今年、中国は六四天安門事件の発生から27回目の6月4日を迎えた。中国政府はヒステリックなまでの厳戒態勢を敷き、事件を風刺した民間人や人権活動家を拘束し、海外の新聞がその横暴を非難する。そして、この前後1週間ほどの「人権モード」の期間が終われば、社会のすべては再び日常に復帰し、以前と変わらぬ毎日が続いていく――。今回も例によって、6月4日の中国は「毎年と同じように」過ぎていった。
2012年秋に習近平が党のトップに立った前後から、中国国内における体制の改革や市民の人権擁護を求める動きは従来にも増して停滞している。だが、そんな状況にもかかわらず、私は最近なぜかある民主活動家の手記を編訳して出版することになった。彼は習政権の摘発を逃れて中国各地を2年間放浪し、ついに陸路でタイまで密入国亡命したという人だった。
ちなみに、私は中国の民主化運動のイデオロギーやその活動の内容自体にそれほど強い関心や共感を抱いていない。日本で暮らす観察者としての立場を踏み越えてまで、彼らの運動を積極的に支援するつもりもない。また、中国国内の人権状況についても、西側の国家に暮らす人間の常識的な感覚としては「気の毒だ」とは思うものの、わが身の問題として激しく憤るような立場ではない。
では、なぜ私はわざわざ今回のような本を手がけたのか。実のところ、その答えの8割は「話が面白くて仕方がなかったから」で、さらに残りの理由の大部分が「顔伯鈞個人が興味深いから」である。中国の民主化や人権状況の改善云々といった真面目な動機は、おそらく数パーセントもあるかないかだ。
ならば、この話の何がそこまで面白いのか? 政治的に極めて敏感な内容を含む本書について、諸般の裏事情をここに記しておきたい。
まずはこのお話の主人公である、顔伯鈞のバックグランドを手短に説明しておこう。
彼は1974年中国湖南省生まれ。吉林大学で物理学を学んだ後、瀋陽航空工業学院での講師を経て、2005年に党中央党校修士課程政治経済学専攻を修了。中央党校は中国共産党の最高学府であり、顔の在学当時の校長は胡錦濤と曽慶紅だった(後に習近平もこのポストに就任)。経歴を一見してわかるように、もとは党の若手エリートの卵だった人物である。
もっとも、顔はその後、幹部候補生として北京市通州区の区長の秘書に配属され、当局への陳情者の対応に従事するなかで、官僚の腐敗と政府の無策の数々に直面して体制に疑問を抱きはじめる。新興国・中国が「坂の上の雲」を登り切った北京オリンピックの閉幕のころから、本格的に中国国内の社会問題に関心を持つようになり、やがて官界に見切りを付けて北京工商大学の副教授に転出した。2012年、人権活動家の許志永が主宰する体制改革組織「公盟」(「公民」)に加わってその幹部格となり、新公民運動に参加している。
新公民運動とその弾圧については、WSJ日本版のこの記事や、日経新聞のこの記事が詳しい。かいつまんで言えば、彼らの運動は中国共産党の支配体制を公然と否定せず、穏健な社会改革と国内政治の民主化を求めるものだった。月に一度、体制に疑問を持つ人間が集まって食事をする活動を開くことが中心である。やがて、参加者たちは官僚の腐敗撲滅を訴える横断幕を持って街頭に出るようになったが、それほど派手な振る舞いはしていなかった。
だが2013年4月、彼らの運動は習政権の成立とともに苛烈な弾圧にさらされることになった。仲間が次々と逮捕されるなか、積極的な運動参加者の一人だった顔伯鈞は、ヘタなサスペンス映画よりもずっと過酷な逃亡の旅を選ぶことになる。
その後、彼は2度の拘束を経ながら、山東省・湖南省・雲南省・香港・チベット・中国とミャンマー国境のジャングルに割拠する漢人軍閥など中国全土を逃げ回り、最終的に2015年2月にタイへと脱出していくのである。その足跡はのべ2万キロに及ぶ。しかも、逃亡環境はかなりハードだ。
