「真の普通選挙」導入を求めて香港中心部の街頭を占拠する雨傘革命。9月末の開始からすでに1カ月が過ぎたが、出口を見いだせないまま膠着状態が続いている。
この膠着状態は、香港政府・中国政府が強硬姿勢を貫いているから……ということだけが原因ではなく、実は雨傘革命の運動形態も背景となっている。
私は先日、香港を訪問し、雨傘革命の「参加者」の一人となった。私だけではない。この間、香港を訪れた日本人旅行者、さらには中国本土の旅行者もほぼすべてが「参加者」だ。
本稿では、この不思議なロジックを成り立たせている運動形態と、その限界について考えてみたい。
まず雨傘革命について抑えておこう。歴史的背景と初期の経緯については、10月8日公開の記事「中国政府の「悪手」が招いた香港・雨傘革命」に詳しい。その要点は以下のとおりだ。
・行政長官普通選挙導入は香港返還時の公約であったが、中国は立候補審査段階で実質上の制限選挙を行う、いわゆる「ニセの普通選挙」プラン導入を決定した。
・反対派への支持は盛り上がりを欠き、金融街を占拠する抗議活動オキュパイ・セントラルの賛同者は広がりを見せなかった。
・状況が変わったのは政府の失策。警官隊による催涙弾使用が批判を集め、政府の強権に対する反発を軸に抗議活動参加者が増えた。催涙弾を防ぐための防具としての傘が運動のシンボルとなった。
アドミラリティーにて。占拠区中心部の歩道橋に傘を使ったアートが飾られていた。
前回記事以降、一部地域の占拠禁止を言い渡した裁判所命令、警察による旺角地区のバリケード撤去に伴う小競り合いなどがあったが、大きなトピックとしては21日の香港政府と学生団体の対話、26日・27日に予定されていた抗議活動参加者投票の中止があげられる。
21日の対話では学生団体が「真の普通選挙」導入や、立候補者を審査する選挙委員会の選出方法の変更などの改革案を要求したのに対し、香港政府側は抗議活動の要望を中国政府への報告書に記載するなど具体性のない提案を出すにとどまり、物別れに終わった。その差は大きく、対話は継続されることなく1回で終わってしまった。
そして抗議活動の行き詰まり、活動内部の亀裂を示したのが26日、27日に予定されていた投票の中止だ。
これは、政治改革協議の委員会成立を要求するべきか、「ニセの普通選挙」導入を決めた中国本土の決定を撤回するよう要求するかという2つの設問にイエス・ノーで答えるというもの。占拠区にいる香港住民が携帯電話で登録し投票するという方式だった。
しかし、「当局に抗議活動者のリストを手渡すようなものでは」などと活動参加者の反対意見が噴出し、投票は中止となった。
アドミラリティーにて。あちらこちらで演説が行われ、多くの「参加者」が耳を傾けている。
重複投票を許さぬよう、無記名投票ではなく個人情報を確認し携帯電話で投票するというプランを聞いて、私は運動を瓦解させかねない危険なやり方だと感じた。
なぜなら、参加者の実数をさらけだしてしまうことになるからだ。強行してもおそらく1万票を超えなかったのではないかと予想するが、そうなれば「香港住民大多数の意志」だったはずの雨傘革命は「たった数千人の騒ぎ」へと一気に転落してしまうことになっていただろう。
「いやいやいや、街頭を埋め尽くす参加者の写真が日本メディアに流れていましたよ!」と思われる方もいるだろう。だがその「参加者」には一種のトリックがある。雨傘革命の「参加者」は大きく3種類、コア層、支持層、そして野次馬に分けることができるのだ。
街頭の占拠区に常駐し寝泊まりしているのがコア層。抗議活動参加者の調査によると、占拠区にはられているテントは2000あまり。野宿している人もいれば空のテントもあるのでテント数がそのまま参加者とは断定できないが、ある程度の目安とはなるだろう。
支持層は昼間は学校や仕事に通い、夜だけ現場に足を運ぶ。週末だけ参加する。あるいは節目の日だけやってくるのが支持層だ。たった一人でやってきて、誰とも会話することなく数時間腰を下ろして本を読み、立ち去っていく。そういう人も少なくない。
そして野次馬だ。わざわざ占拠区見物に行く人、散歩がてら占拠区を歩いてみる人もいる。3つある占拠区の一つ、モンコック地区は目抜き通りが歩行者天国化しているということもあって、多くの人が占拠区を見物していく。日本人観光客も中国本土観光客もショッピングのついでに「参加者」になってしまうわけだ。
モンコック占拠区の中央分離帯に置かれたプラカード。「ここを通って運動に支持をしてくれたことに感謝」と書かれている。歩行者天国化した目抜き通りを横切った段階で、誰もが「参加者」となる。
もちろんこれは珍しい話ではない。コアな層を超えて数を演出し政権に圧力をかける。野次馬の「参加者」がいつしか本当の参加者に変わっていく......。組織動員型ではなく、群衆参加型の政治抵抗運動ならばありふれた話である。
しかし雨傘革命の場合、加えて司令塔の欠如という側面もあるのだ。
「いやいやいやいや、リーダーいるじゃないですか。ニュースで見ましたよ」という方もいるだろう。確かに学生団体のリーダーであるジョシュア・ウォンや周永康、そしてオキュパイ・セントラルの提唱者である朱耀明、戴耀廷、陳健民の3人の名前はよくあげられている。
ただし彼ら自身はあくまで呼びかけ人との立場を崩していない。組織的な運動ではなく、一人一人の自発的な意志が集まった運動というわけだ。
