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HOME > 連載 > アジアIT闇鍋紀行 > 第6回:中国ライター、農村で入院する

アジアIT闇鍋紀行

第6回:中国ライター、農村で入院する

2014年10月14日 更新
第6回:中国ライター、農村で入院する

 深センの市場で見かけた、怪しげな「農村向けパクリケータイ」たち。
 中国ライターを目指す山谷青年は「農村地帯もカバーせねば!」と勢い込んで、農村地帯に旅立つものの……そこで入院する羽目に。
 貴重な写真も盛り沢山でお送りする第6回です!

ベッドの上で原稿を書く

 2004年、私は雲南省の「貢山」という町の唯一の病院で点滴を受けながら、痒みが止まるのを待っていた。
 検索していただければおわかりいただけるが、貢山は雲南省の西北端に位置する(ほぼ)果ての街だ。
 何もすることはないが、体はベッドの上限定ながら自由は利いた。
 当時としては小さすぎて斬新な、今でいうタブレットサイズのパソコン「Libretto FF1100(東芝製)」を開き、ベッドの上でメモや原稿を書いていた。

 

貢山の街の風景

 

筆者が治療を受けた診療所内の様子

 

 雲南省は少数民族が多い。私自身もアジア人顔だから、どこかの北京語が下手な少数民族だと思われる。姓名を「山谷(つまり姓が山、名が谷だ)」とし受診したのだった。
 私でもわかる言葉で説明を受けると、早速ベッドの上で点滴を打たれた。頼れるのはこの病院しかなさそうなので、素直に点滴を受け入れて、誰もいない入院部屋で小さなパソコンを広げていたのだった。

 

謎のトウモロコシスープ?

 中国ライターを名乗るには中国全土を知らねばならない。都市部だけでなく、農村部も見ておく必要があった。
 深センのケータイ市場で見た農村向け製品がどう売られ、どう使われているのか……それを確かめるために、奥地の農村まで足を延ばそうと思った。
「上海や北京と違って、農村に日本人がいかないし行けないからこそ面白い。実は日本人のビジネスマンからの農村ネタの記事の評価は高いんだよ」と、各誌編集者さんは私の体を張った農村レポートを期待し、暗に注文もしてきていた。

 病院で点滴を受けた時は、貢山からさらにチベット自治区寄りの集落「丙中洛」「秋那桶」から戻ってきたところだった(第4回参照)。
 思いおこせば丙中洛から秋那桶へ向かう未舗装の両側1.5車線の道。2脚の長椅子を乗せ、ほろを付けた地元民向けの軽トラックや、チベットに向けて十数匹のロバでモノを運ぶロバ隊、それにくたびれた洋服を着る人々や、民族衣装を着る人々らと偶に行きかった道。その途中で中国版の民宿「農家楽」があり、そこに入って食事をした。

 

モノを運ぶロバ隊


 農家楽は中国全土にあり、都市郊外の農村にもある。農家楽では、だいたい中国人の中高年が集団で訪れて、地元の農村でとれた野菜や肉を食べ、その後に来訪者が楽しめるように、農家楽が用意しているトランプや麻雀で楽しむ。その最果ての農家楽も、その訪問者は僕一人だったが、受け入れてくれて、その時だけ家族の一員となった。
 日本ボケした私は、「無理して外地の人が飲みなさるな」という謎の地元向け飲み物をノリでガブ飲みした。飲みやすい薄い塩味で、「いけるじゃないですか」とばかりに飲んだ。とうもろこししか栽培していないので、ちょっと変わったコーンスープのはずなのだが、これがよくなかった。
 結果、後日貢山に戻る頃には体中にボツボツができ、我慢できないほど体全体が痒くなっていた。
 謎の食べ物アレルギーである。

 

怒江の民家で食事。この地元産のスープが伏兵だった

 

少数民族地帯にもITは流れ込む

 貢山を中心とした地図を見ていただければわかるのだが、「長江・メコン川・サルウィン川」という名だたる3つの国際河川が、「揖斐川・木曽川・長良川」のように並行し南北に流れ、世界遺産となっている。
 並行はしているが、それぞれの間には高い山脈が阻み、道路もなく、直接川から川へ移動するなら3日の山越え行程が必要となる。
 地図を見ると、さらに貢山の西側に中国国境がミャンマー側にせり出している部分があり、そこに4番目の国際河川「独龍江(ドゥーロンジャン)」が走り、その流域に独龍族(ドゥーロンズー)という中国最少の少数民族が暮らしている。
 平常時から顔にペインティングする彼らに会いに行こうと、そのときを含め2度貢山を訪れたが、独龍江へ唯一繋がる貢山からの道はひどい悪路で、「雨が降った」という理由で車は独龍江へ向かえず、独龍江行きを断念した。

 雲南省は中国の中でも少数民族が多い。
 少数民族が多いということは、車で数分の隣町同士が異民族で、武装こそないが仲が悪く交流が少ないこともざらで、売られている携帯電話の傾向が違ったり、使っているサービスの傾向が違ったりする。
 三江併流のメコン川流域だけは、以前宣教師が布教したころからキリスト教信者が多い。今中国で最も人気なSNS「微信(WeChat)」が、なぜか雲南省北西部のチベット族がすむ地区で雲南の他地域に先駆け、早々から普及して驚かされたこともあった。沿岸部に出稼ぎに行ったチベット人か、沿岸から旅行で来た人が布教したのだろう。

 

