星海社新書より来春刊行予定の『住職という生き方』の公開打ち合わせがマチ★アソビvol.21にて開催された。
「著者と編集者はどのような打ち合わせを経て本を作るのか」という普段見られない工程を読者の前で行う公開打ち合わせは、vol.19の際に開催された納谷僚介氏『声優をプロデュース。』でも大好評を博した。
本イベントレポートは蝉丸P氏と担当編集者である平林緑萌が対談形式で行った公開打ち合わせの模様を再構成したものである。
平林 蝉丸さん、今日はよろしくお願いします。本の方向性はお配りしたレジュメの通りになると思いますが、さっそくはじめていきましょう。まず「はじめに」のところなのですが、どんなこと書きたいか考えてらっしゃることはありますか?
蝉丸 鉄板の自己紹介的なものというか、いかにして出家を目指して、お坊さんになって、というトピックを語りつつというところじゃないかなと。
平林 全国には、住職と呼ばれる人がたくさんいますよね。
蝉丸 コンビニの店員くらいいますね。
平林 蝉丸さんはその中の、ある真言宗のお寺の住職をされているわけですけれども。家を継ぐかたちで出家されたわけではないんですよね?
蝉丸 地元は神奈川の某所なのですが、実家は自営業で、精密機械の工場でした。今とはまったく関係のない職業かと思います。
平林 ご実家は真言宗だったんですか?
蝉丸 父方が真言宗、母方が真言と禅宗です。
平林 そうすると、家自体は真言宗ということになるわけですね。
蝉丸 母方の叔母の方も真言宗だったんですよ。大きい有名なお寺で、山伏の入山とかをやるところなんですが、そこでじいさんが檀家総代を務めていたのを見ていました。だから、まったく馴染みがなかったわけではないですね。
平林 でも、それって自分が「お坊さんになろう」というほどのものでは決してないですよね。仏教に興味を持ったのはいつ頃ですか? 単に思想として研究する、という方向もありますよね。仏教史、文化だとか。仏教との関わり方って色々あるじゃないですか。熱心な檀家になるという方法もあるし。
蝉丸 職業としての住職を目指したのは高校生のときですね。きっかけとしては、中学の文化祭で出し物に、落語をやったこと。最初は落語家を目指していたんですよ。
平林 落語と仏教って直接的には繋がらなくないですか?
蝉丸 落語の原型は法話と言われていますから。工場の息子だったのでパートのおばちゃん連中と話をすることも多く、割と口が立つ子だったわけですよ。中学生くらいの頃から親に「お前の食費・学費に年間いくらかかっているか計算してみろ」とか「両親が死んだらどうやって稼いで生きていくか考えておけ」だとか言われたんですね。まあ嫌な教育方針ですな、そんな事を考えずに楽しく遊んでいたかった(笑)。
平林 人生の意思決定を早くしろ、という風に迫られていたわけですね。
蝉丸 そうですね。で、中学校の時の落語が受けたので、喋る仕事が良いのではと。時代は1973年生まれのベビーブーム天辺。ひとクラス45人、それが16クラスもある。まぁこの中で2クラスが現役で進学ですよね、あとは浪人するか専門学校へ行き職業を見つけるか、というようなかたちになるかと思います。あとは、「フリーター」という言葉もこの頃流行っていたり(笑)。定職に就かず、自由にやっていけばいいよ、という雰囲気もあり。
平林 バブルの頃ですね。
蝉丸 割と世間が浮かれ気味で、そして横文字が強かった。「ハウス◯◯」とか「デザイン◯◯」とか。みんながお洒落な方向を向いていましたね。そこで「じゃあ、逆張りだ!」と、お洒落じゃない伝統芸能だとか、和服を着て喋るような仕事を考えました。母方が美容室をやっていて着付けの免許を持っていたのもあり、そういう方向が合っているんじゃないかと。卒業生に落語家がいるか探してみたり......。
平林 なかなかそんな高校生、いないですよね。
蝉丸 そうなんですかね?(笑) 調べたところ、小さん師匠の、柳家一門の方がいらっしゃって、ちょっと話を聞いてたりしました。とはいえ、思った通り一門の方からは止められましたね。
平林 まぁ厳しいですよね。食べていけるようになるまでの時間が長すぎる。そもそも、食えるようになるかもわからないし。
蝉丸 かならずと言っていいほど、伝統芸能の世界は戸を叩く時点で断られることがほとんどですからね。禅宗なんかに形として残ってて、修行僧になるときもまず一週間、山門の寮で座禅を組まされて。それを乗り越えて、やっと許されるみたいな。
平林 最終的には入れるんだけど、所定の手続きみたいなもののひとつに「まず断る」というのが織り込まれていると。
蝉丸 ですね、それから落語家には、いわゆる喋りはもちろんですけれども、ご相伴にあずかることができるか、つまりお酒が飲めるかっていうこともかなり重要でした。僕は中学生の時に羽目を外してお酒を飲んだときに急性アル中みたいな感じになったことがあるので、体質的にこれは駄目かもしれないと......。今みたいにお酒を断ってもいい、みたいな雰囲気もまったくなかった時代だったので。
平林 今でも一部の業界では往々にしてあるようですけれどね。脱いでナンボとかと同じで。
蝉丸 さらに生の魚とか肉とかも苦手だったので、つまりは酒も飲めない食事も付き合えない。これは落語家どころかサラリーマンにもなれへんぞと。
平林 なれないですねえ。肩パッドが入ったスーツ着て、六本木とか歩くとかねえ。飲み会芸人になる営業とかも。
蝉丸 ご相伴にあずかって、食べて飲んで可愛がられるなんて自分には絶対できないかもしれないと。落語は話すだけじゃなくて、後援してくれる旦那衆の相手を上手にしなければならない、つまりは「ご相伴力」がないといけない。これは関係ない話なんですけど、春原ロビンソンって漫画家さんがいるんですけど、今までこの「ご相伴力」が一番高いと感じたのは彼ですね。
会場 (笑)
平林 相撲の世界とも少し似てますよね。
蝉丸 そうですね。こういう世界には天然の愛嬌がないと駄目なんですよ。若いってだけで年上に構ってもらえるじゃないですか。それも25歳くらいまでなんですけども。
平林 僕はいま36歳なんですけど、もう10代、20代の感性は分からないわけですよ。まれに理解できる人もいるみたいですが、年とともにわからなくなっていく方が普通だろうとも思いますね。ただ、それはそれとして変わらぬもの、普遍性を持つものもあるじゃないですか。若い頃は自分の感性にフィットしたもので勝負しようとしていたんですけれども、やっぱり最近は少し変わってきて、ある程度普遍性を持つものっていうのを世に送り出すことも基本的な技術や知識を持つ編集者ができる仕事のひとつなのかなと思うようにもなりました。そういう意味で、今回の蝉丸さんのテーマは現代的でありつつも普遍性があると感じています。この本のキーになる部分が、「どうして仏門に入ろうと思ったのか」ということかと思うんですが、そこはどうですか?
