若き経済学者・安田洋祐先生への特別インタビュー。後編では、経済学、ゲーム理論の「本質」について伺います。
取材:柿内芳文・岡村邦寛 構成:岡村邦寛 撮影:尾鷲陽介
前編はこちら「気鋭の経済学者・安田洋祐先生に、経済学の「本質」を学ぶ!【前編】」
柿内 経済学を学んで見方が変わったもの、ってありますか? 例えば安田さんが大学二年生ぐらいまでのあいだで。
安田 これは僕だけじゃなくて、大学生って、社会のシステムなどに興味がある傾向が強いと思うんです。で、往々にしてシステムがうまくいってないように映るので、何か変えたいんだけど変わらないもどかしさみたいなものを抱えている。でも結局、自分じゃあ何も動かせないので、世の中に不満ばかり言ってしまう(笑)。こういう大学生とか高校生って多いんじゃないでしょうか。経済学を学んで良かったのは、世の中がどういうふうに回っているのかがある程度見えてくる、少なくとも勉強する前と比べて、ものすごい見通しが良くなった気がする、という点ですね。しかも、世の中でうまく回っているような仕組みが見えるだけじゃなくて、なんでうまくいってないかというのも、見えてくる気がする。うまくいかないんだけど、そのうまくいかない状況がずっと続いてる場合って、やっぱり続いてること自体に意味があるんですよ。もしも各人がそれぞれ得になるように行動を変えて、悪い状況から抜け出すことができるのであれば、うまくいかない状況は長続きしないハズなんです。一見するとみんなでドツボにはまっているような理不尽な状況でも、それがなかなか解消されないということは、誰かにとってはその状況にしがみついてるインセンティブみたいなものがあるってことが分かるんです。そうすると、この悪い状況から良い状況に移るためには、インセンティブの仕組みを変えないとマズい、というふうに考えることができる。うまく解決策にまで至らなくても、理不尽な状況に対して単純に不満をぶちまけるだけじゃなくて、こういう根本的な理由があったのか!って分かるだけでも、世の中の見方がずいぶんとすっきりしたものになります。それを学べるのが経済学の強みじゃないかと思います。他の社会科学ではなかなかこうはいきません。例えば社会学だと、こういう問題がありますからこういう調査が必要ですとか、こういう状況に置かれた人たちはこういうふうに考えるはずとか、場当たり的な分析や説明が多くなってきます。その結果、都市の生活がこういう影響を人々に与えているとか、今の資本主義がこういうふうに良くないとか、根本的な理由が明らかにされないまま、かなり飛躍した論理が展開されてしまう傾向が強いように思います。経済学はそうではなくて、もうちょっとしっかりと個々人がどういう動機でもって動いているのかを一般的な視点で分析する。それによって、世の中がなぜうまくいっている、またはうまくいっていないのか、というのがより細かく見えるようになってくるのです。こうした共通の土台があると、社会の改善策が提案できるし、何か世の中を良くしていく方向のようなものが議論できる。もしもそれぞれの論者がバラバラのアプローチ、あるいは思い込み(?)で現状分析していると、議論が咬み合わないんですよ。こう考えると、統一のフレームワークで、ミクロ経済学だったらミクロ経済学の分析道具を理解していて、その土俵の上で「こういう経済政策をすれば改善するよね」とかがきちんと議論ができるというのはすごい強みですよね。よく、経済学はお金に関する学問で、経済学を勉強するとお金持ちになれるんじゃないかと誤解されるのですが、それは完全に間違い。実際、お金の話ってほとんど経済学では出てこないですし… それよりも、なぜ今経済がこう動いているのか、世の中がこうなのかっていうのを、個人の動機、つまりインセンティブに立ち返って考えてみようというのが、経済学の特徴です。残念ながら勉強してもお金持ちには(おそらく)なれませんが、世の中の見え方が少しクリアになる、というご利益はありますね。
柿内 インセンティブってかなりのキーワードですよね。普段インセンティブって考え方は全然しないじゃないですか。
