東京大学経済学部を総代で卒業し、現在は政策研究大学院大学で“各国のエリートの卵”たちに向け教鞭をとる、若き経済学者・安田洋祐。
誤解されがちな経済学の“本質”について語る特別インタビュー。
ジセダイ教官による新しい「知」の授業、第2回公開です。
取材:柿内芳文・岡村邦寛 構成:岡村邦寛 撮影:尾鷲陽介
柿内 本日はお忙しいなかお時間いただきありがとうございます! ……前回の木村草太先生もそうでしたが、今回もまたイケメンですね。
安田 とんでもないです(笑)。今日はどうぞよろしくお願いします。
岡村 では早速お話を伺えればと思います。まずは安田さんが現在の立場にまで至った経緯と、何故経済学を人に教えようという志を持ったのか教えてください。
安田 あまり積極的な動機にはなってないかもしれないんですけど、そもそも大学に入るときに、特定のこの学問について勉強しよう、というイメージは沸かなかったんです。その時点ではそこまで細かい専門分野の違いなども把握していなかったので。でも一応入試の段階で、理系か文系かというのは決めないといけないじゃないですか。いろいろと悩んだ末に文系を選択して、取り敢えず東大を受験することを決めました。だけど始めは一向に模試の成績が上がらず、とても合格できるような状況じゃなくて、かなり苦労しました。
柿内 すごい模試の結果が良かったから東大へ行こう、というわけではないんですね。
安田 全然ですね(笑)。良く分からないんですけど、うちの高校は進学校で、みんな東大受けるもんだから自分も一緒に受ける、みたいな感じでした。
柿内 失礼ながら高校はどちらで?
安田 筑波大付属駒場ってところなんですけど。
柿内 筑駒なんですね。それだったら確かに東大ですね(笑)。
安田 僕は高校では勉強そっちのけでずっとサッカーをやっていたので、最後の一年間で、東大合格を目指して追い込んで勉強しました。で、文系の中では一番合格しやすそうに見えた文科二類を選んで、何とか合格することができました。文科二類というのは、入学して普通に単位をとっていれば経済学部に進学する、というところです。なので、経済学に興味があるとか、おもしろそうだとか、そういうポジティブな動機はほとんどなく、単にエスカレーター式に経済学部に行くからという理由で経済学を勉強することになりました。ところが、大学二年生のときに初めて受けたミクロ経済学の講義がすごくおもしろくて、一気に経済学にハマってしまったのです。まさに運命的な出会い、という感じでした。
岡村 ミクロ経済学の、どんなところがおもしろかったんですか?
安田 一番魅力的だったのは、数学を使って世の中の仕組みが理解できる、という点でした。僕自身は経済学部に進むまで、経済の分野で数学が使われてるって知らなかったんですよ。そんな人間が今、経済学部の教員をしていて良いのかって感じですけど(笑)。
一同笑い
柿内 数学は得意だったんですか?
安田 体育を除いて、ほぼ唯一の得意科目でした。中高時代は本当に数学しかできなかった。だったら理系に行けよ、と突っ込まれそうですけど、理系では将来やりたい仕事が全くイメージできなかったんです。だから経済の授業を受けていたら数学が出てきた、というのは嬉しい誤算でした。もう少し詳しく言うと、数学が好きというか、論理的に物事を考えるのが小さいときからすごく好きでした。例えば算数の図形とかパズルの問題とか。経済学は、論理的な考え方やパズル的な思考を使うんですけど、数学みたいに単純にアーティフィシャルな問題を解いて終わりではなく、社会を分析できる。僕がそのとき受けたミクロ経済学の授業は本当にすごい入門講義で、眼から鱗の連続だったんです。
柿内 そのミクロ経済学の授業は、評判の良い授業だったんですか?
