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苦しみの執筆論 千葉雅也×山内朋樹×読書猿×瀬下翔太:アウトライナー座談会

第2回 制約と諦めのススメ

千葉雅也 , 山内朋樹 , 読書猿 , 瀬下翔太
2020年05月20日 更新
第2回 制約と諦めのススメ

思考を階層的に整理することによって、「書くこと」と「考えること」の強力な武器となるツール、「アウトライナー」。普段からアウトライナーを利用して執筆をおこなっている、哲学者・千葉雅也さん、美学者・山内朋樹さん、読書家・読書猿さん、編集者/ディレクター・瀬下翔太さんの4名に集まっていただき、執筆論や思考術などなど、縦横無尽に議論を交わしていただきました。(全3回)

文章は飛躍していい!

千葉 Twitterの140字って、本当にちょうどいいですよね。絶妙な長さだと思います。

瀬下 連投もおもしろいですよね。なにかの話題について文頭に①、②、③とか書いてツイートしていると、エディタに書くよりも明らかに速く、多くの内容を出力できるように思います。同じような内容をエディタで書いたら、文と文が繋がっているか不安になって、「そして」とか「また」とかの接続詞を何回も使ってしまうはずなのに。Twitterだとそんな細かいことは忘れて、スラスラ書ける。

千葉 話の順接ってけっこう難しいんですよね。逆接は当然、意味的に生じるけど、順接は「そして」とかで繋いだり、あいだを別の文で埋めたりしないといけない......と思いがちだけど、なくていいんですよ! 思ってるほど「順接の繋ぎ」って必要なくて、ふたつのことをごろっと繋げるだけで、人はそれをなんとなく読んでしまうんです。

瀬下 連ツイのように、いくつかのツイートがただ隣り合っているだけでも、意外と意味は通りますよね。

千葉 そう、通る。人はそこで「繋がってねえよ」なんて突っ込まないんですよ、実は。

瀬下 そこに自分で突っ込んでしまって、不安に苛まれることが多いです。この話は忘れないでおきたいなあ。

千葉 ぼくも自分自身に言い聞かせてきたことなんですよ。

瀬下 WorkFlowyでアイデア出しをしているときにも、文と文の関係性に囚われてしまい、無意味にトピックをくっつけたり切り離したりしてしまうことがよくあります。新しいトピックをどんどん書き足すことがいちばん大切なのに。連ツイの心を思い出さなくちゃ。

千葉 文章が下手でも、「ゴロッ」「ボツッ」と書いているだけでできちゃうんですよね。ある種の文章の巧さの観点からすると、一瞬「直さなきゃいけない」って思っちゃうんだけど、実はそれは意外に味があって、話も通っていたりする。
昔の人の文章を読むと、けっこうボツボツしてますよね。柄谷行人や、それこそ小林秀雄なんかも、文章はかなり飛躍している。参考になりますよ。やっぱり現代になればなるほど、論理展開はみるからにスムーズであるべきだという規範が強まっていますよね。

山内 それについては、エディタが出てきたことが大きいんじゃないかと思ってます。書いて消して挿入してを繰り返すことで流れを制御しようとするし、実際できてしまう。

瀬下 とても共感します。カットアンドペーストが簡単なので、文章全体を俯瞰して、論理を調整することに腐心しがちですよね。

段落革命

山内 あと、たぶんTwitterやアウトライナーを使いだしてから一段落が短くなりましたね。

瀬下 やっぱりそうなりますか!? 誰でも息が短くなるものなのですかね。

千葉 その影響はすごくある気がします。

山内 2、3行で区切るようになって......昔はもっと厚みのある段落をつくっていた気がするんですけど。最近はパッパッと切れてる感じがします。

千葉 ぼくも前は段落が長くて、『思想地図』に書いたときに東さんから、「ぼくの好みなんだけど」って言って「もうちょっとここ、段落分けたほうがいいよ」という指導を受けたことがありました。東さんはやっぱり読みやすさを考えて短くするんですよね。その影響を受けて、一時期「あ、もっとここ、段落切れるな」と意識するようにはなりましたね。

