内戦で深い傷を負った国・カンボジア。
東のベトナム、西のタイに比べればまだまだ発展途上なこの国では、地方の村ではまだ電気がきていないところも沢山ある。
そんなカンボジアのIT事情を探りにいった著者が見たものとは……?
「友人を紹介するよ」と言われ、カンボジアの寒村までバイクの後部座席にまたがってやってきた。
高床式の家に足を踏み入れた私は、鏡を見ているような、或いは狐につままれたような気持ちになった。
その「友人」は、電球ひとつぶら下がる薄暗い空間で、ござの上に寝っ転がってノートパソコンで動画を見ていたのだ。
部屋の中で正座した私の後ろには興味本位の村の子供たちがいっぱい。
なんだここは……。
カンボジアのニートの星だ
東西をタイとベトナムに挟まれた国、カンボジア(北にさらにのんびりとした国・ラオスがある)。
この国での1泊の宿泊費はとても安い。ネットカフェ以下の5ドルで、無線LAN付の広々としたホテルに泊まることができるとあって、私はカンボジア出張が大好きだ。
道路も、時速30kmくらいしか出せないガタガタの未舗装道から、時速80kmはゆうに出せる舗装道へと地道に変化を遂げ、陸路での取材旅行も体力的にかなり楽になってきている。
私が拠点としている雲南省の昆明からも、雲南省が東南アジアへの繋がりを強化しようとしていることから比較的気軽に行くことができる。
しかし、ひとつだけ問題がある。
“のどかな国”だから、滞在中はなかなか原稿を書こうという気にならないのだ。
カンボジアの小都市
ビジネスにおけるアジア諸国の魅力は、その人口の多さである。
しかし、カンボジアの人口は1500万人しかいない。これはごく最近まで命脈を保っていたクメール・ルージュ(ポル・ポト派)が引き起こした内戦(と虐殺とインフラ破壊と飢饉)の後遺症だ。
ただ、内戦後は人口が増加傾向にあり、若者が非常に多い。そういう意味ではアジアの工場としては魅力なのだが、消費でいえばまだ「ごく一部の勝ち組だけが消費している」感がある。
首都プノンペンにはイオンモールができ、利用している人は確かにいるし、iPhoneを所有しゲームで遊んだり、写真を撮って見せたりする人もいるが、それがカンボジアのリアルではない。
iPhoneを扱う店は首都にあるにはあるが、所有者の多くがタイに出稼ぎに行ったときに「自分へのご褒美」として買ったというケースが一般的だ。
スマホで音楽を聴くカンボジア人
スマホをいじる村のお姉さん
前々回、前回と紹介してきた、中国深セン産のノンブランドケータイ(スマートフォン)の「山寨機(シャンジャイジ)」を扱うショップが、そこかしこにあり、山寨機こそが、彼らにとって身近な存在になっている。
それを紹介することは、イコール深センの山寨機を紹介することとイコールで新しくもなんともない。
ならばパソコンやスマートフォンを持つかなり裕福な人を取材しようと、現地でいろんな人に声をかけ知人友人を紹介してもらうと、訪ねた先が中国の習慣や繋がりを濃厚に残した華僑というケースばかりだ。
そうなると中国語でいろいろ話は聞くが、私の仕事に結びつくような、狂ったように「へぇー」だの「がってん」だのと連呼しつつ机を右手で連打したくなるような驚きはないのである。
今夏、私は「ダメでもしょうがないか」と新しい発見を過剰に求めず、カンボジア西部の都市「シェムリアップ」と「バッタンバン」を中心に、ネタ探しの旅をした。
世界遺産のアンコールワットの観光門前町であるシェムリアップの安宿では、(安宿ですら)成功したカンボジア人スタッフがiPhoneを弄って遊んでいた。対外国人ビジネスになれたホテルスタッフなので商売っ気があり、外国人客の依頼を、右から左に受け流すかのように対応する。
これは違うなと、部屋にバックパックを置いて街に出た。
シェムリアップの街はオシャレなカフェやレストランが並ぶ街になった。人口も100万人に達したという。
しかし、オシャレな店の間にある影のような個人商店に入ってみると、生活臭がまだ臭っていた。「1kg=1$」と書かれた洗濯屋を兼ねる個人商店では、赤ちゃんをあやしながら、若いお母さんがやりくりをし、その奥におじいさんが笑顔ででんと座っていた。
お母さんは英語が話せるわけではなかったし、そこにテレビすらなかったけれど、洗濯物を渡しつつ、赤ちゃんと話しつつ、笑顔で家の中を見させてもらった。
食べて寝るだけしかできないスペースのようだけど、子供がいるだけで今は幸せそうだった。
カンボジアはどこの街でもそうだが、バスがろくに走ってない代わりに、道路を歩いていれば1分に1度はバイク乗りの男が「ヘイッ!」「ハロゥ!」と声をかけてくる。彼らはバイクタクシーの仕事をしているので、乗りたければ「どこに行きたい、いくら払う」を簡単な英語で相談すればいい。
また、声をかける人の中には「実家に来ないか? 村のリアルカンボジアライフをみたいだろう?」という商談もある。そこでシェムリアップとバッタンバンの街双方で彼らの誘いに乗ってみた。