安田 超重要キーワードですね。僕が研究しているゲーム理論は、そのインセンティブを、個人個人の独立した意思決定じゃなくて、グループ内での意思決定の中でうまく分析することができるツールです。だから、瀧本哲史さんが『武器としての決断思考』の中で述べられている意思決定の話を、ある意味もう一歩深い状況で考えている、という感じになります。専門用語になりますが、自分にとって最適な選択が他人の行動とか選択に影響を受けるような状況を、“戦略的状況”と言うんです。戦略的状況がなければ物事は簡単で、よくよく考えて自分にとって一番望ましい選択肢を取れば良いだけなのですが、自分にとって最善の選択肢が他人の行動に依存するとなると、あいつは何をやってくるんだ?っと推測しなきゃいけない。例えば単純な例として、サッカーでPK(ペナルティーキック)を考えてみましょう。キッカーとキーパーそれぞれの最適な戦略が、相手の選択によって変わることがすぐに分かりますよね。キッカーは、キーパーが右に備えるんだったら左に蹴りたいし、左に備えるんだったら右に蹴りたい。キーパーは逆にキッカーの蹴る方向に備えるのが最適です。つまりこれは典型的な戦略的状況なわけです。こういう戦略的な状況で何をするのが各人にとって最適なのか、互いに戦略的状況で最善手を駆使し合うとどういう結果が実現するのか、といった点がゲーム理論を勉強すると見えてきます。PKでは、キッカーとキーパーの双方が相手に読まれないように蹴り方や備え方をランダムに変えるのがポイントなのですが、その際の混ぜ方、つまり確率をゲーム理論によって計算することができる。このPKの例と同じように、社会における意思決定でも、例えば政府が政策や法律を変えるときに、社会のメンバーそれぞれが新しいルールの下で彼らなりに最善を尽くして行動を変えるはずですよね。インセンティブに従ってメンバーたちが行動を選択した結果いったい何が実現するか、というのはゲーム理論を使って分析することができるのです。
岡村 僕もゲーム理論を身につけるとそういう広い視点で物事が捉えられるということですか?
安田 はい。広い視点が身に付くだけでなく、何か状況が変わったときに結果がどうなりそうか、というところを論理的に導けるのも大きなメリットです。ただ持論を展開するのではなく、これこれこういうロジックで結果が良くなる、悪くなる、というふうに結論を導くことができる。議論が咬み合うためには、お互いに土台となるいろんな共通認識が必要なんですが、経済学やゲーム理論の場合には土台自体が数理的なモデルになっているので、バカでも丹念にステップを追っていけば必ず理解できるんですよね。数学って全部そうなんですけど、出発点となる前提があって、そこから結果が演繹されていくから、ステップさえきちんと追えれば、大天才でもどんなバカでも必ず同じところにたどり着けるようになってるんですよ。ただ往々にしてみんな我慢強くないから、途中のステップを放棄して、こんな七面倒臭いロジックは付いていけないっ、という感じで数学嫌いになっちゃう… でも実は、数学ってある意味、バカのための学問なんです。
柿内 そうですよね。究極の演繹ですからね。
安田 ミスタージャイアンツの長嶋みたいに、ガーンと打つ、とかビュッとキレのあるスイング、みたいなことを言われても、あんなの一部の人にしか伝わらないわけですよ(笑)。だけどAっていう前提があって、それによってBという結論が導かれます、というロジックは途中のところを丹念に追えば誰でも同じように理解できる。そこがやっぱり武器ですよね。だから例えば、経済学の考え方自体は法律の世界とかでもすごく有用性は高い。労働者を保護するために、解雇規制であったり最低賃金を上げようっていう議論はよく起こりますが、どうしても法律家の方は目にとまりやすい直接的な変化だけ見ちゃいがちです。労働者は立場が弱いから保護しなきゃいけない、というのは非常にもっともな気がする一方で、実際に法律をいじって解雇規制を強めちゃったりすると、今度は企業側が新たに人を雇わなくなるかもしれないんじゃないかっていう心配が出てきますよね。今いる労働者を法律によって守ろうとすると、本当は雇われたはずの労働者が仕事につけなくなる、という間接的な問題が発生するわけです。現実にはもっと複雑な二次三次の間接的な影響が出るはずなんですけど、一次の直接的な影響しか見ない傾向が法律家や法学者の場合には多いように思います。逆に経済学者は、短期の直接的な影響ではなく、人々の行動調整を考慮も入れた長期的な帰結みたいなものをすごく重視します。