山内 段落が短くなったのは革命的な変化だとぼくは思っています。それによって多分、思考の展開そのものも変わったんだと思うんですよ。一段落が長いとそのなかで思考がうねるじゃないですか。それがあまりなくなって段落間で起こるようになったんじゃないか。
書き方でいちばん変わったのは、とにかく気散じ状態で書くようになったこと。普通、論理的に難しいところは集中してパソコンの前でじっくりやるイメージがあると思うし、ぼくもどちらかと言えば頭かきむしるタイプですけど、いまは基本的に、隙間時間に思いついたことをスマホにポンポン入れていくなかで突破することが多い。じゃあパソコンの前に座れるタイミングではなにをしているかというと、一般的な印象とは逆にトピックの整理なんかをしている。
基本的に整理することで書く、という状態にしているんですね。WorkFlowyのInboxに溜まってきた短文を整理して、増えたらまた整理して、を繰り返しているうちにあるまとまりとしての文章ができてくる。集中して書かないといけないように思われる発想の起点や難所の鍵は、たとえば電車のなかで書いた断片のなかにあるんです。

千葉 じゃあ、アイデア出しはもうほとんどスマホなんですか?

山内 だいたいそうですね。気散じ状態でMemoFlowyに書いてしまう。その底には中毒というか依存によって書く、ということがあると思います。煙草を吸ってしまうようにスマホをいじってしまって書いてしまう。アイデアが出てくる。

山内さんのWorkFlowy画面。スマホからMemoFlowyを用いてアイディアを送っている。(2018年4月撮影)

千葉 Twitterでアイデア出ししてるときって、ぼくもそういう状態ですね。煙草が切れてきたらまた吸いたくなるのと一緒で、頭のなかに常にツイート欲みたいなものがあって、ちょっとした、思いついたことをすぐツイートしちゃうわけですよ。

山内 依存によって書く感覚はけっこうありますね。

千葉 それがそのまま仕事に直結してしまえばいちばん楽なので、そういうワークフローをつくる方向に向かったんですよ。

感情から文章を生み出すには

瀬下 依存によって書く、ということとは少し違いますが、自分は感情によって書くことがあります。たとえば、なにか憤りをおぼえることがあったら、その気持ちに身を任せ、思うところを一気に書ききってみる。書き終わるとだいたい気分が落ち着いているので(笑)、冷静な気持ちで「怒り」の部分を削り取ってあげる。そうすると、結果的にひとつの文章ができあがっている......というような。こういうやり方はみなさんもしていますか?

千葉 感情込みで考えていることが出てくることはありますよね。たとえば「よくわかんないな」とか「モヤモヤするなあ」とか「イライラするなあ」とか思って文章が書けないときには、そのモヤモヤやイライラのことも一緒に書いてしまうのも手なんですよ。後でその部分をカットすればいい。だから「書けないなあ」とか「これ、よくわかんないんだけど」とか語りおろしみたいに書いてしまって、すると途中から実質的な内容が始まったりする。

山内 めったにないんですが、たとえばいざこざがあったりして言いたいことを抱えると、本当に送るつもりでメールをしたため始めてしまうことがありますね。結局送らないんですが。

瀬下 自分も、ときどきあります。

山内 これがこうなってるからあれはこうでこうなの! みたいなことを勢いでガーッて書くんですけど、とにかくメールを書くのって時間がかかりますし、結局は流れを整理しますから、書きながらスーッと冷静になってくる。見えていなかった相手の理路や自分の間違いも浮かび上がってきますし、自分は本当はなにを伝えようとしていたのか、とか、いろいろ見えてくるんですね。それが腑分けに繋がり、メールを送る必要性そのものを消滅させてしまう。

読書猿 穴掘って叫ぶ、みたいな感じでしょうか。『アイデア大全』で「バグリスト」という悪口を書く方法を提唱したんですが、ぼくはそういう人間なんですよね。悪口だったらいくらでも出てきて、そこから「じゃあ、これが嫌なんだったらお前はどうしたいの?」と掘り下げていくことでアイデアや書きたいこと、書くべきことが見つかっていくんですよ。

