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ザ・ジセダイ教官 知は最高学府にある

若き憲法学者・木村草太先生に、「法学のマインド」を学ぶ!【前編】

2012年02月14日 更新
若き憲法学者・木村草太先生に、「法学のマインド」を学ぶ!【前編】

昨年上梓した『憲法の急所』が法学を学ぶ学生から絶賛を持って受け容れられた、若き憲法学者・木村草太。
まだ一般のメディアに登場したことのないこの俊英が、メディアに初登場。
憲法とは、法学とは何なのか?
ジセダイ教官による、新しい「知」の授業がはじまります──。

 

取材:柿内芳文・平林緑萌  構成:平林緑萌  撮影:山崎伸康

 

木村草太

 

すべては「日本国憲法」から始まった

 

柿内 本日はお忙しいところ、押しかけてしまってすみません。

 

木村 いえ、大丈夫ですよ。こういった取材は初めてで、ちょっと緊張していますが、どうぞよろしくお願いします。

 

柿内・平林 宜しくお願いします!

 

柿内 どのようにして、若き憲法学者・木村草太が生まれてきたのか、我々次世代マニアとしては非常に興味があります(笑)。また、法学初心者である我々なりに、専門的な部分についてもお話を伺っていきたいと思っています。

 

平林 まず、法学に興味を抱いたきっかけからお聞かせいただきたいなと思うんですが……。

 

木村  そうですね、中学校の2年生ぐらいのときに、「将来は法学部に進もう」というふうに考えました。本屋さんでたまたま日本国憲法の条文をまとめた本を買って「あ、おもしろい」って思ったんです。それから、もう一つきっかけがあって、世の中のルールというものに非常に興味を持っていたんです。

 

柿内 ルールというと?

 

木村 たとえば学校がそうですが、4月に新しいクラスができると、みんな大変に緊張する1、2週間を過ごすと思うんです。

 

柿内 確かに、緊張する感じがありますね。

 

木村  なぜ緊張するかというと、いろんなものが決まってない状況だからですよね。誰がリーダーなのか、誰と誰が仲がいいのかということがまったくわからない状態。そこから、時間を経るにつれてルールができて秩序が生まれてきます。それがすごくおもしろいなと思っていて、それも法律家になりたいというふうに考えたきっかけの一つですね。

 

柿内 すごい! 学校のクラスをそういう視点で見る中学生はなかなかいないですよ。

 

 

計画的に法律家を目指す

 

平林 中学2年生のときに法学を志されたわけですが、法律の勉強というのはいつ頃から始められたのでしょうか?

 

木村  専門的な勉強はもちろん大学に入ってからですが、まず、最初に色々と調べてみました。中学生の頃は裁判官になろうと思ってたんですが、調べると司法試験を受けなきゃいけない。司法試験はすごく難しい試験で、予備校に行って勉強する人が非常に多いということもわかったので、「これは、どこの大学に行くかというよりも、ちゃんと予備校に行って勉強するほうが大事なのかな?」と当時は思ったんですね。

 

平林 なるほど、司法試験が目標になったんですね。

 

木村  それで、「大学に入ったら、すぐに予備校の勉強に集中できるような態勢にしたいな」と思ったんですよ。当時の司法試験は、一次試験と二次試験というのがあったんです。で、世間で司法試験と呼ばれているのは二次試験なんです。それは全部法律科目の試験で、一次試験は一般教養の試験です。この一般教養の試験は、小学生でも中学生でも受けられるんですが、大学の2年生まで教養課程を終えていると免除されるということだったので、「一次試験に受かっておけば、逆に大学の教養科目で万が一単位を落としても大丈夫だ」と、その当時は考えたんですね。それで高校の頃、一次試験の勉強を始めました。

 

柿内 すごい、超計画的ですね! なかなかいないですよ、そんな方は。

 

木村 確かにあんまりいないと思いますけど……私一人ではなくて、ごく少数はいると思いますよ(笑)。

 

平林 そういえば以前、テレビのニュースになっているのを観た記憶が……。

 

木村 一次試験を中学生で合格されたというのが最短記録で、ニュースになったことがありますね。

 

平林 ああ、やっぱり!