蝉丸 三つほど理由がありますね。先ほどの話の続きになるんですけど、落語家にはなれない、サラリーマンも無理、大学に行くのも厳しいかもしれない。悩んでいた時に、スクーターで目の前を走り去ったお坊さんを見た瞬間「これや!」と。和服を着ながら「喋る」仕事として見つけたのがまず一つ。もう一つが、高校生くらいの時に世間では三ない運動が起こっていたのですが、自分の高校ではバイクが禁止されていなかったんですね。事故で亡くなってしまった先輩や同級生とかも少なくなく。他人の死を間近に感じたときに、色々と考える事があったわけですね。かつ、工場なんかやっているでしょう、そうすると、勤めに来る人にも事情や苦労を抱えた人がたくさんいて。恵まれた人ほど性格が悪かったり(笑)。様々な人生模様があふれていました。そのことに、なかなか若いうちは納得がいかなかった。どうしてこんないい人が苦労しなければならなくて、そうじゃない人が楽な暮らしを送っていて......だとか。
平林 それは、今でも思うことはありますか?
蝉丸 突き詰めて考えていくと一定の答えは出ました。そういうもんかなあと。
平林 とはいえ、それが最善だとは思っていないわけですよね。
蝉丸 そうですね。ただ、それって自分の視点で見た物語じゃないですか。他人が本当に抱えているものなんて真の意味で理解できることは不可能だし、全員が自分の視点を持っているわけですから。とにかくそうした中高生時代の環境があって、「人は死んだらどうなるのだろう」とか「死後の世界ってどんなものなんだろう」だとか、この世の中の不公平とか格差とか。そういったやりきれないものに対しての答えはあるのかなどと。最後の一つが、これからの超高齢化社会で、職業的に食いっぱぐれはないんじゃないかと思ったからです。
平林 工場の息子としての考えですね。二つ目の理由とはかなり逆ベクトルですね。
蝉丸 そうですね。複合要素ではありますが基本的に人生は逆張りで行くべきではないかと。とにかく人混みが嫌い、並ぶのが嫌い、電車も嫌い、人の行かない所、誰も寄り付かないような場所にいくのも一興かなと。
平林 それで仏門に入ろうかなと。親御さんからは特に否定されたりもせず?
蝉丸 祖母は「うちの一族は四代に一人くらいお坊さんになるのがいる」とも言っていたので「今回お前か」と。両親も「自分で選んだんだから好きにしなさい」と。
平林 進学したのは高野山大学でしたっけ?
蝉丸 最初は高野山高校ですね。高校一年のときに神奈川の県立から編入しました。まずは現役の住職に話を聞いてみようと思って「お坊さんになるにはどうしたらいいですか?」と直接聞きに行ったんですよね。具体的にどんな段階を踏んだらいいのかを知りたかったんですが、「よしわかった!」と一週間後に編入の書類を持ってきてくれました(笑)。
平林 いいおじさんですねえ。
会場 (笑)
蝉丸 今考えると、そこの寺は後継者がいなかったんですよね。娘さんだけだったのでどうしようかと迷っているところに鴨葱の若者が訪ねてきたものですから、あわよくば自分のところを継がせたいと思っていたんだと思います。でも、後年あっさり婿養子を取って、裏切られた!と思ったもんです(笑)。
平林 なるほど。それで、高野山高校から大学へはそのまま行かれたんですか?
蝉丸 そうですね。高野山高校に編入ですが、編入生は寮に入れないので高野山内の宿坊寺院に住み込みをさせて貰って高校へ通い、それから大学に進み、在学中に修行道場に行き、そこで初めて資格がもらえるという感じでしたね。編入なんか止めてそのまま県立高校で楽しく馬鹿をやっていたくもあったんですが、数学が赤点だったので、末は専門学校かフリーターじゃ先がないなあ......とは常々感じてたので渡りに舟かなと。
平林 家の工場を継ぐという選択肢はなかったんですか?
