『江戸しぐさの正体』を出してしばらく経った頃、「江戸の良さを見なおす会」に参加していたという方を紹介される機会があり、和城氏に関する逸話をいろいろと聞かせていただいた。
その方からうかがった話から推察されるのは、和城氏が「江戸しぐさ」の具体的な内容をよく覚えていないのではないかということである。
たとえば、和城氏は「江戸の良さを見なおす会」の講(勉強会)の当日、時間通りに会場に来たことは少なく、それ以外の個人的な待ち合わせでは必ずといっていいほど遅刻したという。つまり和城氏は「江戸しぐさ」で戒められている「時泥棒」の罪を犯し続けていたわけである。
また、講が終わった後、和城氏が「それぞれ自己紹介をしましょう」と言ったことがある。そこで出席者一同、順番に自己紹介を始めたのだが、そのうちの一人は自分の番が来た時、こう言った。
「江戸しぐさでは八度のちぎりと言って初対面の人に名前や肩書きを教えてはならないと教えていると聞きました。だから私は自己紹介をいたしません」
「八度のちぎり」はまさに和城氏の著書にも明記されている「江戸しぐさ」の一つである。それを破るよう皆に勧めたということは、和城氏は「八度のちぎり」の内容を失念していたことになる。
また、小学校での出張授業で「江戸しぐさ」を子供たちに教えることになった時、当初はその内容の一つに「ムクドリ」が予定されていた。和城氏、越川氏の著書によると「ムクドリ」とはムクドリの群れが集まるように、金目当てで儲かりそうなところに集まってはまた去っていく自己中心的な人々のことである。しかし、その内容を授業の関係者に問われた和城氏は次のように説明した。
「ムクドリというのはね、大勢でバーッと来てガチャガチャってやって、バーッと行っちゃうの」
当然、この説明では子供たちにわかるはずがない。そこで授業の内容から「ムクドリ」を外さざるを得なかったという。これらが事実なら、講演などで「江戸しぐさ」を口頭でもわかりやすく説明し、質疑応答もてきぱきとこなす越川禮子氏とは対照的である。
「江戸の良さを見なおす会」参加者が和城氏から聞いた話によると、和城氏の著書『絵解き江戸しぐさ』は芝が残した文章に基づいてはいるが、その文章にはかなり編集者の手が入っているという。
実際、この書籍の文体は和城氏の個人ブログの文体とはかなり異なっている。それなら名義上の著者である和城氏にもその内容の理解や実行がおぼつかないところがあってもおかしくはない。
『絵解き江戸しぐさ―今日から身につく粋なマナー』(金の星社/2007年9月刊)
芝にとってもっとも古参の弟子であったはずの和城氏が「江戸しぐさ」の内容を理解しきれていなかった……この事実こそ芝が越川氏の弟子入りを歓迎した最大の理由だろう。
越川氏は次のように述べている。
「芝先生は晩年、なんか今の世相に絶望して、もうこれはお終いだと、誰にも残さないでお塚(墓)入りまで持っていくって、言ってらしたんです」(越川禮子・林田明大『「江戸しぐさ」完全理解』、2006年)
芝が墓まで持っていくと言っていたというのは「江戸しぐさ」そのものである。越川氏が現れるまで、芝にとって最古参にして最後の弟子ともいうべき人物が和城氏であった。その和城氏が「江戸しぐさ」を託すべき器でなかった以上、「江戸しぐさ」は絶えるしかないと思えたのだろう。
芝を絶望させていたのは「今(当時)の世相」だけではなく後継者不在の状況だった。「江戸しぐさ」提唱者としての芝にとって和城氏は不詳の弟子にすぎなかった。しかし「江戸しぐさ」そのものの熱心な学習者であり、弁舌も筆もたつ越川氏の登場で芝はようやく後継者を得ることができたのである。
『「江戸しぐさ」完全理解』(三五館/2006年11月刊)
芝の生前、越川氏と和城氏は一回も会うことはなかった。
2014年9月13日に「芝三光の江戸しぐさ振興会」主催で行われた越川氏と和城氏との対談では、越川氏は芝から和城氏の若き日の写真を見せてもらったことがあると述べたが、和城氏に対しては特に越川氏について言及することはなかったという。「江戸の良さを見なおす会」参加者の推測では、和城氏がひがみやすい性格のため、越川氏のことを隠していたのではないかという。
先述の逸話を教えて下さった方は次のように推測している。
「和城伊勢さんを突き動かしていたのは芝三光を独り占めしたいという独占欲、越川禮子さんへの対抗心ではないかと思われます。そのわけは、本人が越川さんへの気持ちでここまでやってきたと認めていたからです」
この見方は、それぞれの著書からだけでは不明瞭だった和城氏と越川氏の芝に対する立ち位置を考察する上で興味深いものである。
では、なぜ芝に関する資料が越川氏ではなく、和城氏の手元に大量に残ったのか。芝は晩年、和城氏が経営する会社の顧問となり、その会社が事務所とするために借りていた部屋で暮らしていた。越川氏の手元には芝が暮らしていた部屋の家賃、光熱費などの領収書が今もあるという。
一方、芝から越川氏への「江戸しぐさ」伝授は基本口伝であり、書き物で伝えたいものについてはFAXで越川氏に送った(『「江戸しぐさ」完全理解』)。
つまり越川氏が「江戸しぐさ」を学んでいる最中も、芝が書いた文書の現物は芝の手元に残り続けたわけである。
芝がこの世を去った時、その遺品は芝の自宅、すなわち和城氏が借りていた部屋にそのまま残された。こうして芝の「口伝」は越川氏、文書は和城氏という形でそれぞれ後継者としての正統性を主張する根拠が生じたという次第である。
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歴史研究家。1961年生まれ、広島市出身。龍谷大学卒。八幡書店勤務、昭和薬科大学助手を経て帰郷、執筆活動に入る。元市民の古代研究会代表。と学会会員。ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)メンバー。日本でも数少ない偽史・偽書の専門家であり、古代史に関しても造詣が深い。近年は旺盛な執筆活動を行っており、20冊を超える著書がある。主著に『幻想の超古代史』(批評社)、『トンデモ偽史の世界』(楽工社)、『もののけの正体』(新潮新書)、『オカルト「超」入門』(星海社新書)など。本連載は、刊行後たちまち各種書評に取り上げられ、大きな問題提起となった『江戸しぐさの正体教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書)の続編である。
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