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イベントレポート

【西寺郷太『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』発刊記念】80's洋楽考察に「欠けていたピース」── それこそが、ジャネット・ジャクソン

2016年11月22日 更新
【西寺郷太『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』発刊記念】80's洋楽考察に「欠けていたピース」── それこそが、ジャネット・ジャクソン

星海社新書『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』刊行記念! 

タワーレコード渋谷店にて著者・西寺郷太さんによる、濃密な80's洋楽トークイベントが開催されました。

60分に及ぶフルスロットルのトーク内容、その一部をお届けします!

日時:2016年10月14日(金)

場所:タワーレコード渋谷店4Fイベントスペース

登壇者:西寺郷太、築地教介(星海社)

80's洋楽考察に「欠けていたピース」

築地:昨年(2015年)10月、下北沢B&Bで開催された「僕たちの洋楽 ~80年代ポップミュージックを語る夜~」というイベントに参加しました。登壇されたのは西寺さんとネットニュース編集者の中川淳一郎さん。お二人がリアルタイムで聴いてこられた80年代ポップミュージックのお話しのなかで、何人か女性アーティストが出てきたんです。そのなかで西寺さんがジャネット・ジャクソンのお話をしており、これはまとめたものをぜひ読みたいと思ったんです。

西寺:イベントのサイン会のときに、執筆のお願いを頂いたんですもんね。

築地:そうなんです。

西寺:その場で「本当に書きたいこと書かせてもらえるなら、いいですよ」って言って(笑)

築地:はい。「えっ、いいんですか」みたいな(笑)それから正式に「ジャネット書きます」と言っていただいたのが、今年の初めぐらいですね。

西寺:そうですね。『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』を執筆する流れはありましたね。まず『プリンス論』(新潮新書)。日本人の書いた初めてのプリンス本です。プリンスはとにかく仕事量が多く、サイド・プロジェクトを含めると新書にはとてもまとめきれない。そこで、まずはオリジナル・アルバムを追いながら執筆することにしたんです。プリンスを知ってもらう上で、この執筆コンセプトはとても意味があるものだと思いました。そしてほぼ同時期に執筆したものが『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』(NHK出版新書)。これは映画が始まる19世紀終わりから、つまり「アメリカン・ポップス」そもそものスタート地点から書き始めました。「映像に音が加わる」ということが徐々に始まり、その点が大きなポイントとなってアメリカのポップスというものが世界に広まった。電波に乗って、その場にいなくても音楽やアートが外に広がっていくということを可能にしたのが、20世紀のアメリカの力だったんだと思います。その終わりとして規定したのが1985年です。この年の大きな転換点までを書きました。

築地:『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』はコンパクトで、短距離を走りきったような読後感がありました。

西寺:1985年で「アメリカン・ポップス」のひとつの形が終わりを迎えるということを書いたあと、余計なところをある程度切って、敢えてこの本は続きを書かずに終わらせました。ただ、当然1985年以降も人々に愛された音楽はありますよね。だとしたら、1985年以降、「アメリカン・ポップス」の終焉後の世界を書かなきゃいけないっていうのが、ジャネット本のオファーを受けた時の僕の心境でした。そして、1980年代の中盤から後半にかけて主人公は誰だったのか。それ以降の時代に大きな影響を与えたのは誰だったのか。それが、このジャネット・ジャクソンという人を追いかけることで見えてくると思ったんですよね。

築地:それはなぜですか?

西寺:ジャネットのバック・バンド、サポート陣ってザ・タイムのほぼオリジナル・メンバーなんです。もちろんザ・タイムは、当時飛ぶ鳥をも落とす勢いだったミネアポリスを本拠地とするプリンスが選んだ天才的な若手ミュージシャンで構成されていました。そのザ・タイムから優秀なメンバーはどんどん抜けていったんですが、言うなればジミー・ジャム、テリー・ルイスを軸とするそのオリジナル・メンバーに、ボーカルにジャネットが入った形のアルバムが『コントロール』や『リズム・ネイション 1814』となっていく。これはもう完全にプリンスの別動隊ですよね。ジャネットはマイケルの妹であり、もちろんジャクソン家の遺伝子も完全に受け継いでいながら、プリンスの遺伝子とそれを混ぜて生まれたハイブリッド・アーティストなんです。ジャネットを追うことによって、『プリンス論』『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』では欠けていたピースがカチッとはまり、80年代洋楽の後半、その全貌が見えてくる、そう感じたんです。

築地:とても説得力がありますね。僕はジャネット本を執筆して頂いたあとに、改めて『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』を読んだんです。すると西寺さんが『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』の最後で残された余韻の部分が、今回のジャネット本で再び動き出す感覚を覚えます。

