私は、2013年からドイツのハンブルクに住んでいる写真家だ。
現在、ハンブルクには大量のシリア難民が押し寄せている。難民受け入れに対してEU各国で様々な議論があることや、シリアからヨーロッパまで逃れる過程で、難民たちが非常な苦労や危険を強いられていることは、日本国内でもよく報道されている。
しかし、首尾よく国外に逃れることができた難民たちが、どのように受け入れられ、どういった場所に住んでいるのか……といったことはあまり報道されないようだ。
当然のことながら、国外脱出はゴールではない。逃れた後も人生は続くし、生活していかねばならない。
今回は、ハンブルクにおけるシリア難民受け入れの一端をお伝えする。
ハンブルク中央駅北東の出口の階段(写真左)下に設けられた、難民向けインフォメーションに列を作る人々。鉄道を利用して来た人々が、まずここで受け入れに関する情報などを手にいれる。
一時は言語の問題(ドイツ語のみだった)や大勢が詰めかけたことによって混乱していたこともあったが、ボランティアスタッフ(黄色の蛍光服の人物)の充実や効率化によって、現在は落ち着いてきている。(2015年12月7日)
インフォメーションで情報を受け取った後は、出口周辺に設けられた仮設テントで、一時的に待機できたり、配給を受けられる。街の中心地ではこのような光景はほとんど見られないが、駅周辺においては一部このような場所がある。(2015年12月7日)
難民たちの中には、子どもだけで移動してくるというようなことも多くあるそうだ。ハンブルク中央駅のインフォメーション近辺にあるビルでは、そんな子どもたちの一時的な受け入れ場所となっている。ドイツ語で「子どもたちは、この場所へ!」と書かれた張り紙が掲示されていた。(2015年12月7日)
ハンブルク市内での主な受け入れ先としては、「コンテナハウス」と呼ばれる仮設住宅がある。中心部から離れた場所というわけではなく、住宅地のすぐ隣、空いている土地、駐車場など、あらゆるスペースを利用して建設されている。
したがって、難民たちは市内に散り散りになっているという状況だ。筆者の自宅のすぐ近くにも、コンテナハウスが建っている。(2015年12月20日)
コンテナハウスの設置工事の様子。ビジネス街の一角にあるこの場所では、当初500人の受け入れを目指していたが、国内へ入ってきた難民の数が当初の予想を遥かに超えたため800~1000人分に変更になった。
しかし、難民数増加のあおりを受け、全国的にコンテナハウスが足りない事態になっており、工事はなかなか完了していない。ちなみに、この場所の向かいには幼稚園がある。(2015年12月22日)
こうして、ハンブルク中央駅に辿り着いた難民たちは、順次コンテナハウスという仮の住居に落ち着くことになる。
しかし、難民たちの中にはドイツ語や英語が話せない人々も多くおり、それが、ドイツ国内で職を見つけて自活していくための大きな障害になっている。残念なことだが、現状をみる限り、シリア情勢が安定し、難民たちが故郷に帰れる日は、そうすぐにはやってこないと思わざるを得ない。言語と職の問題は、極めて重要だ。
ドイツ政府は、難民たち向けのドイツ語授業などを行っているが、まだはじまったばかりで先行きは不透明と言わざるを得ない。
筆者の知人には、難民向けボランティア活動に加わっている人もいる。
引き続き、ドイツ国内におけるシリア難民たちの「今」を追っていきたい。
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タイナカジュンペイ
1982年生まれ。写真家。都市写真・ポートレートを得意とし、「Metropolis/メトロポリス」をテーマに都市の有り様を撮り続けている。2013年よりドイツ・ハンブルク在住。
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