蝉丸 なかったですね。親としては、こんな商売は息子には継がせられないと。代々やっていたものでもなかったので、何やるのも自由という感じではありましたね。自分も一次産業や二次産業の納期に追われて頭を下げなきゃいけないような仕事は、親の背中を見ていたらとてもじゃないですけど「これは無理だな」と。
平林 なるほど。僕も自営業ですから、身につまされる話ではありますね。導入にこの話は入れておいた方がいい気はしますね。蝉丸さんって、アイコンとしては有名ですけれど、実際のプロフィールってあまり知られていないじゃないですか。今の話、知ってたって人いますか?(会場に挙手を求める) ......うーん、一人、二人くらいですね。やっぱり知られてないんですよ。この話は上手く入れた方がいいと思うんですよ。蝉丸さんは喋りは上手なので、そこにライターでも一人付ければコンパクトに収まると思うんですよ。喋ってもらえればそれを文章にするので、あとは章の小見出しですね。トピック的なものを入れていかないと、と思うんですよね。
蝉丸 一般的な新書としては一番最初に読者の知りたいことが入ってなければならないので、そこをちょっと考えねばならないですね。
平林 現在仮定している1章のエッセンスを「はじめに」の中に少しだけ入れてもいいと思うんですよ。Twitterやニコニコ動画で活動しているだけだと思われがちですが、実際はこんなふうにちゃんと住職の仕事をしていて、みたいなことを書いて欲しいですね。
平林 実際の住職としての働き方も読者は知りたいポイントだと思います。「リア住」としての活動をしながら現役の住職を務めているわけですが、そもそも週にどれくらい仕事があるものなんでしょうか?
蝉丸 たしかに、深夜の生放送とかで「いつ寝てるの?」ってよく質問が来ます(笑)。住職の働き方ですが、高野山でもどこでもそうですけれども、基本的に待機してる職業なので一概には言えないですね。夕食の買い出しにスーパーに行けば「俺が用事があって寺に行ったら留守だった、寺に居ろ!」なんて言われたりもしましたね。
平林 ネットスーパーを使えということか! という感じですね。
蝉丸 色々飲み込んで、「はぁ、すんまへん」と言っております。
平林 昔は檀家さんがいろんな食料を持って来てくれたりしたんじゃないですか?
蝉丸 それは江戸とか明治初期レベルの話じゃないかと(笑)
平林 何軒くらい檀家があるんですか?
蝉丸 うちは250軒くらいですね。
平林 結構大きいじゃないですか。宗派にもよると思うんですけど、250軒あって回らないってことはないんじゃないですかね。
蝉丸 うーん、微妙ですね。首都圏で300軒になったら、副業せずに余裕で専業で食べていけるくらいかと思います。地方の200軒くらいだとちょっと働きにでないと厳しいです。嫁さんを養おうと考えるなら尚更ですね。地方の250軒というのが絶妙で、一人でやって行けなくはないんだけれども、嫁さんと子供を抱えるのは厳しいかなと。一人でも余裕があるわけではないしなあという感じ。
平林 法事とかお葬式ってどれくらいの頻度であるんですか?
蝉丸 葬儀は年間で(250軒に)×0.03くらいですかね。法事の件数だと250件の2割くらい、年間に50軒くらいが法事を入れてきたりします。お葬式は結構変動しますね。葬式の「そ」の字も聞かないような年もあれば、遠方の家から寺に向かって順番に死人が出るような年もある。
平林 小野不由美の『屍鬼』みたいですね(笑)。
蝉丸 こんな感じで、収入としては一定しません。高給かと言われてると困ってしまうくらいの額ですね。「お寺さんだったらお金持ってるだろう」と見られがちなんですけどね。
平林 「税金払わなくていいんだから」とかね。
蝉丸 そう!!
会場 (笑)
蝉丸 放送でもネタにしたりエンターブレインの『蝉丸Pのつれづれ仏教講座』でも書きましたけど、今まで散々色々なことを言われてきましたからね。「選挙権ないんでしょ」とか。あるっちゅーねん!
平林 税金の面に関してはデメリットもありますよね。
蝉丸 固定資産税がかからんちゅうだけですからね。公益法人みたいなものだから、個人のものではないという考え方ですね。固定資産税が課されたら、伊勢神宮や高野山みたいな大きい寺でも飛びます。とくに都内の小さいお寺なんて軒並み飛びますよ。だから、固定資産税が取られないというのと、法人税が一定金額──8000万以上の収入でなければ法人税自体は免除、それくらいですね。ただ、新興宗教みたいに副業を展開したりすると営利事業になっちゃうんですよ。この前裁判になってましたけども、お守りとかお札とか、どこまでが宗教行為、どこまでが営利行為なのかという線引きは税務署の匙加減ひとつですね。檀家200軒、250軒の世界では年収1000万なんていかないわけです。法人として寺の収入が600万だとしてもそこから給与という形で払われるので色々引かれていきますから、個人の税処理的な優遇はそんなに恩恵はないですね。
平林 保険ってどうなってるんですか? 特別な措置とかは......。
蝉丸 国民健康保険しかないですね。家族を抱えている人は家族を職員とみなして厚生年金に入ったりするところもありますが住職1人だけじゃ払いきれませんね。
平林 年収1000万以下ならば、正直福利厚生はそこそこのメーカーとかの方が全然いいのかもしれませんね。しかし、お通夜、葬式、法事を取り仕切ってくれているお坊さんの福利厚生は薄いとは、なかなか。
蝉丸 ひどくブラックではありますね。事故にあって歩けなくなったり、喉が潰れてしまったりしても何の保証もない。息子さんのいるお寺であってもこれは同じで、継がせないのならば叩き出すぞという。檀家によっても違いますけど、こういう脅し文句は常套句でした。自分は一般家庭出身だから、そういった理屈もわからなくないんですよ。嫌々家の寺を継いだ、お勤めもロクにこなさないバカ坊主がベンツ乗り回してたりするのを見ると、やっぱり腹が立ちますよね(笑)。ただ、僧侶の福利厚生や身分保障という話をすると明治時代まで遡る必要が出てくるので割愛します。
平林 今現在の蝉丸さんの話と絡めてさらっと触れておくのはいいと思いますね。資格を得るまでのところはさっきお話したような感じで。次に話してもらわないといけないのはどうして四国なのか、というところかと思います。これは本山から派遣されて、ということになるんですか?