チャートが示すジャネット・ジャクソンの"凄み"

会場にズラリ並べられた星海社新書『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』

築地:さて、タイムリーなことにジャネットの妊娠が報道されましたね。このジャネット本で感動したことが、ジャネット本人にこの本を届けることができたんです。西寺さんよりも先に(笑)

西寺:そうそう(笑)ジャネットが入院しているロンドンの病院にね。正確に言うと、ジャネットの旦那さんに。ただ、本書にジャネットがボビー・ブラウンと恋仲だったころのエピソードも書いてある。もし旦那さんが日本語を読める方だったら「なんちゅう本書いてくれてんねん!」と思ったかも(笑)

築地:(笑)でも帯に「ジャネット is グレイト!」と書いてあるんで、「いいこと書いてある!」ていうのはなんとなくわかりますよね(笑)

西寺:そうですよ! 僕は本当にそう思っていますしね。

築地:この本の執筆ポイントであるジャネットを含めた「80'sディーバ(歌姫)たち」についてお話しを聞かせてください。

西寺:はい。プリンス、マイケル、そして80's洋楽というものを書いてきたのに、ジャネット、マドンナ、ホイットニー、を書かずして80'sを語れないっていう想いがあって。

築地:なるほど。

西寺:まずそれはチャート上ではっきり証明されています。1986年初頭にジャネット・ジャクソンの『コントロール』が出る。これが同年のビルボード全米年間アルバムチャートで6位に入っている。さらに翌年1987年の同チャートでも5位に入ってるんです。2年連続トップ10入りです。そして1990年の同チャート1位はジャネットの『リズム・ネイション 1814』なんです。ということは1986年、87年、90年にジャネットのアルバムが上位にいた。席巻してますよね。これだけでもすごい。でもジャネットの凄みはそれだけではないんです。1989年の同チャート1位はボビー・ブラウンの『ドント・ビー・クルエル』。このアルバムは、L.Aリード&ベビーフェイスと当時20代の若きテディー・ライリーがメイン・プロデューサーとして制作しました。同じく若きプロデューサー、ジャム&ルイスが、ジャネットの『コントロール』で大ヒットを飛ばしていた。ボビーの脱退を受けてジョニー・ギルが新加入、まさに「新編成」での起死回生を狙ったニュー・エディションもその成功を受けて『ハートブレイク』のプロデュースをジャム&ルイスに依頼しています。そこでボビー陣営は「うちも(ジャム&ルイスと)同じような新しくド派手なサウンドを追求しなければいけない」と。L.Aリード&ベビーフェイスのベビーフェイスは「『コントロール』のドラム・サウンドを真似した」とはっきり言っているくらい研究して『ドント・ビー・クルエル』を制作しているんです。つまり1989年の年間ナンバーワンも完全に『コントロール』の影響下にあるんですよ。それと、1988年の同チャート1位は、ジョージ・マイケルの『フェイス』です。実はこのアルバムも『コントロール』から、特にジャム&ルイスから多大な影響を受けています。僕も子供の頃に行ったアルバム・ツアー「フェイス・ツアー」では、ライブ開始時のSE(サウンドエフェクト)でなんとジャネットの「コントロール」が流れるんです。それぐらい好きなんですね。それから「モンキー」という曲が元々『フェイス』に入っていたのですが、それをシングル・カット時に再プロデュースしたのがジャム&ルイスなんです。しかもジョージが彼らに頼んでやってもらった。

築地:『コントロール』を起点に置くと、こんなに流れがクリアになるんですね。西寺さんの考察でその事実を知り、驚きました。

西寺:チャートのデータが実際そうだったという事実を元に説明すると、80年代後半を支配したのがジャネットの『コントロール』サウンドだった、ということを決してイメージで言っているのではないということがわかってもらえると思います。チャートの話でさらに言えば、1986年の同チャート1位はホイットニー・ヒューストンのファーストアルバム『ホイットニー・ヒューストン』。

築地:でましたね。ホイットニーのお話、聞かせてください。

ジャネットとホイットニーの違い

約100人のご来場者で沸いた会場

西寺:ジャネット、マドンナ、ホイットニー、3人ともファースト・アルバムは自身のフルネームなんです。ホイットニーを世に出したのが敏腕・クライヴ・デイヴィス。ファースト・アルバムは『ホイットニー・ヒューストン』(邦題『そよ風の贈り物』)。はい、ここまではいいですよね。そしてセカンド・アルバム。なんとタイトルは『ホイットニー』......適当すぎると思いません(笑)? ホイットニーの歌手としての、さらにはパフォーマーとしての凄さは群を抜いています。女優としても『ボディガード』で、未踏の地に辿り着いたヒロインです。『ホイットニー・ヒューストン』の次に、『ホイットニー』って(笑)。でもこういうアルバム名を付けてしまう点から、自分の音楽をクリエイトするということに対する意識が希薄だとしか思えない。

築地:重きを置いていない、ということですかね?