いかがだろうか。21世紀の現代中国におけるお尋ね者の逃亡は、『水滸伝』に登場する宋江や魯智深の逃亡劇以上に大変なのだ。いまや中国の全土を覆ったインターネット監視網と携帯電話の盗聴網、さらに電子化IDカードの採用による国民の行動の把握によって、逃亡者はかくも多大な苦労を余儀なくされるのである。
もっとも、中国の社会においてお尋ね者がとる方法は、『水滸伝』の時代も現在もそれほど大きく違わない。すなわち、大中華の四海天下の各地に隠れ住む好漢や、国と民の行方について悲憤慷慨する英雄豪傑を頼り続け、彼らの義侠心にすがるのである。例えば、こんな人たちがいる。
顔伯鈞の場合、過去に新公民運動に賛同していた全国のシンパ3000人ほどの名前リストが手元にあったため、これを頼りに逃げ続け、さらに道中で出会った友達やその友達を紹介してもらって2年間の潜伏に成功している。
なかには、どう考えても中国の体制改革には関係がなさそうなのに、ただ義気だけでお尋ね者を助けているような人もかなり多く登場する。「義」や「侠」といった言葉で表現される、暑苦しくて粘っこい情緒が、現代中国の社会の裏側にここまで濃厚に息づいていることに驚きを禁じ得ない。
――もうおわかりであろう。実のところこの物語は、中国の民主化を目指す原作者による本来の執筆意図とは無関係に、「電子ガジェットがフルに登場する現代版の水滸伝」や「中国裏社会の第一級潜入レポート」としてのエンタメ的な視点から読めてしまうのだ。「面白い」という表現はちょっと不謹慎なのだが、それでもこんな言葉こそがもっとも似合う話なのである。
2013年冬、北京市内で新公民運動の参加者たちがおこなった横断幕活動。顔伯鈞は左の人物。
私がこの逃亡記を入手した契機は、ほとんど偶然に近い。2015年2月28日、バンコクのチャイナタウン・ヤワラート地区で、私はタイ亡命からわずか10日に満たない時期の顔伯鈞と知り合った。
私はこのとき、休暇を取ってベトナムからタイまで東南アジアをバックパッカー旅行中だった。10日近く仕事を放り出していることに気が咎め、帰国前にバンコクで暮らす中国人の民主化運動関係者に誰彼構わず連絡してみたところ、ある在タイ中国人活動家(現在は獄中)の紹介で、思いがけず彼の話を聞くことになったのである。
当初は天安門事件への意見を聞こうと考えていたが、1974年生まれの顔と事件との関わりは薄く、彼の話は過去の思い出よりも現在の壮絶な逃亡譚のほうがずっと興味深かった。顔は党のエリート教育を受けてから、地方幹部の秘書となった経歴の持ち主であるため、ものごとを論理的かつ簡潔に説明することがズバ抜けて上手かった。
(すなわち、「○○の時期の状況は3つのフェイズに分かれています。第1のフェイズにおけるポイントは4点あります。そのひとつめについて、一言で表現すれば『△△△』ということです――」といった、論理の樹形図がすぐに頭に浮かぶような話し方をするのである。中国共産党の内部で、忙しい上司に、秘書が状況報告をおこなう際はこういった説明の技術が求められるらしい)。
当初、私はすぐに顔のネタをどこかの雑誌で紹介しようと考えたが、よくよく尋ねてみると、彼は逃亡の手記をノートに書き貯めているらしいことがわかった。話がこれだけわかりやすく、大学の準教授でもあった彼の逃亡記はきっと読み甲斐のあるものだろう。そう考えた私は原稿を送ってもらう約束を取り付け、バンコクを後にしたのである。
帰国後、届いた手記に目を通すと、当初の想像以上にスペクタクルに富んだ内容だった。話の裏取りを進めつつ、複数の出版社に書籍化を打診したところ、さいわい文春新書からの出版の話がまとまった。ただし問題は、原文の文字数が30~40万字ほどもあることだった。
中国語にはひらがなやカタカナがないため、同じ内容でも文字数は日本語の半分か3分の2程度である。普通、日本の書籍の収録文字数は10万字程度なので、すべてを真面目に翻訳すれば全5巻ほどの長編大河ノンフィクションになりかねない。
