リビア人の父親と日本人の母親を持つ青年、アーデル・スレイマンさん。
昨年のリビア争乱の際、メディアで取材に応える彼の姿に接した方も多いだろう。
近ごろではリビア情勢に関する報道はめっきり減ったが、彼の活動はもちろん続いている。震災支援とリビア支援、そしてこれからの話を聞いた──。
取材・構成:平林緑萌(星海社) 撮影:尾鷲陽介
昨年お会いしたときは、まだカダフィが健在でした。その後、まさに『独裁者の教養』が刊行されるかというときに死んでしまったわけですが、カダフィが死んだことというのは、やはり大きかったですか?
アーデル すごく大きかったと思いますね。8月20日にトリポリが解放されて、カダフィ側に残った大きな都市は3つだったんです。その時点で暫定政府は2つやることがあったと思うんですよね。その1つは、カダフィには関係なく、新しいリビアをどんどんつくっていくこと。もう1つは、カダフィというのは、喉に突っかかった骨じゃないですけど、一定の勢力を持ってどこかにいるというのは良くない。せめて捕まえるなりしないと、落としどころが悪いというのはずっとあったと思うんですよ。
結果、10月20日に捕まって、死んでしまいましたね……。
アーデル 率直に言うと、死んだことは非常に残念だと思います。カダフィ政権42年間の清算ができなくなってしまった。別に直接聞けるわけじゃないですけど、カダフィ自身にもしゃべることはあっただろうと思うんですよね。彼はたぶん、フセインと同じように、絶対間違ってないと言い続けるとは思うんですけど、それはそれとして、捕まえてほしかったとは思います。
あれは、意図的に殺されたんだと思いますか?
アーデル いや、現場の雰囲気による暴発だと思います。僕があそこにいても、そういう気分になっちゃうと思うんですよね。
というと?
アーデル 捕まえた人たちは、ミスラタという激戦地出身の兵士たちなんです。映像を見ると、「俺たちはミスラタから来たんだ」ってずっと言ってるんです。要は、「俺たちは、お前が殺した人たちの親族なんだ」と言っているわけですね。そういう雰囲気の中で、彼らは冷静を保とうとしていた。すぐに殺さなかったのは、むしろ偉いと思うんですよね。でも、やはり誰かが暴発してしまった……。それはしょうがないと言えばしょうがない。むしろ、あそこで感情をコントロールできたほうが、人間としてはおかしいのかもしれない……。
極限状態だったんですね……。
アーデル ですから、残念だとは思うんですけど、リビアのことを考えるとあそこでカダフィが死んだのは正解だとも思うんですね。もしカダフィが生きて、裁判になるという話になったら、とてもじゃないですけど今の暫定政府の憲法だったり、法的機関であのレベルの人を裁けるわけがないと思うんです。リビアの復興というテーマよりも、カダフィの裁判というのがメインになっちゃうと思うんですね。ICCやICJ、アメリカなども関与しようとしてグチャグチャになると思うんです。
イラクは結局そういう感じになっちゃったんですよね。
アーデル そうなんですよ。感情論とか自分の話を抜きにして、リビアのためって考えたら、たぶん正解だった。リビアがもっとも速いスピードで復興できる方法だったのかなと思います。
亡命した家族なんかはどうなるんですかね。
アーデル 1人はニジェールで亡命を受け入れられたんですね。なので、基本的には取引はできないようになっちゃったんです。
サッカー選手だった人ですね。
アーデル そうです。娘や奥さんはアルジェリアに亡命しました。アルジェリアとリビアというのは、犯罪者交換の条約がないので引き渡す義務はない。国外から暫定政府を脅かすような活動があるのであれば、亡命した家族についても何らかの対応をとるとは思いますが、今のところそれはないですね。もちろん、汚職とかはあるんですが、プライオリティは低いと思うんですよね。追求してもお金が戻るわけじゃないので。
リビアが復興していけば、彼らの存在も取るに足らないものになるだろう、ということですね。
アーデル でも、復興も難しいですよね。ここからが本番ですね。
いま、アーデルさんの目から見て、新しい政府はうまくやっていると思いますか。少し前に閣僚の暗殺もありましたが。
