早稲田大学で「実験経済学」の教鞭をとる竹内幹先生へのインタビュー、後半です。
今回は先生が経済学に行き着いた経緯や、そもそも経済学というのはどういう学問なのかというお話。さらには、日本の企業に足りない視点についてもお話しいただいています。経済学はもっと使える! 知的でエキサイティングなインタビュー、後半の始まりです。
取材:竹村俊介 撮影:尾鷲陽介
先生はもともと経済学に興味があったんですか?
竹内 経済学には、昔から興味がありました。
経済学とのいちばんダイレクトな接触は、たぶん高1の政治経済の授業かな。非常に面白かったですね。社会全体の動きを、市場を通じて、数値化して見るっていう。「これを大学でぜひ学びたい」とそのときに思いました。
あと、祖父が2人とも学者だったり、親戚に学者が多く、もともと学者という存在にとても馴染みがあったんです。経済学ってすごく面白いなと思ったので、そのまま学者を志したという感じですかね。
高1で経済学に目覚めるというのは、すごいですね。社会の動きを数値化して見るというのがよほど面白かったんですね。
竹内 そうですね。社会全体を数値化して1つに落とし込んでいく、っていうのがおもしろかったです。
それから、「実験経済学」を専門にしたきっかけはアメリカに留学しミシガン大学に入学したときに、指導教官、恩師というか、ゼミの先生が実験経済学をやっていて、最初はアシスタント的に手伝っていたことです。関わっているうちに「ズバリこれだよね!」と。
ビビッと来たんですね。
竹内 そうなんです。「社会科学」っていうと、現実はとりあえず置いておいて、数式だったり、観念的なところで成り立っていることが多いですよね。まあ、それはそれですごくおもしろいんですけど……。
数式だけで分析していくっていうのが「どうも違うよな」と思ったときに、やっぱりちゃんと実験して、データを見て、「なんでこのデータはこうなっているの か」とか、「人はこういうふうに意思決定するのか」としっかり分析していくっていうのは、すごく斬新で、やりたかったことの一つだっていう確信があったん です。
データと数式の世界というよりも、実験などを通じて分析していくところが面白かった、と。……ただ、それでもやはり「数字」とか「数学」は欠かせないですよね。数学もお得意だったんですか。
竹内 いや、そんなに得意じゃなかったですね。経済学では、数学科や工学科出身の方たちが経済理論の最先端をやってたり、数学オリンピックで入賞するような人たちがけっこう経済学を研究しています。そういう方々もいますから、私自身は数学が得意というわけではないです。
得意ではないのに、面白いと思えたのはどうしてなのでしょう?
竹内 そうですね……経済学って私たちにとってすごく必要で、だけど、言葉で表すだけだと人によって解釈も違うし、意味のブレが大きくなってしまうと思うんです。だから、思い切って言葉をいったん、数値や記号、xやzに置いてみる。すると、話が一気にクリアになるんです。
そして数学の論理というのは、いったんスタートポイントを決めると、あとはもうピタゴラスイッチのように、決まったルートでコロコロコロって結論が出て来るものなんです。しかも、このコロコロ転がるルート、転がり方にはブレがない。まるで自然法則みたいにね。
要はどういうスタートポイントを設けて、どういう結論が見えるかっていうところが、経済学ではすごくクリアになる。だから、非常に議論がしやすいわけです。専門用語とかをそんなに定義しなくても、だいたいなんとかなります。
なるほど。数学だとある意味システマティックに答えが導ける、と。
竹内 もちろん、アイデアは大事ですよ。専門的なアイデア。
アイデア……ですか?