 

木村  「勉強すれば中学生でも受かるのか」と当時は思いましたね(笑)。ただ、かなりマニアックな試験なので対策の本もないんです。受験者が全国で200人ぐらいしかいないので、需要が少ないんですよ。すごく難しかったんですけど、過去問を見て、大学受験の勉強と並行してやっていましたね。

 

平林 そうして並行して受験勉強をされて、東大の法学部に入学された。

 

木村 やはりきちんと法学部に行ったほうがいいと考えていました。司法一次試験を受けて、そのあとにセンター試験を受けて、と戦略どおりに実行していきました。

 

 

狭き門・憲法学者の道

 

木村 運良く東大の教養学部文科一類に合格しまして、司法試験の勉強をしていたんですが、あんまりおもしろく感じなかったんです。それで、昔から興味があった憲法学者はどうかと思ったんですが、どちらが難しいかは別にして、人数としては憲法学者のほうが圧倒的に少ないんです。

 

平林 今、日本で何人ぐらいいらっしゃるんですか?

 

木村 公法学会っていう憲法と行政法の先生が参加する学会があって、現役で活動されている会員が確か1000人ぐらいです。6:4ぐらいで憲法のほうが多いですね。なので、大学のポストに就いて、憲法を教えてる方は600人ぐらいなのかなと思いますけど。

 

平林 憲法概論のような講義を持ってる先生方とか。

 

木村 そうですね。当然、憲法学者も難しいだろうと思っていたんですが、やはり司法試験は自分には向かないと思いまして、大学の2年生ぐらいから司法試験には役に立たないような法律の勉強を始めました。

 

平林 司法試験から憲法学者になるための勉強にシフトしたということですか。

 

木村 そういうことですね。だから、大学3年になって本郷キャンパスに移った辺りでは、司法試験を受験する人は受験勉強が大変で学校出てこないので、代わりにノートを取ってあげたりしながら、司法試験科目ではない科目の勉強をしたりしていましたね。

 

柿内 同級生の方々は、やはり司法試験を目指されてたんですか?

 

木村 当時、東大法学部は1学年600人の時代でしたけど、やっぱり200~300人、半分か1/3ぐらいは司法試験をめざすというような世代でしたね。

 

平林 皆さん、最終的にはどのぐらい受かるんですか?

 

木村 当時の司法試験の合格者は全体で約1000人でしたかね。で、東大で司法試験に受かるのが毎年200人。1、2年留年ぐらいも含めて、学部在学中に合格するのが東大の中で50人ぐらいでしたかね。

 

平林 ああ、少ないですね。

 

柿内 やっぱり司法試験は狭き門なんですね。でも、木村先生は更に狭き門である憲法学者を目指された。

 

木村  当時の東京大学には研究者になる道は二つありました。一つは東京大学法学政治学研究科という大学院です。大学院に行くというコースと、あともう一つ、当時の東大は非常にユニークな制度がありました。学部を出てすぐに、助手(現在でいう助教)にするというコースがあったんです。

 

平林 それは、どういう選抜が行われるんですか?

 

木村  志望者の中から、成績上位者が採用されるという形ですね。助手になれば、給料をもらいながら勉強ができるので、難しいですがそちらのほうが人気でした。私もそのコースに応募してみようと考えたんですが、学内成績が相当よくなきゃいけない。今の東大法学部の子っていうのは、ロースクールをめざそうとすると学内成績がかなり大事なので、すごく学部の試験も勉強するんですけど、当時はもう少し緩やかでした。おかげで、なんとか助手になることができました。

 

平林 助手になられると、研究だけでなく、例えば授業の手伝いとか採点のようなお仕事があるんですか?