アーデル それ、実は話すとすごく長くなるような、映画みたいな話があるんです。でも、いま与えられた素材に関してはうまくやってると思います。もちろん行き届かない部分はあります。国の運営についてはアマチュアな部分もありますから、キャパオーバーだと思うんです。さらには国民が理解していない部分というのがたくさんあると思うんですよね。この42年間、本当に少数の人たちしか政治に関与してこなかったので。
「選挙って何?」っていう感じですよね、きっと。
アーデル そうなんですよね。選挙や暫定政府の役割というのを、あまり理解していない人たちがたくさんいるんです。たとえば、「暫定政府は俺たちが選んだものじゃない」という批判があるんです。「こんなの独裁と変わらないじゃないか」みたいな。なので、知識人が集まって「世界には共和制だったり、両院制だったり、いろいろな政治制度があるんだよ。リビアには何がいいかというのを自分たちは考えるべきだよ」っていう勉強会も行われています。
自分たちが選んだからといって、必ずしも自分たちのためになる政治をしてくれるとは限らないですからね。
アーデル リビアが本当に自分の足で立てるのは10年後だろうと言っている人もいます。僕もそう思うんですよ。何度か選挙を経験しないといけない。また、身を守るために県レベルで武装勢力というのができているんですが、彼らの武器を回収したり、国家の下にまとめていくのは難しい課題だと思います。イラクみたいになっちゃうんじゃないかという危惧もある。でも、あれだけ激しい戦闘をやって、そんなすぐシュッとなるほうがおかしいでしょう(笑)。
確かに(笑)。では、気楽に旅行に行けるようになるのは何年後ぐらいですかね。
アーデル もうちょっとかかりますよね。町がボロボロになっちゃってるという部分があるんですよね。治安の部分でも、カダフィ時代よりは若干悪化していると思います。銀行に行っても、紙幣不足でお金が下ろせないという話も聞きます。もう少し時間は必要だと思います。
国旗はカダフィ以前のものにもどったんですよね。
アーデル 三色国旗になりました。
あれは、確か王政時代のものですよね。
アーデル あの三色旗を採用したのは、決して王制を懐かしむような意味合いではないんです。元々、イタリアからの独立のときに掲げられたものですから、「もう一度独立する」という意味合いで採用されたんです。まだ時間がかかると思いますが、今度こそいい形で独立国家として一人立ちしていきたいですね。
将来はメディア関係のお仕事を志望されているということですが、そこに至るまでのお話を聞かせてください……と言って生い立ちから聞いちゃうわけですが(笑)。たしか、お生まれは九段下でしたよね。
アーデル そうですね。87年に九段下で生まれました。靖国神社が近所なんで、よく境内で遊んでましたよ(笑)。
6歳でリビアに行かれるまでは、ずっと日本にいらしたんですか。
アーデル そうです。日本語しか喋れない普通の子供でした。でもやっぱり、見た目が違うというのはあるんですよね。それをマイナスな意味でも捉えられるわけですよ、子供なので「みんなと一緒じゃない」という……。
ということは、家庭の中では日本語だったんですか。
アーデル 基本的には日本語でした。知っているアラビア語なんて、「おはよう」「おやすみ」とか、1から10とか、そのぐらい。リビアに行って、父の実家に住んだんですが、親戚の人数がすごく多くてカルチャーショックでした。ただ、子供って吸収が早いんですよ。3カ月ぐらいで日常会話をマスターしてしまう。そうすると一気に世界が広がるんですよね。
それは劇的な体験でしょうね。
アーデル 「世界って広いな」と思いましたね。その体験もあって、高校を出た後、すぐ大学に進学したくないと思ったんですね。6歳でリビアを見たみたいに、もっと他の世界が見たいと考えていたんです。
それでピースボートに入られた。
アーデル ピースボートに参加して、すごくいろいろなものが見られたんですよね。その土地の考え方、風習、文化……世界は広いし、やはり自分で行ってみないとわからない。そして、それらを知らない人たちに伝えていきたい。それがもうちょっとまとまっていって、報道なのかな、メディアなのかなというふうに。
「じゃあ、メディアなのかな」と思ったのは、どのぐらいのタイミングなんですか。
アーデル そうですね。やっぱり19、20歳ぐらいだと思いますね。
