この道12年のアジア専門ITライター・山谷剛史が、思い出とともにアジアの変化を語る本連載。
今回は、アジア各国の学校訪問の思い出編。
「はたして、勉強をすれば幸せになれるのか?」そんな疑問を胸に、山谷氏は中国、インド、ネパールの学校を訪ねます。
「貧しい地域の子供たちは、学校で勉強したがっている。だから募金をお願いします」
子供の写真に上記のようなコピーを添え、募金を訴えている貧困救済のポスターなんかをよく見かける。
いきなりこんな事を書くと不審に思われるかも知れないが、私は、極論を言えばそれらをウソだと思っている。
具体的に、どのようなウソがあるのか?
それは、「子供が勉強したがっている」という部分だ。
学校も子供たちも、決してどこの国でも同じというわけではない。
「子供が勉強したがっている」という紋切り型のコピーは、偏った視点なのではないか……。
私は、ある体験をして以来、そのような事を考えるようになり、様々な国で学校を訪ねるようになった。
そんなわけで、今回はどこか特定の国の話というわけではなく、アジア各国での学校訪問について記したい。
2004年──。
私は、そのとき居を構えていた中国は雲南省昆明から秘境に向かおうと、雲南省の中でも西北端の怒江(ヌージャン)流域を目指した。
仕事柄、ITをテーマにしているので、正直なところ「ネットカフェのひとつふたつでもあればいいか」と思っていたのだった。
さて、怒江は国際河川である。下流に行くとミャンマーに入り、サルウィン川と名を変える。雲南省内では、上海の方に向かって流れる長江と、東南アジアを代表する大河・メコン川にと並流している。
この3つの河川が世界遺産「三江並流」で、怒江はこの中で一番西側の中国の端を流れる。
雲南省の地図を広げる。
怒江沿いの大きな町「貢山」を最後に道路は狭くなり、「丙中落」という集落でまともな道路は途切れる。しかし、その先にも山道は続いていた。
集落を示す○印を頼りに、奥へ奥へと2時間ばかり進んでいくと、山肌にしがみつくようにして存在する次の集落に到達することができた。
そこは当時、水も電気も希少なところだった。
夜、地元民の歓迎を受けた。
芋や豚肉や鶏肉を荒っぽく切って煮て焼いた料理を食べ、酒を飲んだ。電気もわずかながらあるが、夜になれば闇は漆黒に近く、その先には新しい朝が来た。
翌朝、山肌の村に霧がかかる中、私は散歩に出かけた。
すると、霧の中で小学校低学年くらいの子供たちが遊んでいるのに出会った。
話しかけたついで、私はなんとなく学校の話を振ってみた。
「学校はどこ?」
「学校行ってない」
「学校に行きたくない?」
「行きたくない」
「勉強したくないの?」
「勉強したくない。それより遊びたい!」
−−この純粋な声を聞いて、「ああ、なんと大人の色眼鏡なき自然な意見なのだろう!」と感動し納得した一方で、なんだかがっかりもした。私の心の中にも、偏った子供像があったわけだ。
以降、取材の旅を続けながらも、心の隅にこの記憶が引っかかっていた。
そんなわけで、私は折に触れて学校を訪れるようになった。
以降、学校を取材したことが何度かある。
2013年、インド北部の大都市「パトナ」近郊の知り合いに連れられ、農村の学校にお邪魔した。
知り合いといっても、インドなどの南アジア圏でありがちな、出会ったそのタイミングからの「フレンド」だ。
中年の彼から「フレンドには、ぜひ私の故郷の農村でリアルインディアを体験してほしい!」と言われ、興味のままに博打半分で短期滞在を決めた。
その学校を訪問した時は、外国人を見たことがなかったのだろう、子供たちがわぁーっと群がって、じぃーっと私を見つめた。
私は英語で質問したが、彼らは答えることなく私を見つめるだけだった。
言葉が通じたら少しは展開があるのだろうが、田舎のインド人は英語が話せないのだ(この辺は前回の記事でも触れた)。
カメラを向ければ、元気がある子も控えめな子も彼らなりに撮られたいとアピールをした。
けれど、ただそれだけだった。
私は、10分ほどで学校をあとにした。
インドの田舎の学校に通って得られる知識は、そう多くないのかもしれない。
僕に村を紹介してくれた「フレンド」夫婦は、出身こそ農村だけれど、子育てのことを考え、2人の子供が小学生になってからコルカタに引っ越した。
コルカタの最初のマイホームは家族4人が寝られず、フレンドが玄関先の踊場で寝るほどの小さな家だったが、頑張って稼いでその家より数倍広い2Kの家に引っ越し、コルカタの学校に通わせている。
後日、コルカタのフレンドの家に訪問した時に話した子供たちは、とてもあの村出身とは思えないほど様々な知識を持っていた。
質問に対しちゃんと回答した上に、さらに彼らから質問をブラインドタッチのような速さでまくしたてられた。
子供たちの学校での情報の吸収はすごいもので、英語がちゃんと話せるのはもちろんのこと、タブレットを含むコルカタっ子の最新トレンドを友達との日々の会話の中で吸収していた。
インドの都市部と農村部の差は、やはりあまりに大きかった。
中国とインドに挟まれた、ネパールのポカラでも学校にお邪魔することができた。
私がポカラで泊まっていた宿は家族経営で、その家の子供が小学生だった。「学校に行かせてほしい」とお願いすると、連れていってくれたのだ。
校長先生に取材の依頼もしたが、前述のインドの学校と比べ、ちゃんとジェントルに対応してくれた。
ネパールでは外国人の寄付で建設された学校が多い。それらの学校では、朝礼も日本の学校のように整列して話を聞くというスタイル。
一斉に後ろを向いて、僕に挨拶もしてくれた。
ちゃんと授業もしていたし、「名前は何ですか」などの基本的な質問ではあったが、英語で投げかけてくれた。
