-5
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