柿内 こないだ憲法学者の木村草太さんと話していて、ロー&エコノミックス(法と経済学)の考え方がすごく必要だ、と言ってました。
安田 そうですね。大学時代に僕自身が取ったような経済学の講義を、もしも法学部の学生や法律家の方が受講して初歩的な考え方を学べば、彼らにとっても有意義なツールだということを実感してもらえると思うんですよね。僕自身も少し歯がゆい思いをしているのですが、食わず嫌いで経済学に全く入ってこない法学系の先生方が未だに多すぎる気がします。そもそも、法学部生は論理的に考えることが得意であったり、好きな人が結構多いと思うんですよね。そういう意味で、法学と経済学は本来はもっと相性が良いはずなんですけど。
柿内 けっこう断絶がありますか?
安田 ありますね。多くの大学では、入学した段階で既に学部ごとに別れてしまってるので、学部を超えて学際的なものになかなか触れる機会がないんです。
岡村 今までのお話を聞いてると、経済学を身に付けると、知識もさることながら、経済学を学ぶことで得られる思考がいろんなところで流用できるということですね。
安田 仰るとおりです。それこそが経済学の一番の売りじゃないですかね。いろんな知識が身に付いて、お金のこととか世の中の経済のことに詳しくなるというより、経済学の考え方そのものが重要なのです。しかもその考え方が経済以外にも使える。さっきキーワードに出てきましたけど、「インセンティブを見よ」というのは、ものすごく応用が利くんです。例えば会社の中でも、なんか新しいプロジェクトをやろうとしたときに、誰にお願いするかとか、どれぐらいまじめにやってもらうかって考えたりすると思うんですけど、結局それもインセンティブの話なんです。こういった幅広い問題にも応用することができる。
柿内 会社員を長くやってると、組織ってこと何でこんなシンプルなことを動かせないんだろうってよく思います。答えがそこにあるのに動けないんですよね。僕個人はもうそこしかない、って思うんですけど、やっぱり色んなインセンティブとかが複雑に絡み合っていて、どこをどう動かせばそこに辿り着けるのか、何からやって良いのかわからない状況に陥る。みんな多かれ少なかれそういう状況を体験したことはあると思うんですよ。むしろ、本当に、まずひとりでそこに行けば良いんだったら楽なんですけどね。ふたりの場合も、相手の利害関係が一致しない場合でもうまく誘導すればいけるんですけど、それがちょっとでも大きな会社組織になってしまうととたんに複雑になる。さらにそれが業界とかになってしまうと……。出版業界って今まさにそういう状況ですね。経済学的に出版業界の今の状況を分析するとけっこうおもしろいんじゃないかなって思いますね。さっきの解雇規制なんかと多分似てるところがあるんですよね。全体的な売り上げは下がっているのにどんどん出版点数が増えている現状を見ると、みんなはこれが良いと思ってやってることが、業界全体としては自分の首をしめている、と考えるところがあります。
安田 今ちょうど例として挙がったような話なんかは、かなりゲーム理論と関連してます。個々人はあくまでも、自分にとって望ましいと思われる意思決定をしている。みんなバカなことをやってるわけではなくて、ローカルには最善手をそれぞれが選択しているんだけれど、全体としては何かドツボにハマってしまう。その一番分かりやすいシンプルな例が、“囚人のジレンマ”と呼ばれるようなケースで、この知識があるだけで世の中の見方もけっこう変わるんじゃないかなと思います。繰り返しますが、個々人は最善手を選択するんだけど全体としてドツボにはまる。いっせいのせっ、でやり方を変えれば、みんながハッピーなところに行けるのに行けない。だからこそ“ジレンマ”といわれるわけですね。
岡村 自分だけが損するのは嫌だ、という感じなんですかね?
