気鋭の憲法学者・木村草太先生へのロングインタビュー。
後編では、木村先生の提唱されている新説を通じて、法学のマインドに迫ります。
取材:柿内芳文・平林緑萌 構成:平林緑萌 撮影:山崎伸康
前編はこちら「若き憲法学者・木村草太先生に、「法学のマインド」を学ぶ!【前編】」
柿内 そう いえば、先日原付の「2段階右折」で警察官に違反をとられたんですが、その交差点は教習所で習うような理想的な形をした場所ではなかったんです。そこで、 警察官に突っ込んで聞いていくと、そういう場所では違反を取るかとらないか、現場の判断に任されているということが分かりました。こちらとしては、人に よって違う判断をされて捕まったり捕まらなかったりするので納得いかないんですが、そうしないと回っていかないというのもわかる。なんとも微妙な気分にな りました。
木村 現実の複雑さに対して、残念ながら条文は貧弱にならざるを得ない、というケースはありますね。そこで現場の判断に違いが出て来る。
平林 そういうところで判例が重要になってくるということですね。
木村 そうですね。判例というのは、場合によっては、法律の条文よりも重視されます。それは、法律の解釈を公権力が示したものですから、条文と同等と言われればそうとも言えるんです。
柿内 判例と言えば、敷金とか礼金って普通の生活をしてる人でも接点が多いところですよね。敷金の返却ってすごいグレーゾーンですよね。なかなかはっきりした ルールがないように思えますし、判例を注視している一般の人も多い。その中で、先日出た判例が借り主側にとって不利なものだとネットで話題になっていたん ですが、判例はやっぱり大きな影響を及ぼすものなんですか。
木村 そうだと思います ね。例えば「敷金を家賃2ヵ月分以上取ってはいけない」という判例が出たら、それ以上取ったら裁判では負けるということになりますから、当然貸し主のほう は、そんなに取らなくなりますよね。結果として、その分を家賃に上乗せするようになり、家賃相場が大きく変動するでしょう。このように、裁判所の判断は法 律と同じように、社会の人々の行動を変える基準になります。ですから、一つの判例であっても、それは立法と同じように非常に大きな社会的影響があるという ことになりますね。
柿内 それがどのレベルの判例でもなんですか。
木村 もちろん最高裁が出した判例というのは、容易には覆りませんので、最高裁判例の影響は大きいですね。あと最近の下級審、地方裁判所や高等裁判所っていうの は、いろんな分野でかなり踏み込んだ判断をされることが多いんです。そういう判決は、法律家から見ると、「これは実験的に出して、最高裁の判断を仰ごうと してるんではないか」というような印象を受けるようなものもありますね。
柿内 ひと言で判例といっても、やっぱりグレードがたくさんあると思うんですが。
木村 ありますね。基本的には裁判所というのは、これまでの最高裁判例、権威のある裁判所が出した判例に従います。知的財産法の分野などですと、最近できた知財 高裁の判断が大きな権威をもちますし、地方裁判所や高等裁判所の判断でも、非常に明快で優れた理論をしめしたものであれば、実務で重視されます。将来の裁 判所が、それと同様の判断をする可能性が高いですから。他方、将来の裁判所が無視する可能性の高い理論の道筋に疑問符がつくような裁判は、それほど重視さ れませんね。
山崎(カメラマン) すみません、さっきの最高裁の件でちょっと聞きたいことがあるんですが……いいですか?
木村 どうぞどうぞ。
山崎 最高裁の判例って法的には絶対的なものだと思うんですけど、年間に1万件最高裁で処理してるというのを聞いたんです。で、裁判官の人数で割ると、ひとつの 案件にかけられる時間が30分しかないという。そういう時間で、重要な判断をしなくちゃいけないっていう状態は、憲法の側から見たときにOKなのかとい う……。
柿内 ああ、なるほど。
木村 裁判を受ける権利ってありますからね。おっしゃることはわかりますし、最高裁の裁判官は非常に多忙だと思います。ただ、最高裁は15人裁判官がいますが、 最高裁調査官という人たちがかなりの数います。これはエリート裁判官のポストなんですけど、まず訴訟記録を下読みして、資料をそろえたり、論点を整理した りする、ということをされています。ですので、事件を15人で処理をしてるというのは、おそらく正しくないんですね。それから、上告でも、最高裁判所と地 方裁判所・高等裁判所というのは、仕事がけっこう違っています。最高裁は一から裁判をやり直すわけじゃないんです。
柿内 あれ、そうなんですか?
