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続・江戸しぐさの正体

第11回:芝三光の特別講義 江戸講講師、女子大に行く

2015年06月18日 更新
第11回:芝三光の特別講義 江戸講講師、女子大に行く

 百万都市・江戸の人々は、「傘かしげ」「肩引き」「こぶし腰浮かせ」といったしぐさを身につけることにより、平和で豊かな生活を送っていた。しかし、幕末に薩長新政府軍によって江戸市民は虐殺され、800とも8000とも言われる「江戸しぐさ」は断絶の危機に瀕した……。

 このような来歴を持つ「江戸しぐさ」は、現在では文部科学省作成の道徳教材にまで取り入れられるようになった。しかし、伝承譚の怪しさからも分かるように、「江戸しぐさ」は、全く歴史的根拠のないものなのである。

 実際には、1980年代に芝三光という反骨の知識人によって「発明」されたものであり、越川禮子・桐山勝という二人の優秀な伝道者を得た偶然によって、「江戸しぐさ」は急激に拡大していく……。

 この連載は、上記の事実を明らかにした「江戸しぐさ」の批判的検証本『江戸しぐさの正体』の続編であり、刊行後も継続されている検証作業を、可能な限りリアルタイムに近い形でお伝えせんとするものである。

貴重な芝生前の中立的レポート

 生前の芝三光の人となりに関する記録や証言で現在まで残っているものは、ほとんどが弟子(越川禮子・和城伊勢・乃野みどり他)や同志的立場の人物(村尾清一・牛場靖彦・桐山勝)の手になるものである。それらにはいずれも芝および「江戸しぐさ」を賛美する方向へのバイアスがかかっており、芝本人のホラを真に受けたと思しき信憑性の低い情報も含まれている。

 ところがここに、研究者の視点から冷静に芝三光という人物を観察し、その主張を分析した文章がある。その例外的な文章の表題は「「文化と型」再考 : 芝三光氏講義「はたらく」へのコメント」、掲載誌は跡見女子大学文化学会機関誌『フォーラム』1985年3月号、著者は同大学教員の藤崎康彦氏である(以下、同論文を藤崎論文と称する)。

http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?id=atomi-forum-3-6 (リンク先より当該論文をダウンロードできる)

 藤崎論文は跡見女子大学で芝を招いて行なった公開講座に関するレポートで、その文中では「江戸しぐさ」に相当するものは「江戸の文化」「江戸文化」などと呼称されている。この論文について私は、拙著『江戸しぐさの正体』において、芝の言う「江戸」が歴史上の江戸と異なる反現実のユートピアであること、芝がそれを現実化するためにコインロッカーベビーを集めて育てる構想を有していたことなどを示す資料として言及した(139~147頁)。本稿では、それとは違った観点から藤崎論文を読み直してみたい。

 

 

 芝の立場は跡見女子大学にとって招待客であり、また、講義の目的も芝の主張を現代生活に生かしうるかを主眼とするものであるため、藤崎論文では「江戸しぐさ」の史的実在の有無は問題とされていない(ただし、文中には「芝氏の説くところを仮に事実であるとするならば」という表現も見られる)。

 しかし、藤崎論文は芝の主張を現実社会に応用することの限界を提示する内容となっている。さらにいえば、この論文は、文部科学省や外務省が現在推進しているコミュニケーションスキルとしての「江戸しぐさ」導入が、実は見当はずれであることを30年も前に指摘している内容なのである。

 

まだなかった「江戸っ子狩り」の設定

 私は2015年5月に跡見女子大学を訪ね、藤崎氏から芝の特別講義を行なった時のお話をうかがってきた。その知見も交えつつ藤崎論文の内容を紹介していきたい。

 芝が特別講義の講師となったきっかけは、藤崎氏が『読売新聞』で、芝と「江戸の良さを見なおす会」の活動を紹介する記事やコラムを見つけたからだという。都市は、異なる文化的背景を持つ人が集まる場である。そこで人が良好なコミュニケーションをとっていくには言語だけでなく身のこなし、表情、しぐさなどに現れる意味を正しく読み取っていかなければならない。それには、自分の文化でのしぐさの解釈にとらわれるのではなく目の前にいる個々の人がそれぞれ背負った文化を尊重していかなければならない。藤崎氏は、芝もそうした問題意識を共有していると考え、講師に招いたのである。