こういう家が普通だったのにスマホだのLINEみたいな「微信」だのをやりはじめるから時代の流れは早い

 

 10年前は大きな村にも、日本でいえばドコモショップのようなキャリアショップがあるにはあったが、事務所は小さなもので、低価格なフィーチャーフォンしかなかった。ノキア製やソニーエリクソン製(当時)もあったが、深セン発の著作権無視のケータイや、果たして人気なのだろうか、タバコ型のケータイなどが売られていた。
 また今と違って、都市部でもケータイ利用者が多くなかったので、ましてや農村部ともなれば、一人に一台ではなく一家に一台あればよかった。

 確かに深セン産ケータイはここでも売られているが、もうちょっとアクセスのいい農村部の街のほうが、農村部の人々のハートを射抜く、キンキラでクリスマスツリーのように電飾が輝くケータイが多数売られている。リサーチという視点から考えれば、奥地に行きすぎてはインパクトはあるが、やりすぎのようであった。

 

奥地で起きる”思い出破壊行為”

 どの少数民族であるかを問わず、10年前の村を振り返ると、まず建物が違って味があった。「古鎮(旧市街)」旅行が注目され、一時期は古鎮本が多数出版された。

 古鎮本の出版ブームが起きたころは、中国の辺境にまだ日本人も外国人も多かった。雲南省の観光地「大理」や「麗江」には、中国人観光客はまだまだ少なく、まったりと滞在する外国人バックパッカーが目立った。
 やがて中国人が金を持ち始め、2007年くらいには、車で秘境を巡る本が目立ち、観光地でデジタル一眼レフカメラを所有する中国人観光客が目立ち始めた。雲南の著名観光地からマイナーな観光地まで、中国人観光客だらけになり外国人観光客が激減した。

 どの村も「新しいものが正義」とばかりに、古い家々を壊し、原型をとどめない「新しい旧市街」を作り直すという”思い出破壊行為”が雲南省各地で起きた。いや、見たいのは年月が経過したくたびれた家なのだが、その辺の常識は我々と違う。

 そんな農村だが、人々にとって昔も今も家電よりも携帯電話、携帯電話よりもバイクが大事なモノだ。10年前は家庭訪問するとテレビはあっても洗濯板の家がザラだったし、テレビの無い貧しい家もあった。
 今でも洗濯用のため池で洗う光景は雲南省の村々ではよくある景色だ。大きくペンキで壁に描かれた「中国移動の通話代が安い!」といった手書き広告と、「バイクとケータイとテレビはこれが安い!」という家電屋や百貨店のチラシが集落の道の貴重なショッピング情報だった。

 

怒江にも電信会社はあるにはあった

 

 2008年くらいまではケータイで遊ぶ人を見ることはなかった。だが今は綺麗なキャリアショップが並び、なんとiPhoneや最新のAndroidスマートフォンまで何でも買える。
 農村の中心の町には3Gの電波も入る。1万円でお釣りがくるスマートフォンも普通に売られている。ブロードバンドは各村に届き、村の商店の人々までスマホで”ながら仕事”をするという、なんとも味気ない状況になっている。
 中国の庶民向けアパレルブランドショップまでも農村部に進出し金太郎飴化し、中国での旅情を感じる光景はだいぶ減ってしまった。

 

スマホはあっても医療はない

 

受診した怒江の診療所の様子

 

 情報機器は普及したが、変わらず不便なところもある。医療や道路インフラは奥地ではなかなか状況が変わらないので、特に小さな病院では薬がなかったり、手術もできなかったりする。
 そううると、病気や怪我をした場合は、大都市に行かねばならない。私が貢山で会ったチベット族の女性は、貢山からラサまで8日かけて病院に通っていると聞き、スケールの大きさに驚かされた。

 上海や北京を筆頭に、大都市ではITと医療のそれぞれが発展している。でも農村部、ましてや奥地では、入院した病院の貧弱な薬品の備蓄を思い出すに、きっとまだ医療環境は大きな改善はないだろうし、先進国の農村部で見られるような医療とITの融合は考えづらい。

 

 痒みが止まらず、貢山の市街地を20分ほどでぐるりと歩いて一周すると、個人商店サイズの診療所が2,3軒、それに個人病院サイズの病院が1軒あった。
 昆明の中国人に教えてもらったのは、前者はやぶ医者なので行かない方がいいとのこと。後者は病院とはいえ、薬局を兼ねる入口の部屋と、2床のベッドを備えた入院部屋1部屋があるだけで、女性の看護師がひとり立っているだけだ。
 どう見ても薬品も機材は不十分で、陸の孤島版「Dr.コトー診療所」の世界である。だが選択肢はない。
 意固地にならず、病院に入った。

 似たような症状で病院送りされる外地人は多いのだろうか、斑点だらけの足を見せるや点滴をうたれ、1日ベッドでのんびりしていたら、翌日見事に痒みがとまったのである。
 連載が少なかった時期だからこそできた無茶だった。

 

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ライターの紹介

山谷剛史

山谷剛史

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東京電機大学卒。SEを経て中国やアジアを専門とするITライターとなる。この道12年。バックパッカー並の予算で、現地の消費者に近い目線での取材を行う。そこから生み出される、独自の切り口の記事に定評がある。著書に『新しい中国人 ネットで団結する若者たち』(ソフトバンク新書)など。「ITMedia」「ASCII」「東洋経済オンライン」「ダイヤモンドオンライン」 「JBPress」などの系Webメデイアで連載を多数持つ。

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