前編では、実は日本に豊富に存在する「木」をマテリアルやエネルギーに生かせることを語って下さいました。後編では、社会の中の「人」と自然の中の「ヒト」について考えます。「経済」というものに「自然」が絡め取られてしまってはいないか……。経済が行き詰まりを見せる中で、これからの社会がどの方向に進むべきかのヒントが見つかるかもしれません。東京大学農学部の五十嵐圭日子准教授、後編をどうぞ。
取材・構成:竹村俊介(星海社) 撮影:尾鷲陽介
ところで先生は、どうやってこの研究に行き着いたんでしょうか?
五十嵐 大学三年の頃、自分の学部と言うか専門を選ぶときに、ちょうど今所属している学科からダイレクトメールが来たんです。そこに「材料としての木を科学するところです」みたいな謳い文句があって、おもしろいかなと。流行のところに行けるほど成績も良くなかったですし(笑)
偶然だったんですね。その後、この研究に「人生を捧げよう」と思われた瞬間があったのでしょうか?
五十嵐 大学院生の頃、アメリカに留学したんですね。そのときにお世話になってたスウェーデン人のおじいちゃん先生が「おまえは、人間が木から離れて生きられると思うか?」って聞いてきたんです。「木から離れて暮らせないんだとしたら、こういう研究っていうのがなくなるはずがないじゃないか」って。「俺たちは一生、これで食っていけるんだよ」ってスパッと言い切ったんですね。それで僕は博士の学位を取ったあとにどうしてもスウェーデンに行きたくて、留学したんです。
そしたらね、スウェーデンの人ってやっぱり日本人よりももっと「木に近い生活」をしてるんですよね。例えば彼らはストックホルムのどまんなかに家を持ちながら、必ず別荘を森の中に持っているんです。どんな普通の人でも、みんな森の中と都会とに一個ずつ持って。
それは上流家庭だけじゃなくて、一般の人が?
五十嵐 普通のサラリーマンまでもが、そうなんです。しかもスウェーデンの人っていうのは、ただ森の中の別荘に行くだけなんですよ。ただ行って、街にいるときと同じことをするんです。普通にご飯食べたりとか。彼らが言うには、ひと月に1回は森の空気を吸わないと人間はダメになるぞって。すごいですよね。
それが自然に行われるのが良いですね。生活の一部と言うか。なんか日本だとすぐに「流行らせよう」という流れになってしまう。山に登ったら「山ガールだのなんだの」って。トレンドになりがちですよね。
五十嵐 そうそう、そうそう。本当に。
自然科学やる人っていうのは、科学者科学者してるとダメなんじゃないかなって思うんですよね。人や自然が大好きみたいな人じゃないと、やりにくいんじゃないかなって。なんか杓子定規に考えてても、自然のものってそういうふうに動いてくれないですからね。
自然って、意外と「自然」なんです。ナチュラルなんですよ。ナチュラルにいろんなことが粛々と進んでいくわけだけれど、人間って、やっぱりなんか「アーティフィシャル」なんですよ。もう人間の存在そのものが、すごく自然じゃない。不自然なんですよね。
人間って、昔は自然であったはずなんでしょうけど。
五十嵐 人間ってもっと自然に生きられるはず。なのに、いったいどこで自然と分かれていってしまったんだろう、って思いますね。そのときにやっぱり重要なのは、自然っていうものをまず「知る」ってことなんじゃないでしょうか。
世界遺産というものに自然遺産と文化遺産というのがあるのと同じように、やっぱり人間が暮らしてきた証としての文化とか文明というものがあって。一方で、そのもとになるような自然っていうものがあって。人間がいつもこの間を行ったり来たりできるような環境っていうのが作れたら、かっこいいなと思うんですけどね。それこそが、ほとんどすべての人間が求めてる、求めるべきところなんじゃないかなっていう気はするんです。
そうですよね。いや、なんでこんなに生き物としてのヒトを忘れがちになるんだろう。みんな忙しいんですかね。
五十嵐 そうですね。特に「経済」という存在は恐いですね。僕は、いまいちばん恐いものの一つがこの「経済」かも、っていつも思うんです。自分が生きてる時間って長くても70〜80年で、そのうちの経済性が欲しいのってほんの数十年じゃないですか。なのに、みんな、その数十年のことばっかりを考えて「経済、経済、経済」って言い続けてること自体、もうそれこそ文明病なのかもしれないなと。
そして、経済は予測不能です。それこそバブルが弾けたとか、ね。その予測不能の「経済」というもののおかげで「バイオマス」っていうのが注目されたり、でも一方で「経済」のせいで見捨てられたりするというのが、ちょっと残念ですよね。しかも、いつも「経済性はどうなのか」という視点で判断されてしまうのも、私たちが注意しなきゃいけないところでしょう。下手したら戦わなきゃいけない相手なのかもしれないですよね、経済っていうのは。そのわりに経済のことなんか全然知らないもんだから。
そのあたりは難しいな……。経済って、でも、ほんとは人が豊かになるためのものですよね。
五十嵐 そう、本来ならね。でも私は経済そのものより、何かを「知ってる」っていうことの方が重要なんじゃないかと思っているんです。なにか分からないものに対して、人間っていうのはすごく恐怖心を持ちがちなのかなと。そうすると、科学の目的って何なのかっていうと、究極的には「知ること」なんですね。なんで自然はこうなんだろうとか。だからそういう意味では、経済なんかも同じなんじゃないかっていう気がしているんです。どういうふうに動くのかを知ることによって、けっきょく私たちが正しく振る舞えるようになることっていう。これがサイエンスかなと。
知るっていうことの大切さ。
五十嵐 そうですね、やっぱり病気なんかでも同じですよね。「なんで自分はこの病気になっているのか」っていうのが分かると落ち着きますしね。だけど、「なんか分からないけど恐い」みたいな感じになると、何をしていいのか分からないから煽られたような気にもなる。
たしかに、「知らない」というのは怖いですよね。そういう意味でもサイエンスはどんな人にとっても大切である、と。そう考えると、やっぱ「文系・理系」って分けられてしまうのも、ちょっと問題が?