木村 ええ、実は最高裁の審理は「法律審」といって、法解釈だけをする場なんです。もう少し分かりやすく言うと、最高裁判所は、法律を解釈することしかできず、 「事実認定をする権限」を持っていないんです。だから、「そのときにAさんが何と言ったか」というようなことを認定することは基本的にできないんです。そ こまでにやった事実認定を前提に判断をするんですよ。事実認定をめぐる争いは終わっているので、最高裁の作業というのは高等裁判所や地方裁判所に比べれ ば、1件については非常に少ないということになりますね。
平林 やっていることがかなり違うんですね。
木村 それから、判断しなければいけない仕事も、憲法問題と重要な法律問題に限られてます。私も最高裁に行った裁判の資料というのをいくつか見たことがあります けど、この事件が最高裁が判断しなきゃいけない争点を含んでるかどうかというのは、比較的容易に判断できるんです。だから、何万件とあると言われてますけ れども、そのうちのほとんどは恐らく5分見れば、「これは最高裁とは関係のないものだ」と判断できるものだと思います。だから、1件につき30分という と、「えっ?」と思いますけれども、実は実際に扱わなければいけない件数は非常に少ないんです。ご懸念があるのはわかりますし、実際、最高裁の裁判官・調 査官は多忙すぎて心配だと言われたりもしますが、おっしゃるほど危機的な状況でもないと思います。
柿内 それで見て、最高裁の範疇じゃないなと思った案件はどうなるんですか。
木村 案件はもちろん裁判官が全員見ますけれども、それを見て上告棄却という手続きをとります。
柿内 そうか。棄却されるわけですね。
木村 棄却の文章も3行ぐらいですからね。「この問題は最高裁が扱うものではない」という趣旨の文章を2~3行書いて終わりなので、そんなに大変ではないと思うんですね。
平林 最高裁、大丈夫ですよ。
山崎 安心しました(笑)。ではそこまでに、ケリをつけとかないといけないんですね。
木村 もちろん普通の事件は、最初の地方裁判所でしっかり争わないと、ダメってことになりますよね。
柿内 裁判って時間がかかるイメージがありますが、最高裁というのはそういうものなんですね。
木村 ええ、ほんとに時間をかけてやんなきゃいけない難しい案件だけをやると。そうでないものは簡単に切られてしまいますから。まともな文章を書いてくれる最高裁の案件にかかわったことのある弁護士って、そんなに多くないと思うんです。
平林 それはもう、テレビで報道されるような大きな事件っていうことですね。
平林 では、いよいよ『憲法の急所』のお話を伺っていきたいと思います。これは、簡単にいうとどういう本なのでしょう? 前著とはどう違うんですか?
木村 前著は人権論の中の平等条項で、これは人権論全体の本なので比較するとより広い範囲を扱っています。
平林 包括的なんですね。
木村 ええ、憲法の本棚をつくるとしたら、同じ列には入りますね。この本は、いわゆる研究書とはちょっと違う基本書というか、演習書という位置づけで、主に法科大学院生や法学部の3・4年生の方が憲法の事例を扱うときの演習をする本です。
平林 どおりで……難しいな、と(笑)。
木村 難しいと思います(笑)。
平林 「だめだ、全然わかんない!」と思いながら、ただ何か、おそらくすごく実際に使いやすいようになってるんだろうなという匂いだけは感じました(笑)。
木村 演習問題と、その解き方と論証例──解答例のようなものですね、が付いています。私が首都大に赴任してきてすぐに法科大学院で講義をさせていただくことに なって、演習書として、これまでの本にはやっぱりいろいろ不満があったんです。それで何か工夫をした本ができるのではないかと思ったのがきっかけです。
柿内 教壇に立って必要性を感じた本なんですね。
木村 これは書評してくださった先生も言ってくださってるんですが、これまでの法科大学院生、あるいは法科大学院でなく、法科大学院の設立する前の法学部の本も そうなんですけど、問題は付いてるんだけど、問題に対する解説が問題を解くために十分な形になってないという不満がやっぱりありまして、問題をきちんと解 けるようにするには、こういう本じゃなきゃいけないんじゃないかと思いました。
柿内 だから法学を学ぶ学生さんたちから喝采を持って受け容れられたんですね。
木村 それから、司法試験の受験という業界ですと、司法試験予備校が発達をしていて、演習書というと、やはりその予備校が出されている本がメジャーなんです。講 師の弁護士さんたちが書かれたそういう本というのは確かに学生さんに寄り添って、非常に読みやすく、わかりやすく書いてあるし、おもしろい本が多いんです けれども、やはり学者の立場から見たときに、「ちょっと情報が古いな」とか、「ここはもっとおもしろい学説が出てるんだけど、それはぜひ教えてあげてほし いなという」そういう部分がいろいろありました。ですのでそれを盛り込んで、予備校の方々に負けないくらい面白く受験のためになる、かつ最新の学術水準を 踏まえている本を書いてみたい、という趣旨で書いた本ですね。
柿内 予備校の書き手の方は、やっぱり新説を取り入れるのは遅くなってしまう?