 

木村 センター試験の監督などには駆り出されますけど、当時の東大法学部の助手というのは、そういう業務は基本的にはしなかったです。基本的には研究に打ち込めるという環境ですね。そのかわり、任期は更新なしの3年間です。

 

平林 では、その期間に次のポストを得るために研究に励まないといけないんですね。

 

木村 そうです。博士論文相当の論文を仕上げることっていう義務があるんです。

 

平林 でも、3年で博士論文相当のものということは、大学院に進むよりも厳しいってことですよね、時間的には。

 

木村 大学院に進むと修士2年、博士3年なので、そういうことになりますね。修士から助手になるっていうこともできるので、助手になれる成績があっても、まずは修士で2年頑張ってみなさいという指導をされる先生もいました。

 

平林  なるほど、「成績優秀者が選抜されるのだから、3年で書けるはず」っていうことなんでしょうか。基本的な質問なんですが、法学では博士論文をちゃんと博士課程在籍中に上げられる人っていうのは、何割ぐらいなんですか? 僕の学んだ史学という分野ではそういう方はすこぶる少数派なのですが(笑)。

 

木村  割合としてはわからないですけど、そんなに多くないですね。私の先輩に博士課程3年で博士論文を出して博士号を取った方がいらっしゃるんですけど、それは憲法専攻のかたでは十何年ぶりの快挙だということでした。休学されたりとか、卒業後、就職してから博士論文を書くっていう方も多いですね。

 

平林 それは……よかったです。史学科の学生が著しく劣っていたわけじゃないのが確認できてほっとしました(笑)。ところで、木村先生は助手論文は……。

 

木村 私は3年で書きました。2008年に公刊された『平等なき平等条項論』という……この本ですね。

 

平林 こちらは元々、1本の論文として書かれたんですか。

 

木村  助手論文はモノグラフィー、単一テーマで1本でないといけないんです。20万字前後が標準、10万字以上というのが要件だったと思います。「まずは大きいものを書きなさい」というのが東大の方針でした。で、この助手論文を書いて、それで首都大学東京に採用していただいたという、そういう経緯になります。

 

平林 それが5年前ですか?

 

木村 5年前ですね。25歳で准教授としてこちらに赴任してきました。

 

柿内 25歳で准教授……。僕は25歳のとき、麻雀に明け暮れてました(笑)。

 

木村草太

 

正しく、かつ分かりやすく伝える

 

平林 憲法学者になるというのは、大学の教官になるということでもありますよね。

 

木村 そうですね。

 

平林 とすると、後身の育成っていうのがけっこう大きな仕事になってくると思うんです。たとえば授業をされるに当たって、何を念頭に置いてらっしゃるんですか?

 

木村  やっぱり、まずは伝わる言葉で話すということですね。非常に難しいことを教えなくてはいけないのですが、「難しいもの」を「不正確だけど、なんとなくわかった気にさせてくれるもの」として話すことは簡単です。しかし、それではいけないですよね。正しく伝えることは必須なので、その上で一番わかりやすく、ということですね。

 

柿内 授業のコマとしてはどういうものを持たれているんですか?

 

木村 今年は、学部のほうで教養科目の憲法と、専門科目の情報法。法科大学院でも、憲法や情報法を教えています。あとはゼミですね。ゼミは楽しいですが、本当に神経を使います。

 

平林 憲法は、法学部の中ではやはり人気のある科目なんですか?

 

木村 法科大学院や国家試験を受けるという人は必修科目ですし、それとは別に、憲法に出てくる内閣総理大臣・国会・基本的人権などの概念は公民で習うので、取っ付きやすいと思われる方も多いですね。ですから、ゼミとしての人気も高いと思います。

 

平林 ということは、実は難しいということなんですね。

 

木村 そうですね。入り口は広いですけど、入った後は、非常に難しいと思います。

 

柿内 憲法の1部と2部があると、先ほどおっしゃいましたが、それはどういう違いなんですか?

 

木村  どの国の憲法もだいたいそうなんですが、憲法の条文は「国民の国に対する権利」を規定した部分と、大統領や議会などの「統治機構」といわれる国の組織について書いた部分があって、それを二つに分けているということになります。首都大の場合は憲法1部で「権利」のほうをやって、2部のほうで国会、内閣、裁判所、地方自治、国民主権、天皇といった「統治機構」を扱いますね。

 

平林 憲法学者の先生方にも、それぞれ専門があるんですか。

 

木村 ありますね。もちろん全領域研究しますけれども、歴史の先生がこの時代が専門だというように、特定の条文の専門家、国会の専門家や内閣の専門家、いろんな方がいらっしゃいます。

 

平林 ところで、卒業したあと、憲法とかかわる仕事をしていく人っていうのは、どのぐらいいるんでしょうか?