さすがにそれでは商業ベースに乗せられらないため、私は顔に事情を説明したうえで、「編訳」という方法を採ることにした。つまり、事実関係や原文のニュアンスは最大限尊重した上で、実際の文章は私の側である程度までは自由に意訳して書くというやり方である。
こうして出来上がったのが、本書『「暗黒・中国」からの脱出』だった。
ただし、編訳中に泣く泣く削ったエピソードも多かった。例えば原文には、逃亡前の顔伯鈞が北京市内で当局関係者の尾行を受けた話が紹介されている。尾行者はバスから下車しようとした際、ICカードの残額のチャージを忘れており、後ろに並ぶ普通のおばちゃんから小銭を借りてモタモタしていた。顔はその隙に彼を撒くことに成功した――、という笑える出来事だ。
また、ミャンマー領内の漢人軍閥の傭兵リクルーターを務めていた某人物の仲間たちに守られ、雲南省内の幹線道路に大量に設置されている当局の検問をすべて巧みに突破したという、古代中国の孟嘗君ばりの逸話もある。だが、全体の整合性や文字数制限との関係や、他にも面白い話が山ほどあったことから、これらのエピソードは本書ではそれほど詳しく収録できなかった。
今後、原作の完全版がなんらかの形で日本語に翻訳されることを望んでやまない。
ところで、この奇妙にして面白すぎる手記を執筆した顔伯鈞は何者なのだろうか? 実のところ、彼の「正体」については、北京やバンコクの民主化運動人士の界隈を震源として、気になる噂が囁かれたことがある。
顔が体制内エリートとしての特権的な地位を捨て、2年間も逃亡を続けたのはなぜなのか。また、タイ亡命後に仲間の亡命者である姜野飛や董広平が現地当局に逮捕されて中国への強制送還を受け、さらに彼とバンコクで出会ってから数日後に失踪した李新という亡命者(中国当局による越境拉致の可能性が高い)すらも存在するのに、彼だけが無事なのはなぜなのか――?
これらの疑問の答えについて、顔の正体が習近平政権のスパイであるからだ、とする主張が存在するのだ。
だが、こちらの説はおそらく実態にそぐわない。顔がこれまで、ごくわずかな危険の兆候を感じ取るたびに超人的なまでの用心深さを発揮して転居と逐電を繰り返し、電子ツールの利用にも極めて慎重になってきたことは、編訳の過程で本人と連絡を取ってきた私が誰よりもよく知っている。
少なくとも私が顔と出会った2015年2月から現在までの1年4か月間、彼が相当に巨大な存在――つまり、携帯電話のGPSを探知して場所を割り出して国外にまで捕り手を送り込んだり、対象となる個人のパソコンにハッキングして情報を抜いたりできるほどの実力を持つ権力機構――から追われ続けてきたことは、ほぼ疑いがない。
また、具体的な尾行の事例や支援者の名前、タイ亡命後に発生した事件などは、本人に何度か同じ話を語ってもらってもほとんど事実関係の齟齬がない。逃亡中に発生した雅安地震やミャンマー軍閥の内戦といった社会的事件と、彼の手記の記述との間にも矛盾がない。
加えて、顔と一緒にタイに逃亡したり、現地で仲間となった中国人亡命者は、上記の姜野飛や董広平以外にも何人か存在するので、顔だけが「奇跡的に拘束を免れた逃亡者」だというわけでもない。彼が一部の在タイ中国人亡命者からの妬みや反発を受けがちな理由についても、私個人はその要因についての心当たりがある。
顔伯鈞=習政権のスパイ説は、在タイ中国民主化運動組織の内紛が関係していることに加え、中国側が昨年末から今年初頭にかけて仕掛けた情報工作の結果として広められた可能性が高い。昨年10月以降、中国は東南アジア圏での亡命者狩りや、習近平のスキャンダル本の刊行を計画した香港の出版関係者複数名への拉致など、従来にも増して取り締まりの網を海外にまで広げてきた。
