円居挽さんと一緒に学ぶ「ミステリ塾」開講! 円居さんと新たな「ミステリのおもしろさ」を求めて5名の豪華ゲスト作家へインタビューを繰り広げた連続対談、『円居挽のミステリ塾』の一部を公開します!
『円居挽のミステリ塾』が、第23回本格ミステリ大賞の評論・研究部門の候補作にノミネートされました!
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著者:円居挽×青崎有吾+斜線堂有紀+日向夏+相沢沙呼+麻耶雄嵩
定価:1200円(税別)
ISBN:978-4-06-528065-2
レーベル:星海社新書
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『円居挽のミステリ塾』は、ミステリ作家の円居挽さんをパーソナリティーとする対談企画。
「円居さんと一緒に学ぼう!」というコンセプトのもと、青崎有吾さん、斜線堂有紀さん、日向夏さん、相沢沙呼さん、麻耶雄嵩さん、5名の豪華ゲスト作家をお招きし、読書遍歴やミステリ創作術をインタビューしました。
このたびのノミネートを記念し、『円居挽のミステリ塾』とはなにかを紹介する第0回、そしてゲストをお呼びした第1〜5回の前半を公開します!
対談前半では、読書やミステリにはまったきっかけや、作家デビューに至るまでの読書遍歴をお聞きするなかで、ゲスト作家の方から多くの作品をご紹介いただきました。
どんな作品を読んでミステリ観を育み、作家を志したのか......第5回ゲスト=麻耶雄嵩さんの読書遍歴をお楽しみください!
──第5回「円居挽のミステリ塾」を始めます。最終回にふさわしく、円居さんにとって作家キャリアの先輩に初めてお越しいただきました。本日のゲストは麻耶雄嵩さんです。ご紹介するまでもないと思いますが、麻耶さんは今年(2021年)で作家デビュー30周年を迎える京大ミス研出身のミステリ作家で、つまりは円居さんの大先輩にあたります。
円居 麻耶先生とミステリの話をする日が来るとはね......。
──最後に円居さんをシメていただこうと思ってお呼びしたんですが、すごく気さくで和やかな先輩―後輩関係なんですね。
麻耶 円居先生にはもう抜かれましたから、偉そうなことは言えないですよ。
円居 ほら! 「円居先生」なんてふだん呼ばないのに、こうやって圧かけてきてるんですよ!
麻耶 まあ僕よりたくさん書いてるから(笑)、やっぱり偉そうなことは言えません。
──その発言には少々疑問がありますけれど......もうちょっと書いていただきたいなあ。
円居 書いている人に比べたら書いていないけど、書いていない人に比べたら書いているくらいのペースです。
麻耶 そうなんですか? ツイッターを見ていると〆切の話ばかりしてるから、ずいぶん仕事してるんだなって。あれは編集者にアピールしてるの?
──最初からぐいぐいプレッシャーがかけられている(笑)。今日はこの師弟対談をお送りいたします。
──麻耶さんは、1991年に『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』でデビューされます。デビューに至った経緯をお聞きしたいのですが、まず麻耶さんがミステリにハマったのはいつごろでしょうか?