安田 受け始めたときは全然知らなかったんですけど、超が付くほど評判の授業でした。この話にはちょっとした続きがあって、その講義を担当していた神取(道宏)先生という方に、僕はその後の研究者人生の中でいろいろとお世話になることになります。一般の人にはそんなに知られていないかもしれませんが、実は神取先生は、東大経済学部を代表する優秀な学者だったのですね。そうとは知らずに、ミクロ経済学の講義で感銘を受けた僕は、三年生で経済学部に進学したらぜったいに神取ゼミに入ろうと思って応募し、実際に運良く入ることができました。で、本郷キャンパスで勉強を続けてたら、実は神取先生が研究者としても別格に偉い人だった、というのが後から分かったんですよね。そうこうするうちに、専門的なことに関しても先生からいろいろアドバイスをいただき、結果的にアメリカに留学することになるんですけど、留学のときも、神取先生から推薦状を書いてもらえたから合格できた、という……。偶然、必修だった駒場のミクロ経済学の授業を受けて、そこで尊敬した先生を頼って本郷に進学したら、実は研究の世界でもすごい人で……と、あれよあれよという感じでしたね。その後は少し迷ったりもしたのですが、大学を卒業して半年後にアメリカのプリンストン大学の大学院に進学しました。僕が入ったのはPh.Dコースというドクター向けのコースで、日本の修士と博士がくっついたようなプログラムになっていました。アメリカでは計5年間、経済について研究しました。
岡村 アメリカでも経済学の研究をして、日本の経済学とギャップを感じましたか?
安田 それは、ほとんどなかったです。どういうことかというと、経済学自体がかなり体系化された学問領域になっていて、自然科学と近いんですよ。数学とか物理とかは世界中の学生がだいたい同じようなテキスト使って同じような内容を学びます。だけどこれが他の社会科学系の学問、例えば社会学とか教育学といった分野になると、大学や担当する先生によって教える内容がぜんぜん違うんです。流派というか、アプローチの仕方自体がだいぶ違う。それに対して経済学では、もう標準化されたテキストがあって、そういう意味では日本で大学院に行っても、アメリカに留学しても、そんなに大きな違いはないんです。世界中の大学院生がほとんど同じような教科書使って勉強してるんですよ。教科書も、定評のある大学院向けのものはほぼすべて英語で書かれているので、そういう意味では日本にいても勉強できるんです。実際に、東大でも優秀な研究者の方が揃っているので、単なる勉強のために無理してアメリカに行く必要はありません。ではなぜ行くかというと、行かないとできない人的なコネクションとか、研究指導とかが大きいです。やっぱり経済学自体の中心が圧倒的にアメリカなので、優秀な研究者も集まってくるし、研究の最先端の話はほとんどアメリカ発です。
岡村 確かにそういうイメージはありますね。
安田 特に経済学はちょっと異常かもしれません。研究業績で見た、世界の経済学部のベスト100とかを見ると、上から20校ぐらいはほとんどアメリカなんです。
柿内 日本で売られている経済学の一般書とかも、やはりアメリカからの翻訳本が多いイメージがあるんですよね。一番メジャーなものの一つとして『ヤバい経済学』がありますが。こういったことはアメリカの独自の状況と何か関係かあるんですか?
安田 良いポイントですね。他の国々と何が違うかというと、アメリカの場合、とにかく経済学者の層がものすごく厚いんです。アメリカの大学上位50校ぐらいの大学を卒業する博士の数が、毎年1000人近くいるんですね。その人たちがいっせいに社会に出て行きます。とびっきり研究のできる人たちは、大体アメリカの一流大学に助教授とかポスドクとかで赴任していくのですが、それ以外の博士は、民間出て行く人とか、政府系の研究機関に行く人とか、とにかくいろんなところに就職する。そうなってくると、経済学の専門知識を持っているのだけれども、研究だけの世界にとどまらずに、一般向けの本を書いたりとか、ビジネスで経済学のスキルを使ったりする人が、他の国と比べてケタ違いに多くなるわけです。そういう土壌があるので、出版業界を見ても、おもしろい本が経済学のトレーニングを積んだ人から出てきます。『ヤバい経済学』の場合は、ニューヨークタイムズの記者という文章のプロと、面白いネタ論文の書き手として有名な気鋭の経済学者が一緒に書いたこともあって、一気にミリオンセラーになったわけですよね。この本は、日本以外にも各国語に翻訳されてバカ売れしました。
安田 『ヤバい経済学』が典型的なんですけど、一見すると経済と関係ないような話が、経済学の中にはたくさん潜んでいる。たとえば、相撲の八百長なんて経済学が扱う分野なのか、っていう気がしますよね。
柿内 あれはめちゃめちゃ面白かったですね。あとは堕胎と犯罪率の関係の話もありましたよね。
安田 人工中絶を認めると、犯罪が低下するんじゃないか、という話ですね。