蝉丸 みなさんそういうふうに誤解するんですよ。お坊さんは本山に頭が上がらなくてあちこち飛ばされると思われがちなんですけど、そんなに上から指図されるものではないんですよ。仏教では浄土真宗だけですね。あそこは色々と特殊なので。
平林 浄土真宗の場合は二週間くらいで免許が取れるんですよね?
蝉丸 浄土真宗では半僧半俗・非僧非俗って言って、「坊さんにあらず、俗人にあらず」とされています。じゃあ何者よって感じですけど。普通の仏教では法に依りて人に依らざるべしと教えを説きます。ところが浄土真宗は「人に寄りそう」。冷たくて厳しい正論よりも、間違っていても誰かに寄り添えるようなものが大事なんだと。これが是なんですよ。人治主義の面が凄く強いんですね。
平林 関係のない小話ですが、浄土真宗に本願寺研究所ってのがあるんですよ。仕事でそこへ行って、江戸時代の文書なんか見てもらったら、本願寺の門主から、大坂の豪商の加島屋久右衛門に宛てた書状の控えとかが出てきたことがありました。添状を見ると刑部卿法印って書いてあるんですよ。「......ということは、下間頼廉の子孫ですよね?」と言ったら「なんで知ってるんですか?」って聞かれて「あ、『信長の野望』で......」って言ったんですけれども。
会場 (笑)
蝉丸 浄土真宗の話に戻りますけれども、阿弥陀如来が修行をしている時、つまりは法蔵菩薩の時に「わたしが如来になった時には絶対に救います」という誓いを立てているんですね。浄土真宗の教義では、法蔵菩薩から阿弥陀如来になっている、つまり誓いの通り衆生を救いに来てくださるので、浄土宗みたいに念仏を唱えるような行為を積極的にしなくてもいい、阿弥陀如来の救いさえ信じていればどんな悪い人間であっても必ず救われますという論理になっています。ただこのままだとあまりにも教義が簡単すぎるので、下手すると信者がよろしくない行いに走りかねない。だから正しい仏さんの教えを説いて聞かせる役割を持つ門主様がいなければならない。そこに権威が集中してしまう。これだけ聞くと、どこの王政かと思いますよね。
平林 僕は真言宗から出た辯天宗の智辯学園というところを卒業しているんですが、ちょっとスピリチュアルでしたね。
蝉丸 奈良はちょっとね、未だに色濃く拝み屋文化が根付いていますよね。
平林 僕のおじいさんが死んだ時も、何だかシャーマンみたいなのが来ましたね。
蝉丸 奈良に三ヶ月くらい手伝いに出たこともあるんですが、なかなかワンダーだなあという印象でした。
平林 笹川良一の後援を得て大きくなり、島倉千代子が入信したのが辯天宗ですよね。......だいぶ脱線してしまいましたが、こういう話は本にできないですねえ。打ち合わせってこういう雑談の中で結構面白いトピックが出たりすることもあるんですが。本山との関係の話を続けましょうか。
蝉丸 本山は商工会議所とか落語家協会みたいなものなんですよ。有力な一門が複数あって師匠が誰で、例えば一門の中で跡継ぎがいない寺があったら一門の中で誰に継がせるか、みたいな話になる。だから本山はあくまで追認機関なんですよ。要するに書類仕事や伝統行事の保持が本山の役割ですね、みんな一国一城の主で社長ですから、本山が偉そうに住職に指図をした日には「お前は誰にものを言っとるんじゃ」ということになりますね。
平林 そうすると、どうして蝉丸さんは四国にいるんですか?