麻耶 最初は『シャーロック・ホームズ』です。小学2年生くらいのときに、学校の図書室にあるジュブナイルのホームズを読んでおもしろいなと。図書室には『ホームズ』しかなかったので、次に市の図書館へ行って『ルパン』や江戸川乱歩のジュブナイルを読んでさらにハマりました。まあ、定番ルートですよね。また世間では、角川映画の『犬神家の一族』から始まる横溝ブームが押し寄せてきたころでした。
──石坂浩二が金田一役のシリーズですね。最近は金田一役というと、加藤シゲアキさんかもしれませんが......個人的には稲垣吾郎さんなんですけど。
円居 金田一役の俳優を誰でイメージするかで、世代がわかるやつだ。
麻耶 そうそう(笑)。小学校低学年だったので映画館まで見に行くことはできなくて、実際に見たのはテレビに落ちてからでした。先に古谷一行が金田一役のドラマ横溝正史シリーズが放映されていたので、最初にちゃんと見た金田一は古谷一行になりますね。角川映画版は『犬神家』から始まって、『獄門島』と『悪魔の手毬唄』が続きますが、そうこうしているうちに松竹映画の『八つ墓村』がブームになって。それからアガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』や『ナイル殺人事件』の映画の放映もありましたね。
──ミステリの映像化の波があったんですね。
麻耶 同じころには『刑事コロンボ』も放映されていたんです。コロンボのモノマネがバラエティで流行って、ドリフの裏とかで本編は見ていなかったのですが、なにも知らずにモノマネを楽しんでいました(笑)。なので「二枚のドガの絵」を見たら、倒叙がほぼ初めてだったせいもあって「こんなミステリもあるんだ!」とすごくインパクトを受けました。モノマネのせいで、ずっとコメディだと勘違いしていたんです。それまでの派手なトリックの映像作品と違って、手がかりを拾い筋道立てて犯人を追い詰めていく、ロジックのおもしろさを体験したのは『コロンボ』が最初でした。もうひとつ、「土曜ワイド劇場」で天知茂が明智小五郎を演じた江戸川乱歩のドラマ化があったんです。金田一もポアロも見た目や立ち振る舞いがカッコいいかと言われると、疑問符がつくじゃないですか。
──ポアロは紳士的ではありますけど(笑)。
麻耶 僕のなかでカッコいい探偵像は、天知茂のあくが強い明智小五郎でした。そういう体験が混ざってミステリの素養が熟成されていきました。
円居 麻耶さんは地方出身じゃないですか。地方の方はミステリと出会う機会にあまり恵まれないイメージでしたが、映像化がデカいファクターなんだなとわかりました。映像からミステリに興味を持って、横溝作品をぜんぶ読もうとされたわけですよね。
麻耶 図書館に置いてなかったから、たくさんは読めなかったけど。月に何冊も小学生の小遣いで買えるものではないし、図書館にはハードカヴァーばかりで、文庫本はそれほど置いてなかったんです。なので、ホームズやルパンを読み尽くすと、ジュブナイル名作選みたいなものを読んでました。クイーンとかカーの作品も入っている。あかね書房のシリーズとか。
円居 あかね書房の〈少年少女世界推理文学全集〉は僕も通ってます。
麻耶 一般向けの小説を読むようになったのは小学校の高学年になってからですね。少ない小遣いで横溝やクリスティーなんかを。ただ、映画やドラマで見たのは筋を知っているので、まだ見ていないタイトルを優先して買ったら、期待外れだったりしましたけど。
──中高校生になると、どんな作家が好きになりましたか?
麻耶 中学校のとき、英語の個人塾に通っていたんですけど、そこの先生がミステリ好きでいくつか文庫本を貸してもらったんです。最初に読んだのがヴァン・ダインの『僧正殺人事件』で、血塗れの手が表紙でおもしろそうだなと。話は......もうワケわかんなかったですよ(笑)。
──すごいおもしろかったと言われたら、どうしようって思いました(笑)。
麻耶 ポカーンとしながら読みましたが、雰囲気はすごくよかった。中学の図書室には大人向けのミステリもあったので、ヴァン・ダイン、クイーン、クリスティーあたりの王道なラインを創元推理文庫版で開拓していました。
──国内作家で読んでいた方はいますか?
