駅から港に向かうタクシーに揺られながら、膨れ上がっていく不安。
運転手さんはわずかに開けた窓から手を出して、風の強さを確認する。
海沿いに停めてもらったタクシーを降り、釣竿を抱えて海を見ながら途方に暮れる。
大荒れである。
……我々が二人揃うと、どうしていつもこうなってしまうのか。
僕らはただ、出汁を取りたいだけなのに……。
話は3週間ほどさかのぼる。
野食おせちの取材を終えて帰る道すがら、担当編集・平林氏から「次回はラーメンやってみませんか?」という提案を受けた筆者は、間髪入れず賛成の意を示した。
ラーメンa.k.a.国民食である。
麺・スープ・かやく、作るべきものがはっきりしていてシンプルだし、それでいて奥が深いのでオリジナリティを表現しやすい。
何よりもネタとしてとてもキャッチーだ。
やらない理由がない。
麺については某アイドルのように小麦から育てるというわけにはいかないが、でんぷん系の野食材をブレンドすることで野食麺を作ることはできるだろう。
何か、いいものはあるだろうか。
......また、アレを使うか。
「どんぐりきんとん」のために採集してきたマテバシイ(ブナ目ブナ科)のどんぐりが我が家にまだ多少残っていた。
これを粉に引いて小麦粉に混ぜたら、個性的な野食麺ができるのではないだろうか。
ということで、取材前日、製麺の準備をしていくことにした。
まずはきんとんの時同様、ハンマーでどんぐりの殻を割って子葉を取り出し、
製粉機で粉に引く。
市販の強力粉4に対し、どんぐり粉は1をブレンド。
製麺の経験がないので、練りやすさを考えて粉の重さに対して水は40%程度入れることにした。
ラーメンを作るために必要なかん水は重曹で代用。
捏ねはじめは非常にパサパサしているけど、徐々にしっかりまとまってきて、やがてひとつの塊になった。
ここからが本番だ。
3重にしたビニール袋に入れて、足でぐいぐい踏む。
5分ほど踏んだら取り出して丸く整え、また踏む。
初めのうちは踏まれたとおりにつぶれていた生地がやがて弾力を持ち、跳ね返そうとする力が足の裏に感じられるようになったらOK。
球体に成形してラップをかけ、冷暗所に保存しておく。
これで麺打ちの準備はOK。
あとは出汁と具材を取りに行くだけだ......!
そして冒頭の場面に戻る。
この冬最強とされる寒波に包まれ、全国各地で大雪となったある日。
関東地方は幸いきれいに晴れたが、強い南西風で海上は時化の予報が出ていた。
とはいえ筆者も釣り人の端くれ、風裏の釣り場なんて腐るほど知っている。
そのうちのひとつで、出汁の素となる小魚がたくさん釣れそうな北向きの港に向かったのだが......。
......おかしい。これは北西風じゃないだろうか。
10m/sを超える強烈な風に吹きつけられ、白波が港内にまで流れ込んでいる。
とてもじゃないが小物釣りができる雰囲気ではない。
平林氏を見ると、すでに焦りを飛び越えて諦観の念にあふれた顔をしていた。
改めて我々の釣り運のなさを呪う。
時間的に余裕はなく、また予備日も設けられていない今回の取材。
泣き言を言っている場合ではなく、何が何でも今、この環境下で魚を釣るしかない。
とりあえず平林氏はサビキ釣り、筆者は投げ釣りをしてみたが、当然ながら何の反応もない。
目の前を漂っていたホンダワラ(ヒバマタ目ホンダワラ科)を引っかけてゲットしたものの、出汁は出そうにない。(具には使えそうなのでキープしておく)
少しでも可能性を上げようと、投げ竿にもサビキ仕掛けをつけて投入するも、やっぱり反応はない。
そもそも投げ竿は硬くて小魚のアタリが取れにくいものだ。
そこに加えて猛烈な風。
最奥部に陣取り、堤防を背にしてある程度風を防ぐことはできたものの、魚からのシグナルは皆無のまま時間が過ぎる。
(この時すでに平林氏は「取材不成立かも」などという弱音をTwitterで吐いていたらしい、性根を叩き直したい)
そんなピンチに見舞われていたとき、堤防の向こうから駆け寄ってくる女性の姿が見えた!
あれは......今回の取材のゲスト、漫画家のNOBEL先生ではないか!!