 

木村 憲法に限らないことですが、ほとんどいないと思いますね。たとえ弁護士や裁判官になったとしても、憲法にかかわる事件を扱うというのはほんとに稀ですから。民間企業に就職すると、そういうことはほとんどないと思いますし。

 

平林 そうですよね。法務部みたいなところに行っても、憲法とかかわることって、あんまりなさそうですよね。

 

木村 そうですね。そういうことがあれば一大事ですからね(笑)。ただ、憲法のみならず法学を学ぶことで身に付けた考え方というのは、もちろんどこへ行っても必要なものになるのかなと思います。そういう部分も含めて、正しく、かつ分かりやすく伝えるのが責務だと思っています。

 

 

平等とは何か

 

平林 いよいよ専門についてお話を伺っていきたいなと思うんですが、憲法の中で木村先生の専門領域というのはどの辺りになるんでしょうか?

 

木村 今のところ、平等権ということになっています。助手論文のテーマもそうでした。

 

柿内 平等権について研究するというのは、どういうことなんでしょう?

 

木村 ほぼどこの国の憲法にも「国民は法の下に平等である」あるいは「何人も法の下に平等である」という条文があります。その条文の内容、国がどういうことをやっておって、どういうことをやると不平等になるか、という部分を研究します。

 

平林 「一票の格差」などもそこにかかわってくるんでしょうか。

 

木村 もちろんそうです。一票の格差訴訟というのは、まさに平等権の侵害が争われる訴訟ということになります。違憲であるという判決がいくつも出ていますが。

 

平林 では、違憲状態を解決するためにどうすればいいのかとか、そういうことを研究されるわけですか。

 

木村  我々はまず、「平等とはどういう状態か」ということを研究しています。「一票の格差がある状態というのは、ほんとに不平等なのか」というところから研究します。つまり、条文を離れた施策や理論というのが、研究の主な内容ということになりますね。これは、実はいろんな手法があるんです。

 

柿内 「平等」という言葉は法律の世界では専門用語で、しかも訳語だと思うんですが、日本とアメリカにおける意味というのは違ってきたりするんでしょうか?

 

木村 そうですね、そもそも条文の規定・言葉自体がかなり違っているんです。アメリカの憲法だと、いろんな歴史的な経緯があって「平等な法による保護を奪ってはいけない」という条文になっています。

 

柿内 「平等な法による保護」?

 

木村 「equal protection of law」を奪ってはいけないという言い方をしまして、日本の場合は、「法の下に平等である」と。これはドイツなんかに近い規定の仕方ですね。

 

平林 日本は当時アメリカの占領統治下にあったわけですが、どうしてアメリカ式にならなかったんでしょう?

 

木村  アメリカ式にしようという動きもあったんですけど、日本の法学の基盤はやはりドイツにあるんですね。特に憲法は、ドイツの憲法を参照しながらつくられていました。条文だけではなくて、条文の理解の仕方、「解釈」といいますが、それをやはりドイツのやり方っていうのを受け入れ──継受っていうんですけど、受け継いで、発展させてきたというところもあります。日本の条文もそうですね。日本の平等条項(憲法14条)がなんでそうなったのかは、起草段階の資料をいろいろ調べても、よく分からない部分があるのですが、おそらく当時の一般的な条文をいろいろ見比べたんだと思います。アメリカの条文のほうが世界的に見て特殊な規定なので、そちらを採らなかったということだと思います。

 

平林 木村先生のご専門の入り口部分に当たる「平等」という言葉だけで、こんなに深くて面白いんですね。ちょっと驚きました。

 

 

「解釈」とは何か?