麻耶 国内作家を読むようになったのは遅くて、中2くらいに高木彬光の〈神津恭介〉シリーズを読むようになりました。横溝はブームでしたが、なんとなく本格が「冬の時代」と呼ばれる新本格が出る前の時期でしたし、なによりまわりにミステリを読んでいる人がいなかったので、国内については情報がなかったんです。翻訳ものは創元推理文庫のおじさんマークを見れば、とりあえず読んでみようとなるんですけど......。ネットもない時代で、ろくな情報がなかったところにたまたま図書館で『人形はなぜ殺される』を読んで、すごくおもしろかったんです。手にとったのは、たぶん「名探偵」とかあおり文句がついてたんだと思います。それで高木彬光というか神津恭介にハマって読んでいくと、解説に「御三家」というフレーズが出てきたんですよ。高木彬光、鮎川哲也、土屋隆夫が「戦後本格御三家」だって紹介されていて。
──おお、その並びなんですね。
麻耶 当然、鮎川哲也と土屋隆夫が気になるじゃないですか。初めて読んだ鮎川さんの本は『りら荘事件』で、これもおもしろかった。次は土屋さんに......という具合に読書していたのが中高時代です。ただ、ぜんぜん情報がなかったので、『幻影城』世代やたとえば岡嶋二人さん、笠井潔さん、島田荘司さんとかは視野に入っていませんでした。
丸茂 「いま日本国内の本格ミステリは冬の時代なんだ」ということは、当時から意識されていましたか?
麻耶 文庫の解説で何度か触れられていたのでその認識はありました。しかも本格御三家には触れてあっても、その後の世代は言及してなかったんです。だから「本格の歴史はここで終わってるのかなー」と残念に思いながら読んでいましたね。あとは高校のときに、地元の図書館が新築されてえらく立派になって、やたらポケミスが充実するようになったんです。それでジャンル関係なしに手当たり次第に借りました。すると自分にとっておもしろい作品、おもしろくない作品がはっきりしてくるわけで、自分はやっぱり古典的な本格が好きなんだなあと認識しました。
──やはりノワール、サスペンス的なものより、本格と言いますかパズラー的なものがお好きだったと。ちなみに、ミステリ以外のジャンルで好きな作家さんはいましたか?
麻耶 大学に入ってからは、視野を広げようといろいろ読みましたが、高校のころは文学というくくりなら夏目漱石ぐらいですか。漱石はほぼぜんぶ読みました。逆に云うと、ほかは何も読んでないってことですが(笑)。漱石の理屈っぽいところが性に合ってたんでしょう。あと同級生に小松左京ファンがいて、こっちが鮎川哲也の短編集を貸して代わりに小松左京を本を借りたのですが、自分にはちょっと合わないなと。明快な解決がないと納得できない質で。ただ、そもそも小説の話をする友人はあまりいなかったです。アニメの話はよくしてましたけど。あ、西村京太郎ファンがひとりいましたね。
──既に西村京太郎さんといえば人気作家という感じでしたか?
麻耶 いつもテレビでドラマ化されている流行作家という印象でした。土曜ワイド劇場などで〈十津川警部〉シリーズがドラマ化されて、『終着駅殺人事件』とかおもしろかった記憶があります。原作にどのくらい忠実だったのかもう忘れてしまいましたが。ドラマはだんだんライトな感じになって熱心には見ませんでしたし、西村さんの作品をちゃんと読み始めたのは大学に入ってからなので。なにせ比較対象が横溝正史とか天知茂の明智小五郎なので、ちょっと軽いなあと思ってしまうのも仕方ないんですが。ドラマといえば、浜尾四郎の『殺人鬼』と『鉄鎖殺人事件』もすごく印象深かったです。もう一度見られないかな。当時は赤川次郎さんの〈三毛猫ホームズ〉も放映されてました。石立鉄男の。活字だけでなく、本格系のミステリに触れる機会はたくさんあった気がします。
──京都大学推理小説研究会のお話を聞きたいのですが、やはりミステリ読みの博覧強記たちが集まる空間だったんでしょうか?
麻耶 そういう先輩もいました。ただ、自分の学年は新入生は僕ひとりだけだったんです。
──えっ!? そうだったんですね。
麻耶 ひとつ上の学年が10人くらいいたので、油断してろくに勧誘活動をしなくて僕だけしか入会しなかったようです。しかも、ふつうのクラブなら大学の四学年の合計が部員数になりますが、ミステリ研は教養部のクラブという性質上、1年と2年だけで部員数が決まってしまうんです。大学から部室を借りているため、定数を満たさないと明け渡さなければならなくなります。だからいきなり存続の危機になっちゃった。来年もひとりなら、3回生以上が何人いようが名目上はふたりになってしまいますから。それもあってか、先輩に大事にされたところはあります。「こいつに辞められるとマズイ!」って(笑)。でもやっぱり先輩方はさすがだなあと思っていました。論客のような先輩もいたし、『ミステリマガジン』を毎月購読しているような先輩、本格だけじゃなくてハードボイルド好きの先輩とか、国内のミステリにやたら精通している先輩もいました。我孫子武丸さんもまだデビュー前で、7つも年上なのになぜか学部生として普通に在籍していましたし。最初、顧問の先生かと思いました。
──翌年は新歓をがんばられたんですか?
