2002年~2006年にかけて、若返りのプチ整形から豊胸手術、脂肪吸引などの本格整形を体験し、その過程をメディアで公開した作家の中村うさぎさん。彼女はまさに、「プチ整形ブーム」「アンチエイジングブーム」に寄与したうちの1人だ。美醜にこだわることの愚かしさと快楽を、彼女はあますところなく文章にしてみせた。
『整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)では、中村うさぎさんが全身を整形し始めて10年近くが経った今、彼女の「美」へのスタンスをさらに深堀りすべく、長時間のインタビューをさせて頂いた。正直、筆者がうさぎさんのファン(最近では「信者」と言われるのかもしれないが)であったことも、インタビューを行なったきっかけだった。が、彼女の「生きた言葉」なしに、美容整形が何たるものかを描くことは不可能である……というほどに、中村うさぎさんの紡ぎだす言葉は洞察に満ちていた。今回は、そのインタビューを再構成し、(ほんの一部ではあるが)公開する。
――(筆者、以下同)うさぎさんが整形に至ったきっかけは、2002年に雑誌「ヴァンサンカン」の企画でしたよね。
「はい、その時はプチ整形って言葉も知らなくて。そういう世界に疎かったんですよ。買い物依存症の頃だったので、買い物にしか興味がなかったのですが、ヴァンサンカンで『今、プチ整形が流行り始めてるからやってみない?』と言われて。でも、顔に注射を打つって怖いじゃないですか」
ところが、好奇心が勝って施術を受けてみたところ「思ったより痛くなかった」。ボトックス注射を打つと、少しの痛みで、劇的にシワが取れる。「すごい! 美容整形ってこんなことになっているのか!」と、驚いた。ボトックス注射でシワを取るくらいであれば、「みんな『ちょっと雰囲気変わったね、いい感じじゃん』という程度で気付かれない。美容整形のハードルが、すべて低くなったのがプチ整形だったんですね。やってみて、これは流行ると思った」(中村うさぎさん)
プチ整形がこれから流行ると確信した中村うさぎさんは、当時、美容ライターの間で評判が高かった「タカナシクリニック」の院長、高梨真教医師と、経済誌で対談。そこで盛り上がり、「女性セブン」にある企画を持ち込んだ。それが、「40代前半の作家中村うさぎが、メスを一切使わず、20代前半(当時)の奥菜恵にどのくらい近づけるか」というもの。うさぎさんの写真(図)が掲載された「女性セブン」は、発売日になぜか「銀座で売り切れた」という。ホステスたちが、こぞって買い求めたのだ。
(図中村うさぎ、2003、『美人になりたい――うさぎ的整形日記』小学館の表紙)
「30代くらいになると、銀座のホステスとはいえ、色香や可愛さだけでは男をつなぎとめられなくなってくるから。まあ、銀座のホステスだから、新聞や経済誌を読んで知性もつけてるんだろうけど、やっぱり男は、知性だけじゃ来ない。『美貌』っていうのが、加齢とともに大きな課題になってくるわけでしょう。で、40いくつの私が、どこまで変われるかっていうのに興味を持ったんだと思う」(中村うさぎさん)
うさぎさんのプチ整形は、美意識が高いと同時に「加齢への危機意識」も強いホステスたちの興味を惹きつけた。整形する女性たちの中には、もとの容姿が必ずしも悪かったわけではない女性も沢山いる。銀座で働くホステスたちしかり、「みんなやってる」という女子大生たちしかり、そもそも美意識が高いからこそ、さらに自己を高めようと整形するのだ。そしてその行為は、「老化に抗う」「コンプレックスを克服する」という暗いイメージというよりは、「今も、これからも、ずっと美しくありたい!」という、前向きなメッセージとして広がっていく。
本格的に、美容整形の世界へと「ハマった」中村うさぎさんは、もともと、ナルシシズムに支配された「勘違い女」だけにはなりたくないと考えていた。いくら自分で鏡を見て、「私は美人」と思っていても、他人の評価は様々だ。ネットには、うさぎさんが作家であるにもかかわらず、文章とは全く関係のない「容姿」に関する悪口も書かれていたという。文章で勝負しているのに、なぜ容姿のことまで言われるのか。そうした誹謗中傷への対抗措置としても、美容整形は有効だった。なぜなら、整形によって作られた顔は、外科医が認める「客観的な美」だからだ。その顔を「美人だ、ブスだ」と言われようが、「それは高梨(うさぎさんの主治医)の問題なので」と反論できる。こうして、美容外科医がつくった「客観的な美」を手に入れた彼女は、顔に関する評価が以前ほど、気にならなくなったという。この論点は、非常に興味深い。うさぎさんは整形によって、「顔」を手放したのである。
そんな彼女だが、『芸のためなら亭主も泣かす』(2006、文藝春秋)では、「容姿に自信がないことすら認められない人は、整形さえできない」と書いている。「本当に容姿
が優れない人は、自分をブスだと認めることができない」というのだ。
「以前、顔がすごく大きくなってしまう『障害』の方が、『美醜に関して中村うさぎと対談したい』と言ってきたんです。その女性は病気で、『女として美しくないということが、自分にとって大きな問題だから』というので。そこまで開き直っているのであれば、と思って対談したんだけど、彼女は対談の場で、『ブス』という単語が使えなかったんですよ」(中村うさぎさん)
――え!? では、どういう表現になるんですか。
「『美しくない』とか『顔が歪んでしまった』とか、そういう言い方はするけど、ブスっていう単語は、どうしても口に出せない。そのことに対談中、気がついたんです。ブスって言葉が使えないほどのコンプレックスって、ものすごく根深いものがあるんですよ」
女性として「私は美しくない」といい、美醜の問題を考えたいという当事者が、「ブス」という単語を使えない。そのことに気づいたうさぎさんは、巷の女性たちが抱えるコンプレックスと、顔に障害を持った女性のコンプレックスの根深さの「落差」に思いを馳せる。「ブス」という呼称は、人が思う以上に破壊力がある。
「だからね、『あたしブスだから』って言える女の子って、さほどブスじゃないですよ。せいぜい小ブスくらい。本当のブスは、自分のことをブスだって言えないんです」
(中村うさぎさん)
そういえば、整形する女性たちは、自分の顔を「ここが嫌」とか「ヤバい」などと表現することが多いが、決して「ブス」とは言わない。もしかすると、昨今の美容整形マーケットを潤しているのは、「小ブス」くらいの女たちなのかもしれない。整形しない、できない人たちの中には、また別の闇があるのだ。(北条かや)
関連リンク
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▶「もっと可愛く」なることは、善か悪か? ギャル読モの「パフォーマンス美容整形」にみる「倫理の線引き」
星海社新書 『整形した女は幸せになっているのか』北条かや
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著述家。1986年、石川県金沢市生まれ。「BLOGOS」はじめ複数のメディアに、社会系・経済系の記事を寄稿する。自らキャバクラで働き、調査を行った『キャバ嬢の社会学』がスマッシュヒット中。ブログ「コスプレで女やってますけど」は、月間10万PVの人気を誇る。
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