竹内 そうですね……例えば情報の非対称性の話をしましょうか。
ちょっと就活の話をしましょう。
なんで、就活でこんなにみんな悪戦苦闘していると思いますか? 企業側から見ると、まず本当にその人が第一志望で自分の企業に入ってくれるかどうかわからない。そうですよね。なので、一概に「第一志望です」という人だけを採るわけにもいかない。
あるいは、その人に本当に能力があるかどうかわからない。だから、すべての人に対して面接をしたり、結局一度は雇ってみたもののうまくいったり、いかなかったりしてしまうんです。社員側からしても辞めるに辞められない……。 なぜこういうことが起きてしまうのか。経済学でこの労働市場の問題を考える際、最初によく言うのは「情報の非対称性」についてです。要は、その人の能力がわからない。その人の好みがわからない。どういう仕事をしたいのか、本当はわからないわけです。確かに口ではいろいろ言うんですよ。面接でも都合のいいように話す。でも結局、それがどこまで本気なのか、本当なのか確信できないんです。で、それが「情報の非対称性」です。このようなコンセプトを入れて分析すると、言葉だけで考えているより、問題がよりクリアになると思います。
そこでアイデアが必要になるんですね。
竹内 数学は論理の展開をブレなく進められるところがメリットとしてある。一方でデメリットとしては、変数にしにくいようなものを、どううまく変数におきかえるかというところですね。
変数にしにくいもの……。
竹内 変数にしにくいものってたくさんありますけど、例えば「人の命」っていうのも、そもそもそれを変数に置くことだけでも抵抗があります。それはわかりますよね。それで、もし、そういうものがたくさん出てきたら、たとえば「価値観」のようなものが出てきたときに、ブレが出ないようにうまく進めるのは難しい。あるいは、「歴史的背景」があるものっていうのは、経済学の分析ってけっこう弱かったりします。
つまり、「いまどうなっているのか」っていうことを、非常にサイエンティフィックに理解する、あるいはクリアにするのは得意なんですけど、じゃあ、その現状がどう歪んでいるのかっていうのをうまく分析して、その解決策を導き出せるかと言えば、必ずしもそうではないんです。つまり「分析はすれど、解決はしない」という側面があるんです。ただし、実際に解決するかどうかは、その当事者に委ねられているのですから、少なくとも分析はする必要があるわけです。
うーん。たしかに「分析して終わり」ではあんまり意味がないですよね。
竹内 そして、私の授業では再三再四言うんですけど……経済学に対するよくある誤解について触れておきましょう。経済学でやっているのは、あくまで「非常にクリアな現状分析」なわけですよね。そのクリアさに関しては、ほんとによくやってきたと思います。経済学の歴史はたった200年ぐらいの間ですけど、非常にうまくやってきたなと。例えば男女差別という問題なら、男女差別の実態や男女の賃金格差って、経済的にきれいに説明できるわけです。
ただ、ここで勘違いして欲しくないのは、「現状をクリアにできた。だから、じゃあいいや」っていう話じゃなくて、もしそれを変えたいなら、もちろん変えたくないっていう人もいるでしょうけど、もし仮に変えたいなら、その原因を一つひとつ調べて潰していく必要があるわけです。要するに、クリアに理解するところで終わらせて欲しくない。 先ほどの例でいえば、男女差別の構造を経済学を使ってクリアに認識するだけでなく、それをどう変えるのか、自分は何ができるのか、そういうところまで、私のゼミの学生には考えて欲しいと常々伝えています。経済学を学ぶことは意義がありますが、それを振りかざして現状の不公平や不正を説明し、肯定するのは人間として恥ずかしいことだと思います。
そういう意味では、経済学だけで教養をカバーするのは、あまり良いことではないんです。もちろん 経済学は、現状をビシッと見るのはとても強い。そこは良いでしょう。でもそこからどうしたいかを考えていくには、自分にしっかりしたマインドセットがないとダメです。マインドセットをしっかり持ってほしいと強く思いますね。
たしかに、現状をクリアにしたところで、そこで終わってしまっていたら何も変わらないわけですからね。それだけだと、現実をそのまま分析しましたっていうだけで終わってしまうという。
竹内 もちろん、問題を解決するためには、なんで問題なのかを把握するのは大事ですなんですけど……。分析すると、その段階で「あ、だからいいんだ」って思ってしまう人がけっこういます。そういう勘違いはしないでほしい。
人は意外とものごとの背景とか原因、メカニズムを説明されると納得しちゃうところがある。でも、そうじゃないでしょうと。経済学は、そのメカニズムをちゃんと明らかにはするけど、その問題を解決したわけじゃないよ、っていうことなんですね。
分析してわかった気になっているけれど、それでは十分ではない、ということですね。
ちょっと話がずれるかもしれないのですが、経済学っていうのは、やっぱりお金をめぐる問題ですよね。お金が絡んでくる。
竹内 いや、当初は、もちろんそれに着目していたんですけど、要は社会全体でどういう経済活動が行われているか、という大枠で捉えるべきでしょう。経済活動っていうのは、消費も、生産も、投資も全部ですけど、そういうものを全体で扱っている。だから、必ずしもお金じゃない。