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NOBEL先生は現在、星海社ウェブサイト『ツイ4』などの媒体で連載をされている新進気鋭の漫画家。
当連載を以前から読まれており、このたび「取材に連れて行って!」とラブコールをしてくださったとのことで、今回お招きすることになったのだ。
実をいうとNOBEL先生、この時点で1時間半ほどの遅刻だったのだが、そんなことはこの際どうでもいい。
我々の負の釣り運を何とか、なんとか吹き消してさえくれれば......。
とはいえ先生、釣りは全くの初心者とのこと。
当然ながら道具もなく、硬い投げ竿を使ってもらうほかにない。
どうしたものか......。
「えっ何コレ」
!?
「釣れました」
「はいぃ!?」
思わず変な声が出た。
あわてて駆け寄って見てみると、小さいながらもしっかりとタイ型をした冬の定番釣魚、おせちでも大活躍をしたウミタナゴ(スズキ目ウミタナゴ科)が釣れていた。
へなへなと足の力が抜ける。
釣りはビギナーズラックが多いことで知られるとはいうものの、同じ釣り方、同じ場所、同じ時間でこの釣り運の差......
筆者も平林氏も一度釣りから離れてお祓いにでも行ったほうがよいのだろうか。
いずれにしても、これで取材成立の見込みが立った。
同時に、釣りを続ける気力もなくなった。
竿をNOBEL先生に託し、平林氏と一緒に釣りを続けていただきながら、筆者はおもむろにヘッドライトを取り出した。
魚以外にもよい出汁が取れる食材はいくつかある。
その筆頭は貝類だろう。
第4回の取材でも利用した磯の食用小型生物、通称「磯物」は、しばしばみそ汁の具材として販売されている。
そのまま水から煮て、味噌を溶かすだけで非常に美味なみそ汁ができるので、かなりいい出汁を持っているといえそうだ。
夕暮れになると少し風が収まり、港の奥まで押し寄せる波は弱くなってきた。
今がチャンス。
ということでヘッドライトで堤防の水面直下を照らしながら、ここぞという場所に手を突っ込む。
すぐに採れたのはコシダカガンガラ(古腹足目ニシキウズガイ科)。
各地で漁業権が設定されているバテイラ(シッタカ)と似ているが、表面がざらざらして全体的に丸みが強いので区別することができる。
(※注 コシダカガンガラをはじめ、磯物や海藻は地域によって漁業権のある・なしが異なるので、必ず確認してから採集するようにしてください)
続いて、やや小さいながらもマツバガイ(カサガイ目ヨメガカサ科)。
波打ち際を散歩すると、15㎝ほどはありそうな大きな巻貝が転がっている。
サザエのようだが、なぜこんなところにあるのだろう。
もしかして......。
ビンゴ!
オニヤドカリ(ケスジヤドカリ、十脚目ヤドカリ科)だ!
なかなかの大型で、甲殻類だけあっていい出汁が出る。
さらに歩くと、今度は10㎝位の細長い殻が転がっている。
ダメもとでひっくり返してみると、滑らかで丸みを帯びた蓋が見えた。
これはミガキボラ(盤足目フジツガイ科)、有名なホラガイとごく近い仲間の巻貝だ。
1kgを超えることもある大型の貝ながら、意外と浅いところに生息している。
今日は波が強かったので、波打ち際まで打ち寄せられてしまったのだろうか。
これに加えてカメノテ(有柄目ミョウガガイ科)も採れ、なんとかラーメン1杯分の出汁材料は確保できた。
釣りチームと合流し、キッチンへと向かう。
キッチンに到着したのは19時半。
返却予定は21時半。
の、NOBELさん!! ご協力をお願いします!!
「はい! まず何を!?」
麺を! 麺を打ちましょう!
まず僕がやってみます!