安田 そうですね。自分だけが損するのは嫌だとも言えますし、自分だけ抜け駆けしたら得になる、とも言えます。牛丼のチェーン店同士では値下げ競争を定期的にやっていますけど、あれも自分だけ値下げすれば当然お客さんが来てくれるんで、短期的に利益が上がってハッピーかもしれないけど、お互いに値段を下げあうと利益は出ない。まあ、それが市場競争だと言ってしまえばそれまでですが、個々の店にとっては利益を上げようと最善手を採ってるつもりでも、業界全体としてはハッピーではない、損してしまうことって世の中にたくさんあるんです。そういった問題って、さっき言った戦略的に入り組んだ状況を考えないと、なかなか解決策が出てこないんですよ。入門レベルの経済学では、需要と供給のバッテン、つまり需給が一致する交点で世の中の経済が決まります、ってみんな勉強するんですけど、あのストーリーだけでは不十分なんですね。なぜかというと、みんなが自分にとって最善手を採ると全体でドツボにはまる、みたいな話はバッテンの考え方からは一切出てこないからです。かわりに出てくるのは、有名なアダム・スミスの“神の見えざる手”で、市場がうまく機能しているときに個々人が自分の利益を追求すると、全体としても望ましい結果が実現されますよ、というストーリーですね。でも、見えざる手の話は、かなり特殊な状況を扱っているから出てくるだけで、一般には各個人が自分の利益だけを追求すると、全体として失敗することがたくさんあるんです。それを最も単純な形で示してみせたのが囚人のジレンマなわけですね。囚人のジレンマのような状況を考えると、制度や法律には、分権的な意思決定に任せるとうまくいかないような問題を補正できる、というポジティブな意味合いが出てくる。こういった制度と社会や経済の関係なんかも、入門向けのゲーム理論講義をちょこっと受けるだけで劇的に理解が進むんですけどね。
柿内 今、こういうふうに話を聞いてるだけでもすごく視野が広がる感じがしますからね。
安田 今日の話に関しては、どうしたって講義ではないので、とても抽象的な話になっちゃいますけど、2,3回でもちゃんと講義を受けるだけで、だいぶ世の中の見方が変わると思いますよ。僕自身も今ちょうど外国人留学生向けにゲーム理論の講義を担当しているのですが、生徒たちはすごくおもしろそうに受講してますね。シンプルなゲーム理論のツールを勉強するだけで、経済の問題もそうだけど、国際交渉から身近なスポーツや恋愛まで、統一的なフレームワークでこんなに分析できちゃうのか、と良い意味での驚きを感じてくれています。そういった事情もあって、ゲーム理論の本に関しては、けっこう一般向けの本も出てたりします。
柿内 やっぱり“ゲーム理論”という言葉はかなりの破壊力を持ってますよね。何か凄そう……という印象が。
安田 僕は逆に、ゲーム理論っていう名前はけっこう不幸な気がしているんです。ゲームって付いちゃうと、なんかテレビゲームっぽいじゃないですか(笑)。だから真剣な学問分野じゃないんじゃないか、って誤解されちゃってる気がすごくするんですよね。
岡村 そうですよね。また中に提示されているモデルの名前とかが格好良いじゃないですか。“囚人のジレンマ”とか“ナッシュ均衡”とか。
柿内 でも言ってること自体はものすごくシンプルですよね。
安田 そうですね。でも、見た目はシンプルだけど、ゲーム理論ってやっぱりきちんとした人が教えないと、誤解して足をすくわれるような箇所もてんこ盛りなんですよ。意外かもしれませんが、一般の人が小難しいと思っているような数学はほとんど使ってません。たくさん方程式が出てきたり、微分積分のオンパレード、という世界では全くないんです。ただ、パズル的な要素はけっこう強い。パズルみたいな問題は解き手を選ぶので、きちんと教わらないと苦手な人はコンセプト自体がそもそもあまり理解できない。