瀬下 おもしろいですね。なにかしら自分の心を動かす要素を出力できれば、あとはなんとかなる、という感じでしょうか。

読書猿 ぼくは、とにかく書ければいいので、怒りであっても言葉が出てきたら尊いんですよ。残さざるを得ない。人にはもちろん見せられないでしょうけど。

「無能さ」でフィルタリング

読書猿 そういえば、ぼくはいまアウトライナーからあまりコピペをしないことにしてるんです。書き捨てたものはまたいつか出てくるだろう、っていう発想なんですよね。

山内 アウトプットを一回通しておくと。

読書猿 アウトライナーのなかに一個目のアウトラインができますよね? わあっと膨れ上がって、どうしようもなくなって、捨てる。で、ゼロから書くんです。

千葉 捨ててゼロから! おもしろいですね。

読書猿 それをもう一回、わああーっと書き出して、また捨てる。これはなにをしているかというと、自分の「無能さ」でフィルターにかけてるんです。詳細化して自分の手に負えなくなったアウトラインは捨ててしまってゼロから書き出すと、自分の頭のなかに書ける範囲のものだけが残ってるんですよ。

瀬下 忘れてしまっても、気にしないんですか?

読書猿 そうですね。本当に捨てると泣きそうになってしまうから、残ってはいるんですけど、見ずに書ける範囲で書くことで切断している感じです。

千葉 時間をおいて、もう一回というのが大事なんですか?

読書猿 そうです。なにを捨てるか捨てないか、自分の無能さでフィルターがかかる。ぼくがいちばんアウトライナーで困ったのが、やっぱり枝払いをどこでやるかです。

千葉 ああ......際限なくなりますからね。

読書猿 枝払いのいちばん大きな形は、忘れて、ゼロから書くこと。最初はスカスカなものしかできないですよ。でも、また自分でも手に負えないくらいの刺激がどこかでくる。ぼくはアウトラインプロセッサを執筆の複雑さをコントロールする装置だと思っていて。折りたたんで見えなくする機能もその一要素ですが、その究極の形がいっぺん捨てて書き直すことなんじゃないかなと。

千葉 言われてみると、ぼくもそれをやってますね。ある程度アウトラインを書いて、そこからさらに洗練させたいときに、順序を入れ替えたりする作業ではもう追いつかないなということがあるんですよ。そのときはそれはアーカイブに取っておいて、何日かおいてからもう一回イチからそれに類似したアウトラインを書いてみる。ある程度頭に残っているから、そんなに時間はかからない。で、よりシンプルで太いアウトラインになるんです、枝葉末節がなくなって。「自分の無能さでフィルタリングする」っておもしろい表現だと思いますけど、そのときに自動的にある種の有限化が働いて、構築性が高くなる。

山内 たしかにそれで強い構造が見えてくることはありますね。ぼくは貧乏性なのでアウトライナーからドラフト書きに入るときにいったんコピペしちゃうんですが、そのアウトラインを見ずにドラフト化する、みたいなことをやることがあります。そうすると話が全然違うほうにいったりもするんですけど、骨格みたいなものがぐっと出てきて意識化される。失敗することもあるんですけど。

読書猿 「KJ法」ってあるじゃないですか。カードにアイデアを書き出して、平面に展開して、並べ替えて、関連を考えていくA型(図解化=KJ法A型)と、それを文章化するB型(叙述化=KJ法B型)があって、A型からB型に移すのが大事とされています。ぼくも、図を書いてもう一度アウトライン化することは最初はソフト(Inspiration)に任せたんですけど、自分の手でやるようにすると、形式を変えるときに前のバージョンのアウトラインでは見えていなかった、自分が欲しかったアイデアが出てくる。だから、詰まったら形式を変えるのが大事。ただ、アウトプットのひとつ前の状態として、形式変化の最後の受け皿はアウトラインにすべきだとも思います。

瀬下 とてもおもしろいです。自分の場合、アウトライナーに箇条書きで記録したものを友達に見せながら話す、ということをよくやっています。言ってみれば、これも文字で書いたものを会話に形式変化させているようなものかなと。

読書猿 でも、友達いなくなるんですよ......。アイデアを出すために、ちょっと朗読したいから聞いてくれって頼んでばかりいると。「『よだかの星』を読みます」「勘弁してくれ」みたいな(笑)。

瀬下  朗読はヤバいですね(笑)。ぼくは他の形式変化として、アウトライナーの内容を手書きの図にしたり、一部を切り出して仲間内のチャットグループに貼り付けたりしています。図をつくれば別の考えも出てくるし、仲間はコメントをくれる。なにかしら形式変化を行うと、こうした副産物が生まれるところがおもしろいですよね。

「書かないで書く」?