生地を取り出すと、どんぐりのアクのせいか一部が茶色く変色し、マーブリング状態になっていた。
不安がよぎるが、マテバシイのアクは熱に非常に弱いため、茹でてしまえばなんとかなりそうな気もする。
1人前の生地を切りだし、片栗粉をまぶしたまな板の上で2mm厚に伸ばす。
3つ折りにして、2㎜程度の幅に切り、沸騰した湯で1分半茹でる。
試食してみよう。
......うん、ちょっとふわふわして頼りないけど、つるっとしてのど越しがいい。
コシもあるし、初めてにしてはなかなか上出来だろう。
懸念のアクは......。
「全然気にならない!」(NOBEL)
「えぐみなどは全くなくて、後味にちょっとだけ野性味がある」(茸本)
「ほとんど感じない、というかどんぐりの風味が薄い」(平林)
平林氏、前回はどんぐりの味に文句タラタラだったのに、わがままな御仁である。
まあとりあえず、麺はこれでOK。
続けて出汁を取る。
鍋に水を入れて、洗ったヤドカリと磯物、そしてホンダワラを入れ、沸騰させる。
ホンダワラは「もしかしたら昆布みたいにうまみ(グルタミン酸)が出るかも」という願望のもとに投入してみた。
ヤドカリはあらかじめよく冷やしておくと殻から取り出すことができるが、今回はその時間もなかったので五右衛門風呂方式になってしまった。
殻の中に砂をかんでいることがあるので、本当は取り出して茹でたほうがいい。
沸騰前にホンダワラを取りだし、アクを取りながら強火でグツグツ煮たてていく。
水が減ったら随時追加し、うまみをしっかり搾り取る。
ミガキボラはしっかりと茹でて中身を取りだし、
毒成分を持つ内臓を切り落として、筋肉を2つ割りに。
ホンダワラとウミタナゴは、薄く衣をまぶして
から揚げに。
おっと、カエシも作らないと。
フライパンに薄口しょうゆとみりんを3:1の割合で入れて、
出汁がらの磯物を投入し、半量になるまで煮詰める。
さあ、仕上げだ。
どんぶりにカエシを入れ、ざるで濾しながらスープを入れる。
茹でた麺をできるだけダイナミックに湯切りしてどんぶりに入れ、スープと絡める。
ボウシュウボラ、ウミタナゴ、ホンダワラをさっと盛り付けて、
真冬の野食ラーメン、無事完成!
まずはラーメンの肝、スープの味を確かめる。
「美味しい!!」(全員)
満場一致で合格の味わいだ。
口に含むと、まず感じられるのはヤドカリ・カメノテ由来の甲殻類の風味。
特にヤドカリは、カニやエビとは違った、ホヤのような独特の磯の香りがあって個性がよく出ている。
でも、ベースとなっているのはやはり貝の味。
ややツンとくる磯の香りがとても心地よく、濃厚なうまみは煮干しを凌駕するかもしれない。
ホンダワラの効果は......正直、はっきりとは分からなかった。
でも、これだけしっかりとしたうまみが感じられるのはやはり、動物性・植物性双方の食材による相乗効果なのではないだろうか
具も味わってみよう。
ホンダワラはから揚げと出汁がらの両方を乗せてみたが、から揚げのサクサク感と、湯通ししただけのシャキシャキ感がどちらも楽しめて非常に贅沢だ。
ウミタナゴは......。
「頭もサクサクで美味しい!」(NOBEL)
ミガキボラは、サザエなどの巻貝と比べるとうまみは薄いが、ずっと歯ごたえが強く存在感がある。
チャーシューの代わりにと入れてみたが、磯臭さのあるラーメンだったのでちょうどいい塩梅になった。
「ちょっとこれ硬すぎやしませんかね」(平林)
軟弱者のコメントは無視。
途中で替え玉を繰り返しながら、無事完食。
ごちそうさまでした!
うん、ラーメン作り、大変だけど楽しい!
「あの食材で出汁を取ってみたらどうなるだろう」とか「海藻は麺に練りこんでもおいしいんじゃないだろうか」みたいに、どんな野食材にも応用が利くし、妄想が膨らむ。
実際、取材のあとですっかりラーメン作りにはまってしまい、様々な食材で1杯作ってはTwitterやブログでアップしている。
リアクションも多くて、ラーメンという料理のすごさを改めて感じている。
さて、次はどんな料理を作ろうか。
おせち、ラーメンときたら次は......アレ、やってみるかな!?
【第10回は3月上旬更新予定です】
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駆け出し図鑑編集者。川崎在住の30代。2012年にブログ「野食ハンマープライス」を開設。海産物に野草、キノコ、虫など、ありとあらゆる変わった食材を入手して調理して食べてレポートするという、食材へのアグレッシブな探求心が話題を集め、現在では月間50万PVの人気を誇る。胃腸は弱め。
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