蝉丸 四国に来るまでにあちこち行っていたんですよ。4年間の大学生活と修行が終わって、その後に普通のお坊さんは受けない「一流伝授」なるものがあるんですね。うちの場合は中院流ですが、誰が伝えて、この所作にはこういう意味があって、っていうのを一年かけて教わるんです。今のお坊さんの修行システムって、形だけ教えたらハイおしまい、なんですよ。あとは実務と学びたいことを各自で学んでくれという姿勢です。だから大学で教えてもらえるものって最低限だったんです。ガワだけで資格が取れる。最低限は教えるから、仏教や密教の教義みたいなものは個人でやって、ということですね。自分は何をやっているのかをしっかり理解したかったから、聴講生として本来必須ではないこの一流伝授を教わるために大学に残りました。本当は院に行きたかったんですが、お金がなかったので。あとは資格を持った人間を斡旋するお寺のアルバイトみたいなのもありましたね。
平林 地蔵盆で人が足りない、というようなことですね。
蝉丸 そうですね。地蔵盆に限らず、月の縁日もあるわけですよね。こういう時にお坊さんをたくさん立てて、お参りに来た人が経木塔婆に戒名を書いて持ってくるから、それを読み上げて供養する仕事があったりするんです。神戸の須磨や中山をはじめとして、大きいお寺っていうのはそういうことをやっているので人手がいるんですよ。若い学生の頃はあっちこっちでお世話になっていて、山から地方の寺院に必要な人数を送り出す、っていうのをやってました。お金はあまりもらえないんだけど、人を斡旋することはやっていたので、全国にご縁があったんですね。
蝉丸 そうこうしているうちに卒業の時期になって、どうしたもんかと思っていたら下宿仲間の岡山の大寺院の息子に「後継ぎ問題に悩んでる寺院があるので入ってみる?」という話をもらったんです。もちろんその話に乗らせていただいたわけなんですが、蓋を開けて見てみると超不良債権。住職は半分ボケてるわ、寝たきりだわ、養女さんには逃げられてるわ。食事の世話から点滴、下の世話から。
平林 まるで介護のようですね。
蝉丸 そうですね。それでもまぁこのままやっていけば住職は亡くなるだろうしなんとかなるかなと思ったのですが、住職が風邪を引いた時に「わしはもうダメかもしれん、養女を呼べ」と。で、相続の話だと言ったら30年間音信不通だった養女さんが3時間で来たんですよ。
会場 (笑)
蝉丸 その寺は法人のお金と個人のお金の区別がはっきりとされていない状態だったんですけど、それ以降、その養女さんがちまちま来るようになって寺の財産を持ち出すようになったんですよ。ところが後任住職とはいえ、お金の問題に首を突っ込むと色々と面倒な話になるので、後継になることもお断りして、後のことはそちらさんでやってくださいと、飛び出しちゃいました。そうすると紹介してくれた大寺院の顔を潰したことになってしまうわけですから、今後のご縁にも影響が出るかと思ったんですが、たまたまそこの住職とうちの師匠とが悪い関係ではなかったので、色々な面倒を引き受けてくれたんですよ。次に行く場所も紹介してやるぞ、と。
平林 人間のつながりで丸く収まったと。
蝉丸 関西には祥月命日にお参りする習わしがあるので、ここにも結構仕事があるわけですね。師匠が「こいつは一人で色々と間に合う便利な奴だから」と紹介してくれたお陰もあり、あっちこっちのお寺にゆるゆる行ってました。そのあと師匠が高野山で一番偉い役職というか弘法大師の代理である法印さんになったんですが、法印さんには必ず付き人、随行が必要なんですね。鞄持ちの秘書みたいな。ちょうどその役柄が不在だったので、高野山に呼び戻されて随行をやることになりました。しばらく随行をやっていたんですが、師匠のところに四国と石川県の二か所から住職を探している話がまわってきたんです。石川県のお寺のほうがお父さんが亡くなってしまったので後継住職を婿養子に取らないと家から追い出されてしまうと。
平林 うーん、それはお嫁さんと実際に会って決めたいですよね......。
蝉丸 顔も見に行き、その方のお母様とも話をしましたよ。金沢の寺町っていう観光地で、たくさんの寺がある中のひとつだったんですが、行った瞬間に「これは駄目だ」と悟りました。女性たちが財政をがっちり管理して、跡継ぎが出来さえすれば婿は追い出されてしまうような威圧感を感じました。女系の強いところってのはあるもので「これは飼い殺しになるな」と、かつ、石川県は雪が降るじゃないですか。神奈川生まれですから、雪の降らないところでお願いします、四国のほうでとお願いしました(笑)。
平林 そうすると、四国へ来て何年くらいですか?
蝉丸 もう17年になりますね。びっくりですよ。神奈川にいた頃より長くなりました。
平林 じゃあこのまま何事もなければ、養子を取ったりすることになるんですか?
蝉丸 一門の中から出すかたちになりますかね。いずれきちんと考えなければなりませんが、結婚もせず、子どももいないという状態が続けば師匠のところへ行き相談しないといけませんね。自分がもし病気になったり、急死してしまうようなことになればよろしくお願いしますと言っておかないといけないです。結集寺院と言うのですが、同じ宗派の近所のお寺でアライアンスを組んでいるので、そこでのやりとりによってその後のことが決まるんです。
平林 その辺は外からは見えにくいポイントなので嚙み砕いておきたいですね。代々続いている家はわかりやすいんですけど。僕の同級生に、近世から続いている浜松のお寺があるんですが......。
蝉丸 本来的には「血縁で代々続いているお寺」っていうのもおかしな話なんですけどね。ただ、面白いのはお寺ってとくに多くの人が継ぎたがらないみたいですね。
平林 個人事業主とも近いものがありますね。
蝉丸 お寺に生まれたら絶対仏教が嫌いになるだろうな、っていうのはわかる(笑)。食べていけるかどうか、瀬戸際にいるようなお寺の息子さんは本当に大変だと思いますよ。檀家の目にさらされて生きていくことになるので、「お前は俺たちの金で食えてるんだよ」みたいなことを平気で言われたりもするんですよ。あれはきついと思う。精神病むか、はっちゃけるかですね。全国に7万8千軒ある寺の中で、まともに成り立っているのは1万軒くらい。よっぽど収入が安定しているようなところでない限り、地方寺院の住職で自分の子どもに寺を継がせたくないという人は多いんですよ。
平林 7万8千軒って、コンビニや美容室よりも多いじゃないですか。
蝉丸 そうなんです。寺の年収が700から500万以下、お坊さんの手取りは月20万円以下の小さなお寺なんてざらで。長期休暇も取れない、いつ仕事が入るかわからない。
平林 そんな状況で蝉丸さんはどういうふうにやりくりをして東京のイベントに出てるんですか?