 

柿内  先ほどのお話でも出てきましたが「解釈」っていうのが疑問なんです。先日、内田貴さんの『民法改正』を読ませていただいたときにも、「民法は改正したほうがいい」「解釈で回ってるんだから必要ない」という議論があったと書いてありまして、「解釈で回る」というのが一般人としてはよく分からない(笑)。

 

木村 ああ、そうでしょうね。

 

柿内 法における「解釈」ってどういうことなんでしょう?

 

木村 そうですね、少し長くなりますが、先ほどのアメリカが平等条項について特殊な規定の仕方をしている理由を例にお話ししましょう。実は、アメリカ憲法の平等条項は平等条項ではないんです。

 

柿内 えっ!?

 

木村  南北戦争の後に奴隷が解放されて、市民になった開放奴隷に対して、州の政府がちゃんとプロテクトをしなかったという経緯があったんですね。それで平等条項がつくられたんです。各州はきちんと、白人と平等にプロテクトしなきゃいけない、という意味でつくられた条文なんですね。ですから、元々は権利保護請求権、警察とか裁判所はちゃんと権利を保護しなければならない、市民は保護を請求できる、という権利の条文だったんです。

 

平林 アメリカの憲法って何回も変わってるんですか?

 

木村  ええ、平等条項が入ったのは第14修正と言いまして、14回目の改正ですね。ただ、現在はequal protection clauseのprotectionという言葉の意味がほとんど形骸化していて、法律における取扱いが平等といえなくてはいけないという条文として、プロテクトではない場面でも使われる条文になっています。ですからequalのほうに比重が寄ってきています。つくられた当時と今の条文の意味というものを見比べてみると、全然違うんです。でも、条文は変わっていなくて、条文の意味の理解が違っている。だから、そこから出てくる結論が違っている。それがまさに「解釈」で対応しているということですね。

 

木村草太

 

グレーだったらどうするべきか?

 

柿内 僕たちでも、解釈が生活に関わってくることはありますかね?

 

木村 契約の文言で、人によって意味の理解が違うということはよくあることですね。

 

柿内 ああ、そうですね。出版契約書を交わすときに、理解に少しブレがある場合がありますね。

 

平林 あと、著作権法も解釈によって回ってる部分が大きいですよね。

 

木村 そうでしょうね。

 

平林  旧来の条文にないメディアがどんどん出て来たりしていますからね。民法に比べると頻繁に改定されるんですけど、常に追い付いてない。そうすると、当然ですけどグレーという事例がでてきます。我々は困ったときに講談社の法務部に行くんですけど、よくグレーだと言われるんです。

 

柿内 そして、グレーとなったときに、どういう態度をとればいいのかがよくわからないんですよ。

 

平林 法務部的にはグレーは思いとどまって欲しい、でも編集者としては、グレーだったらやりたいという。

 

柿内 グレーゾーンって言葉、日常的にもよく使いますが、その扱い方って、ほんとに恣意的になるから難しいですよね。「アウト」とか「これ、OK」って言ってくれたほうがいいんですけど、法務部も厳密にやってグレーだとしか言えないんでしょうか。

 

木村 そうですね。それは恐らく、裁判所に行ってみないとわからないということだと思います。ですので、やはり法務部の「思いとどまって欲しい」というのが正しいと思いますよ(笑)。

 

平林 やっぱりそうですか(笑)。

 

 

法学精神と「裸の価値判断」

 

柿内 先ほど仰った、「法学を学んで身につけた考え方は、どこに行っても役に立つ」というところ、もう少し詳しく伺いたいのですが。

 

木村  何事もルールに結びつけて考える「法学精神」みたいなものですね。例えば、「危険な乗物は入れてはいけない」という公園の立て札があったときに、「自動車はダメだろう」と。では、「自転車はどうか」みたいな部分で、いわゆるグレーゾーンというのが生じるわけですが、グレーゾーンについていろんな判断の仕方があるわけですね。ルールと無関係に、「自転車それ自体を公園に入れていいかどうかだけを判断すればいいじゃないか」っていう考え方もあります。これを法学では「裸の価値判断」と呼びます。

 

平林 「裸の価値判断」?

