2013年春に中国の国家主席に就任して以来、汚職摘発政策や愛国主義キャンペーン・個人崇拝の提唱など、強面(こわもて)の政策を打ち出し続ける習近平。そんな彼に、今年2月28日から新たな話題が加わった。党中央機関紙『人民日報』の出版部門が、『習近平用典』なる書籍を刊行したのだ。
これは習が過去の著書や講話で引用した中国古典の、典拠と解説を135本(重複があるため、典拠は139本)も集めて紹介する一冊。あとがきによれば、「習近平総書記の思想の神髄を正確に理解する助けとなる」とのことで、実にありがたい本であるそうだ。
単なる個人崇拝目的のプロパガンダ書籍としか思えない本書。
だが、そんな『習近平用典』をあえて真面目に分析することを通じて、習近平の「博識」イメージがどんな人々によって支えられ、どんな形の国家統治を招いていくのかを、勝手に推理してみようというのが本稿の試みである。
読者のなかには、学生時代に「漢文」が苦手だった人も少なくないだろう。
だが、漢文は現代中国を読み解く上では意外と役に立つ。かの国の指導者たちには、古典を下敷きにした演説をおこなう例が少なくないからだ(例えば、鄧小平が中国の外交政策を指示した「韜光養晦(意訳.能ある鷹は爪を隠す)」という言葉は、歴史書の『旧唐書』などがルーツだ)。
ある指導者が古典を引用した際に、どの本に書かれたどんな意味の言葉が使われたか? 中国ウォッチにはこういう角度からの観察も意外と重要なのである。
これは現代の習近平も例外ではない。
むしろ、彼の古典引用は近年の他の指導者と比較しても多い傾向にある。その「成果」をわざわざ書籍にまとめて刊行させるあたり、「博識」イメージを積極的に宣伝したがっているのも明らかだ。
『習近平用典』を宣伝する特設ページ。
では、『習近平用典』の中身を詳しく見ていきたい。
本書に収録されているのは、習近平の福建省勤務時代の著作(1992年刊)、浙江省勤務時代の著作(2006年刊と2007年刊)、および党総書記就任後の講話で引用された古典だ。
各章には、政治姿勢に関する「為政篇」、学問に関する「勧学篇」など、儒家や諸子百家の書物を意識した章題が付いている。中国共産党は、かつて文化大革命の時代には旧文化の排斥を訴えていたはずだが、そのリーダーの本とは思えないほど大時代的でレトロ調の表現が目白押しである。
引用の典拠は139件にも及ぶ。下記にリストを画像化したサムネイルを置いたので、クリックして確認してみてほしい。
分量の凄まじさは一目瞭然、さながら中国古典のオールスター戦のラインナップだ。
どうやら習近平の古典好きは間違いないらしく、近年刊行された『13億分の1の男』によれば、彼のお気に入りは性悪説を唱えた『荀子』。文革中に陝西省へ下放された際に、全巻を通読したという。
とはいえ、党高官として多忙な毎日を送り、中国文学の研究家でもない習近平が、一連の古典をすべて読破している可能性はほぼゼロだろう。間違いなく、何人かのブレーンがいるはずである。
『習近平用典』で複数回引用されたソースを、多い順に並べると下記のようになる。
10件…… 『論語』7件 …… 蘇軾の言行(詩のほか上奏文なども含む) 6件 …… 『老子』4件 …… 『孟子』、『周易』、『韓非子』3件 …… 『中庸』、『菅子』、『荀子』、張居正の奏上文、『説苑』2件 …… 『史記』、『春秋左氏伝』、『大学』、『書経』、『荘子』、『晏子春秋』、 『申鑑』、『東周列国志』、『二程集』、李世民の言行(『貞観政要』と『帝範』)、諸葛亮の言行、王安石の言行、陸游の言行、杜荀鶴の言行、毛沢東の言行種類別に見ると、いわゆる「四書五経」が28件で最多。これに『荀子』や朱熹などを合わせると34件ほどになり、儒家系の文献が全体の4分の1を占める。