その後、僕がポカラの街を歩いていたら、そこの学校の制服を着た子供たちはもれなく挨拶をしてくれるものだから、いつ挨拶されても返さねばならず、気が抜けなかったのは誤算だった。
学校にいたのは2,3時間くらいだったけれど、朝礼の雰囲気も授業の雰囲気も休み時間の雰囲気も、なんだか日本の学校のようで、生徒たちは楽しそうだった。
(付属している幼稚園が託児所っぽく、やや放置プレイかかっているところも、どことなく日本っぽかった)
ただ、惜しむらくはパソコン室にパソコンが数台しかなく、しかもそれは古かった。パソコンの授業はあるけれど、1台の小さなモニターの前で小学生数人がシェアするらしい。子供たちにとっても、私の仕事のネタとしても不十分だった。
どうやら、最初の寄付で建てられた当時のまま新規投資がなく、次の寄付を待っていたのだろう。そんな大人の事情を子供達は今は知らないけれど、もちろん両親は知っていて学校選びの参考にする。
なんだかんだいっても、寄付で建てられた学校の教育水準は、他と比べれば高い。授業のクオリティも違うらしい。前述のインドの学校よりもずっと充実しているようだった。
金持ちのちょっとした新興国への投資が、モラルや教育水準に影響を与えるのもまた事実らしい。
「前へならえ」はネパールでもある
2010年に、昆明の幼稚園にいくつかお邪魔したことがあった。
いずれも、中の上くらいのレベルのところだったのだが、各教室にパソコンが置かれていて、ネット上の英語教材で英語を学習していた。
また、学費は日本円で月1万円以上かかる。当然親の経済状況はよく、外車で送り迎えをし、家にはスマートフォンやパソコンはもちろん、デジタル一眼レフカメラやデジタルビデオカメラが当たり前のようにあった。
運動会などのイベントでは、これでもかといろんな高そうなカメラが子供達を映していた。そして子供たちも、パソコンなどを利用したマルチメディアな授業を喜んで受けている。
授業は、図鑑的な知識や簡単な英語を詰め込むタイプ──いわゆる英才教育的なもので、インドやネパールの学校とは全く趣を異にする。
また、その頃から中国の教育ママたちの間では、マルチメディアを活用したベネッセの「こどもちゃれんじ」が口コミで広がりつつあった。
いまどきの中国の都市部の子供たちは、タブレットやスマートフォンを親や学校などで与えられてモチベーションを上げ、知識をふやしている。トレンディなテクノロジーで勉強しているのだ。
なんでもニュースによれば、北京や上海ではMacやiPadを全員に与える学校もあるのだとか。今の小学生が大人になる頃には、子供の頃に流行ったスマホゲームについて、多国籍の人々で記憶を分かち合う会話がありそうだ。
対して田舎の学校はどうかといえば、見てきたところでは、「中国独自規格製品」というトレンドから最も離れたパソコンを寄贈したり、寄贈されたところでパソコン室が物置と化していたりと散々だ(余談だが、中国だけに限った話ではないけれど、日本人が貧しい国に10年以上前の旧式のPCを善意で寄付するという話を聞く。これは現地ではありがた迷惑な話だ)。
また、中国では日本の公立校のように、都市でも田舎でも離島でも同じ質の教師がいるわけではなく、農村部には都市部よりずっとよくない先生が送られるのが中国の常である。
IT化は、カネを投じるだけではなかなか難しく、種々の条件が整った都市部だけが急速にIT化していく。
そして、IT化が進む中で、都市部の子供と農村部の子供の教育環境や得る知識は差がつく一方である。
幼稚園の発表会中に、iPhoneで遊んでいる親も
中国で、都市部と農村部の子供が立場を交換する『変形計』という番組が放送されていた。
経済発展する中国で、ようやっと、母国の都市部と農村部の環境の差について気づきを与える番組が放送されたというわけだ。
『変形計』では、田舎の子どもが都市部の子たちに混じって学ぶことで急成長し、都会のスマートフォンを持った子は田舎の学校で「面白くない、帰りたい」と泣き出し、やがて人情に触れ成長する……といった内容だ。
今までの中国になかった視点で作られた、素晴らしい番組だと思った。
インドなどの格差が激しい国でも、このような番組がいつか出てきて、人々に気づきを与えてくれるだろうか。
農村で育った子供たちは、知識がなくとも彼らなりに楽しんでいる。学校に行かないほうが楽しい、という子も多くいる。
一方、iMacやiPadでマルチメディア教育を受ける、都市部の富裕層の子供たちもまた、それなりに楽しいだろうし、知識も身につけることができる。
子供たちは、どちらの環境にも適応し、それぞれの子供時代を楽しんでいるだろう。決して全員が、「勉強したがっている」わけではない。
そして、最近の上海を舞台にした中国の映画やドラマを見ると、どう見ても勉強して這いあがった登場人物たちは生活を楽しんでいない。勉強すればその先に幸せがあるとは限らないのだ。それは、日本でも同じだろう。
かといって、農村の知識のない人情オヤジになるのが幸せかというと、それはそれでまた、否定はできないけれどもったいないとも思う。
では、どうすればいいのだろう?
『変形計』の提案のように、いろんな生活を見て、人それぞれの答えを見出すというのが僕の解だ。
複数の選択肢の中から、自分だけの幸せを見つければいい。
学校訪問を繰り返しながら、私自身についてもよく考えた。
どうやらアラフォーの私は、まだ見ぬ選択肢を探して、未だにあちこちを旅しているようだ。
「幸せを探す旅」なんて言ったら赤面するけれど。
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