この際、民主化人士の亡命拠点であるタイは特に重点的なターゲットになり、そこで目立った人物(顔を含む)を中傷する怪文書が、メールやチャットグループの書き込みなどの形で大量に流布された。その目的はもちろん、亡命者たちを相互に疑心暗鬼にさせて人間関係の分断を図ることだ。中国共産党が伝統的に得意とする手法である。
顔伯鈞「スパイ説」を唱えるあるネットの書き込み。背後には在タイ中国人民主化人士の内紛も関係しているようだ。
もっとも、本当のところを言えば、顔伯鈞は(少なくともある時期までは)筋金入りの「反体制活動家」ではなかったと私は考えている。つまり、顔は現在の習近平体制の「敵」なのは確かだが、中国共産党全体の敵だとは必ずしも言い切れない人物だということだ。
「公盟と新公民運動は、党内の権力闘争の犠牲となって崩壊した――。
あるとき、顔が口にした言葉である。実のところ、「体制の民主化に目覚めた市民がネットを通じて自発的に団結した」といった美しい言葉で説明されがちな社会運動にも、本当は党内のある勢力の後ろ盾が存在していた。事実、往年の「公盟」の指導層は顔のような共産党員や富裕層など現体制内の成功者で占められており、「与党内野党勢力」という匂いが濃厚に漂う。そもそも一党専制体制が敷かれた中国の社会において、100パーセント純粋な「穏健で自発的な市民運動」などというものが成立する余地はハナから存在しないのである。
私たちが現在の習近平体制からイメージする中国共産党の姿は、限りなく「反動的」で「専制的」に見える。だが、もとより8000万人の党員を持つ(近ごろ国民投票でEUからの離脱を決定したイギリスの全人口よりも多いのだ)集団が、統一した思想の方向性などは持ちようがない。加えて組織の幹部層の間では、党や国家を延命させる手段が常に検討されており、現在のような専制体制の強化も、その逆である政治の民主化や社会の自由化も、党の選択肢のひとつとしては以前から存在し続けてきた。
往年の新公民運動は、中国の将来的な生き残りを図るために、この選択肢を小さな範囲内で試す社会実験としての一面を持っていた可能性が充分にある。このグループは、どうやら共産党若手エリートの卵であった顔自身も属していた派閥でもあった。だが、2012年11月に党総書記に就任した習近平は、自己の権力基盤とは異なる党内勢力を弾圧する過程でこの派閥にも容赦のない鉄槌を下し、「実験」は中止された――。
以上は私の仮説だが、新公民運動の発生と壊滅の真相としては、かなり妥当な説明ではないかと思っている。顔については、もともとは党内のある勢力の社会実験を遂行する現場実行部隊の一人であり、その勢力が敗れたことで亡命を余儀なくされた人物である可能性も高いのではないか。清朝末期の歴史で例えるなら、彼は王朝の打倒を目指した革命派の孫文ではなく、戊戌の政変に負けて袁世凱に権力を奪われた王朝内改革派の梁啓超の部下......、くらいの位置付けというわけだ。
だが、こうした背後事情や、中国の体制民主化の現実的な可能性の有無は、もともと私にとっては二次的な関心の対象でしかない。私がこの逃亡記の編訳を引き受けたのは、主人公の顔が中国から東南アジア各国をめぐる壮大な2万キロの旅路を、当局に追われながら2年間にわたって放浪したサスペンス・ストーリーがとにかく面白かったからなのだ。顔本人や新公民運動の裏事情はさておき、彼のハードすぎる逃亡行自体は、その多くがまぎれもなき「事実」だと考えられるのである。
物語の成立過程に一抹の怪しさを残しつつも、あまりに面白く、破天荒でアナーキー。いかにも中国らしいカオスな魅力にあふれているのが、今回の『「暗黒・中国」からの脱出』だ。
中国の民主化や人権問題といった、ちょっとキレイで真面目すぎる話題に関心が持てない人こそ、この本を読んで大いに楽しんでほしいと思う。
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