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ティーンムービーを見くびるな

第2回『溺れるナイフ』----そのスピードで

宇野維正
2016年12月09日 更新
第2回『溺れるナイフ』----そのスピードで

クオリティの低いものも少なくなく、見くびられがちな「ティーンムービー」。しかしその中にも、演者・作り手双方の新たな才能のきらめきに立ち合ったかのような、ハッとする作品が存在します。また、そんな作品が増えてきています。本連載では、「今、観るべきティーンムービー」を男女問わず、「映画館に年に数回以上行く」すべての観客層に向けてリコメンドしていきます。第2回の題材は、公開館数こそ多くないものの、若き才能の結集によってロングヒットを続けている『溺れるナイフ』。書き手は、映画・音楽ジャーナリストで『1998年の宇多田ヒカル』、『くるりのこと』の著者、宇野維正さん。鋭い分析にうなり、映画を観たくなることうけあいです。

『溺れるナイフ』の「解説」

 本作『溺れるナイフ』は「コミックを原作とするティーン向けの恋愛映画」という本連載の主要テーマにすっぽり当てはまる作品ではあるが、現在日本の映画会社が量産している「コミックを原作とするティーン向けの恋愛映画」とは最もかけ離れた場所に存在している作品と言っていい。原作は極めて作家性が強く、それゆえに熱狂的なファンが多いジョージ朝倉のコミック作品(全17巻)。監督(及び脚本)も同じように極めて作家性が強く、自主映画時代から10代の少女たちを中心に熱狂的なファンを持つ山戸結希。『溺れるナイフ』は商業映画の枠組の中で企画が進められながらも、そんな熱狂と熱狂が重なり合いスパークする場所で生み出された作品だ。

 本作が実質的にメジャー作品デビューとなった山戸監督は「なにか映画化したい原作はないか?」と提案されて、真っ先に中高生時代から愛読していた『溺れるナイフ』の名前を挙げたという。山戸監督のようにパーソナルな映画作りをしてきた監督であっても、より大きな作品を実現するためには「原作」の力を借りなくてはいけないという昨今の日本映画界事情を嘆くことも可能だ。しかし、最初に映画化に適した売れ線の原作コミックがあって、そこから映画業界と芸能界の行政の中で監督やキャストを決めていくという流れ作業から生まれた作品ではないことは強調しておきたい。

 本作の撮影がおこなわれたのは2015年9月の17日間。2015年から2016年にかけて(そしておそらく2017年以降も)最も映画界の引きが強い役者の二人であった小松菜奈と菅田将暉、『ちはやふる』と『君の名は。』で結果的に「2016年の顔」となった上白石萌音、そして本作で多くの人がそのすさまじい役者としてのポテンシャルを発見することとなった重岡大毅という、今後の日本映画界を背負っていくであろう4人がここに奇跡的に集合していたことも大きい。

 エイベックスのアイドルグループ東京女子流をフィーチャーした前作『5つ数えれば君の夢』も含め、山戸監督はこれまでまだ色がつくまえの駆け出しの役者(もしくは素人)を自身の作品世界に巻き込んできたわけだが、本作『溺れるナイフ』ではその比類のない「巻き込み力」を、それぞれスターダスト、トップコート、東宝芸能、ジャニーズの看板若手俳優たちに対して同じように発揮している。しばしば否定的に語られる大手芸能事務所の力学だが、問題の本質はその力学にコントロールされることにある。20代半ばの女性監督がこれほどの全能感と大胆さで自身の作品をコントロールしてみせているのだから、これまでそうした力学に振り回されてきた映画人は自身の不甲斐なさを恥じるべきだろう。

 2016年11月5日に公開された『溺れるナイフ』は、公開から約1ヶ月が経った現在、配給会社が当初目標にしていた興収の倍近い数字を記録しているという。それも、観客の中心となるティーンの女の子から観客層が広がるというかたちではなく、その層により深く浸透するといったかたちで。少女たちは、大人が自分たちに合わせて目線を下げて作ってきた作品以上に、同じ目線で真摯に作られた本作により強く反応したのだ。

『溺れるナイフ』の「見方」

 映画『溺れるナイフ』を貫いているのは、その緩急自在なスピード感だ。全17巻、小学校6年生から高校3年生までの7年間の物語であった原作を、映画では全17日間の撮影、111分の上映時間、1年間ちょっとの物語という、まるで悪い冗談のような条件のもとで新たに語っている。もちろん、作品のクオリティを担保する上で撮影期間は長いにこしたことはない。実際に撮影期間は晴天に恵まれなかったとのことで、そのために画面全体に不思議なエフェクトがかかっているシーンも散見できる。しかし、それさえも武器にして、山戸監督はこの物語の本質だけをしっかり抱きしめてラストシーンまで疾走し続ける。