柿内 経済学から離れて、ああこうやって見る視点があるんだな、ってことだけでもすごい驚きがあるし。単純に面白いですよね。
安田 『その数学が戦略を決める』という啓蒙書では、最初にワインの話が出てきます。何年もののヴィンテージワインが将来いくらになるか、どういう味になるか、というのは事前には分かりませんよね。そこで、ワインの専門家と言われるソムリエのドンみたいな人が、ちょっと樽を味見して何年ものは良いデキに仕上がるとか、この年は不作だとか言うわけです。でも、本当にそれが当たるのか、そんな職人技に頼らなくても、ワインのデキはデータがあれば予想できるんじゃないか、と考えた経済学者がいた。で、実際に気象データを元に回帰分析のツールを使ってワインの価格や味を予測したら、専門家以上にあてはまりが良かったらしいんですよね。きちんと経済学の方法論を勉強すると、素人でも場合によっては専門家にも勝てるかもしれない。
柿内 おもしろいですね。単純におもしろい、ということはすごい重要なことだと思っているんです。なんか経済学を学びましょうとか、学べばこれを得られるとか、あんまり単純化して何をすればどうなるというよりも、単純にそれ自体がおもしろいということが大事。それはおそらく安田さんがミクロ経済学をおもしろいと思ったのと近い感覚だと思います。
安田 これはちょっぴり主観も入っていますけど、経済学というのは、ちゃんとした入門書を読んだら、眼から鱗でおもしろいと感じる人が非常に多い分野だと思うんですよね。だからこそ良書が広まってほしい。最近はやっぱり翻訳中心ではありますけど、良い一般向けのテキストや啓蒙書が増えてます。クルーグマンのテキスト、『ミクロ経済学』と『マクロ経済学』はどちらも良書です。クルーグマンはおそらく一般向けには一番有名な経済学者で、ニューヨークタイムズで定期連載しています。彼のテキストもやっぱり読み物風に仕上がっていて、すごい人気がありますね。ああいう本が増えてくると、他の学部にいる大学生や社会人にも、もっと経済学の楽しさを分かってもらえるんじゃないかなと思います。
柿内 聞いていてわくわくする学問ですね。僕も本当に一回根詰めて、クルーグマンのミクロとかマクロとか読んでみたいと思ってるんですよ。
安田 何か一冊で体系だった経済学の本が読みたい、ということなら『マンキューの入門経済学』がとても良いです。これはハーバード大学のグレゴリー・マンキューという名物教授が書いた、世界のベストセラーになっている経済学のテキストです。マンキューは他にも経済学のテキストで『ミクロ編』と『マクロ編』を出しているんですけど、この『入門経済学』はそのなかで一番ベースとなるところだけをまとめてもので、とても読みやすい。特に、冒頭で登場する「経済学の10大原則」は、いろんなところで引用されている話です。このイントロダクションのところを読むだけでも、かなり眼から鱗が落ちると思いますよ。事例も豊富です。
柿内 なるほど。さっきの話に戻りますけどやっぱりアメリカは経済学者の層が厚いんですね。素朴な疑問だったんですよ。経済学の本でだいたい面白いというと、アメリカから来てるものばかりなので。
安田 やっぱり経済学者の質も高いし数も多いから、翻訳でそういう人たちの本を読むほうが、日本でそれなりの経済学者が書いているものを読むよりもおもしろい、という印象はあると思います。ただ、数はそこまで多くないかもしれませんが、日本でもきちんとした研究者の人が、一般向けの良書を出したりしています。
柿内 最近のものでおもしろい本はありますか? 若い人たちに向けたもので。
安田 まず翻訳書からご紹介しますが、最近だと『この世で一番おもしろいミクロ経済学』ですかね。人を選ぶ本だと思いますが新しい試みがなされていて、僕はおもしろいと思いました。あとやや敷居は高いかもしれないですけど、『資本主義が嫌いな人のための経済学』はユニークでおもしろい。カナダの哲学者が書いているのですが、いい加減な経済学の理解にもとづいてるんじゃなくて、ちゃんと勉強して書いている。それに構成がうまくて、コンサバの人もリベラルな人も経済学を誤解していて、それぞれのイデオロギーの人たちがどういう典型的な間違い方をするかっていうのを、解きほぐしてくれています。
柿内 空海も『三教指帰』で同じような見せ方をしていましたね。儒教は違う、道教も違うといって、最終的に自分の支持する仏教へ持っていくという、すごい構成力があるんです。
安田 なるほど。日本人の著作としては、おふたりとも東大の先生になりますが、まずは柳川範之さんが書いた『元気と勇気が湧いてくる経済の考え方』。すごいさくっと読めるんですけど、経済学の考え方を、生き方や人生設計にどう役立てることができるかが紹介されています。中身の記述もしっかりして、やっぱりこういう一流の学者が書いたものは、たとえ表面的に簡単な本であってもいい加減なことを書いていないので、安心して人に薦められます。もう一冊は松井彰彦さんの『不自由な経済』。これは彼が日経新聞で書いた一般向けの論考を集めたもので、経済学の深さが伝わってくる本です。