次に多いのが「諸子百家」で、『老子』や『韓非子』など、合わせて30件足らずある。
いっぽう、中国文学の代表選手である李白や杜甫の引用はそれぞれ1件ずつで、北宋の詩人・蘇軾を除くと、漢詩の引用は少ない。同じく、『史記』や『漢書』などの歴史書もあまり引用されていない。
どうやら習近平――もとい、彼の「中の人」の皆さんには、中国文学(詩文)や歴史学の専門家があまりおらず、儒家や法家をはじめとした中国思想が得意な人が多いようである。
内容の検討に移ろう。メジャーどころの諸子百家の引用箇所を観察した限り、習近平の好みに合う『荀子』や『韓非子』は、書物の思想に合致した内容の文章が的確に引かれている。
特に下記などは、言わんとする意味がかなり露骨だ。習近平が2014年5月に、地方の街を訪れたときの講話で引用した『韓非子』の一文である。
「地方でちゃんと務めているヤツは出世するぞ」と田舎の党幹部にハッパをかける言葉だが、実は習近平自身、福建省・浙江省・上海市などでの長年の地方勤務を経て、2007年にいきなり党の最高幹部に抜擢された経歴の持ち主である。「宰相必ず州部より起こる」とは、要するに自分のことを言っているのだ。
一方、他の諸子百家については、あまり原典の思想を汲み取っておらず、ピントが外れた引用が目立つ。以下をご覧いただきたい。
正直、「この手の話なら、『老子』や『墨子』を引用する必要は全然ないでしょ?」という感じである。特に『老子』は6回も登場するのに、どれもパッとしない箇所ばかりが引かれている。
また、上記の『墨子』修身篇も、専門の研究者の間では「重要でないと思われる」(『中国古典文学大系』第5巻)という声がある微妙な部分だ。記述が儒家の影響を受け、墨家の本来の思想からは離れた(とされる)パートなのである。
習近平はわざわざ『墨子』を参照しながら、書物が持つ本来の魅力からはほど遠い箇所だけを抜き出すという、不思議な行動をとっている。マンガで例えれば、『北斗の拳』からカイオウ編だけを抜き出して紹介するような変な行為なのだ。
微妙な引用が目立つ理由は、これらの書物の主張が、習近平政権の考えにまったく合致していないからだろう。
例えば『老子』の場合、国土が小さくて民が少ないのが良い国(小国寡民)、民の自由な振る舞いに任せて余計なことをしないのが良い政治(無為の治)……という主張で、現代の中華人民共和国とは真逆の社会を理想としている。真面目に引用するわけにはいかないはずだ。
また、すべての人間に対する完全に平等な愛(兼愛)を説く『墨子』の思想は、父母や主君への情感を特別に重視する(言い換えれば、相手によって「愛」の密度を区別する)儒家から、不孝不忠の教えとして激しく糾弾された歴史を持つ。
「紅二代」(共産党高官の子弟)としての自覚が強く、一族や同じ紅二代仲間へのネポティズム(縁故主義)を好む習近平にとって、彼の信条と正反対の教えを持つ『墨子』は好感を持ちづらいに違いない(余談ながら、習近平の愛読書『荀子』は、書中で『墨子』の思想をボロカスに批判し、身分の区別を守ることと血縁関係の近い者を優遇することの重要性を説いている)。
自分の博識ぶりを宣伝するためには、著名な古典である『老子』や『墨子』を無視できない。でも、その思想は現体制に都合が悪い……。
習近平(および「中の人」たち)が姑息な判断をおこなった結果が、これらの「ピントが外れた引用」が連発された真相ではないだろうか。
さて、「中国古典のオールスター戦」である『習近平用典』だが、なかには「監督推薦枠」としか思えないマイナー選手も意外と多く登場している。
その代表格は、『尹文子』という非常に地味な諸子百家の書物だ。ほか、前漢の『塩鉄論』や『説苑』、後漢の『申鑑』なども、中国史の研究者にはよく知られているものの、一般人には馴染みが薄い文献だろう。
