バングラデシュの首都・ダッカで2016年7月1日に起きたカフェ襲撃事件は、長く語り継がれるであろう凄惨な事件となってしまった。
午後8時半過ぎ、ダッカ市内でもっとも多く富裕層が居住し、大使館が数多く所在するグルシャン地区で事件は起こった。7人(一説には6人)の武装した若者が、ホーリー・アーティサン・ベーカリーというカフェを襲撃、軍による強行突入も行われたが、結果的に日本人7人を含む20名が亡くなった。
この事件により、我々日本人が、ISの明確なターゲットとなっていることが決定的となった。そして、バングラデシュおよび日本両国にとって、バングラデシュの発展に貢献してきたJICA関係者が犠牲になってしまったことは大きな痛手である。
事件の背景や、なぜ日本人やイタリア人が多く犠牲になったのか、こういった点について、元JICA専門家であり、バングラデシュ在住者という視点から考えてみたい。
今回の事件は、私の身近なところで起きた。そのため、襲撃直後からさまざまな情報が飛び込んできた。
なかでも、もっとも私に近い例として、私が雇用している運転手の親戚が、襲撃されたカフェの従業員で、無事に生還したということがあった。
CNNでも報道されたが、8人がバスルームに立てこもって生き残っている。運転手の親戚もその1人だったのだ。
彼は、事件発生当時はレジ近くに座っていたという。突然テログループが押し入ってきて、銃弾をあびせかける。何事が起こったのか混乱しながらも、「これは逃げないと危ない」と判断し、バラバラとあられのように振りかかる弾丸の中、左足に被弾しながらもバスルームに逃げ込んだ。同じように逃げ込んだ人間が8人いた。
CNNによると、襲撃が起きてからしばらくした後、犯人グループの1人がまだ調べていないドアの存在に気づき、外から声をかけたという。部屋の中から内鍵をかけ、全員が声をひそめる。
「ベンガル人なら外に出ろ!」無言。
「イスラム教徒なら外に出ろ!」それにも無言。
すると、犯人は外側から鍵をかけて立ち去っていった。
運転手が聞いた話によると、彼らの中で携帯電話のメッセンジャー機能を使い、なんとか外部とのアクセスを試みようとした。しかし、従業員たちの友人知人はみな、字がまともに読めない。苦労しながらもあれこれつてを頼り、なんとか警察とも連絡をすることができたようだ。狭い部屋の中、僅かな物音を立てるのも許されない状況が続いた。折しもバングラデシュは雨季である。部屋の中は彼らの体温で蒸し風呂のような状態になっていた。
結局、陸軍と警察による救出作戦ののち彼らは解放された。蒸し暑いバスルームの中で息を殺し、九死に一生を得たのだ。
7月2日一面。まだこの時点では「日本人が人質になった」という表現だった(プロトムアロ紙より)。
では、この事件の背景を分析していこう。
まず、今回の事件を起こした者たちの犯人像は、以前書いた拙記事を参考にしてほしい。「ある程度の学歴があり、書物やネットを通じてイスラム過激派思想に共鳴した若者」という犯人像は、今回も全く同じである。
そして、このテロ事件は明らかに外国人もしくは非イスラム教徒を狙ったものだったといえる。
その根拠は、犯人が襲撃を加えたタイミングにある。金曜の夜9時前というタイミングは、1日5回行われるイスラム教の礼拝のうち、最後の礼拝の時間帯にあたる。
断食月期間中、一般的にイスラム教徒は普段よりもさらに敬虔になる。普段礼拝をサボっている人々もこの期間だけは礼拝をするし、いつもはモスクに行っていない人々も、この時ばかりはモスクに行って礼拝をする。特に金曜日の礼拝は重要視されている。
犯人グループはイスラム教徒を殺してしまわないように、金曜日のその時間を選んで襲撃を決行したと思われる。その時間帯に襲撃を仕掛ければ、店にいるのは自動的に外国人か、イスラム教徒でありながら礼拝を怠ける不埒者しかいないことになるからだ。
また、なぜホーリー・アーティサン・ベーカリーが襲撃の対象になったのかも、検証しなければならない事項のひとつだ。
これは、カフェの建物構造や客層の問題だろう。オープンな芝生があり外から見通しがきくうえ、建物が小規模で少人数でも制圧可能であった。また、外国人の利用率も高かった。
