リビア人の父親と日本人の母親を持つ青年、アーデル・スレイマンさん。
昨年のリビア争乱の際、メディアで取材に応える彼の姿に接した方も多いだろう。
近ごろではリビア情勢に関する報道はめっきり減ったが、彼の活動はもちろん続いている。震災支援とリビア支援、そしてこれからの話を聞いた──。
取材・構成:平林緑萌 撮影:尾鷲陽介
『独裁者の教養』の取材ではお世話になりました。ご無沙汰しています。
アーデル お久しぶりです!
アーデルさんの行動力は社会人顔負けだと思うのですが、まだ学生さんなんですよね。
アーデル 慶應の2年生です。普段は、SFCと呼ばれている藤沢のキャンパスに通っています。SFCの学部は基本的に必須科目と呼ばれているものがほぼないので、自由に講義を選択しつつ、並行して色々な活動をしています。
前回お会いしたときは震災から日も浅く、震災ボランティアの活動をされていて、しかもその活動を単位として認めるようにと大学側に掛け合うというのをやっておられたと思うんですけど。
アーデル ええ、単位として認めてくれるよう教授や学部長に話をしたんですけれども、SFCだけでは決められないし、全学でやるのはなかなか難しいということでした。ゼミや研究会で個別に申請すれば不可能じゃないということでしたし、単位として認められるかどうかは本質ではない。そこで、別な方法で自分たちが大学内でアピールをして、ボランティアに協力してくれる学生を集めようと活動したんですが、思ったほどの反響はなかったですね。
時間が経つにつれて、学生の関心というのも離れて行ったんでしょうか。
アーデル それもあると思いますし、やはり学期中に1週間単位で休むのは厳しいんですよね。だからこそ、単位として認めて欲しいという要望を出したんです。できるだけ違う大学の人にもコンタクトをとって、最終的にはそれなりの人数が集まってくれたんですが、かなり苦労はしました。
今も震災ボランティアは継続はされているんですか。
アーデル もちろん継続しています。ただ、その団体の方向性を若干変えようとしているんですね。当初は泥出しや支援物資配布がすごく大事だったんですが、今はそこから仮設住宅や港の復興へと、ステージが変わっている。
専門的な技能が必要になってくるということですか。
アーデル そうですし、そこに行って初めてやり甲斐がわかるような仕事も多くなってきました。そこで、震災ボランティアをやっていた団体の性格を少し変えて、プロジェクトとして震災復興をやり続けつつも、別の活動もやっていこうとしています。
震災ボランティアとしての一時的なものではなく、継続的な組織として運営するんですね。
アーデル そうです。NGA、Next Generation Ability という名前の団体なんですが、2012年から本格的にさまざまな活動を展開していきます。
なるほど。震災復興ボランティアに限らず、多角化しつつ、今後も継続した活動をしていく団体としてということなんですね。
アーデル それと今、並行してLSAJという「在日リビア人留学生の会」でも活動しています。
リビア人留学生だけの団体なんですね。規模はどのくらいなんでしょう?