だが、これらの個性派系の選手が選ばれた理由こそが、習近平の「中の人」の正体を考えるヒントになる。実は1400年前に、これらがすべて収録された書物が存在しているのだ。
その名は『群書治要』という。唐の皇帝の政務の参考にするため、臣下たちが中国思想関連書籍の「良いところ取り」をして編纂したアンソロジー本である。10世紀の唐の滅亡によって、『群書治要』は中国本土では散逸。遣唐使が持ち帰ったコピー版だけが日本国内で細々と伝えられてきたという、いわくつきの書物でもある。
やがて1990年代のある日。わが国の皇室関係者が、宮中に伝わる『群書治要』の江戸時代の写本を、「中日友好21世紀委員会」の委員・符浩にプレゼントした。当時の日中両国は政府間関係がまだまだ良好で、好意による贈呈だったと思われる。
符浩は1930年代に入党した古参の中国共産党員で、唐の旧都・長安(現・陝西省西安市)の郊外出身だ。彼は帰国後、自分の3歳年上で同郷の先輩である大物党員「X」に、相談を持ち掛けた。
かつて副総理を務めたこともある「X」はこの古書に関心を持ち、間もなく自身が名誉会長を務める「中国黄河文化経済発展研究会」の陝西省分会に命じて研究を開始させた。自分の出身地の学者グループに仕事を任せたのである。
やがて、既に隠居の身だった「X」は、老後の楽しみとして妻と一緒に研究を手伝い、「刊行の際はこれを使ってくれたまえ」と書名の題字を揮毫した。
「X」の没後の2011年、この古書は『群書治要考訳』というタイトルで刊行された。同書はいまや共産党中央党校の学習文献に指定され、党の幹部候補生らがこぞって手に取るようになっている――。
勘のいい方はお気付きだろう。
この大物党員「X」とは、習近平の父・習仲勲のことなのである。
執務する生前の習仲勲の姿。背景は彼が題字を揮毫した『群書治要考訳』。(中国サイト『大公網』より)
習近平は『群書治要』研究プロジェクトの開始前である1992年の著書でも、多少は古典の引用をおこなっている。以前から何らかのブレーンはいたようだ(もっとも、習仲勲は「中国黄河文化経済発展研究会」が発足する1994年以前から、古典学者の人脈を持っており、息子が最初の著書を書く際に彼らに手伝わせたという推理も可能である)。
やがて、習近平は出世ルートに乗った2000年前後ごろに、父の子飼いの学者グループを引き継ぎ、自身の幕僚集団を大幅に強化したと思われる。著作や演説のなかで、以前は皆無だった「四書五経」系の文章の引用が大量になされはじめたことが、この推理を裏付ける。
習近平は浙江省の党書記になった2003年から、難解な古典引用を多用したエッセイ『之江新語』を地元紙で連載している。こちらもブレーンの人材が充実したことで可能になったのだろう。
もっとも、引用のラインナップを眺めると、どうやら明清時代あたりを専門分野にする歴史学者も関わっていそうなので、習近平のブレーンには上記とは異なった系統の人材もいるようだ。だが、『習近平用典』の引用元が、妙に中国思想の関連文献にばかり偏っていて、歴史書や漢詩が極端に少ない理由は、やはり彼のブレーン(の一部)が『群書治要』の研究者だからだと考えるのが最も妥当な説明であるように思える。
現在の習近平の人脈や政治基盤は、父の習仲勲の縁で得られたものが少なくない。
これは、彼の「中の人」たちにおいてすら、やはり例外ではないということなのだ。
(新華社のウェブ記事より)
(余談ながら、現在の日本政府が習近平政権とのパイプを構築したい場合、過去に『群書治要』の贈呈に携わった皇室関係者を探し出して、「お父上の代からの友人」という名目で親書を持たせて北京を訪ねさせる手法はいかがだろうか。古典好きのお父さん大好き人間である習近平の性格からして、この手のアプローチが最も心の琴線に触れるはずである)。