ここ数年、バングラデシュはカフェブームである。インド、ベンガル地方はもともとイギリス式の紅茶文化の国でミルクティーが名物だ。そして、もうひとつの名物は甘くてパサパサの美味しくないパンだった。ところが、最近になって美味しいパンとコーヒーが飲めることを売りにしているカフェが多数出店されてきている。
そのなかでも最も人気があるのはGloria Jean'sである。グルシャン地区に最近完成したGloria Jean's2号店は100人ほどは収容可能で、ピークタイムの金曜日9時頃にはいつも満席になっていた。もし犯人が死体の数だけを問題にしたかったのなら、この店を選んだことだろう。ただし、この店はバングラデシュ人の利用率が高い。前述の理由同様、外国人に絞って攻撃を仕掛けたいのであればこの店は選ばれない。
これまでの報道で明らかになったように、犯人グループには中流以上の金持ち層出身者もいた。彼らの中には、グルシャン地区にあるカフェで友達と写真に写っているのをFacebookに投稿している者もいた。
つまり、グルシャンに土地勘があるのだ。この事から彼らは事前に下調べをして、自分たちの人数で制圧可能かつ外国人が多い襲撃場所を決め、目的を果たすために最適な襲撃時刻を予め決めて事件を起こした可能性が高いと考えられる。
昨年の邦人殺害事件以来、バングラデシュ政府は一貫してバングラデシュのイスラム原理主義勢力JMBもしくは野党による犯行と主張していて、ISの拠点がバングラデシュにあることを否定し続けてきた。
これまでに検挙されてた容疑者も、すべてその筋から出ている。しかしながら、決定的な犯人を検挙するには至っていない状態だった。
その中で、今回の事件は起きている。治安当局が警戒を強めていたにもかかわらず、事件はより大規模に、組織的に、計画的に行われている。
つまり、これまで治安当局の行っていた対策は、ほとんど効果を表していなかったのだ。
バングラデシュ政府が、ISの拠点が国内にないことを主張し続けていた理由は、ふたつ考えられる。
ひとつは、ISの拠点がバングラデシュにあることを認めると、海外からの評判が悪くなり投資が鈍るおそれがあるため。
もうひとつは、国内の強い政治バイアスである。与党・アワミリーグの宿敵であるBNPとイスラム原理主義政党・ジャマティイスラムの犯行と信じこんでしまう、もしくは政治利用して野党の弾圧に勤しみたいという発想しか生まれなかったのではないかと考えられる。ところが、野党グループは、今回の事件の関係者であるとは言いがたい。更に言うならば、今回の事件の犯人の一人は政権与党アワミリーグ中堅幹部の息子である。
しかし、JMBは、これまで外国人をターゲットに事件を起こしたことはなかった。一方で勃興してわずか2年のISが国内ににわかに拠点を持てるのかというとそれも疑わしい。そこから導きだされる答えは、ISが思想感染源となりJMBと結託したと考えられるのではないか。バングラデシュ国内において銃器や爆弾などの調達力がありテロ活動のノウハウや持つJMBと、強烈なイデオロギーで狂信者を増やすISが結びつけば今回の事件は実行可能になってくる。
筆者は、実態として考えるならばジハードの実践として外国人を狙うというイデオロギーからして、犯人グループはJMBではなくもはやISそのものだと考えている。
以上のように、今回の事件が発生した原因の一端は、ピント外れな政権当局の捜査体制に遠因があったとも考えられる。だが、政府当局はこれまでと同じ主張を強硬に繰り返している。
実際、事件後にISから発信されたビデオメッセージでは、3人のバングラデシュ人がベンガル語で、さらに事件を起こすという声明を発表している。さらに、事件後の警察の調べで、今回の犯人たちのように行方不明になっている若者が150人以上いることが明らかになってきている。
日本政府は事件の全容解明をバングラデシュ政府に任せず、ただひとり生き残った犯人グループの容疑者の尋問も含め、全面的に関与しつつ捜査を展開するべきである。
バングラデシュ当局がこのまま方向転換を計れないようでは、近い未来、さらに犠牲者が増えるリスクもあり得るだろう。
もう一点、マスメディアが指摘できていない論点がある。それは、日本とアメリカ等の欧米諸国との間に、決定的な安全対策システムの違いがある点である。
多くの方々がお気づきと思うが、昨年相次いだ外国人殺害事件でも、今回の事件でも、イタリア人と日本人が殺害されている。これは偶然なのか、それとも必然なのか?