千葉 なるほど。アウトライナーを使い始めたことによる変化の話にまた戻って言うと、気散じ状態でつくるという山内さんの話はぼくもそう。それによって、仕事をすることの認識自体が変わりましたね。いまのぼくにとって仕事をするとは、基本的にアウトライナー上でフリーライティングをすることです。それって、重い腰を上げて「よし、やらなきゃ」というものではない。そこがポイントで、喫茶店でちょっとゆっくりしてるときとかに、いま頭のなかで思っていることを全部、ジャンルもごちゃまぜでWorkFlowyにどんどん書いてしまうわけです。「えーっと」とか「今日はフリーライティングしてみるわけだけど」とかもひとつひとつ全部、箇条書きにしていくんですよ。そうやって書いていると、だんだん思考が凝縮されていって、電話しないといけなかったことを思い出したり、カレンダーに入れ忘れていた用事が出てきたりと、仕事が発生してくる。
文章を書くときに構えてしまうことを突破するために、ぼくは以前「書かないで書く」というキーフレーズを考えたんですが、それは要するに「規範的な仕方で書かない」という意味なんですよね。脱規範化するためには、「そんなの書いてるうちに入らない」くらいの雑な書き方であっても書いてしまえばいい。
最近はこの考え方を生活のいろんな場面に応用しています。「脱規範的に○○する」を「○○しないで○○する」というふうに言ってみることでいろいろと思いつくんですね。たとえば筋トレをしに行くときも、必ずこの順番できっちりメニューをこなさなければいけないと思っていると続かないので、なんとなく肩やりたいな、とか、この辺が凝ってるからラットプルダウンからやるか、というノリで始めると、その後スムーズにメニューに入れる。そのことを「筋トレしないで筋トレする」と言ってみる。こうやって撞着的な言い方で考えることを実践しています。
そのフレージングを大きく使うと、フリーライティングをすることで仕事に入っていくのは、ぼくにとって「仕事しないで仕事する」という感じなんですよ。仕事をしている意識がないまま、ただメモをとる。しかも、やりたくないことではなくて、やりたいこと、考えたいことからメモをとる。そうすると芋づる式に、考えたくなかったはずのことも、その業務に入ることができる。だからすごくストレスが低減するんですよね。

山内 ぼくも「煙草を買いに行く」みたいなしょうもないことも全部WorkFlowyに入れていくんですよ。実際忘れてしまうんで。GTD(Getting Things Done)ってあるじゃないですか。あれは朝にちゃんと集中する時間をとってアウトプットするものですけど、あれをいろんなところで、ふわふわっとしたなかでやってしまう。

千葉 それは本当にそう! ぼくもGTDのやり方に革命が起こったという実感を持っていて、以前はOmniFocusを使ってタスク出しをやってたんですけど、続かないんですよ。ただでさえ重たくて機能が多いアプリを使うし。だからWorkFlowyで、執筆にまで繋がるような状態のなかで、GTD的なタスク出しを同時にやってしまうと自然とGTDも最後には回るし、意識せずにできちゃうんですよね。GTDは朝にちゃんと時間をとって、頭を空っぽにしろっていうんですよね。デビッド・アレンの本によると。

読書猿 空っぽにするんだったら、その場その場で出していったほうがいいと思ってしまう。

山内 しかも時間をとって向き合うってことがかなり規範的で、それが負荷になっていくし、一日やらなかったら罪悪感もあるし、無理が出てくるんですよね。だからWorkFlowyの中にGTDにもある程度対応するようなトピックを立てておいて、なんでもかんでもInboxに放り込んでおいて後で振り分けるスタイルになってますね。

瀬下 仕事に対する「構え」を消していくことって大切ですよね。

山内 ですね。あとぼくの場合は原稿の書き始めの負荷を下げるとともに、ちゃんと終わらせるってことも重要なテーマで。内容的にも期日的にも。なので依頼が来たらその時点でトピックの頭に〆切の月日を明示したり、下位トピックの冒頭にこの原稿の文字数や方針といったメタ情報のトピックを立てたりするんですよ。原稿があらぬ方向に向かってぐちゃぐちゃになっていったり、〆切間近になっても全体を顧みずに同じ箇所をひたすらこねくり回したりしないように、常に意識しておいたほうがいいメタ情報を可視化しておく。ほとんど行動療法的にこの問題には対処しています。
見た目の美しさにこだわって設定をいじってしまうというのはすでに言いましたが、他方、店じまいの局面で、全体の目処も立っていないのにちょっとした言い回しを書き換え続けてしまったり、いつまでたっても原稿から手を離せなかったりするんですね。「もっともっと」と要求している。この「もっともっと」にはよく足を掬われる。だから、どうやって一刻も早く原稿のプロトタイプ、つまりは「準‐原稿」みたいなのをつくってしまえるかということに意識を向けるようにしています。