例えば、朝何時に起きるかとかも経済学だし、どんな人と結婚するか、どういう職業に就くかっていうのも経済学ですよね。何年働くかっていうのも経済学で、それは必ずしもお金じゃない。
ただ、色々なところにお金が介在しているように感じますし、実際そうですから、どうしてもそこに着目しがちかもしれませんね。でもさっき言ったように、お金の学問では全然ないです。経済学とは、全体を通して見た、人間行動の学問なんです。
そうか、そうですよね。なるほど、必ずしもお金の話ではない……。
竹内 やっぱりお金のように数値にできるものっていうのは扱いやすい面があるんです。さっきも言いましたが、数学を使うとブレがないので、その数字が正しいかどうかは別として、とりあえず数値化されているものって、信頼感を得やすいと思うんです。
例えばIQっていう数字がありますよね。そしてあの数値は、頭の良さの変数みたいによく言われます。でも必ずしもIQの高い人がすごくて、低い人がダメっ ていうわけではないんですね。ただ、IQという数字が出てきたときに、「あ、なるほど」と納得してしまうだけの軸の強さがある。だってその数字のブレは小さいですから
こんな風に、とにかく数字になるものにまず着目するというのは、経済学者の性分なのかもしれません。
IQ180とか言われると「頭いいのかな?」と直感的に思いがちです。
竹内 だから、例えばすごくおもしろいのは、大学のランキングなんかも、いろんな意味でランキングがとれることですね。分かりやすいところで言えば、ビジネススクールのランキングは、入学前の人の年収と、入学後のその人の年収を比べると、差ができている。例えば年収1,000万円の人が年収1,500万円になっ たとか。
じゃあ、そのビジネススクールがどんな付加価値をつけたかというと、その人の年収を500万円分上げたんだというわけです。そうすると、 卒業生の年収アップ分を合計すれば、ビジネススクールがどれだけの年収アップに貢献したかっていう数値で、ランキングをとることもできるわけです。もちろん、必ずしもそれが本当にいいランキングかどうかはわからないですが、1つの見方としては充分に機能するでしょう。
数値とかランキングってなんか恐いですね……。ハッキリ出てしまうわけだから。
竹内 こういう側面があるから、やっぱり何でもとりあえず数字にできることにはまず着目するという癖が出来てしまっているんです。それがいいことかどうかは別としても。もちろん数字だけに注目してしまうと、数字にできない部分は無視するとか、そういうデメリットな側面もあります。けれど「数字にできる」っていう視点は、絶対に重要なんだと思います。
その点、お金って全ての人に共通です。どの人の1万円札にも必ず福澤諭吉が印刷されているように、わかりや すい指標の1つとしてお金を見ることは、非常に多い。そう考えると、お金を扱っている学問という側面はたしかに多いですね。そういう部分は誤解されつつ も、非常におもしろい。
たしかに「お金」は共通したものだからブレが少なそうですね。
竹内 経済学っていうのは、共有できる尺度を見つけることなんです。例えば人の痛みって、共有しにくいですね。もちろん、いろんな1から10までとか、よく「どのくらい」って言いますけど、やっぱり難しいですよね。
でも、すごく変な例を挙げて言うとしたら…例えば腕にバチッと、しっぺを30回されるとしましょう。それで、そのしっぺを一回減らすのに、あなたならいくら 払うかとかね。もうほんとにしっぺが嫌いな人は、もう「一回1万円でもいいから、30万円払うから叩かないでくれ」って言うわけですね。そんな人いないと思うけど(笑)。人によっては、「べつに30回くらい気にしないよ、お金なんか払えない」なんて言ったりするかもしれませんね。こういうことをすることによって、その人が本当に痛がっているのかどうかを、お金という共通の尺度で測れるわけです。
今の例みたいに、痛みの尺度というのは主観的で分からないかもしれないけれど、いったんお金を通して考え直してみると、ある程度は客観的に推測可能かもしれない。
お金に変換してみるといろんなものが見えてきそうですね。面白い。数値化することってイメージ的にはなんだか「冷たい」というか「残酷」なイメージもありますが、メリットもやはり大きい、と。
竹内 例えば料理を作るとき、レシピってあるじゃないですか。食材の分量とか書いてありますよね。あれ、昔はよくわかっていなかったんですよ。
で、香川綾さんという方がいるんです。この方は、女子栄養大学の創設者ですが、実は日本料理のレシピを数値化したのは彼女なんです。
へえ……昔は日本料理はレシピになっていなかったんですね。
竹内 レシピのなかった頃は、長年料理をやってきた人たちに「作り方を教えてください」って言ったって、数字で教えられるものじゃなかったんです。それこそ高級料理店だったら、若い見習いの時から「バカヤロー」とか怒鳴られながら、まず何年か下積みして、ようやく板前修業ができたそうです。しかも、技術は盗むものだとも言いますし、高級料理には、そういった経験と長年の勘が生きていたわけです。
そこで香川先生はどうしたかというと、あらかじめ食材や調味料を計量しておいて、その上で一流の料理人に料理を作ってもらう。そして、残った食材と調味料から、使用された分を計算したのです。当時は、計量カップとか計量スプーンがまだなかったですし、見ないでもさらさらっとできる。だけど、普通の人が料理人の味を再現するために同じことをやったら、やっぱりずれてしまう。私も料理するようになってから分かるようになりました。あの計量スプーンを使わないと、なかなかちゃんとした味にならない。