この結果が必然であるとするならば、この二カ国がダッカ市内において「クラブ」を持っていないことに原因が求められるだろう。
ダッカ市内には、アメリカンクラブ、ジャーマンクラブ、ノルディッククラブといった外国人クラブが存在する。このクラブは、特定国の国民を対象に、飲酒ができるレストランやテニスコート、プールなどのレジャーを提供すること目的に作られた施設である。
さらに、このクラブの敷地は当該国の大使館の所有地となっていて、外交特権も与えられている。つまり、アメリカンクラブの敷地内はアメリカ合衆国と同様なのだ。クラブ敷地内に入るには電子ロックで阻まれた入り口で身分証明書の提出が求められ、敷地は高い塀で囲まれて常に警官隊が常駐している。
この「クラブ」を、日本も、イタリアも所有していないのだ。そのため必然的に一般のレストランで飲食することになり、ソフトターゲットとして狙われやすくなってしまう。
アメリカ大使館は、昨年の外国人殺害事件の後はアメリカンクラブ以外でのレジャー利用を推奨していなかった。つまり、ISが最も狙いたかった対象であるアメリカ人は高い塀で囲まれた施設の中にいる。ターゲットにするには難しい状況にあるのだ。
日本大使館は、ダッカ滞在中の日本人に対し、「イスラム過激派組織によるラマダン期間中のテロを呼びかける声明の発出に伴う注意喚起」という表題のメールを配信していた。しかし、その内容はあくまでも「注意喚起」にとどまっていた。
大使館は、もっと危険度レベルが高いと判断すれば外出禁止の措置を取る。今回はその手前の危険度レベルと判断していたのだ。しかし、どこに行けば安全なのか、アメリカと違って安全が確保された施設のない日本は「個人の判断で注意してください」と指示する以外に方策がないのが現状だ。
これまでダッカに住む日本人は、現地の人々と仲良くしていれば、壁に囲まれた施設を作って自国の文化に閉じこもる必要性はないと考えていたのか、日本クラブをつくろうという話は出なかった。
バングラデシュはイスラム教マジョリティの国であり、飲酒ができない。加えて、インド食文化圏に位置するため、三食カレーを手で食べる。ずっと彼らの文化に合わせて生活をしていては、どうしても息が詰まることがある。仕事で成果を出すためにも、箸と茶碗で飯を食い、酒を飲み、友人と話をする場が必要だ。
バングラデシュで働く日本人のために、「安全に息抜きができる場所」が必要な時代がやってきたのだ。
7月3日一面。「血ぬられたグルシャン」の見出し。日本人死者7人、イタリア人死者9人と被害者の国籍の内訳も(プロトムアロ紙より)。
バングラデシュは日本の事をこれまでずっと目標にしてきた。
日本のように経済発展したいと考え、ほとんどすべてのバングラデシュ人は日本人に敬意をもって接してくれた。日本人だと言えば、顔に満面の笑みをたたえ、「ようこそバングラデシュへ!」と言ってくれるのが日常風景だった。
しかし、約1億6千万の人口中、たった7人の狂信者によって安全が脅かされるのであれば、「みんなと仲良くしていれば大丈夫」というのは幻想でしかない。
我々は知性をもって過去に学ぶ必要がある。
残念ながら、現在のバングラデシュは昔のような「安全な国」ではなくなったし、これからすぐに「安全な国」に戻ることもないであろう。
150人以上の行方不明の若者の中に、おそらくはテロリスト予備軍がいる。しかし、日本国政府として、バングラデシュへの支援をこれからも継続していくことに変わりはないだろう。
だとするならば、「安全でない国」で安全を担保するために、これまでのやり方を変えなければならない。
犠牲になってしまったJICA関係者の手向けとする意味でも、日本国政府は今回の事件を教訓に、安全対策を白紙から練り直す必要がある。
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