西寺:クライヴの考えに従ったんでしょうが、重きを置いていなさ過ぎでしょう(笑)! それに比べて、ジャネットは明確に違いますね。ファースト・アルバム『ジャネット・ジャクソン』(邦題『ヤング・ラヴ』)、セカンドアルバム『ドリーム・ストリート』、まあここまでは普通です。そして次の『コントロール』。コントロールという言葉は、彼女にとってとても重く大事な言葉です。"父親ジョー・ジャクソンの支配(コントロール)"から逃れるという意味を持つ一方で、音楽的には"コンピュータのリズム支配、コントロール"は逆に受けているという重要な意味も持っています。そして事実、ジャネットは80年代以降の音楽をコントロールしたわけです。

築地:このお話しを聞くとアルバム『コントロール』が聴きたくなってしまうんですよね。余分な音が排除された、西寺さん曰く「感情がなく、機械的で、ある種の"怖さ"を覚える音」。

Janet Jackson - What Have You Done For Me Lately(アルバム『コントロール』収録)

西寺:そうですね。『コントロール』の次は『リズム・ネイション 1814』。人種差別や教育、様々な問題に向き合った社会的なアルバムです。そして、続くのが『janet.(ドット)』。この意味は明確で「ジャクソン家は関係ない、私は私(ジャネット)として生きていきます」という決意表明ですよね。すごくタイトル一つ一つに意味があるんですよ。

築地:それと、ジャネットが生まれた環境、そこからの真摯な生き方も西寺さんがジャネットを尊敬しているところですよね。

西寺:まさにそうです。生まれた瞬間、周りの兄がジャクソン5ですからね。(ジャニーズの)SMAPや嵐が全員兄弟だったとして、自分が年の離れた妹みたいなものですよ(笑)。マイケルの妹、それほど剥がせないレッテルはあるでしょうか。お城のような豪邸に住んで、アメリカ中の誰もが自分を知っている。恵まれていても厳しい状況下に置かれた幼少期、少女時代で、どれだけ道を踏み外したっておかしくないですよ。そんな中で、よくがんばったなこの人って思いますね。

築地:あの環境の中でよくぞ真摯な生き方をした、ということですよね。

西寺:そうですよ。僕、泣きそうになってきました。ジャネットが幼いころのジャクソンズは「ヴィクトリー・ツアー」という巨大なツアーをやっていた世界最大のグループです。ザ・ローリング・ストーンズよりも大きなライブをしていたんです。そのなかで自己を確立させようと思って、当時のジャクソン家にとっていわば"相手方"であるプリンス陣営のジャム&ルイスのところにプロデュースをお願いしに行く。

築地:そこで父親・ジョーが焦るんですよね。

西寺:そう、めちゃくちゃ焦ります。その前にしても、デバージ家のジェイムズ・デバージと結婚して、それに家族が猛反対したら勝手に「ヴィクトリー・ツアー」の真っ最中に結婚したり。両親がスタッフで兄弟がライヴをしている同時刻にその隙を突いて結婚するって、めちゃくちゃ確信犯でしょう(笑)止めに行けない。

築地:賢いですよね。

西寺:ジェイムズ・デバージのおじさんに結婚式をやってもらって、しかもそこにスニーカーにジーパンで行ってるんですよ。いい意味で、とてもお嬢様とは思えない。結局その結婚は失敗するんですが、その挫折の中で得た傷をメッセージに込めた『コントロール』を出して大成功するわけです。さらに90年代半ば、兄・マイケルの最も大変なときに「スクリーム」という曲で彼と一緒に初めて歌う。当時の世間の反応は「格好いい無敵の妹が、ピンチの兄を助けに来た!」、ですよ。クールすぎますよね。もうその時はジャネットはマイケルに互角に並んでましたから。