それぞれ、街から片道1時間かそれ以上の時間かかった。
バッタンバン郊外の農村の家(外より)
バッタンバンのバイクタクシーに連れられた道中は、森の中を突き進む片側1車線の砂ぼこりをかぶった幹線道路。
中国雲南省では追い越しが日常的だけれど、のんびりと追い越すことなく隊列のように車の列は前進する。森の中といいつつも、左右にはところどころ家々や商店がちらっと見え隠れする。都市間移動では見られないだろう道をしっかりと脳裏に刻む。
家に到着する前に、バイクタクシーの男に買ってくれとせがまれ、幹線道路沿いの商店で売られている惣菜とビールとジュースを箱買いする。その後は幹線道路から外れ、さらに森の奥へ。
着いた家は高床式で、おばあさんがちょんと座っていた。どこからどこまでかわからない庭。その中に家がぽつんとあるのだが、どうやらここはもう村の中らしい。家と家の間隔が広く、密集していないようだ。
家の中は質素で、家の入口近くにぶらさがった裸電球一個だけが光源だ。家の唯一のメディアである電池式のラジオが音を出し続けるが、何を言っているかは分からない。
しばらくすると、近所に住んでいるというバイクタクシーの男の兄弟がやってくる。中国の農村でももそうだが、「兄弟はいるか?」「親は元気か?」など話すと話題は出尽くす。
英語が話せるわけでもなく、笑顔を絶やさない中で静かに食べや飲めやの食事会となった。夕方に訪れたが、日が暮れて周囲が暗闇となると、いよいよ不安になったので市内に連れて行ってもらった。
バッタンバンよりちょっと豪華な幌付きのバイクタクシーに乗る
バッタンバン郊外の農村の家
シェムリアップでバイクタクシーの男に相談し、30kmは離れているという村に行ったときも、前述の村みたいなものだろうと思っていた。
片側2.5車線くらいの広い幹線道路をひたすらまっすぐ走る。左右どちらを見ても、日本と比べて超がつくほどいい加減に稲が植えられている、大稲作地域である。
その家もまた、幹線道路から細い森に向かう脇道を進み、5分ほどしたところにあった。
家のある村は、日本の農村の集落程度に密集していて、子供がたくさんいた。
地雷で片足をなくした子も遊んでいたが、ほかの子は一切手加減をせず、片足の無い子もほかの子同じ速さで杖を使って機敏に駆け抜ける。
村の高床式の家々はくたびれた家と、質素なりに普通に建っている牛と牛車付きの家が同じくらいある。なんでも多くの家族が新しい家を建てると、昔の家を放置するのだろうだ。
村には子供でも買える昭和レトロの駄菓子屋のような店が一軒あるだけで、学校もなく、子供たちは隣の集落まで通学するのだという。
バイクタクシーの男には、一応「なんかパソコンとかスマホとか、いやケータイでもいい。何か村で見られるのなら嬉しい」と、取材の趣旨を一応は伝えている。男と彼の実家でひと休憩した後、「希望のところに行くぞ」と言われ、別の何の変哲もない高床式の家に入っていった。
驚きはその家の中にあった。
広く薄暗く何もない質素な家の中で、男性がぽつんと寝っ転がって、ノートパソコンで動画を見ているのだ。
男性の見た目は20代前半で、ひげを適当にはやし、シャツの上にくたびれたパーカーを着ている。
その姿は日本のニートか、はたまたノマドのフリーランサーか。私はお邪魔し、男性の横に近づき正座をする。後ろにはさっきまで走り回ってた子供たちがついている。動画をよく見ると中国語の字幕がある。
ノートパソコンは再生リストでいっぱい
「こんな村まで来て華僑が強いのか!」と思っていたが違った。
なんでもシェムリアップの(海賊版)DVDショップで売られているDVDは中国のドラマや映画ばかりで、言ってることや字幕で書かれていることはわからないが、わからないなりにシェムリアップに行くときにDVDを買い込み、家で日々それを見ているとのこと。
なんだか欧米に憧れて洋楽や洋画を闇雲に見ている日本人の絵が思い浮かんだ。ただインターネットには繋いでいない(電話線がない)ので、そうするしか暇つぶしの使い道がないという点では状況が異なる。
何の仕事なのか気になって聞いてみると、農機を貸し出したり、村内の畑で農機を動かすのが仕事なのだそうで、お声がかからないときはビデオ三昧で日々楽しんでいるのだそうだ。一応は彼女を募集中とのこと。
日々パソコンの前で文章を書き、頻繁に脱線する、ノマド(?)な私としては、自身の状況を説明し固い握手を交わしたかったが、違いすぎる生活環境に説明しきれず、彼は頭の上にクエスチョンマークを絶えず灯していた。
物書きをはじめて12年目になるが、まだまだ自身知らないことばかりだ。先入観が多いことに気づかされ、右手を上下して「へぇ」だの「がってん」だのを心で連呼させられることが多い。
しかし、その瞬間こそが快感で、原稿料をもらったり記事が掲載された瞬間よりも嬉しく感じるほどなのである。
サイト更新情報と編集部つぶやきをチェック! |
---|
Copyright © Star Seas Company All Rights Reserved.
コメント