瀬下 はじめに原稿の外枠をある程度決めておくことで、原稿を「閉じられない」というようなリスクを減らすという感じでしょうか。

山内 まさしくそれです。

もっと良くなるはず......「幼児性」と〆切

読書猿 どこかで断念しないと、完成しないじゃないですか。10あるうちの3くらい書けて、本当は8くらい書いたほうがいいんでしょうけど、最後はどこかで断念する。......その飛躍は「なにを諦めるか」「どこで諦めるか」みたいなのがあると、文章としてやっとできてくる。

千葉 「断念」にはどう到達してます?

読書猿 時間のような外的な要因もありますけど、さっき言った「自分の無能さでフィルタリング」のように、自分の手に負える範囲を知ることですね。
『百科全書』の序文でダランベールが「世界はあげられないけれど、この百科全書は世界地図だ」ということを書いていますが、本当に書きたかったことの全てを書くのは無理でも、切り口なら見せることができる。切り口を出せれば、それは全体のうちの一面でしかないけれど、そこで今回は諦めようと思えるんじゃないかと。だから、切れたらどんな切り方であってもそこで諦める。切り口を見つける作業は、石をぶつけ合って石器を作るようなものですね。ほとんどコントロールができないので、結果的に切り口は小さいこともあれば、一冊の本になるくらいに大きなときもある。『アイデア大全』もまたひとつの大きな切り口、つまり石をぶつけ合ってできた断面なんです。ただ、このやり方のダメな点は、分量の調整ができないことです。あるテーマにおいて、たまたま生まれた形で文章のボリュームが決まってしまうので。しかも、レイアウトに落とし込むことをまったく考えずにアウトライナーだけで書いていると、分量が全然見えてこない!

瀬下 ああ、確かに。

読書猿 構造として、文章の成り立ちや「ここにはこれが要るんだ」ってことは見えるんですけど、全体としてどれくらいの量になっているかは、実はわからない。だからとんでもないことになってることが多い。つまり、あまりプロっぽくない書き方をしてしまっているということなんですが、断面が見えさえすればいいんだと割り切ってしまっています。

千葉 そうですよね。でも、なかなかそれが難しい。京大の人文研でフーコーの研究会をやっているんですが、そこでアウトラインプロセッサの話から始めてフーコーの自己のテクノロジー発表をしたらけっこうウケて(笑)。けれどそのときに、司会の小泉義之さんから「でもやっぱりこの有限化ってことをね、強いて考えるというのは、そもそも千葉さんは全てを書けると思ってるからでしょ?」と突っ込まれました。小泉さんは「全てを書けない」と。
つまり小泉さんは最初から「書けない」と思えてるんだなと、逆に思うわけです。全てを書けると思っちゃうっていうのは、ある種の自分の万能さという幻想だと思うけれど、逆に「全ては書けないんだ」って思い切れるかと言うと難しい。

読書猿 そう、そこが難しいんですよ!

千葉 でも、小泉さんって噂によれば〆切の1か月前とかに仕上げられちゃったりするらしいんでね。

山内 それは大人ですね......。自分の場合、根底にあるのは「もっともっと」と要求する「幼児性」ですね。これは認識していて、しかしそれを手放すことができない。だからいつまでも移行対象をいじり続けようとしてしまう。結局、原稿にとっての最大の有限化装置って〆切じゃないですか。〆切直前に急に書けてくるときがありますよね。「うお、なんかすげー繋がってきた!」みたいな。これって実際は〆切が近づいてきたことによって、不要な部分や現時点では実現不可能な部分が落ちていって、今回はこれだけしかできないという限定的な形が明確に見えてくる、そのことで筆が走るってことだと思うんですよ。だから結局は幼児性を捨てて、その「諦め」をどれだけ前に持ってこられるかってことだと思う。

