百万都市・江戸の人々は、「傘かしげ」「肩引き」「こぶし腰浮かせ」といったしぐさを身につけることにより、平和で豊かな生活を送っていた。しかし、幕末に薩長新政府軍によって江戸市民は虐殺され、800とも8000とも言われる「江戸しぐさ」は断絶の危機に瀕した......。
このような来歴を持つ「江戸しぐさ」は、現在では文部科学省作成の道徳教材にまで取り入れられるようになった。しかし、伝承譚の怪しさからも分かるように、「江戸しぐさ」は、全く歴史的根拠のないものなのである。
実際には、1980年代に芝三光という反骨の知識人によって「発明」されたものであり、越川禮子・桐山勝という二人の優秀な伝道者を得た偶然によって、「江戸しぐさ」は急激に拡大していく......。
この連載は、上記の事実を明らかにした「江戸しぐさ」の批判的検証本『江戸しぐさの正体』の続編であり、刊行後も継続されている検証作業を、可能な限りリアルタイムに近い形でお伝えせんとするものである。
「江戸しぐさ」の事実上の創始者である芝三光(本名・小林和雄、別名・うらしまたろう、1928~1999)の履歴については、生前の芝が設立した「江戸の良さを見なおす会」と芝の没後に設立された「NPO法人江戸しぐさ」の主張の食い違いをはじめとして不分明の点が多い。
芝はその生前から自らの履歴を語るのにホラを交えていたらしく、さらに没後の後継者たちの間での伝言ゲーム的な展開もあってその実像に霞がかかってしまった感がある。
さて、その謎の一つに芝が終戦直後に作ったという「東都茶人会」或いは「東都人茶会」という組織(?)の実態がある。
NPO法人江戸しぐさ設立に貢献した人物に結成当時の副理事長(後に理事長)となった桐山勝氏がいた。その桐山氏が表し同法人HPで発表した『江戸しぐさの誕生とその系譜』の第2話「祖父は江戸講の講元」には次のように記されている。
「うらしまたろうという別名もあった。江戸講の流れを汲む1946年発足の“東都茶人会”、65年設立の“江戸を見直すミーティング”、74年につくった“江戸のよさを見なおす会”で使った」
ここで言及された「東都茶人会」なる組織とは、一体なんだろうか?
ライターの松平俊介氏は自身のブログで、現在の「江戸しぐさ」関係者に茶道関係者がいないこと、三越の経営改革を行なった実業家で茶人としても高名な高橋義夫(1861~1937)に『東都茶会記』という名著があるが、なぜ芝が高橋の関係者を差し置いてあたかもその後継者であるかのような会を主催できたのか、といぶかしんでいる。
ところが「江戸を見なおす会」名義で発表された最初の「江戸しぐさ」書籍『今こそ江戸しぐさ第一歩』(1986)奥付ページには同会設立の経緯が次のように記されている。
「日中戦争中の悪法といわれた国家総動員法で解散させられた“江戸講”を惜しみ、昭和21年に敗戦の跡地で、東京の文人墨客が始めた東都人茶会が前身である。昭和30年代になると東京コンシューマーズ・クラブ、江戸商法研究会などの有志も参加して“江戸新人サロン”となり、昭和40年に“江戸を見なおすミーティング”として新会を結成する。そのメンバーであった芝氏が非公開の“講”を公開しようと決意して一般に呼びかけ、昭和49年に『江戸の良さを見なおす会』として独立した」
ここでは桐山氏の言う「東都茶人会」と同じものと思しき組織が「東都人茶会」と表記されている。 「東都茶人会」ならば会員は茶人であることが前提となるが「東都人茶会」なら東京の住人なら誰でも参加できることになる。消費者団体と思われる東京コンシューマーズ・クラブや江戸商法研究会なる団体と合流したとされるのも茶人の会としては不自然である。
また、芝が和服は着るのも見るのも嫌いだと公言していたこと、さらに「江戸しぐさ」の喫煙しぐさでは、江戸時代の料理店では客の煙管をとりあげた、などと茶道の知識があれば言い出せないような妄説を唱えていることなどから考えても、芝が茶道関係の団体に所属していたことはまずありえないだろう。
「江戸の良さを見なおす会」のブログだった「浦島太郎の残し文」には同会の歴史に関する年表があるが、そこでは昭和33年(1958)の芝の事績が次のように記されている。
「満点教室生徒募集 店員教育研究所設立 江戸商法研究会(小冊子)」
この記述からすると「江戸商法研究会」という団体は、店員教育研究所なるものと同時期に当時30歳の芝が立ち上げたもののようである。
そして、その年表には「東都人茶会」に関する記述がない。
「江戸の良さを見なおす会」の前身は「東都人茶会」ではなく「江戸商法研究会」に求められるべきであろう。
また、昭和21年(1946)の芝は若干18歳の学生にすぎず、「文人墨客」の会の設立者になるというのは考えにくい。芝が「東都茶人会」或いは「東都人茶会」なる団体を設立したというのは虚偽であろう。
もし仮に「東都人茶会」という団体が実在していたとしても、それは江戸講や「江戸しぐさ」とは無関係のもので、芝が「江戸の良さを見なおす会」の歴史を昭和20年代に遡らせるために、その歴史を接合しただけのものと思われる。
なお、江戸時代の文献には「東都」と書いて「えど」と読ませる用例もあるが、その事実が東都人茶会の名称に反映しているかどうかは判断保留としたい。
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歴史研究家。1961年生まれ、広島市出身。龍谷大学卒。八幡書店勤務、昭和薬科大学助手を経て帰郷、執筆活動に入る。元市民の古代研究会代表。と学会会員。ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)メンバー。日本でも数少ない偽史・偽書の専門家であり、古代史に関しても造詣が深い。近年は旺盛な執筆活動を行っており、20冊を超える著書がある。主著に『幻想の超古代史』(批評社)、『トンデモ偽史の世界』(楽工社)、『もののけの正体』(新潮新書)、『オカルト「超」入門』(星海社新書)など。本連載は、刊行後たちまち各種書評に取り上げられ、大きな問題提起となった『江戸しぐさの正体教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書)の続編である。
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