 藤崎論文から見る限り、当時の芝は江戸文化断絶の原因を「僅かに文字にされていた記録類も江戸から明治に移る戦乱、激動のさ中にほとんど江戸人自らの手によって焼却されてしまい残っていないこと」「その後新政府のもとで江戸っ子達は自らを語ろうとせず時代の変化の中で、いわば世の中からひきこもってしまった」ことに求めており、「江戸っ子狩り」の虐殺といった荒唐無稽なことは語っていない。

 

芝の想像力はせいぜい「ムラ」程度の社会

 また、芝は「江戸の庶民=町衆の生活について知りたいと思ったら、自ら資料を発掘し文書を解読する努力をしなければならない」ともしており、この時点ではまだ自らを江戸講の直系としての秘事伝承者に位置づけるにはいたっていなかったことがうかがえる。

 藤崎氏は、芝の唱える江戸文化における「はたらく」の意味を次のように要約する。

 

(1)「はたらく」と「かせぐ」とは意味が異なっていること。「かせぐ」とは労働によって報酬を得ることであるのに対し、「はたらく」とは今でいう「気配り」をすることで、いわば「傍」を「楽」にさせてやるために配慮したり行動したりすることを指すこと。
(2)従って、職人の「はたらき」と言えば、今の我々は具体的な労働の様を思い浮かべがちであるが、むしろ先ずもって、職人の心構え、気配り、更にはそれらが行き届いている、仕事を行なう際の態度、振舞い、しぐさ等として理解すべきこと

 

 

 さらに藤崎氏は芝が「はたらく」の具体例として示したエピソードから次の共通項を引き出す。

 

(1)江戸の町衆はそれぞれの立場や場面において、振舞いがキチンと決っていて、共通の了解が成立していたこと、
(2)それらの振舞いはバラバラではなく一つの理念によって統合されていたこと、
(3)その理念とは世間への配慮であり、それこそが実は「はたらく」ことなのだということ、

 

 

 以上を踏まえた上で藤崎氏は芝の主張に分析を加えていく。藤崎氏によると文化研究の立場からは行動様式が定まった社会は次の条件を満たしているという。

 

(a)社会構造が固定的であること、
(b)人のアイデンティティが自分の眼からみても他人の眼からみても明瞭であること、
(c)その人の活動の内容が、あらかじめ明瞭に定義された固定的で有限な範囲を超えることがないこと、
(d)それらの知識が関連する人々に共有されていること、
(e)その社会は比較的小規模であること

 

 

 藤崎氏は文化人類学が研究対象とする「部族社会」ではこれらの条件が明瞭にととのっていることを指摘する。

 そして芝の言う「はたらく」の限界に論を進めるのである。

 

 現代の東京ではこれらの諸条件はほとんど見い出すことが難しいだろう。そして、この、見い出すことが難しいということが、世界的にみて現代化とか都市化とかといわれている現象の特長の一つをなしていて、これはほとんど不可避的な傾向であることを我々はしっている。
(中略)

 

 つまり「はた」を「らく」にしてやる発想があったかなかったか、が問題となるのではなく、「はた」とは誰のことか、どこまでの広がりの関係を言うのか、こそが問題なのだ。それによって相手を「らく」にしてやる配慮が及ぶかどうかが決るのだから。

 

(中略)
 現在の状況を考える時、「村」や「町」の範囲に社会生活の基盤をとどめておくことはもはやできない。「はた」を楽にするという時その「はた」の範囲の知覚を変えざるを得ない。
(中略)

 

 文化の研究者の立場からは、江戸の文化も他と同列の、学ぶべき一つの独自の文化として相対化されてしまう。

 

 