そもそも占拠の発端自体が一部学生の座り込みを支援しようと市民が集結、これを好機と学生とは無関係だったオキュパイ・セントラル提唱者が占拠開始を宣言したというものだった。「学生を支援するために街頭に出たら占拠者にされていた。勘弁して欲しい」という人もいたほどだ。
政治団体に利用されたくないと考える人が多い中で当初は有効な戦略だったが、抗議活動が長期化するなかでその弊害が目立ってきた。抗議活動全体としての決定ができないのだ。
市民生活に不便を強いている、経済活動へのマイナスが大きいと批判されることが多いモンコックの占拠区については撤収し、最大の拠点であるアドミラリティーに集約するべきとの意見も強い。市民の支持があるうちに運動をいったん収束させるべきとの意見もある。いずれも意思統一は困難だ。
そればかりか運動の主張自体も細部ではバラバラだ。占拠区に貼られている無数のチラシを見ていくと、一国二制度の約束を守って欲しいと中国政府に香港住民の意思を聞くよう呼びかけるものもあれば、「粉ミルクを買いあさる中国人観光客許さまじ」という大陸蔑視の意見もある。
こうした状況では政府との交渉も難しい。学生団体が譲歩と引き替えの撤退を約束しても、その約束が実現される見込みが薄いからだ。
前述の占拠区投票の本当の狙いは、投票を呼びかけた学生団体、オキュパイ・セントラル提唱者のリーダーシップ確立にあったと見られており、「投票は撤退の道筋をつけるものでは」と警戒する声も少なくなかった。
占拠区投票の頓挫後、意見の相違はさらに鮮明となる。占拠区はアドミラリティー(金鐘)、コーズウェイベイ(銅鑼湾)、そしてモンコック(旺角)と分かれているが、モンコックでは学生団体批判のチラシが大量に出現した。
モンコックの占拠区に貼られていたチラシ。「ステージ上の人間はマイクで不満を訴えることができる。しかし戦う者にはステージもマイクもない。戦うことだけが不満を示す手段だ」
モンコックの占拠区に貼られていたチラシ。「最初の衝動/突撃」(かけことば)を忘れるな。もし最初に突撃した人がいなければ、今座り込みの活動ができただろうか?」いずれも、あくまで平和的な運動を呼びかけている学生団体らに対し、バリケードを撤去した警察から占拠区を実力で奪い返したモンコックの一部参加者の訴え。
また中国人観光客の粉ミルク買い占めを批判するチラシなど、当初押さえ込まれていた反中感情を示すチラシも出現した。
学生団体らはあくまで理性的な運動を目指しているが、荒っぽいモンコックの「参加者」が足を引っ張っている......という見方もあるが、個人的には素直に同意はできない。荒っぽいやり方に賛同するわけではないが、理性的な運動が取りこぼしている人々の存在を象徴していると感じるからだ。
香港トップの梁振英行政長官は20日、ニューヨークタイムズの取材に答え、「もし完全に数字のゲームで(普通選挙で)代表を選ぶならば、月収1万4000香港ドル(約20万8000円)以下の香港市民と向き合わなければならないことは明らかだ」とあざやかな失言をやってのけた。
「貧乏人に参政権を与えると大変なことになるぞ」との素直な吐露だが、しかしこの失言を逆手に「貧乏人にも政治参加を」との主張が雨傘革命の大勢を占めることはなかった。雨傘革命が貧困層を含むあらゆる層を取り込んで拡大する力に欠けていることを示すエピソードと言えるだろう。
ここまで抗議活動側に厳しい内容を書いてきた。しかし抗議活動側を責めているわけではない。抗議活動と対峙する香港政府はいわば傀儡であり、直接的な譲歩を引き出すことは困難だ。そうした中で一定の支持を得た運動を展開し得たことは間違いなく成果だろう。
膠着状態が続けば不利になるのは運動側だ。暖かい香港とはいえ、本格的な冬となれば寝泊まりするコア層も減少していくのではないか。
もっとも抗議活動が雲散霧消する結果に終わったとしても、それが香港政府、中国政府の勝利ではない。政治への無力感は政府の正当性を揺るがすものになりかねない。一党独裁の中国であっても市民の支持は必要であり、習近平政権は今反汚職キャンペーンを通じて共産党の信頼性回復に取り組んでいる。
その中で香港で正当性を失うようなことがあれば、明らかな失点であり、その影響はボディブローのように効いてくるはずだ。
この膠着をみるに、最大の要因は民主主義のメカニズムが欠如していることにある。一応は民主主義国である日本にいると、民主主義にかんするさまざまなあらが見える。
しかし、たとえあらがあったとしても、選挙という意思表明の手段が担保されているのは大きなメリットではないだろうか。
占拠という非常手段に訴えざるをえず、そのことが政府と市民の関係、あるいは市民内部の関係に大きな亀裂をもたらしつつある香港からみると、民主主義の御利益が強く感じられるのだ。
サイト更新情報と編集部つぶやきをチェック! |
---|
高口康太
翻訳家、フリージャーナリスト 1976年、千葉県生まれ。千葉大学博士課程単位取得退学。独自の切り口で中国と新興国を読むニュースサイト「KINBRICKSNOW」を運営。豊富な中国経験と語学力を生かし、中国の内在的論理を把握した上で展開する中国論で高い評価を得ている。
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
客員研究員
サッカー
Copyright © Star Seas Company All Rights Reserved.
コメント