柿内 なるほど。分かりやすそうだけど実は……ということですね。
安田 そう。だからちょっと厳しいことを言うと、あやふやな理解の人が本当は啓蒙書やテキストなんか書いちゃダメなんです。一時期、ゲーム理論がちょっとブームになって本が売れるというので、たくさんダメな本も出ちゃったんですけどね~… 前半でご紹介した『高校生からのゲーム理論』の松井さんみたいに、きちんと分かってる人が書くべきです。そうでないと、読み手が誤ったゲーム理論を習得してしまうかもしれません。他のゲーム理論の良書だと、もう十年ぐらい前に出た、梶井厚志さんの『戦略的思考の技術』がかなり売れたはずです。とてもしっかりとゲーム理論の真髄や応用例が書かれているのですが、あれは敢えてゲーム理論という言葉を使わなかった例ですね。“ゲーム理論”という言葉を出すと、あまりにも学問的なフレーバーが強すぎるけど、“戦略的思考”だと一般のビジネスパーソンも食指が動く。これぞまさに戦略的思考(笑)。
柿内 瀧本さんの“ディベートの考え方”を“決断思考”って言い換えたのもそれに近いですね。
岡村 話は変わるんですけど、安田さんのプロフィールを拝見したときに、“大内兵衛賞”というのがあって気になっていたんですけど、あれは何なんですか?
安田 それは東大経済学部の卒業論文の中で、水準の高い論文に対して贈られる賞です。該当者がいない年もあったり、逆に二人いっぺんにもらう年もあったりします。僕はたまたま良い卒業論文を書けた、まあまぐれ当たりですね(笑)。
岡村 いやいや(笑)。どんなテーマで書かれたんですか?
安田 “オークションの制度設計”について書きました。社会的に参入規制を行うことが望ましいかもしれないような市場で、企業の新規参入を認めるかどうかを決める際に、オークションの考え方を使えないか、というアイデアをまとめたものです。本来は参入させるべきでないような企業を入れると、社会全体の厚生、効率性みたいなものが下がってしまいます。一方、競争が活性化されて、厚生が上がるような新規参入はむしろ認めたほうが良い。その線引きを政府がどうやって決定すればよいのか、というのが研究のモチベーションです。ここで問題になるのは、市場の置かれている市場の状況を政府がきちんと把握しているかどうかです。もし把握しているのであれば、選別は難しくないわけですよ。社会にとって良い企業は参入を認めれば良いし、厚生を損なうような企業に対しては入っちゃだめです、と言えるわけです。ただ、実際には政府は市場状況をなかなか正確には把握しきれません。そこでかわりに、オークションを使ってみたらどうかと考えました。新しく入ってくるための権利、つまり事業免許を売りに出したらどうかと。市場に入りたがっている新規企業と、もともと市場に入っている既存企業とをお互いに競らせてみる。新規参入企業が権利をオークションで落札したら新規参入できるけど、今いる企業が勝った場合には参入を排除できます、という仕組みですね。つまり、政府が直接参入をコントロールするのではなく、分権的にオークションの結果で参入が起こるかどうかが決まるわけです。実は、今言ったかたちで参入する権利をオークションで普通に売っても理想的な結果は起こらない。だけど、新しく入ってくる企業に「新規企業がオークションに勝った場合は、実際に支払う金額は落札価格の4割で良いです」という、ちょっと変わったハンディキャップをつけてあげると面白いことが言えます。このルールのもとで、例えば新規企業が100億円で参入権を落札した場合には、実際に政府に支払うのは40億円で良いことになります。