数値化したわけですね。
竹内 そうです。香川先生がレシピを作ろうとしたのが70年ぐらい前でしたかね。20世紀前半にそうやってつくって、最初はね、プロの人たちに「俺たちの勘が……」とか「料理なんていう、愛情とか経験でできるものが測れるはずないだろう」って言われたそうです。ところが、じつは測ることによって、万人にも、 完璧に同じ味にはならないけど、かなり近い味で作れるようになったんですよ。
レシピの話はわかりやすいですね。
竹内 香川先生はすでにお亡くなりですが、彼女がレシピと計量スプーン、計量カップをつくったんです。あとは時間の数量化。例えば、「火が通るまで」じゃなくて、だいたい何分なのか。素人だとわからないですよ。「玉ねぎがカラメル色になるまで」なんて言われてもわからなくて、だいたい10分かかるから、焦げない程度に火を入れていください、と。そういう話なんです。経済学も似たようなことをやっているんだと思います。
それでまた全体のレベルがアップするわけですからね、いいことですよね。
竹内 数値化ができれば、多くの人にそれが共有されて、その共通の土台をもとに議論を先にすすめることができます。これがとても重要でした。
グラフや表とにらめっこして、難しい計算をするのが「経済学」というような漠然とした変なイメージがあったのですが、経済学って問題解決にはすごく使えるんですね。数値化することでいろいろ見えてくることもあるし、人類全体のレベルアップになる。
そう考えると、「出版界では本が売れない!」なんてことも言われますが、もしかしたら経済学で答えが導けるかもしれない……。
竹内 「なんで売れるのかわからない」という編集者は、逆に売れている編集者をよく観察すべきでしょうね。「俺もなんで売れるかわからないんだよ」って言われるかもしれませんが、とにかく観察すべきです。その売れている人は、実は、意外なところに注目していたりするかもしれないですよ。
感覚に頼らずに、まず観察ですね。
竹内 あとは、実験的にいろんな表紙をつくってみて、販売ルートをちょっと変えて書店に並べてみて、実際どの表紙がいちばん売れるのかを試してみたらいいんじゃないでしょうか。
そう。いまだに出版社がなんで毎回毎回、似たような雑誌を出すのかが不思議なんですよね。ちょっとデザインを変えたものを別店舗で売れば、一瞬にしてどっちのデザインがいいかわかるでしょ。
デザインを決めるときって、デザイナーさんと編集者で「う~ん、今回はこれで」とかってやるんでしょうけど、でもそれもほとんど勘ですよね。
(笑)たしかに。過去の経験とかいろいろ踏まえますけど、言ってみりゃ「勘」ですね。
竹内 だから、例えば毎回デザインを2種類つくってその売上データを、3年分でも積み重ねればいい。色、フォント、文字の大きさなどについて統計をとるんです。統計を取れば目に見えてはっきり分かるのに、どうしてやらないのかなと思います。
内容は一緒で、表紙だけ変える。そうすると、純粋に表紙だけを比較できますから、その表紙だけの効果が見えますよね。これが、つまり実験とかサイエンティフィックなアプローチなんです。絶対に役に立つはずで、やればいいのになと、私なんか思う。
そう言われてみると、なぜやらないのでしょうね。余裕がないのかな。でも余裕がないからこそやるべきですよね。経営にも役立つサイエンティフィックなアプローチ……今日はたいへん勉強になりました。ありがとうございました。
(終了)
竹内幹
1974年東京都生まれ。一橋大学大学院経済学研究科准教授。一橋大学を卒業後、ミシガン大学で経済学Ph.D.(博士号)取得。カリフォルニア工科大学研究員を経て、現職。専門は実験経済学。2児の父親であり、共稼ぎ育児5年目。
氏名
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竹内幹
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フリガナ
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タケウチカン
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所属
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一橋大学
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職名
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准教授
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経歴・職歴
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1998年 一橋大学経済学部卒業
2007年 ミシガン大学経済学部よりPh.D.取得 2007年 カリフォルニア工科大学研究員 2008年 一橋大学大学院経済学研究科講師 2011年 一橋大学大学院経済学研究科准教授 |
ブログ
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