木村 最新学説を知るには、やっぱり専門に勉強していないといけなくて、予備校の先生は弁護士と兼業されている方も多いですし、いろんな科目を教えなきゃいけな いということで、教科書を比較して読むということはしても、なかなか専門論文を集中して読むという時間は取れないと思うんですね。
平林 「最近の論文で、何か新説が出てるかな……」というようなことをやっている余裕はないということですね。
木村 おそらくないと思いますし、あったとしても、「これが正しい学説の理解だ」というふうに言いにくい立場におられるので、結果として、ちょっと古めの説で書かれる方が多いと思います。
平林 例えば、「縄文時代の遺跡から水田の跡が発見された」と報道があったけど、教科書では、「水稲耕作は弥生時代に始まった」となっている。学校の先生は、教科書の通りに教えました……みたいなことですよね。
木村 そういうことが多いわけです。
平林 でも、学者の目から見れば証拠は出ているわけですよね。
木村 そうですね。だから、それは学者としてやはり採用したい。また、法科大学院というのは、専門課程として実務家の卵に最新の学説を勉強してほしいという趣旨 もありますので、そういう方にぜひ新しい学説、あるいは、最近では学会ではすでに常識になっているんだけれども、まだ教科書レベルになってきてないような 学説を知ってほしいという意識がありますね。
平林 やっぱり法学の世界でも、教科書が書き換わるには、5年10年単位の時間がかかるんですか?
木村 もちろんそうですし、やはり教科書を書かれる先生っていうのは、非常に大家になってから書かれますので、われわれの世代の言葉として、われわれの理解を届けるというのは、だいぶ先になってしまうと思いますね。
平林 お年を召した方が書く利点というのも、あるとは思いますが、そういうものしかないのはバランスが悪いですよね。
木村 ええ、それを補うという意味で、ぜひ読んでいただきたいと思うんですね。前書きにも書きましたが、法科大学院生の方はもちろん、法学部で憲法の基礎を一通 り勉強された方であれば、読みこなして頂けると思います。この本の中で紹介してる例ですと、最近社会的なイシューになっている日の丸、君が代の問題があり ます。
柿内 日の丸、君が代の問題というと、小学校の入学式なんかでの扱いですか。
木村 そうです。起立しろとか、歌えとか、ピアノ伴奏しろといった業務命令に対して、教員がそれを拒否するというケースがいくつか出てきていて、裁判にもなっているんですが、典型的な憲法学の反応というのは、「これは思想・良心の自由の侵害だ」っていう主張です。
平林 僕、残念ながらそこはあまり共感できないんです。
木村 いや、まさにそうなんですよ。その争い方というのは、非常におかしいと私は考えます。社会に向けて発信したときに、説得力がないと思うんです。学校の先生 が業務として命じられた、入学式での起立や君が代の斉唱といったものについて、父兄、子どもの前で職務命令を公然と拒否をしているわけです。それを思想・ 良心、自分の自由だからって主張すると、おそらくみんな「何を言ってるんだ?」と思うのではないか。警察官が、「やっぱりこの犯人は捕まえたくない」と 言ってるのと同じで、不審に思う方の方が多いと思うんですよ。
柿内 僕もそうですね、おかしいと思います。
木村 私が提案している理解の仕方というのは少し違います。事例をつぶさに見ていくと、どうもその先生が日の丸、君が代に反発する気持ちを持っていることを理由 に、あえて厳しい状況に追い込んで、いじめをしているようなケースもまま見られるんです。代替手段があるのに、あえて「ここにいろ」「ここで起立しろ」と いうことを言ってる。これは君が代、日の丸でやるから難しいんですが、例えば入場の音楽が『となりのトトロ』のテーマ曲「さんぽ」だったとします。「歩こ う歩こう、私は元気」という歌詞について、障害者の子どものことを考えると、とてもその場にはいられないと考えてしまう先生がいたとき、その先生に対して 校長が無理やり命令を出したら、恐らくパワハラと認定されるんじゃないかと思うんです。
柿内 おお、そういう視点に!