Michael Jackson - Scream

築地:ジャネットの生まれた、また育ってきた環境についてもう少し聞かせてください。

西寺:生まれた環境で言うと、偉大な才能に溢れた兄弟に囲まれて育った。それを普通のことのように家で見ていた。特にマイケルは"親友"のような存在で、マイケルがジャネットにスタジオで歌を聴かせてあげたと聞いています。例えば宇多田ヒカルさん等もそうだと思うんです。音楽家庭に生まれて、小さい頃からそういう状況を見ていたから、音楽をつくることが当たり前のようにできたと思うんですね。ジャネットの話に戻ると、小さい頃からクインシー・ジョーンズやフランク・シナトラに会う、ダイアナ・ロスに抱っこされる、みたいなことが日常だった彼女は細かいことには動揺しない強さが自然と身についたんだと思います。その過程で、「自分はこう生きたい」ということがすごくはっきりと判断できる人だったんじゃないでしょうか。2015年に復活を果たしたアルバム『アンブレイカブル』で再びジャム&ルイスと組みますが、ジャネットクラスであればあらゆるプロデューサーと組めるところを、ここで再び"盟友"ジャム&ルイスと組むことを選んだ。本物を見抜く強い意志を感じますよね。

築地:ジャネットの芯の強さがすごく印象的です。

西寺:そうそう、芯が強い。

楽曲を聴きながら楽しめる『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』

築地:僕が今回の本で好きな章のひとつが補章「ビルボード年間アルバムチャート1984-1990年」です。

西寺:あれ、いいですよね。

築地:1984年から1990年までの年間アルバムチャートがこの部分に集約されていて、まとめて読めるというところがポイントです。1987年には『コントロール』がランクインしているなかで、実はアルバム『ライセンスト・トゥ・イル』でビースティ・ボーイズが台頭している、など80年代の趨勢を西寺さんの解説とともに見て取ることができます。

西寺:そうですね。この補章は築地さんがこういう章を入れませんか、と提案してくれたものです。大変でしたけど(笑)。チャートを見ると印象論で書いているのではないということがわかってもらえると思います。僕、今回特に言いたかったのは、自然に成し遂げられた革命はなかなか気がつかない、ということなんですよ。

築地:と言いますと?

西寺:野球の話で例えると、守備が上手い人って「ここに打つのでは」と予測して、あらかじめその場所に守る。すると難しいと思われる打球も簡単に取れているように見える。本当にジャネットっていう人は守備位置のいい人で、最初から『コントロール』、『リズム・ネイション 1814』、『janet.』の音の違い、『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』から『オール・フォー・ユー』までの流れで、彼女の取ってきた守備位置が凄かった。つまり、ジャネットのフォロワーが続々と出てきた要因のひとつでもあると思いますが、「ここに立っておけばいい」というメッセージを次の世代の人に伝えた人なんだと思います。日本では安室奈美恵さん、宇多田ヒカルさん、アメリカですとTLC、ブリトニー・スピアーズ、ビヨンセ、リアーナという錚々たるアーティストに影響を与え続けました。それと、女性アーティストが80年代から輝いてくる中で、プロデューサーやデザイナー等とはもちろん組むけど、しっかり自分の考えも持っている、という点もジャネットは強かった。その点はマドンナもそうですね。

築地:マドンナの生き方は強烈ですよね。

西寺:マドンナは「ライク・ア・ヴァージン」を出した頃は"ヤング・マリリン・モンロー"などと言われていて、どちらかというとエロティックなイメージで売っていた。ちなみに「ライク・ア・ヴァージン」はメッセージ性がそれほどあるわけでは無く、ジャネットの「コントロール」が持っている、心の底から滲み出ている"私を認めて"というメッセージ性の強い楽曲とは違いますよね。マドンナは1985年にヌード写真をばらまかれて、自分の体がゴシップの対象となってしまった。その状態で「ライブ・エイド」に出てきて観衆からも散々野次られる。外見は強気だったマドンナは実は傷ついていたということは本書でも書きましたが、ここで、敢えて強気に出たことがマドンナの凄さです。アルバム『トゥルー・ブルー』を出すタイミングで、髪をばっさり切りました。これまでのグラマラスなイメージの自分を捨て、世間に「変化」を示したんです。ここで女性からの人気がぐんぐん上がっていくんですね。こういう判断や行動はマドンナの天才性だと思うんですよ。「今のままでは生き残れない」という直感。そういう判断の繰り返しで、今も最前線に君臨している。

築地:まさに「メタモルフォーゼ(変容)」を体現している人ですよね。

西寺:そう、変わり続けている。

築地:今日西寺さんにお話し頂いた内容は、『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』のなかで、その時代背景とともに精緻に綴られています。ぜひ楽曲を聴きながら読んで頂くことをお薦めします。というか、読んでいると聴きたくなりますから!

西寺:はい、ぜひよろしくお願いします!

築地:本日はありがとうございました。

西寺:ありがとうございました。

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