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ジセダイ総研

最先端の宇宙像 マルチバース理論とは何か?

野村泰紀
2017年07月28日 更新
最先端の宇宙像 マルチバース理論とは何か?
 最近アメリカの国立公園で夜、空を見上げる機会があった。夜空にはこんなにもたくさんの星が輝いているのものかと、あらためて驚いた。久方ぶりに見る天の川を眺めながら、この満天の宇宙が古代人を魅了したであろうことに心を馳せた。彼らにとって多くの場合、この神秘の存在は彼らの神々へとつながる重要なものであったにちがいない。

 現代人の多くがこのように直接的、日常的に宇宙を感じる機会を失って久しい。しかし、我々の宇宙に対する興味は失われていない。現在でも、宇宙開発から地球外生命体、さらには宇宙の起源に迫るストーリーまで、さまざまな書物や映像などが制作されている。このようなコンテンツに需要があるのは、基本的には人間の知的好奇心のためである。人間は、本質的に未知のものを知りたいという欲求を持っているのである。

 近年、宇宙論の研究において大きなブレイクスルーがあった。それによれば、我々が全宇宙だと思っていたものは、物理法則も次元の数も異なる無数の「宇宙たち」の一つにすぎないというのである。今月上梓した拙著『マルチバース宇宙論入門 私たちはなぜ〈この宇宙〉にいるのか』では、このまだ一般にはなじみの薄いかもしれない「マルチバース」と呼ばれる描像の核心部分を紹介した。これは、現代物理学が到達した我々の自然界の理解の最先端を示すものである。

マルチバース――我々の宇宙を超えて

 我々の宇宙の大いなる謎のひとつは、それが「よく出来すぎている」ことである。我々の宇宙には数々の素粒子が存在しており、また「真空のエネルギー」と呼ばれるものを含む様々なエネルギーが満ちている。これらのストラクチャーは極めて恣意的に見え、しかもそれらのいくつかはそれを少し変えるだけで銀河などの複雑な構造が一切存在できなくなってしまうように見える。すなわち、この宇宙は我々人間が存在できるよう極めて巧妙に、あたかも繊細なガラス細工のように作られているように見えるのである。これは神のなせる業であろうか?

 マルチバース理論は、この事実に科学的な説明をつける。もし異なる性質を持つ無数の宇宙が存在したとしたらどうだろうか? その場合、その中のいくつか――極めてわずかな割合であろうが――は、人間など高等生命体が生まれるのに足る条件を備えているであろう。そしてそのような特別な宇宙に生まれた生命体が宇宙を観測したら、それが自身の存在にあまりにも都合よく作られていることに驚くであろう。しかし実際は何てことはない。そうでなければ彼ら自身が存在しないだけである。

 実はこのマルチバースという描像は、まさに超弦理論など物理学の基本方程式が示唆している世界像なのである(とはいえ、多くの物理学者がこの事実に気づいたのはここ20年足らずのことだが)。それによれば、我々の世界は永遠に膨張する空間に無数の泡のようなものが生まれ続ける構造をしており、この性質の異なる泡の一つひとつが我々が宇宙と呼んでいるものなのである(これらの泡は中から見ると、それぞれが無限に大きく見える)。つまり、我々が全宇宙と思っていたものは、この無数の「泡宇宙」の中のたった一つにすぎないのである。自然にとって、我々は何と取るに足らない存在なのだろうか!

マルチバースは科学なのか

 マルチバース理論の詳細(その動機や現状)は拙著の方を参照していただきたいが、ここではマルチバースと科学一般にまつわる話をしたいと思う。往々にして、人間の自然界に対する理解が大きく変わる時には、多くの批判や議論が巻き起こる。よく知られているのは400年程前に学説の中心が天動説から地動説へと大きく転換した時のことだが、マルチバースに関しても例外ではない。

 10年程前であったが、私がある国際会議でマルチバース理論について発表した際、議長に「哲学についての発表をありがとう」と揶揄されたことがある。もちろん、哲学とは本来それ自体重要なものであるはずだが、物理学者は「哲学」という言葉をこのように使うことがある(私自身はこのような「傲慢」な態度は好きではないが)。その後、この議長や他の参加者とも議論する機会があったが、彼らの論点の多くが科学者にしては驚くほど「感情的」なものであったのを覚えている。

 彼らの反応がそのようなものになったのには理由がある。マルチバース理論は、今まで多くの研究者たちが人生をかけて調べてきたものを「意味のない」ものにしてしまう可能性があるのである。