一方、もともと市場にいる既存企業が勝った場合は、50億円で勝った場合は50億をそのまま払わなきゃいけない。そういうかたちでハンディを付けてあげるんです。新規企業を優遇してあげるわけですね。そうすると何が起こるかというと、新規企業が参入すると社会にとって望ましい場合には新規企業が勝って、逆に既存企業が参入を阻止したほうが社会にとって望ましいときには既存企業がちゃんと勝てる。そういう結果がこの論文によって明らかになったのです。含意としては、政府が市場の細かいことを知らなくても、こういう公明正大なオークション制度みたいなものを使って、参入権をうまいこと売りに出すと、適切にハンディキャップを設定さえすれば社会にとって望ましいような参入規制が実現できますよ、という話です。
柿内 なるほど。
安田 日本ではいろんな業種に関して、政府が直接免許を握っています。この許認可権が、不透明な政府と企業の関係を生み出している、あるいは新規参入を阻んで既得権益の温床になっている、という問題点が古くから指摘されてきました。ちょうど僕がこの卒論を書いたときの総理大臣は小泉さんだったんですけど、小泉さんはまさにいろんな分野で規制緩和を行い、こういった体質を変えようとしていました。なので、許認可制で役人の裁量でもって免許を配分するのではなくて、適切にオークションのメカニズムを通じて免許を売りに出せば、効率性を損なわずに望ましい新規参入が実現できますよ、しかも売った免許で国庫にお金が入るから一鳥二石じゃないですか、という提案みたいなコメントも書かせて頂きました。
柿内 すごいですね。よくこんなことを思いつきましたね……。
安田 実は、当時ちょっとつまらない授業を受けていて、授業時間中にメモ替わりに少し講義と関係するネタを書いて分析してたら、このアイデアがうまくいきそうなことに突然気が付いたんですよ。もしもその授業がおもしろかったら、きっと勉強することに一生懸命で、自分のアイデアまで分析することはなかったと思います。なので、今ではその退屈な授業を教えて下さった先生に感謝してます(笑)。
一同笑い
岡村 最後の質問ですが、安田さんが今研究されている分野から得られる、若い人達に向けた「武器としての教養」とは何でしょうか?
安田 経済学やゲーム理論は、物事を本質的に捉える能力が一番磨かれる分野だと思います。経済学の優れた啓蒙書を少し読むだけで、いろんなものの分析の仕方が知らず知らずのうちに変わってきますよ。日々のニュースで社会問題を目にしたり、自分の入った組織がうまくいってないときに、あ、こういう原因があるんじゃないか、と気付くようになる、という具合に。じょじょに自分でちょっと原因を考えてみようかな、という発想にもなってくると思います。ところで、経済学では現実を説明するような分析と、世の中にとって何が良いのかを考える分析をはっきりと分けて議論します。前者はポジティブな分析、後者はノーマティブ(規範的)な分析って言うんですけど、経済学ではそれらをすごく峻別する。現状分析パートと、世の中をどういうふうに良くしていくかっていう改善案パートというのが、かなりはっきり分かれるんですね。だけど経済学以外の分野の人は、こういう思考法をあまり持っていません。例えば、今の政治経済について何がうまくいっていないのか議論しているとします。そこで、今の日本はこうなっている、と言うと、それがその人の提案だとよく誤解されるんです。現状分析しているだけなのに、改善案パートだと自動的に思われてしまうわけですね。議論とは「これこれが現状分析で、その分析を踏まえてこういった改善案を考えています」という風に進めていくべきだと僕は思ってるんですが、実際には現状分析と改善案がごっちゃになっちゃってる人がけっこう多いんです。
柿内 それはなんでなんですかね?