木村 思想・良心の自由みたいな大きな概念で闘うのではなくて、「これはパワハラと一緒ではないですか」と言ってみることによって、問題をクリアに表示すること ができるんじゃないかということを提案してるんです。この説は残念ながら、まだまだ学会でも知られていないんですが……。しかし、非常に説得力があると自 分では思っています。そういう見解をぜひ知ってほしいという気持ちがあって、『憲法の急所』には新しくて、魅力的な見解をいろいろ盛り込んでいます。
柿内 おもしろいですね。いや、どのフレームでその問題を見るかによって、現象は同じでも全然変わってくるんですね。
木村 そうなんです。例えばスポーツの例が非常に簡単ですけど、まったく同じ手でボールを持っているという現象も、サッカーのルールで見たらそれは反則というこ とになり、バスケットボールのルールで見たら、反則にならない。ですから、新たなものの見方を提案することによって、より魅力的な社会をつくっていく。そ れが法学の仕事だと思います。
柿内 いや、おもしろいです! 視点の柔軟さ次第でここまで変わるとは。
木村 君が代訴訟で一つやはり原告に不利なのは、そういう自ら自分に不利な問題設定をしてしまっていないかということ、私もずっと考えてますね。
平林 それが、思想信条のというところですね。
木村 そういう戦い方をすると共感も得られないし、責任ある裁判所が、思想信条であれば命令に反していいという判決は書けないですからね。
平林 でも、原告の信条として、そこで闘いたいということなんですよね、きっと。
木村 もちろんそうです。ただそれに対しては、当然ペナルティがあると思うんですね。そこを自覚して、それでもやる。それは一つの立場だと思いますけど、戦略的 にそこだけに偏ってしまう、あるいは盲目的にそれしかないと思ってしまうのは、ものの見方が貧困になっていくんじゃないかと思うんですね。
平林 自分の考えとか、信条みたいなものをどう世の中のルールみたいなものとかみ合わせていくかというのが、法律の面から見ても、いろいろやり方があるんですね。
木村 ラインとしては、先ほど言ったように、いじめをやっちゃいけないとか、病気になるぐらいに追い詰めちゃいけなというルールはあるので、そういうラインで戦うべきだったんだろうと思うんですよね。
柿内 いやあ、めちゃくちゃおもしろいです!
平林 ところで、憲法というのは、われわれ一般の人にとってワンフレーズで言うとどういうものなんでしょう?
木村 そうですね、一言で言うと「ものの見方」でしょうか。憲法を学ぶことで、日本社会の見方がわかる。多くの人が前提とし、また前提としていくべき「ものの見方」がわかるということになりますね。
柿内 「ものの見方」なんですね。
木村 そうです。それが一つの「ものの見方」に過ぎないという面と、しかしながらわれわれを強く拘束している不思議なものだという、ふたつの面があります。しかし、これは客観的にごろっと存在するものではないということですね。いろいろある中の一つという趣旨です。
柿内 日本国憲法……習ったのかな……? ほとんど記憶にない……。
平林 いや、習いましたよ(笑)。
木村 公民の時間に習うということになってます。高校ぐらいまでの憲法教育って、いわゆる三本柱って習いますよね。国民主権と人権保障と平和主義でしょうか。
柿内 何かビデオ見たような気もしないでもない……でも、寝てた可能性が高いですね(笑)。
木村 それは、先ほどの縄文時代の例と一緒なんですが、憲法ができた直後に啓蒙としてつくられたパンフレットのようなものが、今の高校の公民を支配している。
柿内 そうですね。だから道徳の延長にあるような感じの押し付けっぽさがあって、いやな感じがしたというか。でも、「日本国民のものの見方」だっていうふうな文脈だったら、それは聞いてみたいなというふうに思いますよね。
木村 そうかもしれませんね。
柿内 兄弟仲よくしなさいとか、食べ物は残さず食べなさいとか、そういう感じで、「あなたたちは平等で何とかなんだよ!」みたいな。
平林 で、これを覚えなさい、試験に出しますっていう。
木村 そういうふうにして嫌いになった人が、法学部で勉強しなおして、憲法っていうのはおもしろいとおっしゃる方もいるんですね。それは逆もいますけどね。すごく理念に心から共感していたら、もっと冷たいもんだったっていう感じる方もいらっしゃいますけど(笑)。
平林 折角の機会なので、憲法9条の問題についても木村先生にお聞きしたいのですが、通常言われている憲法9条をめぐる問題についてはどのようにお考えなのでしょうか?