アーデル 18人ぐらいですね。在日リビア人が全部で約70人と言われているんですが、留学生限定なので更に少ないんです。ただ、若者限定でなにかやりたいな、と。
(PCを見ながら)あ、フェイスブックページがありますね。Libyan Students Association Japan、なるほど……でもアラビア語なので読めない(笑)。
アーデル ですよね(笑)。LSAJは、2011年の2月に東京のリビア大使館前で、「反虐殺」のデモをやってからのつながりなんです。
あのデモはメディアでも取り上げられましたが、参加者もリビア人だけではなく、「アラブの紐帯」を感じました。
アーデル それがすごく嬉しかったんです。それもあって、デモをやった後すぐ「Save Libya」というプロジェクトを立ち上げようと思ったんです。が、それが震災で流れてしまったんです。そこからはずっと震災ボランティアをやっていたんですけども、ある程度目途が見えたというか、3月とは違う雰囲気になってきたので、6月ぐらいからもう1回、日本の中でリビアに対して何ができるのかというのを考え直そうというので、LSAJという枠を作ったんですね。そこでは18人が集まって、会費を集めて、かつモスクや知人に問い合わせて募金を集める。その募金を、医療支援と人道支援のみに限定してチュニジアに入れていました。
リビアを支援する団体がチュニジアにあるということですか。
アーデル チュニジアにあるのは世界的に有名な団体の支部なんです。なぜその団体を経由したかというと、当時はLSAJのある日本からリビアに直接送金できなかったんです。ただ、日本でお金を集めるのもなかなか難しかったです。
やはり圧倒的に関心が低いですよね。非常に残念なことですが……。
アーデル それまでずっと人道支援だったりとか、医療支援というのにお金をどんどん振り込んでいたんですけども、8月20日にトリポリが解放されたことによってチュニジア国境からトリポリまでの西側が基本的には解放されたんですね。要は、国民評議会、反政府側の手に落ちたということで、物流もなんとなく通るようになりましたし、リビア国内にも世界的な団体とかが入るようになったんですね。
トリポリ陥落はやはり大きかったんですね。
アーデル そうですね、そこで情勢が大きく変わったと思います。その段階で考える事になったんですが、僕たちの団体が集めるのって月に最高で100万ぐらいなんですよ。それを億単位で動いている世界的に有名な団体に入れ続けていていいのか。大きな団体が手を出しにくい、盲点になっているところに使ったほうがいいんじゃないか──。
結果、大きな団体を経由せず、直接支援する方向にシフトする事になったんですね。
アーデル はい。その準備のために、僕を含めて3人、9月の初めにリビアに行ったんです。その時点で既に、義手・義足支援を考えていました。やはり義手・義足が必要になる人たちというのは、すぐ死んじゃう可能性は少ないんです。ただ、足や腕がなくなるというのは、精神的にも大きなことです。その人たちに1人でも多く支援できればということで始めたんです。
日本ではあまり報道がなかったんですけれど、やはり地雷も使われていたんですか。
アーデル ええ、かなり使われていましたね。
正直、日本のメディアではどこの町を巡って攻防が起きているかという報道しかないんですよね。イラク戦争のときはもうちょっと詳しくやったんですが。アーデルさんは、当時アルジャジーラやフェイスブックで情報を集めておられましたが、それに比べて日本国内の通信社の取材力の限界みたいなところがあるのかなと思うんですけどね。
アーデル そうだと思います。同じようにLSAJにも限界があって、我々の規模だと、多くの人を支援できるはずがない。でも、やはり責任を持って自分たちで最後までやりたい。じゃあ、1人にスポットを当てて、その人を100%支援しよう、ということになりました。
なるほど、その一人に関しては全部やる。
アーデル チュニジアに行ったとき、左足を切断した15歳の女の子がいて、珍しく一人っ子で、親も経済的に厳しいということで、この子にできるだけの支援をしよう、と決めました。日本に帰ってきてから具体的に検討しはじめたんですが、日本に連れてくるというのは論外なんです。距離的にも負担が多いし、行ったり来たりがしにくい。日本語しか通じないので、つきっきりのケアが必要ですが、それをできる人はうちのメンバーではいない。
ビザの問題もありますしね。
アーデル そうなんです。リビアもチュニジアも調査したんですが、義手・義足を提供する場所もないですし、リハビリをする場所もない。
お金だけ集めてもどうしようもない。
アーデル 本当に難しいです。いま、候補として上がっているのはドイツです。リビアから近いですし、義手・義足のレベルも高く、アラブ人も多い。具体的な部分が決まれば、いま貯まっているお金で最初の検診ぐらいは行けるんですが。
本格的に動き出したら、成果が目に見える形でオープンにできるので、そしたらまたお金を出そうという人も沢山いるんじゃないかと思います。
アーデル お金を使う先が見つけられないと、なかなかオープンにはしにくいですね。どこで使うかというのを明確にしないと。
震災のときの募金もそうでしたね。
アーデル そうなんですよね。どこで使われるか。これが本当に有効に使われるのかという。やはり継続的な活動には、そういった部分が必要ですね。
(後編へ続く)
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