 冒頭。東京での夏芽(小松菜奈)のファッション誌フォトセッション。車移動による引越し。父の実家であり、新しい生活の場所である浮雲町の旅館での歓迎会。立入禁止区域となっている「神様が住む入江」での、航一朗(菅田将暉)との運命的な出会い。この物語のすべての背景となるそれらの出来事を語るのに、この映画は4分ちょっとしか費やすことをしない。中でも驚かされるのは、航一朗が画面に初めて現れる海で泳いでいるカット、そしてそれに続く海に浮いているカットが、浜辺を歩く夏芽を遠景の中で収めたシーンの間、ほとんど1秒か2秒という短い瞬間だけ連続して差し込まれるところだ。「冒頭5分を観たらその作品が観るに値する作品かどうか判断できる」というのは自分の持論だが、『溺れるナイフ』は冒頭から誰の目からも明らかに「ただ者ではない」映画作家が撮った作品であることがわかる。好き嫌いは別として。

 山戸監督はもったいぶることを知らない。そして饒舌だ。「その頃わたしはまだ15で。すべてを知ることができる。すべてを手に入れることができる。すべてを彼に差し出し、共に笑い飛ばす権利が、自分にのみあるのだと思い込んでいた。私が欲しているのは体を貫くような眩い閃光だけなのだ。目が回るほど。息が止まるほど。震えるほど」。作品のタイトルバックにかぶされた夏芽のそのモノローグに、本作のメッセージはすべて集約されている。もったいぶることを知らないこと、そして(映像ではなく言葉として)饒舌であることは、映画という表現フォーマットをフェティシズム的に愛する者たちにとって、あまり好まれることではない。一方で、本作はまるで狂ったように次から次へと思わず息を飲むほど鮮烈なショットをたたみかけてくる。観客のメインターゲットであるティーンの女の子たちがそれらをどう受け止めるか想像するしかないが、それなりに映画的リテラシーを持つ観客は、まるでムチとアメを同時に与えられたような感覚に陥って混乱してしまうかもしれない。

 観客はやがて、作品の前半を貫く非日常的なスピード感を司っていたのが、夏芽ではなく航一朗であったことに気づくだろう。航一朗という「眩い閃光」に体を貫かれた夏芽は、恋人の顔色を伺うただの「恋する少女」となって航一朗を退屈させる。もちろん、恋だの愛だのというものはそんな「退屈の共有」にあるわけだが、ある事件によって二人はそんな「退屈の共有」の機会さえ奪われてしまう。高校に進学した夏芽を取り巻いているのは、非日常的な「眩い閃光」の真逆にある、日常の「引き伸ばされた時間」だ。そして、そんな「引き伸ばされた時間」の中で再会することになるのが、中学時代の同級生の大友(重岡大毅)である。夏芽と大友の二人のシーンは、細かいカット割りが多用される夏芽と航一朗の二人のシーンとは対照的に、バッティングセンターでのシーンや夏芽の部屋に大友が訪れるシーンにおける長回しや、執拗なまでに長いスナックでのカラオケ(「俺ら東京さ行ぐだ」のフルコーラス!)によって描かれる。自分と同世代の人々の多くが、本作で最も印象に残ったところとして夏芽と大友のシーンを挙げていることは興味深い。それらは作品の前半のような映画的混乱をもたらす危険性が少ない、山戸監督の映画作家としての地力が引き立つシーンと言えるだろう。

 高校生になってから変貌したカナ(上白石萌音)と、彼女が航一朗に寄せる複雑な心理をめぐるエピソードは、今回の映画化作品が原作から取りこぼしてしまった部分であり、それによって原作でも様々な仕掛けが張り巡らされていたクライマックスの火祭りのシーンが、さらに読み解きにくいものになってしまったのは悔やまれる。しかし、そうしたナラティブの乱れを超えて、本作が多くの観客に支持された意義はとても大きい。前回紹介した『ちはやふる』がかつてのハリウッド的なウェルメイドな娯楽作品に限りなく近づいた作品であるとしたら、今回の『溺れるナイフ』はかつてのヨーロッパの作家性の強い芸術作品とかなり近い感性によって作られた作品だ。前者が受け入れられるのはある意味当然のことだが、後者が「わかりやすいものしか求めない」と言われがちな若い観客に受け入れられる可能性を示してみせた山戸監督には、これからも自信を持って映画作家としての疾走を続けてもらいたい。そのスピードで。

作品情報

タイトル:『溺れるナイフ』

キャスト:菅田将暉、小松菜奈、重岡大毅、上白石萌音ほか

監督:山戸結希

原作:ジョージ朝倉『溺れるナイフ』(講談社「別フレ」KC刊)

公式サイトはこちら

本連載『ティーンムービーを見くびるな』第1回もあわせてご覧ください!

第1回『ちはやふる 上の句/下の句』----風と光があなたに恵むように

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ライターの紹介

宇野維正

宇野維正

1970年、東京都生まれ。音楽/映画ジャーナリスト。洋楽誌、邦楽誌、映画誌、海外サッカー誌などの編集部を経てフリーに。現在は映画サイト「リアルサウンド映画部」で主筆を務める。『装苑』『GLOW』『MUSICA』『NAVI CARS』などで批評やコラムや対談を連載中。著書『1998年の宇多田ヒカル』、『くるりのこと』(新潮社)。

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