岡村 松井彰彦さんの『高校生からのゲーム理論』は僕も読みました。
安田 『高校生からのゲーム理論』も良い新書ですね。タイトルは「高校生からの~」となっていますが、大学生や社会人の方にも自信を持っておすすめできる、ゲーム理論の素晴らしい入門書です。他に新書ですと、戸堂康之さんが最近書かれた2冊がオススメです。『日本経済の底力』では、日本のマクロ経済の話と、震災復興の話がリンクしていて、復興を通じた具体的な成長戦略が見えてきます。『途上国化する日本』もメッセージがとても明確で、どうやって日本が競争力を取り戻すかという問いに、具体的で学術知見に裏打ちされたいくつもの提言で答えていきます。用語の使い方もキャッチ―で、地方にいてあまり目立たないんだけれど、実はすごい国際競争力があるポテンシャルの高い企業を「臥竜企業」と呼んでいます。どうやったらそういう臥龍たちが国際協力の場でもっと活躍できるか、そのために政府は何をやれば良いのか、という具体的な政策案が書いてあり、きちんと関連する研究論文も記載されています。自分の専門性を活かしつつ、社会全体の大きな問題について具体的なビジョンを打ち出す、というのはなかなかできる芸当ではありません。それを新書でやってしまう、というのは本当に素晴らしいですよね。
柿内 アメリカと日本の経済学者では何か違った特徴とかはあるのですか?
安田 日本人の研究者は分野を問わず控え目ですね。それはそれで健全で良いと思うんですけど、経済学に関しては大きな問題かもしれません。一般の人が経済や経済学について知りたいというニーズはかなりあるんですよね。だから本屋さんに行くと経済書というのは、これだけ出版物が売れないご時世なのに平積みされている。ただ、きちんと経済学が分かってる人は往々にして本を書かない。分かっている人が書かないのであれば、あやふやな人があいだを埋めて書くしかないんですよね。ニーズがあって、出せば売れるんだったら。そこがやっぱりアメリカみたいに、良い本が出てくる土壌に行き着けない原因というか、現象になってしまっている気がします。この問題は非常に根が深いんです。出版だけに限らず、テレビや新聞などのメディアもそうなんですが、出演や執筆を、往々にして自分たちと今まで付き合いのある先生の紹介や、かつてお願いした人にまた頼む、みたいな構造がある。結果的に、しっかりした研究をしてない人たちが一度その手の仕事に着くと、そこから外に依頼が出ていかなくなる、というかなり閉じた構造になっている。テレビなんかは典型例ですね。学術的に正しいのかどうかは気にしないから、分かりやすく話してもらえて数字(視聴率)が取れれば良い、ということを明示的に言うプロデューサーの方もいます。ただそこで気を付けなきゃいけないのは、そういうかたちで一般向けのメディアに出るとか、本を出したりすると、それがある種の「業績」として残ってしまい、使われる側の肩書きになってしまうこと。学者としての能力はいい加減なのに、メディア露出しているからきっとこの人の主張は正しいに違いない、と錯覚されてしまうことです。そして、専門家としてのしっかりした土台がないにもかかわらず、「あのメディアに出たこの先生だったら次の仕事も頼める」という話になってしまう。本来であればそういう事態を避けるために、慎重に人選をしなきゃいけないはずなのですが、なかなか守られてないようです。
柿内 それはたしかに根が深い。経済学を深く学んでる方が、なかなか発信をしないとなると、メディアはそこらへんで声を大にしてる人のところへ行ってしまうということは、けっこうある。
安田 けっきょく、需要側と供給側の両方に問題があるんです。メディアはメディアで、とにかく出てくれる人とか必要だからクオリティはそこまで気にしていられない。過去に無難に仕事をしてくれた人や、キャラの立っている人に頼むことになる。供給側は供給側で、そういうちょっと怪しげな人に出られるのが嫌だったら、自分たちが出て行けっていう話なんですけど、なかなか出ていってくれない。
柿内 まさにジレンマですね。
安田 それを克服するために、学会全体としてもうちょっと発信していける土壌が作れたら良いな、という問題意識はありますね。若手に関して言うと、20年ぐらい前と比べると、まだ研究業績がきちんと積み上がる前であっても、一般向けにできる範囲で発信していこう、という姿勢の人が増えている印象はあります。業績も狭い視点で捉えすぎないで、英語で書いてきちんと学術誌に載った論文だけが業績とは限らない、みたいな柔軟な思考を持っている人も増えてきていると思います。僕自身も、まさにこういう学界の動きの真っただ中にいて、この先の経済論壇がどうなっていくのかちょっと楽しみなんです。
岡村 大学院を卒業した後は、どういう経緯で政策研究大学院大学(以下、政研大)の助教授になったのですか?