蝉丸 さっきちらっと話した、結集寺院という互助組織に入っているので、そこにお願いしてます。「院代」、つまりは職務を代行する者を立てるんです。あとは、「法類寺院」。お寺同士の親類関係のようなものと言ったらいいですかね、法人の役員なんかをお願いしたりされたりの間柄ですね。何かあった時には、法類さんがどうにか取り計らってくれるんです。宗教法人の役員って、大抵奇数と決まっているんですよ。檀家さんから半数、お寺側から半数以上と、何かあった時はお寺側が有利になるようなシステムにはなってます。
平林 ロフトプラスワンに行くときとかは、その制度を使うんですね。
会場 (笑)
蝉丸 それがね、仕事が入ってイベントに行けなかったことが今まで一回もないんですよ。自分はしっかり「間が悪いことがありませんように」とお祈りの時に念じているので、それが功を奏しているのかも(笑)。おもしろいもので、仏さんが差配してくれてるんですかね。
平林 この本の取材でも1泊、2泊はしていただかないといけないので仏様の差配に期待したいですね。
平林 そろそろ時間も迫ってきたので、4章以降についても少し詰めていきましょう。社会が変化したことによる寺院業界の地盤沈下みたいなところとか。
蝉丸 それも必要ですね。あとは、血縁のあいだでどうやって相続を行うべきかですね。昔のお坊さんは人気商売だったので、わりと頻繁に寺を変えちゃうんですよ。村の人間はいい住職にいてほしいので、お嫁さんをあてがって逃さないようにしたりすることもありました。そこで出来た子どもを後継にする、という例が大多数。明治以降、まだ3代程度しか世代交代が行われていないわけですが、時代が変わっているのに同じことをしようとしてもどうしても破綻してしまう部分は出てきますよね。逆に言えば、30代、40代の人でも今から地方寺院の住職になろうと思えば狙える職業ですよ。
平林 ただ、狙って美味しいかどうかは保証の限りではないと(笑)。
蝉丸 勢力を拡大することは可能かと思いますけどね。うちの結集は7、8つほどのお寺の集まりですが、その半数が県外から来た人間や、寺に縁のないような家庭に生まれた方ですよ。優秀な親から優秀な子どもが生まれるとは限らないし、そもそも、優秀な子どもは寺から出て行くことを選択しますね。
平林 お寺もシステム化が必要なわけですね。でも、それができるのも大寺院だけでしょう。
蝉丸 そうですね、今はちょうど端境期かと思うんですよ。我々は昭和・明治の頃の常識を続けてきたわけですが、それでも少しずつ瓦解してきたところはあるじゃないですか。飲み会は断ってもいい、煙草も嫌っていい、子どもの進路を縛るのはよくない、だとか。少子高齢化もあるし。昭和の風習は少し残っているけど、それも薄まっていくでしょう。
平林 その中で、蝉丸さんは住職を続けていくわけですよね。この本を通して、蝉丸さんがなぜ今のお寺に来ることになったか、どうやったらお坊さんになれるのか、日常業務はどんなものなのか、それから仏教界の現状などを踏まえた上での5章ですよね。これは4章までの小見出しを仮定してからしっかり話をしないといけないところかなと思います。住職という不安定な身分や財政についてももちろん触れたいですね。知人から聞いた話で、最近出来たマンションから6軒檀家ができたという話を聞きまして、つまりは都市の寄る辺ない人たちが実は仏縁を探していたりする、みたいなものもおもしろいかもしれません。
蝉丸 富裕層とそうでないところで、都市部は2極化してますね。知り合いに横浜の主要駅前に大きな寺を構えている後輩がいるんですが、話を聞くと「檀家が増えて困ってます」なんて言うんですよ。
平林 僕らもいずれどこかの墓に入ることになります。親は「墓なんていらん、そこらへんに散骨してくれ」なんて言ってますけど、兄は公務員なので葬式をやらないわけにはいかないかなと思います。
蝉丸 最低限のことはやっておいた方がいいですね。なぜかと言うと、新興宗教やスピリチュアルの手口として、そこにつけこんで来るパターンが往々にしてあるからです。「自分を生んでくれた親の骨をきちんと供養してなかったのだから、病気や事故にあっても仕方ないですよ」みたいな。カトリックであれプロテスタントであれ、安くやってくれるところはたくさんあるんですから、形だけでも儀礼としてやっておいた方がいいですね。最近Twitterで流れて来る「お葬式は生きてる人のためにやるもの」という言説も本来はちゃうんやでと説明したいけど、お葬式をやっておけば周囲の人間にも共有事項として示すことができるので、後処理の軽減としても最終的には生きてる人のためにもなるのは確かなんですな。地方なんかではかなり重要になりますよね。
平林 知人に、お母さんが「相模湾が好きなので骨はそこに撒いてほしい」と言っていたのでその通りにした方がいるんです。船を出してもらって散骨して、Googlemapでそこにピンを立てて(笑)。お墓参りをしたいと言われた場合には地図を見せて、ここがお墓だと。どうですか、こういうのは?