私は以前に『知中論』(星海社新書)で、習近平の為政者としてのスタイルは「徳のある皇帝」の姿を意識していると書いた。
ちかごろ、こうした習近平の「皇帝」願望を裏付けるような事例も増えてきた。
2014年11月12日、党機関紙『人民日報』は中国で開催中のAPECに各国の代表が集まったことを、「万邦来朝」という王朝時代の朝貢貿易をイメージさせる見出しで紹介した。
同じくAPECの席で、習が「シルクロード経済圏」や「21世紀の海のシルクロードを建設しよう」といった構想を強調していたのも、なにやら漢や唐あたりの最盛期を連想させて意味深である(加えて言えば、昨今話題のアジアインフラ投資銀行(AIIB)計画も、往年の中華帝国が「諸夷」に恩恵を与えてその従属的な地位を承認した冊封体制を連想させる)。
加えて国内においては、儒教国家的な徳治政治や「濁流派」官僚の掃討に加えて、体制に都合のいい古典学習を奨励し、苛烈な文字の獄(言論弾圧)を推し進め……。
やはりどう見ても、私には習近平が「21世紀の中華皇帝」に見えてしまう。
過去15年以上にわたり、習近平の「中の人」を担当したのは、『群書治要』の研究者たちだった。かつて唐の太宗・李世民に献上された帝王の書が、習近平の言動を支えている。
『群書治要』の研究者たちは、古代中国文明の都・長安の近郊(陝西省富平県)出身の習仲勲が、地元の縁を活かして集めた「長安人」の集団だ。習近平自身も、文革中に陝西省梁家河村で下放生活を送っており、黄河流域の「中原」の地への愛着はひときわ強い。
周から秦漢を経て隋唐帝国にいたる、人類史上に燦然と輝く中華文明の最盛期――長安が世界の首都だったあの時代こそが、彼とそのブレーンたちの心の故郷だと考えるべきではないか。
習近平政権のスローガン「中国の夢」は、中原の砂塵と黄河の河水で満ちている。
彼らの目指すところは、中華人民共和国という国家の、大いなる先祖返りだ。
習近平政権成立以前の2011年末、天安門広場に孔子像が設置され、しばらくして撤去される謎の事件があった。何らかの政治的背景があったとも言われるが……(写真は『ヴォイス・オブ・アメリカ』のウェブページより)
近代以来、わが日本の先人たちは漢文に登場する「クラシック中国」と、現実に目にした「リアル中国」との巨大なギャップに混乱し続けてきた。その戸惑いは、いわゆる「反中国」的な感情を生み出す源泉になり、ときには戦争の遠因にもなった。
しかし現代、この「クラシック中国」を復活させ、「リアル中国」の国家体制との融合を夢見る指導者が中国国内に登場するという、驚くべき事態が発生しつつある。
習近平が目指すハイブリッド国家は、果たして日本人の戸惑いを解消し、新たな中国像を与えてくれる国になり得るものなのか――?
私たちがその答えを知るには、もう少し時間が必要だろう。
参考文献:
『習近平用典』(人民日報出版社)
『中国古典文学大系』3「論語 孟子 荀子 礼記」
『中国古典文学大系』4「老子 荘子 列子 孫子 呉子」
『中国古典文学大系』5「韓非子 墨子」(いずれも平凡社)
峯村健司『十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』(小学館)
【注記】本稿の全般にわたり、大学・大学院で墨子研究をおこなった担当編集者の平林緑萌氏ほか、多数の学友および諸先輩がたから貴重な助言を受けた。
また、本文中での古典の現代語訳は、上記『中国古典文学大系』の訳文を基本として、読みやすい形にあらためた。
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