麻耶 なにせ死活問題ですから。いちおう4人ほど集まって、ギリギリセーフでした。そのなかには、新潮社の新井久幸くんもいました。法月さんを生で見て「法月綸太郎が動いてる!」と感激したものの、サインをもらって満足したのか二度と来なかった女子もいましたが。
円居 けっこうアツい学年ですよね。
麻耶 でも油断するとすぐ2、3人になる。僕が在籍していたころは、基本的に一学年につき3人くらいでしたね。
円居 僕のころは平均5人くらいです。新歓のときに10人、15人くらい名前を書いてくれて、1年終わって定着するのが5人くらいだなって感じでしたね。ちゃんと新歓しないと人がこないし、定着しないなと思ってました。
麻耶 当時、新歓では新入生に犯人当てを出題するのが恒例だったんです。これは上の世代から伝え聞いた話ですが、ある年、ふたりの女の子が見学にきたときに出題した犯人当てがガチガチの時刻表トリックもので、時刻表を見た瞬間に「ハハハッ」って魂が抜けたような笑い声をあげてそのまま逃げていったそうです。
──香ばしいエピソードですね!
麻耶 凝った犯人当てはいきなり新入生に出すもんじゃないって教訓が残ってます(笑)。
円居 ここぞとばかりに力作をぶつけたんでしょうね(笑)。
麻耶 のちにその犯人当てを読ませてもらったんですけど、ひっどい犯人当てでした。出来が悪いんじゃなくて、ガチガチなアリバイトリックを解いたら犯人が浮かび上がってくるんですけど、それはダミーなんです。重箱の隅にさりげなく置かれた手がかりであっさり否定され、もう一度解き直さないといけないという。ホント地獄のような犯人当てでした。誰でも逃げ出しますよ。
──小説を書き始めたのは、京大ミス研に入会されてからですか?
麻耶 そうですね。ミス研に入るまでは読むだけでした。ミス研には『ミステリ研通信』という毎月つくるコピー本の他に、学園祭で毎年販売するオフセットの機関紙として『蒼鴉城』というものがありました。ミステリの創作や評論を載せる同人誌です。僕は『通信』には主に短編を書いていましたが、『蒼鴉城』は対外的なものだし枚数の多い中編を載せていました。それで2回生のときに「MESSIAH」というタイトルで『翼ある闇』の原型になる作品を書いたんです。
──そこから書籍刊行まではどのような流れですか?
麻耶 綾辻行人さんが宇山秀雄さんに「こういうの書いてる人がいるよ」って『蒼鴉城』を見せて、「MESSIAH」を読んだ宇山さんが声をかけてくれました。掲載時は180枚くらいだったので、1年以上かけて長編に書き直しました。
──かなり肉付けされたんですね。
麻耶 気合いが入ってましたから。『翼ある闇』の真犯人の最後の属性は、原型にはないですね。ひとつ大きくネタも加えました。
──メルカトルは原型にも登場していたんですか?