安田 普段から現状分析と改善案を分けて考えるトレーニングをあんまりしてないからだと思うんです。経済学の勉強をすると、それらを当たり前のように区別するんで、知らず知らずのうちに議論の仕方が改善されると思います。あとは、さきほどから何度も出てきてますけど、経済学ではベースとなる前提や考え方から出発して、ロジカルに議論を積み立てていく。演繹的に物事を考えるトレーニングを積むことによって、きちんと論理的にものごとを考える力が磨かれます。
柿内 特にさっき仰った現状分析と、これからのやるべきことがごっちゃになっていることは実感しますし、自分の中でも今どっちを言ってるのか、分からなくなるときがある。その場で思い付いたことを言ってるだけで。『朝まで生テレビ』とかでいろんなジャンルの人がいると、そりゃもう、ああいう状況になっちゃうというのは、見ているほうのジレンマですよね。
安田 経済学を勉強すると、少し世の中が深く見えるようになって、『朝生』で飛び交うような単純なロジックに飛び付かなくなる、というメリットもありますね。こういうふうに政策を変えると世の中よくなるんだと言われても、ちょっと待て、とツッコミを入れられるようになる。そこが変わったらこういうふうに人々の行動も変わるから、予期していないこういう副作用が出るんじゃないか、という議論の穴みたいなものにすごい気付きやすくなります。あまりその路線で突っ走りすぎると、なんかこう揚げ足取りみたいに、デメリットばっか思い浮かぶようになってきちゃうので注意が必要ですけれど。経済学者というのは往々にして、少し性格もねじ曲がっていたりするので(笑)。
柿内 最近の話題だと就活デモというのが去年ありましたけど、結局、あれを実際にやったらどうなるのか、というのは疑問なんですよね。あれは確かに、学生にとっては切実な問題だというのは分かるんですけど、企業側からの視点がまるでないんです。解雇規制の話と似てますよね。ここまでは正解なんだけど、ここから先を考えたら正解じゃない可能性がある、という視点。
安田 そこでやっぱり重要になってくるのが、キーワードとして何度も登場しているインセンティブですよね。インセンティブを考えるということは、結局のところその人の立場になって考えるということなんですよ。そうすることによって、ひとりよがりの議論をできるだけ避けることができる。今注目している社会の現象でも経済現象でも良いんですいけど、まず誰が当事者かっていうことを切り取ってあげて、Aさんにとって何がどう動機になっているのか、Bさんにとって何が動機なのか、って全部考えてあげないと、結果のきちんとした予測なんかできないじゃないですか。他にも、一部の人にとってはハッピーな結果になるかしれないけど、別のグループの人たちにとって不満が残るんだったら、そういった制度は安定的には続かないんだろう、ということも見えてきます。インセンティブを見ると、いろんな人の立場になって考えることができるから、見方も深まりますよね。
柿内 聞いているとすごい武器だと思いますね。
安田 本当に強力な武器ですよ。「経済学という武器を手に街へ出よう!」みたいな(笑)。こんな感じで大丈夫でしょうか?
柿内 バッチリです! 本日はありがとうございました!
──2012年3月某日。政策研究大学院大学、安田洋祐助教授研究室にて。
氏名
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安田洋祐
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フリガナ
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ヤスダヨウスケ
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所属
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政策研究大学院大学
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職名
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助教授
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経歴・職歴
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2002 東京大学経済学部卒業(卒業生総代 大内兵衛賞)
2007 プリンストン大学経済学部博士号取得 2007 政策研究大学院大学助教授 |
研究分野・キーワード
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経済学 ゲーム理論
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著書
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『学校選択制のデザイン』(編著)NTT出版(2010年)
『モバイルバリューの社会システム』(共著)経済産業調査会(2011年) |
ブログ
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