千葉 でも、1か月前にそうなるって欲がなさすぎるよ(笑)。

瀬下 大変うらやましいですが、ちょっと特殊なタイプではないでしょうか。これから自分が書く原稿に対する期待値が、正確すぎるというか......。

千葉 特殊だと思うよねえ。こういう話をおもしろがってくれる人は多いと思うんですけど、それはおそらくなにかの完成度をもっと上げたいという幼児的な欲望を持っている人が多いということですよね。でも、できないわけですよ。そしてそれは多分、けっこう普通なことだと思うんですよね。だから小泉さんはすごい。やっぱりデカルト主義者だからですよ。デカルトはすごい。

山内 根底にあるのはデカルトだと。

千葉 そうそう。全てを疑った挙句、自分が考えてるってことから始めるしかないだろ! できることをやるだけだ! みたいな。「森で迷ったら真っ直ぐ歩け」「どこかには着く!」という(笑)。

読書猿 ぼくはデカルトのなにかの書評を書いたときに、ウィトゲンシュタインの「哲学は涙をこらえるのと同じくらい難しい」という言葉を引いたんですよ。書いている時にはそんなに諦められないよ、デカルトみたいにと。ぼくは実は学科が哲学科だったんですよ。そして、「哲学なんかできないよ」ってそこから離れてしまった自覚があるんです。バシッと決断はできない、幼児性だと自分でも思いますが、全部欲しいんだよと。

千葉 「大全」ですからね。あらゆる方法論の網羅ですよね。

読書猿 本当はぼく、百科事典を書きたいんですよ。『アイデア大全』は、その第一巻ですね。でも、いまの速度ならどう考えたって書き切れないんですよ。どこかで死ぬんですけど(笑)。

瀬下 読書猿さんといえども生物ですからね(笑)。

読書猿 でももう諦めないことを選択したというか。仕方ない、これが俺の生き方だからって受け入れました。

山内 しかしふと思ったのですが、現代だともし書き切れなかったとしても遺稿としてアウトラインが公開される可能性がありますね。

千葉 サーバーごと消えてくれればいいんだけど(笑)。

――アウトライナーだけ残っていたら、それを喰わせてAIが生成してくれたりとか。

千葉 新しい原稿を?(笑)

瀬下 自分が書いたトピックを何度も何度もいじっていると、なにが正解なのかよくわからなくなってきて、もうAIにやらせても大して変わらないと思うことがあります。

千葉 粘土こねこねするようなことやっちゃうもんね。

瀬下 書いた文章を何度も上に下に貼り付けて一向にフィックスしない原稿を見ていると、自分はいったいなにをやっているんだろうかと悲しくなります。

読書猿 もう、いつまでもやってしまいますよね、確かに。

瀬下 自分がWorkFlowyでトピックをいじっているところを録画したことがあるのですが、本当にうんざりしました。ずっと同じことを繰り返しているようにしか見えませんでした。先ほど読書猿さんがおっしゃっていたように、一度手を休めて時間をおくべきだと感じました。

山内 でも、結果的に見れば最初に書いていた文に戻っただけのことなのに、その不毛極まりない作業を通過しないとその最初の文を認められないとか、そういうのってないですか?