麻耶 登場しています。役割も同じで。メルカトルの初登場は1回生の夏に書いた犯人当てになります。京大ミス研には、新入生に犯人当てを強制的に書かせる伝統があるんですよ。
円居 そう、強制的なんだよ(笑)。
──すごい伝統ですね。
麻耶 もう男女問わず、書きたいか書きたくないかという意志は関係なく「とにかく1本書け」と。
円居 書かないと「逃げた!」とか言われますもん。たまに逃げ切るやつもいますけど、ずっと言われ続けますよね。
麻耶 まあ、僕は書くのは好きだったんで。夏休みの合宿で、宿屋で夜に犯人当てを朗読発表したんです。それ以降、メルカトルはレギュラーキャラとして内輪では活躍していました。
円居 麻耶さんが1回生の時期の資料を読んだら「許し難いセンスの持ち主の新入生がいる」みたいなことが書かれてました。犯人当てを指して言ったのか、『蒼鴉城』の作品を指して言ったのかは不明ですが、そのころからサークルのなかで独特の存在感はあったんじゃないですか。
麻耶 新入生がひとりだけということで甘やかされていたので、好き放題やっていましたし。あと地元で古典しか読んでいなかったんで、今風のものと比べるとちょっとズレてたのかもしれません。それまで一本も書いたことがなかったから。
円居 それがヤバいですよね。「なんで書けるのか?」って。
麻耶 いまはとりあえずネットにアップしたら読んでくれる人がいるから、モチベーションになるじゃないですか? でも当時はネットもないし、周りで誰も本格ミステリーを読んでないし、読んでくれるアテもないので、書くというモチベーションがなかった。だからミス研に入っていちばんよかったのは、自分の作品を読んでくれる人がいたことですね。評価は二の次として。それが嬉しくて、1回生のころからいっぱい書いてました。
──せっかく円居さんもいらっしゃるので、おふたりのエピソードも聞かせてください。出会ったのは、円居さんが京大に入学されたときですか?
円居 僕がミス研に入ってからですね。ミス研の新歓コンパで、新入生を定着させるためになるべくOBの作家さんをゲストに呼んでいたんです。僕のときは綾辻さんと麻耶さんがきていて、麻耶さんが自己紹介のときに「法月綸太郎です」って言ったのを覚えてる(笑)。
麻耶 昔から法月さんをネタにひと笑い、みたいなことをやっていました(笑)。
円居 それが最初の出会いでした。こっちは「『翼ある闇』とか『夏と冬の奏鳴曲』を書いた麻耶雄嵩ってどんな作家なんだろう?」と思っていたんですが、まあ飲み会だからということもありますけど、先輩たちは麻耶先生の周りで爆笑しているわけですよ。気難しい、芸術家肌のヤバい人かと思ってたけど、ふつうにアホなこと言う人やんけって。
──ちょっとご想像とは違ったと。
円居 あのころの麻耶先生は30代前半でしたが、大学院生でもおかしくないくらい若く見えました。
麻耶 社会人経験がないのもあるかな。ずっと学生気分の延長みたいな感じだから、あまり年が顔に出てなかったのかもしれない。
円居 それは俺にも跳ね返ってくるな......。
麻耶 社会人を経験している人は、顔がしっかりしているんだよ。
円居 それ、また法月さんイジりじゃないですか?(笑)
麻耶 法月さんは在職中は職場の愚痴ばかりこぼしてたから、しっかりしているイメージはないかな(笑)。社用車の車庫入れを任されたのに、ぶつけて上司に叱られたとか、そんなことばかりぼやいてたし。
──麻耶さんが、円居さんのことを意識されたのはいつでしたか?
麻耶 デビューするまで作家志望だと知らなかったので、そういう目では見ていませんでした。
円居 僕は3回生から6回生までコンパ委員をやってたんです。作家の先生方に「来てください」と連絡する係だったので、飲み会で会う後輩って認識されていたと思います。どうせ作家先生と話すなら創作のヒントを得たいとは思ってましたね。まあ麻耶先生と話していて、そういうヒントを得られたことはほぼないですけど。
麻耶 若い子って言い方もヘンですけど、学生と話すときって向こうから「先生」とか呼ばれるとこちらも畏まっちゃうんで、ミステリより砕けた話題の方が楽しいかなって気持ちがあったんです。学生のころはミステリ談義ばかりしていましたが、OB作家になって立場に大きな差があると相手も反論しづらいだろうし、主張の押し付けになってしまうんじゃないかと。そういうのは好きじゃないので、「偉そうになったらイヤだなあ」と思って、くだらない話ばかりしていましたね。
円居 ただ、我々学生側も遠慮しているきらいはありました。せっかくオフの場なのに仕事に直接繋がりそうな話題をぶつけるのは失礼だろうって。「最近おもしろい本ありました?」とか、「デビューしたいんですけど、どうしたらいいですか? 教えてください」とか言うのは憚られたわけです。
麻耶 いまとなっては、そちら側の気持ちもわかるけどね。もっとミステリの話をすればよかったかな。
──円居さんは、デビューすると決まってからミステリの話をするようになったんですか?
