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続・江戸しぐさの正体

第8回:「江戸しぐさ」と村尾清一① 『読売新聞』のエリート記者

2015年05月07日 更新
第8回:「江戸しぐさ」と村尾清一① 『読売新聞』のエリート記者

 百万都市・江戸の人々は、「傘かしげ」「肩引き」「こぶし腰浮かせ」といったしぐさを身につけることにより、平和で豊かな生活を送っていた。しかし、幕末に薩長新政府軍によって江戸市民は虐殺され、800とも8000とも言われる「江戸しぐさ」は断絶の危機に瀕した……。

 このような来歴を持つ「江戸しぐさ」は、現在では文部科学省作成の道徳教材にまで取り入れられるようになった。しかし、伝承譚の怪しさからも分かるように、「江戸しぐさ」は、全く歴史的根拠のないものなのである。

 実際には、1980年代に芝三光という反骨の知識人によって「発明」されたものであり、越川禮子・桐山勝という二人の優秀な伝道者を得た偶然によって、「江戸しぐさ」は急激に拡大していく……。

 この連載は、上記の事実を明らかにした「江戸しぐさ」の批判的検証本『江戸しぐさの正体』の続編であり、刊行後も継続されている検証作業を、可能な限りリアルタイムに近い形でお伝えせんとするものである。

「江戸しぐさ」普及に多大な貢献をした人物

 『新潮45』1987年12月号には村尾清一「よみがえれ江戸しぐさ」というエッセイが掲載されている。

 

「江戸のしぐさ」とか「江戸しぐさ」とか言われるものが、三、四年前から新聞やテレビで、ごく簡単に紹介されたので、ご存じの人も少なくないと思う。それらの人々の記憶を新たにし、また初耳の人のために「江戸しぐさ」の幾つかを紹介しよう。

 

 この書き出しに続けて「肩引き」「傘かしげ」「腰うかせ」をまず紹介した上で「江戸しぐさ」を次のように定義する。

 

江戸時代の人々が、日常の生活習慣としてごく自然に身につけていたしぐさやふり(動作・挙動)今の言葉でいうと行動様式

 

 村尾氏はさらに続けて「うかつ謝り」「おあいそ目つき」「あいにく目つき」「三脱の教え」「刺し言葉」「むくどり」などについて解説し、「江戸の良さを見直す会」(ママ)の紹介に入る。

 

「肩引き」「傘かしげ」など江戸しぐさと同じマナーをニューヨークやパリで経験したが、東京では経験しない、と東京・目黒の「江戸の良さを見直す会」(芝三光氏ら)へ在外日本人が便りを寄せて来た。この会は、過去二十年、八ミリフィルムで江戸しぐさを撮って学習しているグループだが、車内暴力や学校・職場のいじめが一向になくならない現代、江戸の町の人々のもっていた他の人間への思いやりや優しさをとり戻したいという願いがある。

 

 村尾氏は「その江戸しぐさを東京から一掃したのが明治維新と敗戦だ」としながら、「江戸しぐさ」が具体的にどのように消されていったか、また、それがいかにして現代(当時)によみがえったかを語ることなくその筆をおいている。

 

東大卒、『読売新聞』論説委員を務めたエリート記者

 この文章の筆者である村尾清一氏とは何者であろうか。

 村尾氏は1922年生まれ、東京大学法学部卒業後に読売新聞社に入社、論説委員として「よみうり寸評」「編集手帳」などのコラムで健筆をふるった名物記者であった。

 1981年8月8日付「編集手帳」は次の文で始まっている。

 

1981年8月8日付「編集手帳」

 

「江戸の良さを見なおす会」というのがあると聞いた。もう十年以上も続いているというから、昨今の“江戸もの”ブームに乗っかってできた集まりではあるまい。

 

 このコラムはその「江戸の良さを見なおす会」の研究テーマとされる「江戸しぐさ」を紹介する内容である(ちなみにこのコラムは「江戸しぐさ」という語の文献上の初出である)。

