この道12年のアジア専門ITライター・山谷剛史が、思い出とともにアジアの変化を語る本連載。
第3回となる今回は、インドが舞台。
いきなりとんでもない目に遭う山谷氏は、無事に取材地に辿り着けるのか……!?
2011年5月、私はネパール国境のスノウリという町から、インドで最も近い大都市・ゴラクプルへ向かう車上にあった。
私たちが乗っているのはインドの国民的自動車メーカー「TATA」の小ぶりなセダンだ。
だがしかし、状況がおかしい。
いや、極めてヤバいと言っていい。
車には8人乗っている。前方に4人、後方に4人。
私は前方の中間に座っている。右には運転手、左に2人の乗客が座る。いずれもインド人らしい。
後ろには4人、大人2人と子供1人のネパール人家族、そしてインド人だ。
ただし、車外のトランクルームにももう2人入っている。なので、合計は10人だ。
ちょうど私の股の間にギアがあるので、運転手がときどき股の間に手を入れてくる。
ドライバーがスカスカのセダンから身を乗り出して、「ゴラクプルまで連れてってやるよ」と適正価格を言ってきたから乗ってみればこれだ。
だが、ここまではまだいい。まだ我慢できる。
問題は、このドライバーの運転だ。
インドでは、車は左側通行だ。しかし、ドライバーの運転はふらふらと不安定で、車は時々右車線を走る。車内にはテクノじみた妙な音楽が爆音で流れ、道路の両脇の畑はひたすら燃えている(焼き畑だ)。
命の危険を感じても許されると思う。
しかし、流石と言っていいのかどうか、インド人乗客たちは動揺していなかった。慣れているのか。が、後部座席のネパール人家族だけは、私と同じく大いに動揺していた。
不幸中の幸いで、ネパール人の奥さんは日本語が話せ、旦那も青年である彼らの子供たちも英語が堪能だった。なんでも東京のベッドタウン拝島に住んでいたことがあるという。旦那が口に出した日本語は「コンニチハ」と「ハイジマ」だ。
青年は「このドライバーは、どうやらドラッグをやってるぞ」と説明し、ネパール人の夫が現地語で「ゆっくり走ってくれ! 左をだ!」と何度も大声で怒鳴る。
日本でも昨今、脱法ハーブをきめての危険運転が問題になっているが、私は一足先にそれを経験していた。
残念ながら、あまりいい経験とは言いがたい。
幸い、私が生きてこれを書いていることからも分かる通り、車は無事にゴラクプルに到着した。
しかし、通りがかりの車が伴走してくれなかったら、もしかしていたかも知れない。
本当に死ぬかと思った。
私は、IT雑誌などで記事を書くことを生業にしているITライターだ。
IT大国という触れ込みのインドには、なんとか年に1度は足を運ぶようにしている。最初に行ったのは、日本のソフトウェア企業を辞めた2002年。そのときはインドでIT旅レポートを執筆したついでに、現地のIT企業にでも就職しようかと思っていた。
しかし、原稿を書いているのが楽しくて、結局インド企業で働くことなく執筆と旅は続く。
最も酷い経験をしたのがスノウリからの移動だが、程度の差こそあれ、似たような経験は数知れずした。
いつでも共通しているのが、インド人は動揺しないということ。日常茶飯事なのだろう。もちろん、怪我をしたり死ぬ可能性もある。けれど、インド人にとってはそれはありふれたことで、驚くには値しないことなのだ。
インドはIT大国であるとよく言われる。
確かに、欧米へアウトソーシングしている企業は多いし、日本とも取引のある企業も多くある。
けれど、「いつかインドは変わるだろう」と足を運んでも、インドの貧困の根っこは深く、ITが庶民までちっとも落ちてこない。
デリーの大手アウトソーシング企業で副社長に取材した時には、取材の最中に停電して「いつもこうなんだ」と副社長は苦笑した。
地方の農村になるとこの状況はもっとひどく、夜には決まって停電する。そんなところでは、もちろん外国の企業は工場を作るのに躊躇するだろう。
ビジネスとカネが集中するムンバイでは、このような停電はない。
「ムンバイだけは停電しない」が最大のセールスポイントなのである。
2003年、パソコンは企業など一部のみでしか使われていなかった。
2003年、取材で訪ねたIT企業の様子。
そんなムンバイは、もちろん家電量販店も充実している。
けれど、先述の通りムンバイだけでインドを語れるわけでなく、むしろ地方都市を見てインドを語ったほうが、インドという国の実情を伝えられると考えた。
これは日本でも同様で、「東京=日本」というイメージで語られたら、大抵の日本人は違和感を持つだろう。首都や中枢になっているような大都市は、どこの国でも特別と考えたほうがいい。