蝉丸 なかなかパンチが効いていていいと思いますよ。
会場 (笑)
平林 物理的に死者であることを認識してもらう、っていうのもかなり大事かもしれませんね。
蝉丸 家族は相模湾でもいいかもしれないですけど、親しい友人や周りの人間が手を合わせて祈る場がない、というのはどこか落ち着かないものですからね。ランドマークをどこかに作っておけば、振り回されないで済むんです。高野聖もそう。全国を「高野山にお骨を埋めませんか」とまわっていました。何かあった時は高野山に向かって手を合わせればいいだけという発想ですね。とにかく、葬式やお墓にまつわることは経験しないとわからないので。
平林 僕も小学校3年生くらいのときに祖父が亡くなったんですが、そのときにやっと人が死ぬことについて理解しましたね。とにかく、すごく忙しい。
蝉丸 忙しいために、茫然自失としなくていいという側面はありますけどね。近年はますます死が遠くなって久しい気はします。
平林 今でも、早朝に歌舞伎町を通るとゴミ捨て場に人が捨てられていたりもしますけどね。
会場 (笑)
蝉丸 まぁ、でも綺麗になりましたよね。蛆の湧いた犬猫の死体とか見ることなんてなくなりました。
平林 我々が綺麗にしすぎてしまったというのはありますよね。そこをお手伝いする仕事としても、結局お坊さんは必要な存在ではあると思うのですが。
蝉丸 どうでしょうね。お坊さんにも方向性があります。葬儀や法事、つまり人と寄り添うことを選択する方もいれば、純粋に修行方面に力を注いでいる方もいます。
平林 ステ振りがあるわけですね。
蝉丸 そうですね。自分もそこには悩みました。僕の先輩にも、「悟り」にガン振りの方と、親から仕方なく世襲した方、学僧として教義や経典を突き詰める方......。
平林 僕の昔付き合っていた彼女の父親がそうでしたね。
会場 (笑)
蝉丸 学僧の人は早死にしましたね。精神を病んでしまって。自分のお手本になっていた先輩は、見事に学問と実務とに分かれたので、自分は中庸でいこうと。人に寄り添うだけ、というも辛いものがありますよ。人の悩みをかぶるということですから。メンタル関連の勉強をしていない若いお坊さんは大抵潰れてしまいますね。興味はあるけどどこから学んでいいか迷うという方がいるのはわかるんですが、時々いるんですよ。お釈迦様がインド生まれであることさえ知らない人とか。ガチで。簡単に教書をさらっただけの人が衣を着て、お経を唱えているわけですよ。仏教の話がまともにできないお坊さんも少なくありません。
平林 そうするとですよ、僕は奈良から流れ流れて今千葉県に住んでいるわけですが、住職さんは人で選びたいんですよ。自分が帰依する寺ってどうやって探せばいいんですかね?
蝉丸 平林さんて、お坊さんとの接触は一般の人と比べたら多いと思いますけどね。
平林 それでも、仏教研究者の方が多いんですよ。実際のお坊さんと触れる機会はあまりないですね。
蝉丸 人で選ぶのもどうかなと思うんですよね。まずは臆さずに、気軽にお寺を訪ねてみてほしいです。そこにいるお坊さんへ「檀家になるにはどうすればいいですか?」と訊いた時に、どんなリアクションをするのかで大体人となりがわかります。普通は喜んで話してくれるはずです。不思議なもので、好みを除いて、人間最初の一言で伝わる材料って本当に多い。Vtuberだとか動画実況者を観ていても、最初の一言で「こいつアカン!」っていうのはわかりますよ。
平林 今の話は非常に実用的ですね。仏教界と我々世俗が関わる瞬間と言いますか、新しい距離感みたいなものを構築しないといけない時代にいる、ということですから。今度、市内を自転車でまわってみることにします。
蝉丸 5章は、こういったことをまとめていくといいかもしれませんね。
平林 蝉丸さんの立場でこう考えていて、これからはこうしていく、というかたちで締めればいいんじゃないかなと思います。あとはもう少し、もっと緻密にお話できればと思います。ライターさんによりますが、256ページだと仮定したら8万字くらいですかね。蝉丸さん自身をよく知っている方だとなおいいいかと思います。
──さて、折角なので、質疑応答もしていきましょうか。質問のある方は挙手をお願いいたします。
質問者 地元のお寺の集まりで結婚を勧められることがよくあります。お寺として結婚は奨励するものなのでしょうか。
蝉丸 僕個人が未婚なのは今までご縁がなかったのもありますし、もともとあまりする気もないという感じですね。生放送では「俺が、俺たちが末代だ! 」なんて言い合ってますよ。
会場 (笑)
蝉丸 結婚は本人のやる気、ご縁、経済力、あとは樹木希林さんも「歳を取ったら冷静にできないもの」なんて言ってますし、しようがしまいが自由だと思いますよ。質問者さんは鳴門にお住まいとのことですが、あのあたりは鳴門結集と言って、基本的に江戸時代から連綿と関係が続いているんですよ。人の出入りがそんなにないので、世襲で繋げていくことが重要だと見られているんです。地域の共同体意識が強いところは同調圧力は強いと思いますね。自分のところは新興住宅地が多いので、その辺は幸いですね。
平林 ブッダも言ってますが、本来僧侶は妻を取っちゃいけない。でも、それだと運営が続かなくなってしまう。俗界から何らかの後援を受けないといけないじゃないですか。檀家が繁栄していた方がサンガを維持できるという考え方もありますよね。
質問者 今度高野山の奥の院に行くんですが、納骨や供養のお話を聞きに行くにはどこに行けばよいのでしょうか?