木村 憲法9条の問題というのは、昔から、自衛隊の合憲性を論点として語られてきました。それは確かに重要な論点なんですが、9条の理念は非武装なのか、それと も平和なのかっていう論点として考えてみるべきではないかと思います。私の師匠の1人である長谷部恭男先生がおっしゃってることなんですけど、非武装と平 和は違うことですよね。平和でなくても非武装ということはありえますし、武装してても平和ということはありえるわけで。どちらのほうが9条の理念なのか、 という問題から考えてみてはどうか。
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
平林 先に平和が来てますね、条文では。
木村 平和主義の条文ですから、非武装よりも平和が大事だというのが原理なんです。「平和のための最善解を取れ」っていう条文ですね。条文自体の解答は「戦力と 呼べるようなものを持っていることが平和のために最善解ではないだろう」ということになっていて、従って「自衛戦争を遂行する能力はダメだけれども、防衛 のための実力は持っていい」という政府解釈につながるわけです。
柿内 なるほど、そういう理屈なのか。
木村 こういう解釈に対して批判が強かったわけですが、長谷部先生は「政府解釈のような立場を批判する人というのは、平和よりも非武装のほうが大事だと言ってい ないか」っていう問題を提起されてるんです。私もそういう問題から9条を読み直すというのは非常に大事なことだと思います。常々議論されている自衛隊の合 憲性とは全く違うレベルの問題ですよね。
柿内 確かに。
木村 平和を実現するために何が最善かという問いなので、それを踏まえると、単純に自衛隊を礼賛するということにもならないし、単純に違憲だから即座に解散せよということにもならない。
平林 今までは、9条の解釈問題として、自衛隊はありかなしかというところを主に議論してたけれども……。
木村 ありかなしかというのは、問題の定式化として、すでに失敗しているということですね。「平和とは何か、平和のために何をすべきか」という問いが正しい問いだと思います。
平林 9条をすごく矮小化した議論をしてたんじゃないかと。
木村 そういう問題提起ですね。法の解釈で大事なのは、条文の細かなところではなく、条文の背景にある原理をまず掴んで、その原理から今の社会を見たときに何をすべきか、ということを考えようということなので。
平林 いや、さきほどの「ものの見方」という視点から言っても、今のお話は刺激的です。
平林 これからの今後の研究者、法学者としての憲法学者としてめざすところについてお聞きしたいんですが、まだすごくお若いので、これから半世紀ぐらい研究者としての生活が、時間があるわけですよね。
木村 そうですね、あるのかもしれないですね(笑)。
平林 きっと目標や野望があると思うんですが、そういうところお聞きしたいなと。
木村 この世界に入るときに持っていた最初の目標というのは、きちんとした体系書を書きたい、ということでした。それからやはり多くの人に届く言葉で、本を書きたいという。
平林 体系書というのは?
木村 体系書は『憲法』というタイトルの、教科書になるようなものですね。この世界では、教科書のことを基本書っていうんですけど、人権と統治機構両方を押さえ た基本書を書いてみたいですね。実は、憲法学の世界では、芦部信喜という大先生が書かれた非常に権威のある基本書があり、10年以上、最高の基本書として 君臨しています。しかし、いくら大先生の基本書とはいえ、それがいつまでも支配し続けるというのは、憲法学者全員の屈辱でしょう。その支配を打ち破るよう な、しっかりとした基本書を書きたいと思っています。もちろん、そのためには、いろいろ勉強もしなければいけないし、考えなきゃいけないこともあります。
平林 では、それは長期的な目標ということですか。
木村 そうですね。人権論のほうはだいぶ書いて来たんですが、統治機構についてはまだまだ汗をかいてきた経験が少ないので、これからもっと勉強していかないといけないですね。
柿内 では、野望のほうは?