安田 僕はアメリカで就職活動してたんです。大学院を卒業する一年前の秋くらいから就職活動が本格化して、アメリカの大学の研究員をメインターゲットにして就活しました。向こうの経済学者の就職活動ってすごく面白いんですけど、あまりにもネタが多いんで、今回は省略します(笑)。ともかく、願書を100通近く出しました。で、政研大はちょっと変わっていて、アメリカの労働市場、研究者向けのジョブマーケットにも募集を出していたんです。そこで面接をして採用されました。だから、もし仮にアメリカの良い大学からオファーをもらっていたらきっと日本には戻って来なかった(笑)。幸か不幸か、そうはならずに政研大からオファーを頂くことができたので、じゃあこれを機に日本に戻っていっちょやりますか、という感じでしたね。
岡村 この政策研究大学院大学って普通の大学とは少し毛色が違う感じがするのですが……。
安田 だいぶ違いますよ~。まず大学院のみで学部はありません。だから大学院大学というちょっと長ったらしい名前が付いてるんですね。しかも学生の大半は留学生です。授業も英語で行われているものが多いです。カリキュラムも、10月スタートの留学生向けの英語プログラムと、4月スタートの日本人学生向けの日本語プログラムと、2本同時に行われていますが、僕自身は英語プログラムの方でもっぱら講義をしています。
岡村 留学生が多いという話でしたけど、逆に日本人でここで学んでいる生徒ってどういう人が多いんですか?
安田 都道府県庁からいらっしゃる地方公務員の方が多いですね。あと、霞が関の中央官庁から来ている方もいます。ウチのプログラムはちょっと特殊で、一年間で修士号が出るようなシステムなんです。最近は二年間プログラムもスタートして、徐々にそちらの学生も増えてきていますが、最短一年で修士が取得できる、ということで、派遣する側もそんなに負担なく人を国内留学に出せる、という感じだと思います。
岡村 そういう人たちは、ここでどういうことを学ぶのですか?
安田 やっぱり政策関連の実務に使えるようなスキルを身に付けて職場に戻っていきますね。そういう意味で自治体や官庁の公務員を受け入れるというのは、うちのような公共政策大学院の本来あるべき姿ではあります。そういう人たちを大学院できちんと養成して、組織に戻って活躍してもらうと。留学生についても、大半は政府派遣の公務員ですね。その国の中央省庁、あるいは中央銀行の職員が中心。自費で来る学生もたまにいますが、本当にごくわずかです。
柿内 自費で来るひとはわずか?