千葉 まあね、それを言い始めるとね。

読書猿 それすごいですよ、そこまではできない。諦められない(笑)。

――先ほど山内さんは、〆切が近づくことで急速に論理が組みあがっていくことがある、とおっしゃっていましたが、そこではなにが発生しているのでしょう。

山内 あの現象は〆切の現実性による「諦め」だと、ぼく自身は思っています。「もっともっと」という幼児性が働いている段階というのは、基本的には現在の自分には扱えない水準を扱おうという欲望なんだと思うんですよ。だからどうしても「まだできるはず、まだできるはず」と、自立しなさそうな粘土作品をこねくり回して肥大させ続けているような感じなんじゃないですかね。
それが〆切が迫る、あるいは過ぎちゃうと、もう現実的にできることが限られる。なにはともあれ自立するように、足を強化するとか支柱を立てるとか、あるいは方針転換して横向きに置くとかしないといけない。すると自分の現在の能力と知識の範囲内でどう組織化するかという具体の世界に頭がシフトする。主観的にはそのとき、なにかものすごい飛躍が起こってるような疾走感を感じるんですよ。「キター!」みたいな(笑)。でも実際は、おそらくはたんに枝葉末節がとり払われたり不可能な挑戦が次回の原稿送りになったりしているだけで、潜在的な骨格がガーッと現れてくるってことなんじゃないかな、と。
この流れは嫌になるほど経験しているので頭では理解しているんですね。だけど、やはり〆切の手前の段階では、有限な形をとって原稿が現れてしまう、切り取られてしまうということに抵抗している、というか否認している。もっといえば、その合わせ鏡としての自分の人生が、ある有限な形をもって切り出されてくることを否認し続けている、ということだと個人的には思っています。たとえば学生の頃、引っ越しがすごく好きで、とにかく一か所に留まりたくなかった。そして同じ意味で「就職はしない」と決意してました(笑)。

千葉 〆切という最終の、決定的な有限化の枠を通してしか、自分の現在を有限な形をもって切り出すということができない。だからWorkFlowyを使って「もう行けんじゃね?」みたいな準‐原稿ってところまで、できてるものをなるべく前倒ししてやる。それをしながら、さっき言ってたみたいに行動療法的に、自分がいま「メタ」に認識しとかないといけないことをWorkFlowyのトピックのなかに見えるようにしておく。

読書猿 たとえば火事で、荷物をひとつだけしか持っていけないような限定があると、自分の大事なモノ、「これだけは譲れない!」っていうものが見つかって、後はもういいやって思い切れる。まあ、火事と違って、〆切は延びるんですけど(笑)。

瀬下 〆切は有限性の最後の砦、でないこともある、という......。

読書猿 〆切、2回くらいずれてるんで......。

千葉 ぼくも『勉強の哲学』って3回くらい延ばしたので、〆切も絶対ではないですよね......。
京大での発表のときに、ハイデガーの死への存在というのは、あれは結局人間は常に死という有限性を意識するって、要するに〆切ってことなんじゃないかと解釈したんですよ。で、ハイデガーの言っている死とは〆切のことであると言ったら「いやいやいや」と。死は超えられないけど〆切は超えられるでしょうって言われて、ということはぼくは死を〆切だと勘違いしているか〆切を死だと勘違いしているかのいずれかですねって言ったんだけど。たぶんぼくは死を〆切だと勘違いしたいんですよね。死んで無になると思っていなくて、向こう側があると漠然と思ってるんじゃないかなって気がする。
まあでも、ハイデガーの死を〆切の話だとアナロジーで考えると、ちょっとわかる感じがするんですよね。人間が行動を起こすことができるのは、リミットとの関係においてだっていう広い意味にとると、あの話ってすごく生々しい感じがして。

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ライターの紹介

千葉雅也

千葉雅也

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1978年、栃木県生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授、哲学者。ジル・ドゥルーズを中心とするフランス現代思想の研究、美術・文学・ファッションなどの批評、初の小説『デッドライン』(新潮社)など、領域横断的な執筆を展開している。著書に『動きすぎてはいけない——ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)、『勉強の哲学——来たるべきバカのために』(文藝春秋)など。

山内朋樹

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1978年、兵庫県生まれ。京都教育大学教員、庭師。フランスの庭師ジル・クレマンの研究を軸に、現代の庭の可能性を理論と実践の両面から探求している。論考に「なぜ、なにもないのではなく、パンジーがあるのか──浪江町における復興の一断面」(『アーギュメンツ#3』)、訳書にジル・クレマン『動いている庭』(みすず書房)。

読書猿

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正体不明。読書家。メルマガ「読書猿」で書評活動を開始し、現在はブログでギリシャ哲学から集合論、現代文学からアマチュア科学者教則本、日の当たらない古典から目も当てられない新刊までオールジャンルに書籍を紹介している。著書に『アイデア大全』、『問題解決大全——ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール』(いずれもフォレスト出版)。

瀬下翔太

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1991年、埼玉県生まれ。編集者、ディレクター、NPO法人bootopia代表理事。批評とメディアのプロジェクト「Rhetorica」の運営、海外のデザイン事例を紹介するウェブマガジン「design alternatives」の編集、島根県鹿足郡津和野町で町内唯一の高校・島根県立津和野高校に通う生徒を対象とする教育型下宿の運営などを行っている。

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