円居 デビュー内々定くらいになってから「実は書いてたんです」と伝えました。ただそれより前、サークルの仲間にも作家先生にも書いていることを隠して過ごしていた4回生の冬のコンパのときに、不思議なイベントがあったんです。就活も全滅して、来年から留年するしどうするかなと悩んでるときのコンパで、京都は大雪でした。会場を出たら麻耶さんがかなり酔っ払っていて、いま送って帰らなかったら麻耶さんは遭難して死ぬなと思ったんですよ。それで「送って帰ります」と申し出ました。麻耶さんの家までは、歩いて30分くらいだったんです。その帰り道に「ミステリ業界に興味あるから編集者になるっていうのは逃げだ。本当に好きなら、一回書いて玉砕してからでもいいだろう」と麻耶さんに言われました。「書いてる」なんて俺は一度も言ってないのに。でもそれを聞いて、就活して出版社に入って編集者みたいな業界人として関わっていくんだと半端に決めても、未練が残るんだろうなと思いました。本気で書こうって決意したんです。その2年後にようやく「デビューするんです」と報告ができて、あのとき背中を押してもらいましたと話したんですが、麻耶さんは「そんな話したっけ?」って(笑)。
麻耶 あの帰り道は酔って5回くらい転んでたから(笑)。もうなにも覚えてないですよ。
円居 マジの豪雪でしたね。京都に雪が降るって珍しいんですけど、アレがなかったら僕の決意もなかったので結果的によかったですよ。そして、6回生の冬のコンパには「そろそろペンネーム決めたいな」と。ミステリ作家って先輩作家からペンネームをもらって名乗るイベントがあるから「俺もそれやりたい!」って思ったんです。でも「お前のペンネームはこれだ!」って言われてしまうと、微妙だと思っても「チェンジ!」って言えないじゃないですか。
──島田荘司さんとかに「チェンジ!」と言う度胸は全人類ないでしょうね。
円居 そこでふとコンパの席で横を見たら、酔っ払っている麻耶先生がいるんです。「いまならチェンジし放題だ!」と思って、「ペンネームいただけませんか?」と頼んで「いいよ、いいよ」って言ってもらえたんですけど、まったく使えないペンネームを十個くらい並べられたんです。だからちょっと縛りを設けようと「京都っぽいペンネームはありませんか?」と言ったら、「じゃあ円居鷭でいいじゃん」って。「円居」と「鷭」は、左京区にある料理店の名前なんですよ。だから「京都っぽいじゃなくて、左京区っぽい名前じゃねえか!」とキレました。
──そうだったんですね(笑)。
円居 「松屋 すき家」みたいな名前なわけです! ちょっと怒ったら、今度は「天下一品」をバラして「天下一ロロロ」という名前をくれて......「近衛通に鷭があるから、近衛鷭はどう?」と言われ、いいかもとその場は収まったんですが、一日経って冷静になったら「鷭があるのって近衛通じゃなくて、東一条通だな」と気がついて、ぜんぶ台無しになりました。それからずっと保留になってたんですけど、編集さんに「円居鷭」の話をしたら「それでいいじゃん」と言われて、結局これに落ち着きました。ただ「鷭」だと癖が強すぎると感じたので「挽」に変えましたが。まあ麻耶先生の視点では、名付けたわけではなくて、勝手に名乗ってるだけらしいんですけどね。
(2021年10月16日、ツイキャスにて配信)
*第5回対談後半の内容は、『メルカトルかく語りき』ネタバレあり読書会となります。続きが気になる方は、ぜひ書籍もお求めください。
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