 つまり、藤崎氏の分析によれば、芝が語る江戸の文化は村落(民俗学で言う「ムラ」)や町内の範囲を越えて成立するものではなく、したがってそこでの発想が都市化の進む現代社会での問題を即解決しうるようなものではないということである。芝の語る「江戸の文化」が創作であることが明らかになった今では、このことは芝の想像力がせいぜい村落や町内といった、部族社会に似たところがある社会の枠から出ることがなかった、と言い換えてもよいだろう。

 

1985年に否定されていた「江戸しぐさ」導入の建前

 さて、現在の「江戸しぐさ」もこの芝の想像力の限界による欠陥を引きずっている。狭い路地での「傘かしげ」や「肩引き」が成り立つのはすれちがう相手も同じように動くという暗黙の了解あればこそである。

 文部科学省作成教材『私たちの道徳 小学校五・六年生』59ページには次のようにある。

 

江戸時代、江戸の町には、全国から文化や習慣のちがう人たちが集まってきました。
そのため、様々な人たちがおたがいに仲良く平和に暮らしていけるようにと、大きな店の商人たちは、当時「商人しぐさ」と呼ばれていたものを広めていこうとしました。「商人しぐさ」は、例えば「お天道様に申し訳ない」とか「おかげさま」などの考えを元にした商いの心得を態度に表したものです。
 この「商人しぐさ」が元になり、江戸の町に広がっていったものが「江戸しぐさ」と呼ばれるようになりました。

 

 

 この記述に歴史的根拠はないこと、「江戸しぐさ」が江戸時代に「商人しぐさ」と呼ばれていたというのは芝の当初の主張とさえ食い違うことなどは『江戸しぐさの正体』ならびに本連載の既掲載分に譲ろう。

 ここで注目すべきは、文部科学省が「江戸しぐさ」について「文化や習慣のちがう人たち」が「仲良く平和にくらしていけるように」するためのものとみなしていることである。

 もちろん、そうしたルールを求めること自体は望ましいことである。

 しかし、「江戸しぐさ」が藤崎論文に示唆された通り、村落や町内程度の規模の社会でしか通用しないローカルルールにすぎないなら、それをいかに現実の社会にあてはめて広めたところで、結局は文化や習慣の異なる他者を受け入れるためのものではなく、むしろ排除するものとして機能してしまうだろう。

 つまり藤崎論文の内容を現代的視点から読み直すなら、現在の文部科学省教材での「江戸しぐさ」導入の建前は否定されてしまうのである。

 また、山内あやり氏(元NPO法人江戸しぐさ理事。ただし2014年に越川禮子氏と袂を分かち、現在新団体設立準備中)は近日開催予定の外務省主催、日本青年会議所協力による日中友好構築プロジェクトで「江戸しぐさ」に関する講演を行なうとSNSで発表している。しかし、「江戸しぐさ」が異なる文化への架け橋として不向きなことは先述した通りである。

 現在の検索エンジンを活用すれば、藤崎論文は芝三光という人物について調べるにあたって真っ先に見つかる資料の一つである。どうやら、文部科学省も外務省も情報収集能力に欠陥があるらしい。

 それはさておき、藤崎論文でとりあげられた芝の講義のテーマ、「はたらく」に関する語呂合わせは何に由来するものであろうか。芝の主張を認めるなら、彼が「自ら資料を発掘し文書を解読する努力」によって見出したものということになるが、その主張が妥当かどうか、次回で論じてみたい。

 

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原田実

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歴史研究家。1961年生まれ、広島市出身。龍谷大学卒。八幡書店勤務、昭和薬科大学助手を経て帰郷、執筆活動に入る。元市民の古代研究会代表。と学会会員。ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)メンバー。日本でも数少ない偽史・偽書の専門家であり、古代史に関しても造詣が深い。近年は旺盛な執筆活動を行っており、20冊を超える著書がある。主著に『幻想の超古代史』(批評社)、『トンデモ偽史の世界』(楽工社)、『もののけの正体』(新潮新書)、『オカルト「超」入門』(星海社新書)など。本連載は、刊行後たちまち各種書評に取り上げられ、大きな問題提起となった『江戸しぐさの正体教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書)の続編である。

ブログ:http://www8.ocn.ne.jp/~douji/

続・江戸しぐさの正体

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