 この文面から、村尾氏が「江戸の良さを見なおす会」のことを知ったのは1981年8月より少し前のことと推察できる。

 その後、1983年2月23日付「編集手帳」、1983年5月31日付都民版朝刊記事「『江戸しぐさ』に学ぼう」、1985年10月16日付朝刊「論点」での芝三光投稿「今こそ必要な『江戸しぐさ』人間関係円滑化の知恵」、同10月16日付夕刊「よみうり寸評」での同日朝刊「論点」への好意的言及と「江戸しぐさ」礼賛はたびたび80年代の読売新聞紙面に踊っている。これらの記事取材やコラム執筆に関与したことは間違いないだろう。

 

江戸しぐさ普及の隠れたキーパーソン

 村尾氏は80年代の読売新聞紙面や『新潮45』で「江戸しぐさ」を紹介しただけでなく、後の「江戸しぐさ」発展への契機をも作っていた。

それは『グレイパンサー』出版後、次の著書の題材を求めていた越川禮子氏に芝三光を引き合わせたことである。

 越川禮子氏が芝三光に1991年11月16日付で出した書簡には次のくだりがあったという。

 

 編集手帳の筆者、村尾清一氏にも、ぶしつけに電話で伺ったのですが、新潮45の一九八七年一〇月号(これを手に入れるのも大変でした。新潮社、国会図書館などになく、やっと大宅文庫で見つけました)に書かれた「よみがえれ江戸しぐさ」以上のことはご存じないとのことで、それは目黒の「江戸の良さを見なおす会」の芝三光氏にお尋ねになったらという、助言をいただきました。「芝さんは、ちょっと風変わりな方ですが、同じグレイパンサーですから、思い切って接触してごらんになったら……」との絵葉書をいただいたのです。
(越川禮子『江戸の繁盛しぐさ』単行本20~21頁、文庫版24~25頁、文中「新潮45の一九八七年一〇月号」は同年12月号の誤り)

 

越川禮子『江戸の繁盛しぐさ』

 

 ちなみに越川氏の著書『グレイパンサー』は潮賞ノンフィクション部門優秀賞を受賞しているが、その審査員の一人、本田靖春氏は村尾氏の門下であった。村尾氏が「グレイパンサー」(この場合は社会改革への気骨ある老人といった意味)という語を用いたというのも本田氏を介して越川氏の著書に関心を持っていたからかも知れない。

 この当時、村尾氏は芝の連絡先を知らなかったが、越川氏はその消息をたずねようやく書簡を出し、さらに入門するにいたった。芝への入門のきっかけが村尾氏の助言であったことは『江戸の繁盛しぐさ』で越川氏自身が認めるところである。

 

村尾氏は日本記者クラブ賞も受賞している。

http://www.jnpc.or.jp/activities/award/awards-prize/

 

 村尾氏は80年代における「江戸しぐさ」の宣伝に貢献しただけでなく、越川氏が切り開く「江戸しぐさ」新時代への橋渡しも行なったわけである。村尾氏は「江戸しぐさ」興隆の隠れたキーパーソンだったといえよう。

 さらに村尾氏は「江戸しぐさ」の形成においてきわめて重要な役割を果たした可能性がある。

 それは村尾氏こそ「江戸しぐさ」という造語の真の発案者だったのではないか、という問題である。

 

(この項、次回につづく)

 

■「江戸しぐさ」の批判的検証について、こちらもご参照下さい

トンデモな「江戸しぐさ」を検証。(エディターズダイアリー/築地教介) 

 

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著者:原田実

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ライターの紹介

原田実

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歴史研究家。1961年生まれ、広島市出身。龍谷大学卒。八幡書店勤務、昭和薬科大学助手を経て帰郷、執筆活動に入る。元市民の古代研究会代表。と学会会員。ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)メンバー。日本でも数少ない偽史・偽書の専門家であり、古代史に関しても造詣が深い。近年は旺盛な執筆活動を行っており、20冊を超える著書がある。主著に『幻想の超古代史』(批評社)、『トンデモ偽史の世界』(楽工社)、『もののけの正体』(新潮新書)、『オカルト「超」入門』(星海社新書)など。本連載は、刊行後たちまち各種書評に取り上げられ、大きな問題提起となった『江戸しぐさの正体教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書)の続編である。

ブログ:http://www8.ocn.ne.jp/~douji/

続・江戸しぐさの正体

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