木村 講談社学術文庫が大好きなのですが、そこに入るような本を書きたいですね。ということで、いい本をたくさん書きたいというのが、今後の目標です。
柿内 書くことに対して貪欲に、研究の成果をいろんな形で世に問うていくという。
木村 うん、そうですね。あとは、いろんな領域の研究分野とも交流を持ちたいというのもありますね。法学の中でもそうなんですけど、今、建築家の先生とちょっと したきっかけで、親交を持たせていただいてるんですけど、建築の分野というのも非常に社会科学として見たときにおもしろい理論がいろいろあって、そんなふ うに建築学のような、法学以外の分野も勉強をして、視野を広げていくのも目標です。
柿内 最後にちょっとお聞きしたいことがありまして、星海社新書っていうのは、「武器としての教養」というコンセプトを掲げているんですね。これを読んでいる若い世代、ジセダイに対して、「武器としての教養」のテーマに関してメッセージをおねがいします。
木村 あまり教養について偉そうなことは言えませんけれども、私も含めた若い世代は、今の社会が大変厳しいという認識を持っていると思うんですね。そういう状況 の中で、「こうしないとダメなんだ!」というふうにどんどん頭を固くするのもありうる対応だと思うんですが、その結果、かえって足かせになってしまうとい うことが非常に多いと思うんですね。それに対して、「笑う」ということがとても大事なんではないかと思いますね。笑って、おもしろいものを読むということ が私はすごく大事だと思っています。
平林 おもしろいもの、というと。
木村 分野は何でもいいと思うんです。法学でも経済学でも、あるいは理系のものでも、触れてみて、楽しいと思えるものを一つでも多く見つけてほしいと思います。
柿内 やっぱり楽しいというの、重要な動機ですからね。最近は楽しいことがなんだか悪いことのような雰囲気がありますが。
木村 今は震災の影響もあるのか、何となく「不謹慎」という言葉を思い浮かべてしまうのかもしれませんね。「こんなに就活が厳しいのに、へらへら笑ってて、どうするんだ! 楽しいなんてありうるか!」って(笑)。
柿内 ありますね(笑)。
木村 でも、楽しいものでないと、みんな継続できないと思います。
柿内 これまで高校とかで習ってきた先生って、全然楽しそうじゃなかったんですよね……。
木村 教えるほうが楽しくないと、習うほうも楽しくなりようがないんじゃないかと思いますね。もちろん、楽しくないことを教えなきゃいけないことも時々ありま す。でも、それも楽しいことや面白い部分に必ず繋がっていく。だからこそ、そういうときは「申し訳ありませんが、これから1時間寝ないでください」とお願 いをするんですけど(笑)。
柿内 いや、木村先生の講義は本当に楽しそうです。一度受けてみたいです。
平林 星海社で出張講義をお願いしたいくらいです(笑)。
木村 いや、光栄です。でも、学生さんだけでなく、色んな人たちに法学の魅力を伝えていきたいですね。
柿内 今日は長時間にわたってありがとうございました。本当に面白くて、法学に対するイメージががらっと変わりました。
平林 憲法9条のお話もすごく面白かったです。これは是非とも、多くの読者に知って欲しいと思いました。ありがとうございます。
木村 いえ、こちらこそありがとうございました。私も大変楽しくお話しできました。
──2011年12月某日。首都大学東京南大沢キャンパス、木村草太准教授研究室にて。
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木村草太先生が参加されるシンポジウムのお知らせです。
「復興の原理としての法、そして建築」(ポスターのダウンロード)
日 時:2012 年 3 月 23 日(金)18:00~20:30
会 場:建築会館ホール(東京都港区芝 5-26-20)案内地図
主 催:日本建築学会 復旧復興支援部会
協 賛:日本評論社
参加費:無料
申込み:日本建築学会ホームページよりお申込みくださいようお願い申し上げます。お申込みがなくてもご参加いただけますが、お席を準備する都合上、ご協力をお願いしております。
問合せ:日本建築学会事務局教育・普及事業グループ
木村先生のブログでもシンポジウムについてご確認いただけます。
建築家VS憲法学者 公開シンポジウムのお知らせ(2)「木村草太の力戦憲法」
木村草太
1980年横浜生まれ。憲法学者。首都大学東京・東京都立大学准教授。
著書に『平等なき平等条項論』東京大学出版会(2008年)、『憲法の急所』羽鳥書店(2011年)がある。
氏名
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木村草太
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フリガナ
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キムラソウタ
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所属
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首都大学東京法学系
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職名
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准教授
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経歴・職歴
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2003 東京大学法学部卒業
2003-2006 東京大学法学政治学研究科助手(憲法専攻) 2006 首都大学東京・東京都立大学准教授 |
研究分野・キーワード
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憲法
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著書
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『平等なき平等条項論 equal protection条項と憲法14条1項』東京大学出版会(2008年)
『憲法の急所―権利論を組み立てる』羽鳥書店(2011年) |
ブログ
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