そんなわけで、死にそうな目に遭いながらもやってきましたゴラクプル。
ゴラクプルの人口は444万人。典型的なインドの地方都市ではあるが、中国同様、人口がケタ外れだ。
どの新興国でもわずかながら金持ちがいるように、ゴラクプルでもごくごく一部の金持ちは最新のタブレットやスマホを持っているが、一般庶民は携帯電話を利用し、スマホ販売もまだまだこれからといった風だった。
ムンバイに比べて、普及率に大きな差がはっきり見える。
パソコンショップが並ぶ通りもあるが、数店が集まっているだけだ。家電の店も量販店ではなく、町の電気屋さん的な小さな個人商店ばかりで、売っているものを見ても、ブラウン管テレビが健在。
その中に、少数の金持ちのニーズに応えるべく、ソニーの専門店があった。店の外には野牛がのんびりとしているが、店内では液晶テレビなどのラインアップを充実させている。
都市と地方の格差だけでなく、地方の中でもまた格差があるのだ。
2013年、コルカタ(カルカッタ)の電気店。富裕層向けの商品が並ぶ。
インドの町は、何年経ってもほとんど変化を見せないが、その中で見られる小さな変化のひとつに、携帯電話屋につけられたサムスンの看板がある。
携帯電話屋では、サムスン以外のインドメーカーを含むメーカーの携帯電話やスマートフォンも販売しているが、携帯電話販売店を見つけるにはサムスンの看板を見つければいいくらいよく見るようになった。
サムスンはインド市場で認知されるよう力を入れている。
2013年、農村でも携帯電話ユーザーが当たり前に。
2013年、農村にもスマホユーザーの姿が。
また、パソコン関係の教室も増えた。
実は、パソコンの販売はそこでも行われている。
IT大国のイメージとは裏腹に、インドでパソコンが使える人は少なく、パソコンを所有している人はもっと少ない。
そもそも、パソコンを使うための英語がわかる人が案外少ないのだ。
インド人は英語が使えて、しかも人件費が安いと言われている。確かに、都市部のエリートを中心に英語がデキる人は多く、そのデキ具合は国際社会に投入できるほどなのだが、一方で英語ができない人もいっぱいいるのだ。
ぶらり途中下車とばかりに、観光地とは無縁のインドの田舎の駅に降りてみたら、そのあたりの人はほとんど英語が話せず、笑顔のおもてなしを受けるだけで困った経験は何度もある。
当然、英語が使える人と使えない人では、人生で選べる選択肢が大きく異なってくる。これもインドの格差を端的に示している。
なお、田舎の駅でしばらく困っていると、大抵は流暢な英語使いが登場して、何とかなってしまうのだった。
話をもどそう。パソコン技能……といっても、ワードやエクセルとブラウザとメールが使える程度だが、これらを学んだ若者の一部は、地元でパソコン教室を開く。
何台かのパソコンとプリンターを置いて、パソコン教室を開くと同時に、それをインターネットカフェとしても開放する。
文書を印刷したい人もそこに行って、ファイルを渡して印刷してもらう。つまりあらゆる依頼を受け入れるパソコン万屋だ。
さらに、インド国内のタイピングのアウトソーシングの依頼を受けて、町や村のパソコンが触れる人がタイピングを行ってお金を得るという現象も見られるようになってきた。
2002年にはじめてインドに行ったとき、僕はインドを北から南までまわり、パソコンのある風景を探した。
探し出したのは、現地の金持ちのお坊ちゃんだったり、お嬢さんだったりした。
彼らしかパソコンを持っていなかったのだ。
それから10数年、人々の多くは相変わらずパソコンも持っていなければスマートフォンも持っていないが、町には成功した若者がパソコン教室を開いて、豊かになろうとする若者が学びに来ていた。
そこに集まっているのは、外資系のソフトウェア企業で働きたいというスマートで、それでいてがむしゃらと報じられがちな若者だけではなかった。
「メールをだけでも利用できればいい」「暇だから来ている」といった、見た目は濃いけれど、目力が足りない学生らがいた。彼らは右手の人差し指でキーボードをゆっくり押していた。
2013年、農村の中心集落にもできたパソコン教室。
容易には埋まらない格差を抱えた国・インド。
その国でも、パソコンは徐々に身近で入手しやすいものになりつつある。ITが、インドの格差を埋める日は果たして来るのだろうか?
次回予告
次回のテーマは「学校」。
山谷氏がアジア各地で見た学校の姿とは──?
8月19日更新予定。
お楽しみに!
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