安田 ほとんどいません。公務員留学生の場合も、留学資金については派遣元の政府から奨学金が出る場合もあるし、IMFや世銀、日本の文科省などの外部資金を奨学金としてもらって来る学生が多いですね。
岡村 言ってしまえば、各国のエリートの卵みたいな人たちが集まるものなんですね。
安田 そう言えるかもしれません。途上国の方が多いんですけど、いろんな国から将来その国の政策を実際に動かせるような人たちが来て学んでいます。ただ、どうしても日本人の卒業生はほとんどいないですし、来ている日本人も役所から派遣で来る方ばかりなので、国内的な知名度が低いですよね。一方で、僕たちが教育現場で行っていること自体はすごく面白くて、単なる教育機関というだけでなく、ある種ちょっとした外交的な要素も含んでいたりします。毎年やってくる数百人の留学生がウチで専門的な知見を学んで、日本で一年間暮らす。そうすると、どうしたってある程度は親日家になるわけです。もちろん、もともと日本が好きだから留学しに来ている、というのもありますしね。彼らに、単に教育機会を提供するだけじゃなくて、日本に良い感情を持ってもらったり、日本の仕組みのことを理解してもらったりして、母国へと帰っていただく。そして、その人たちが将来、国策を左右するようなポジションに着いたときに、日本とのパイプ役として活躍してもらおうというわけです。そういった広い意味での外交的なことを、この大学院は担っている。日本だとこういうプログラムは多くなくて、国立でこれだけの規模でやってるのはウチだけです。けれども、海外だと当たり前なんですよね。たとえばハーバード大学のケネディ・スクールなんかが有名ですが、外国人官僚をたくさん集めてきて、親米家を作って、なかには半分スパイになって帰る人もいたりして、、、というのは冗談ですが(笑)、とにかく積極的に教育を外交と結び付けている。
柿内 教育が外交になってるというのはとてもおもしろいですね。
安田 やっぱり、日本に暮らしていたこととか、日本の学校に通っていたこととか、そういう何気ない小さな経験が、大きい国際交渉でも効いてくるんですよね。
柿内 この間、車椅子デザイナーの人に会って話聞いたんです。その人は日産のカーデザイナーを辞めて世界を放浪していて、どの地域でも二ヶ月滞在すると決めて転々としていたらしいんですけど、そこで改めて日本の底力を感じたらしいです。現地で見る日本の製品はやっぱり優れていて、日本語を喋っていると、教えてくれと現地の人に何度も頼まれる。日本にいると日本のことはよく分からないんですけど、外国に行くと日本の立ち位置がすごいということに気付かされた、という話を聞きました。
安田 それは本当におっしゃるとおりで、僕自身もアメリカに5年間住んでいたときに、日本のことをより深く理解できるようになりました。ずっと日本にいたときは、当たり前すぎて気付かなかったことが、他国で暮らしてみると、全然当たり前じゃないと初めて気付くわけですよ。よく言われる話で言うと、公共交通機関が時間どおりに来てくれるとか、みんなが交通ルールをしっかり守るとか。日本では役所も、郵便局も、窓口で顧客として丁重にもてなしてくれるじゃないですか。ああいうのは他国ではぜんぜん当たり前じゃないですよね。すっごい偉そうに、お前はこっち並べ、とか上から目線で(笑)。あとは職務中に私語を話してる人もたくさんいるし。日本にいたときには気付かなかったけど、感謝しなきゃいけないなと思いましたよ。
柿内 東京と地方、国内でも違いますよね。東京だけにしかいないと、東京のここがすごいやっぱり分からない。逆に地方は地方で凄さがあるわけで。そういうところで言うと、相対的な視点というのは大切ですね。
安田 そうですね。身近な話で言うと、人が多いじゃないですか、東京って。渋谷のスクランブル交差点なんて、数分ごとに「民族大移動かよ!」って突っ込みたくなるぐらいたくさん人がいて。日本にいたときは、そういう人ごみが大嫌いだったんです。でもアメリカから帰ってきて見ると、こんなに賑わってる場所は世界中どこに行ってもないだろうな、って逆にポジティブに思えてくる。実際に観察していると面白いんですけど、週末にスクランブル交差点へ行くと、写真だけじゃなくて、ビデオまで撮ってる外国人観光客が意外に多く目に留まります。
岡村 あー、かなりの確率でいますね。
安田 留学前の僕だったら、いったい彼らは何が楽しくてビデオなんて撮ってるのか、と理解できなかったと思います。だけど、世界でここだけ、という視点で見ると、単なる煩わしい一風景ではなくなるんですよね。そういう意味で、今まで気付かなかった、あるいは悪いと思っていた日本の一面が、実はイケてるかもしれない、という気付きはいろいろとありました。
(後編へ続く)
氏名
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安田洋祐
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フリガナ
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ヤスダヨウスケ
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所属
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政策研究大学院大学
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職名
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助教授
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経歴・職歴
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2002 東京大学経済学部卒業(卒業生総代 大内兵衛賞)
2007 プリンストン大学経済学部博士号取得 2007 政策研究大学院大学助教授 |
研究分野・キーワード
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経済学 ゲーム理論
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著書
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『学校選択制のデザイン』(編著)NTT出版(2010年)
『モバイルバリューの社会システム』(共著)経済産業調査会(2011年) |
ブログ
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