 

木村  何の根拠もなく、単に主観的に価値判断をしているからですね。しかし、それでは人々と共有できない。だから、まず文言を見ようと。「危険な乗物」の「危険」というのはどういうことをいのか考えようとか、あるいは、これまでは乳母車は入れてきたけれども、バイクは入れてこなかったみたいな例があれば、自転車をどちらに近いものと説明できるかと考えようと。

 

平林 ああ、なるほど。それは合理的ですね。

 

木村  グレーゾーンなんだけれども、すでにあったルールを適用して処理をしようという発想ですね。非常に堅苦しい発想なんですが、しかし、そういう発想で物事を処理するということに、いろんな利点があるわけです。その利点のある判断能力を持つ。それが法学教育の一つの意味があると思いますね。

 

柿内 その利点というのは、例えば?

 

木村 やはり、納得を得やすくなるというのは、非常に大きなポイントだと思いますね。いきなり「裸の価値判断」を見せられても、その人の個人的な意見と思われてしまうところを、普遍的でこれまでにあったルールを適用していると考えることができれば、みんな受け入れやすくなる。

 

平林 ルールとして運用が可能だっていうことですよね。

 

木村 ええ。運用する側にとっては、絶対に欠かせない視点ということになりますね。

 

柿内 なるほど、おもしろいです。たとえが出ることでグッと分かりやすくなりますね。

 

木村 今のは、法学入門や法哲学という科目でよく出てくる例なんです。

 

平林 そのくらいから入ったら、僕も法学の勉強できるかなあ。

 

 

法学の面白さはどこにあるか

 

柿内 法学部の学生さんは、やはり最初は司法試験を受けたいと思って来る人が多いんでしょうか?

 

木村 多いと思います。法律家は魅力的な仕事の一つだと思われていますし、実際そうだと思いますから、そういう希望を持っていらっしゃる方は多いですね。

 

柿内 そういう学生さんが、「あ、何か法学って自分がイメージしていたものと。いい意味で違うな、おもしろいな」って思うポイントって、どういうところにあるんでしょう?

 

木村  まず、先ほどお話しした解釈論のおもしろさだと思いますね。法学部の一般的なイメージは、書いてあるルールをひたすら覚えるというものだと思うんですね。ところが、入ってみると、法学部で最初に勉強する憲法、民法、刑法という基本の科目では、いずれも条文をほとんど無視して、理論だけを追っていくということが非常に多いんです。授業を受けていても、正当防衛を規定した刑法36条などは条文自体は3行で終わってしまう、しかし講義は2、3回に及ぶわけです(笑)。こうした事例はどうだ、この言葉はこういうふうに解釈されてきた、と。単に条文を覚える作業だと思って来ると、理論を展開して、人を納得させるものをつくるんだという、そういうところが驚きでありおもしろさだと思いますね。

 

柿内 そうなると、やっぱり合意とか、納得感みたいな、そういう部分をどういう文脈で生み出していくかが大きいわけですよね。

 

木村  そうなりますね。われわれもその部分は、すごく強く考えています。法律は権力にかかわるものなので、権力を行使する以上は納得が得られる形で行使しなければいけない。法という形で権力を振るう以上、多くの人が納得できる公平で、公正なものでなくてはいけないという発想を教え込むというのが法学部の仕事になります。

 

木村草太(後編へ続く)

 

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星海社新書「キヨミズ准教授の法学入門」木村草太 Illustration/石黒正数

ジセダイ教官の紹介

木村草太

木村草太

1980年横浜生まれ。憲法学者。首都大学東京・東京都立大学准教授。
著書に『平等なき平等条項論』東京大学出版会(2008年)、『憲法の急所』羽鳥書店(2011年)がある。

氏名
木村草太
フリガナ
キムラソウタ
所属
首都大学東京法学系
職名
准教授
経歴・職歴
2003 東京大学法学部卒業
2003-2006 東京大学法学政治学研究科助手(憲法専攻)
2006 首都大学東京・東京都立大学准教授
研究分野・キーワード
憲法
著書
『平等なき平等条項論 equal protection条項と憲法14条1項』東京大学出版会(2008年)
『憲法の急所―権利論を組み立てる』羽鳥書店(2011年)
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