その後、ビジネスマンをされていたこともあるんですよね。
アーデル そうです。その後に通信社に入ったんですね。エリコ通信社というんですが……これがその名刺です。
これはどういう会社なんですか。
アーデル 同行通訳、文章の翻訳、アラビア語ならなんでもやる会社です。
メインは報道関係ですか。
アーデル そうですね。たとえばアルジャジーラを見て、外務省に毎日レポートを出したり。
知られざる世界があるんですね。
アーデル ピースボートをやっているときも、通訳の重要性は実感しました。黒子ですけど、通訳がいることで共通言語を持たない人同士がコミュニケーションを取れる。すごいことです。ただ、やはりそこで働くに至ったのも、そろそろ大学に行こうというのあって、ピースボートから大学までの間、もうちょっと意味ある、ワンステップをと思って通信社に入りました。
自分に大学に入っていいという許可を下せるまで、ハードルが高かったんですね。
アーデル そうですね。とくにピースボートに入ってすぐの頃は、大学には行かなくていいんじゃないかなというベクトルのほうが強かったんです。日本語とアラビア語が使えるし、という。リビアにある日系の企業からオファーを頂いていたりもしたんですが、本当にそこが一番おもしろいのかと考えてたんです。そして、報道関係、知らないところにどんどん行き続けることが一番おもしろいのかなと思うようになりました。ピースボートの中で、池上彰さんとか、森達也さんとか、姜尚中さんたちとお会いする機会があったんですが、「とりあえず大学には行ったほうがいい」っていう話が多かったんですよね。かつ、4年間という時間をどう使うかが、大学生活で一番重要なんじゃないかって言われて、「なるほど」と。
いやいや、みんな後悔して、下の世代にはそういうことを言うんです(笑)。
アーデル 確かに皆さん「俺は遊んでたけどね」って(笑)。でも大人が言っていることで間違ってることってあまりないので、大学に行こうかなと思って。学費が高いので、日本じゃなくてもいいなと思ったんですけど、おもしろそうだなと思えた学部があったので、いまのキャンパスにいるんですけど。
学費は自分で払われているんですか。
アーデル 払ってますね。パツパツです(笑)。
それで他人の心配ができるっていうのは、大したもんですね。僕も大学院の学費は自分で払ってたんですけど、正直きついじゃないですか、私学って。
アーデル きついですね。半期ごとに入れるとしても、月に数万円ずつぐらい貯めていかないと無理なので、正直きついですよね。
まだ、それがあと2年半あるわけですもんね。
アーデル 長いです(笑)。卒業時には27歳とけっこういい年になってますし。ただ、30歳までに人生で何をやっていくか一本化すればいいかな、と。
最後の質問です。アーデルさんが、いまされている活動であるとか、これから報道に関わる仕事に就かれたとして、社会に何をもたらしていきたいですか?
アーデル 僕は、世の中はバランスだと思ってるんですよ。全部が善になることはないですし、全部が悪になることもないだろう、と。その比率が一番いいと状態になって欲しい。
といいますと?
アーデル 明らかに不当なことが、いまでもよく起こっているんですね。21世紀なのに、ソマリアで何十万人が餓死している。人権とか、そういう難しい問題ではなくて、それは駄目じゃんというところが世の中にたくさんあると思うんです。そういうのがセイブ・チルドレンとか、広告レベルじゃなくて、当たり前になるような社会が僕はベストだと思うんですよね。原発の話でも、たとえローソクの時代に戻っても、人が死ぬよりは全然いいと思う。かつ、いま生きている人たちが責任を負うのではなく、次の人たちまで負債を負わせることになるのは良くないと思うんですね。大人の事情を考え出すと難しいので、一般的に考えて、「これはちょっと良くないよね」というのは変えたほうがいいですし、それを変えられる何かの火種じゃないですけど、というようなことが、別にジャーナリズムからでなくてもいいですし、草の根で広められたらいいなと思ってます。
今日はお忙しいところ、ありがとうございました。今後のご活躍、楽しみにしています!
アーデル こちらこそ、ありがとうございました。
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