 一つ例を挙げよう。人類が地動説に基づく宇宙モデルを手に入れた時、太陽系は当時の人々にとって宇宙の「中心」に存在する特別なものであった。彼らにとっては、なぜ惑星の数が「6」であるのか(当時知られていたのは、水星、金星、地球、火星、木星、土星)、またそれらの太陽からの距離が何を意味しているのか等を問うのは自然なことであった。例えば、当時の一級の科学者であるケプラーはこれを凸型正多面体の幾何学と関係づけて理解しようとした。しかし、それらの試みはうまくいかなかった。

 もちろん後世の我々は、なぜこれらの試みが成功しなかったかを知っている。理由は、問題に根源的な意味がないからである(例えば太陽と惑星間の距離は物理学の基本理論とは何の関係もない)。そしてそれは、我々の銀河系内だけでも無数の恒星が存在し、その中の多くは惑星系を持っている(だろう)からである。我々の住む太陽系で恒星(太陽)と惑星間の距離が現在観測される値になったのは、その成立過程で偶然初期条件がそうだったというだけの話である。

 同様に、もしマルチバース理論が示すように異なる物理法則を持った宇宙がたくさんあったとしたら、我々がこの宇宙でみる法則のいくつか(例えば素粒子の性質等)は「偶発的」なものであった可能性がある。そして、それはそのようなものの根源的な起源を調べてきた研究を先のケプラーのもののようにしてしまう可能性があるのである。

 私自身は、もしそうであったとしても今まで積み上げられてきた研究が無意味なものになるとは思わないのだが(例えば素粒子のある種のパターンが根源的な理論を使ってうまく説明できないことが分かれば、それはそれで知見である)、そう感じてしまう人がいても理解はできる。人間は本質的に自分の欲しい世界を見ていたいものなのである。

 しかしそれでも、多くの理論的そして(間接的ではあるが)観測的な示唆が積みあがってくるにつれ、多くの科学者たちがもしかしたらマルチバースは実在するのではないかと考えるようになってきた。実際、今では先に述べたような経験をする機会はほとんどなくなった(この「変わり身の早さ」はさすが科学者である!)。もはや学会でマルチバースの話をしても、それ自体で批判されることはまずない。たった10年程前の出来事を思うと、これには隔世の感がある。

 そうはいっても、一部の科学者や科学ウォッチャーたちは現在でもマルチバース理論やときにインフレーション理論でさえも「科学ではない」という批判を展開している。そして、こうした人々の声は大きいのが常である。これらの言説の多くは、理論を理解していない(もしくは理解しようともしない)ことによる取るに足らないものだが、もちろん比較的まともなものも存在する。私は、それらの起源としては時間感覚の違いがあるのではないかと思う。

 古来、「科学」(人間の自然界に対する理解)の発展はときに非常にゆっくりとしたものであった。とくに、ある考えが観測的、実験的に確かなものになるにはときとして世代を超えるほどの時間がかかった。しかし、過去100年間の科学――とくに20世紀半ばの素粒子物理学や最近の生命科学――の発展は非常に急速であった。ここから一部の人々には、実験ですぐに確認できるもののみが科学であるという認識が生まれていったように思う。

 しかし、これはある意味「幸運」であったにすぎないと思う。ある種の科学の発展は非常に時間がかかるものである。学説がしっかりとした論理(推論を含む)に基づくものであり、それが原理的に検証可能であるならば、それは確かに科学である。この意味で、マルチバースは拙著でも説明した(少なくとも、しようと試みた)通り確実に「通常の」科学である。

宇宙論の知的興奮

 いずれにしても、宇宙が沢山あるというのはロマンのある話で、これが一般の方々が宇宙論に興味を持ってくれる契機となるのであればこんなに素晴らしいことはない。私自身も最近、対談などを通して哲学者やアーティストなど様々な方々と話をさせていただく機会に恵まれた。これらは(やはり科学には独特の「ルール」があるため)直接日々の研究に役立つものではないが、このような知的交流は非常にエキサイティングである。

 読者の方々にも、拙著(や他の一般書でも)を通じて最新の宇宙論やそれにまつわる話題の知的興奮を味わってもらえるのであれば、それは筆者冥利に尽きるものである。


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定価:920円(税別)
ISBN:978-4-06-138616-7
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ライターの紹介

野村泰紀

野村泰紀

1974年神奈川県生まれ。カリフォルニア大学バークレー校教授、バークレー理論物理学センター所長。東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員、ローレンス・バークレー国立研究所上席研究員を併任。主要な研究領域は素粒子物理学、量子重力理論、宇宙論。現在は主に、“我々が「時空」と呼んでいたものは、実は量子力学的な情報から生じる「二次的な」ものにすぎない”という新たな描像が、量子重力理論および宇宙論において持つ意味の研究に取り組む。米国フェルミ国立加速器研究所研究員、カリフォルニア大学バークレー校助教授、同准教授を経て現職。その他、マサチューセッツ工科大学客員教授、東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構特任教授等を歴任。

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ジセダイ総研 研究員

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