五十嵐 そうだと思います。すでに科学っていうものが、私の中では理系っていうものを代表するものじゃなくなってしまっている気がするんです。
例えば、バイオテクノロジーっていうのが今どんなところに入り込んできてるのかを学生に話すんですよ。医療とか品種改良だけでなくて、実は特許とか法律とか、そういうようなものにまで入り込んできたり。かと思ったら、例えばバイオテロみたいなね、そういうのを防御するためのバイオテクノロジーを政治家が知ってなきゃいけないとか。結局もうすでに文系とか理系っていう枠を超えちゃってるんですね。
たとえば、コンピュータっていつから理系のものじゃなくなったのか。
たしかにそう言われると、コンピュータって昔は理系っぽい印象があった。
五十嵐 例えば私たちが学生のころって、「文系だからコンピュータなんかやらなくていい」っていう言葉をみんな平気で使ってたんですよ。だけど今は全くそんなことないですよね。そう考えるとね、同じような感じでバイオテクノロジーとか科学っていうものも、社会にスーッと入っちゃうんじゃないかっていう気がするんです。もう理系・文系関係ないですよね。
そうですね。科学の分野とはいえ、どっちに進めばいいのかみたいな話は哲学につながってきたりしますし。生命倫理とか。
五十嵐 そうですよね。知るっていう観点からいうと、結局はあんまり選り好みをせずにいろんなものを、もうほんとにまんべんなくでも知っていたほうが、たぶん生きざまとしても、自分が理想とするものに近づけるんじゃないのかなって思います。いま、敢えてこのことは教えない、あのことは教えないみたいなことをやってしまって、すごく専門的な人ばっかり作ってしまうから、専門家同士、話が通じないようなことになってしまうのかなと。もっと裾野を広げるような知識があればおもしろいのかな、もっとみんな豊かになるんじゃないのかなっていう気がしますよね。
そうですね。これからはハイブリッドな知識が求められるのかもしれないですね。今日はありがとうございました。
五十嵐 こちらこそ。ありがとうございました。
五十嵐圭日子
1971年山口県生まれ。生まれて半年で東京へ引っ越し、幼稚園の年少から石川、小学校4年生から大阪、中学校1年生から東京と、父の転勤に合わせて日本中を転々としたので、各地の方言が混ざる。子供の頃に住んでいたのがどこも田舎だったので、今も都会には住めず高尾山麓に居を構える。キノコやカビの酵素パワーを信じて研究すること20年。
氏名
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五十嵐圭日子
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フリガナ
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イガラシ キヨヒコ
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所属
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東京大学大学院農学生命科学研究科
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職名
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生物材料科学専攻 准教授 博士(農学)
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経歴・職歴
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1994年 東京大学農学部林産学科 卒業
1994年から1996年 東京大学大学院農学系研究科林産学専攻 修士課程 1996年から1999年 東京大学大学院農学生命科学研究科生物材料科学専攻 博士課程 その間米国ジョージア大学生化学分子生物学科 派遣研究員 1998年から1999年 日本学術振興会特別研究員(DC) 1999年から2002年 日本学術振興会特別研究員(PD) その間スウェーデン国ウプサラ大学バイオメディカルセンター 博士研究員 2002年から2007年 東京大学大学院農学生命科学研究科生物材料科学専攻 助手 2007年から2009年 身分変更により同上助教 2009年から現職 |
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