蝉丸 奥の院の御廟の前に、大きい建物があるのですが、そこがいわゆる奥の院ですね。中に受付があるので、そこへ行って「合祀はやっておりますか」とお訊きするのがよいかと思います。高野山の中には塔頭寺院という建物はたくさんありますが、永代供養は死んでからも自分を認識してもらえる、という利点のために値段が高いです。遺族が来た時に、戒名を言えばすぐにお位牌とお骨が出てくるようなサービスを求めているならばそれもよいかもしれませんがこれはお高い方です。
質問者 阿字観(あじかん)や授戒を考えているのですが、ご意見を聞かせてください。
蝉丸 授戒はよいと思いますよ。大師教会というところへ行くとお授戒をしています。仏教徒として守るべき10つの十善戒を修めるのは仏縁を結ぶのにいいですね。ただ、阿字観はあまりお勧めできないです。顕教の止観(しかん)の部分に密教の瞑想を半端に混ぜ込んでいるものなので、初心者には無理だろうと。止観か禅の方がよろしいかと思います。
質問者 跡継ぎがいなくなった寺の話がありましたが、人がそもそも少ないところではどうするんですか?
蝉丸 この場合は、「兼務寺院」と言ってその地域のお寺さんが複数の寺の職務を担うことになりますね。
質問者 新しくお寺ができることってあるんですか? あんまり見たことがないので。
蝉丸 新しくできることはあまりないですね。
平林 インドには出来ているみたいですけどね。
蝉丸 国内でも時々はありますよ。知り合いなのですが、仙台の「みんなの寺」みたいに宗派を超えて人が集まるようなお寺を作るというパターンもあります。
平林 廃寺になることも多いんですか。
蝉丸 基本的には廃寺になることはあまりないですね。兼務で穴を埋めるのが大多数です。神社と一緒で、一人のお坊さんが十数ヶ寺も渡り歩いていたりするんですよ。人がいなくなった地域であっても、墓所などの管理があるために誰かしらが兼務することになります。
質問者 先ほど、ライターさんを使うというお話がありましたが、つまりはゴーストライターということですか?
平林 ああ、そこは誤解が多いところですね。
蝉丸 インタビューライターですね。
平林 ゴーストライターというのは、名前が出ていない場合を指すんです。簡単に言うと、これはいわゆる普通のライティング方法です。納谷さんのイベントの時も説明したんですが、題材を著者が決めて、それを喋ると。それに対して足りないところを質問で補ったりしつつ、文字起こしを元に校正を行う。著者が確認を入れますし、クレジットにもきちんとライターさんの名が入ります。
蝉丸 有名人企画本みたいなものは大抵この方法ですね。筆の遅い人間に書かせるよりも、その方が効率がいいんです。
平林 論理構成を保ったまま一万字以上の文章を書くことって容易ではないんですよ。人を選ぶ能力ですね。書くのは不得意だけれど、軸を用意することで面白い話ができる人もいるのでこういうシステムが出版業界の中で培われてきました。その昔、大日本雄弁会っていう会社がありまして、そこでは講演会の速記録みたいなものを売っていましたね。
丸茂 スポーツ選手の新書などでも、最後のページに「この本は語り下ろしです」みたいなことが書いてあったりしますよね。
平林 そうですね。要は、「音声入力執筆」とも言っていいやり方だと思います。
平林 構成が大体出来てきたので、ここからまた詰めていきましょう。小見出しレベルまで固まったところで一度ホテルで缶詰めをしながら喋ることができるといいなと思います。ホテルはどこがいいですか?
蝉丸 山の上......。
平林 高いでしょう!? 星海社にそんなお金あるわけないでしょう!!
会場 (笑)
平林 それに、僕も蝉丸さんと同じ個人事業主ですからね!
蝉丸 でも、アパホテルでやるわけにはいかんでしょう。音羽はどこかいいところはありますか?
平林 そうですねえ、星海社の会社の会議室に四日くらい泊まっていった方はいらっしゃいますけどね(笑)。後は、いきなり缶詰めしに来ました! と宣言して、8時間ほどTwitterをして帰った方もいましたね。
会場 (笑)
平林 大阪の方だったんですけどね......僕がいない時だったんですが、アポなしで突然訪問して来たんです。殊勝な心掛けだなあと思っていたら、3分に1回くらいツイートしてましたね。でも、蝉丸さんが喋りやすい環境はきちんと用意しますよ。次のマチ★アソビの時には完成した原稿をお見せできるようにしたいですね。あと、ゲラのお焚き上げ供養もしたいですね。本を作るには、大量に紙を消費するんですよ。何か起こった際、参考にできるよう校了するまで取っておかないといけないので、かなりの量になるんです。この次はそのゲラをお焚き上げしてですね、その灰をお守り袋に詰めて授与したいなと。
会場 (笑)
蝉丸 何の話をしてるんだって感じですね。
平林 サイン本とともにお渡しする、というのを考えてます。今、ufotableの笠原さんにお焚き上げができる場所を探してもらってます。
会場 (笑)(拍手)
蝉丸 供養ブームですかね、この前はTwitterで炎上供養なんてものがやってましたし(笑)。というか、最後は何だか、いつもの生放送の延長みたいな雰囲気でしたね。
平林 それもまたよしということで、企画の方はもう一度一度具体化してからこちらから投げますんで、それを見て戻していただければと思っております。ではでは、今日はご参加くださった皆様、お疲れ様でした!
会場 (拍手)
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