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HOME > ジセダイ編集部 > エディターズダイアリー > ミャンマー旅行記 第二回:マーケットの少女

エディターズダイアリー

ミャンマー旅行記 第二回:マーケットの少女

平林緑萌
2015年05月19日 更新

※第一回はこちら

 

朝のモヒンガー

 一夜明け、ヤンゴン滞在二日目。
 起床して顔を洗おうとすると、水道の水が濁っている。2、3分ほど出しっ放しにすると正常になったので、洗顔を済ませて食堂に向かう。

 昨日は疲れ気味だった梶田さんと御簾納さんは元気を取り戻したようで、朝からモヒンガーをもりもりと食べている。
 モヒンガーというのは、簡単にいうとナマズ出汁のビーフンである。香辛料やナムプラーを好きなように投入して、好みの味にして食べる。
 ナマズはエーヤワディー川流域のポピュラーな食材なので、ミャンマーでは割といろんなところで食べられるはずだ。
 ビルマ料理は概して油っぽいが、モヒンガーなら日本人の胃にも優しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
上:シンプルな僕のモヒンガー。
下:辛いものが大好きな梶田さんのモヒンガー。

 

由緒ある市場、ボージョー・アウンサン・マーケット


 そんなわけで、元気復活の我々はまず、ボージョー・アウンサン・マーケット(アウンサン将軍市場)に向かった。
 現在では観光地になっているが、イギリス統治時代の1926年に作られた由緒あるマーケットであり(当時は「スコット・マーケット」という名称だった)、建物もイギリス風だ。近隣に新しいマーケットが建設されていることもあり、「オールド・マーケット」と呼ぶ現地人もいる。
 生鮮食品はほとんど扱っていないが、衣料や民芸品、宝飾品など、お土産めいたものは一通り揃っているので、観光客は大抵訪れると思われる。
(なお、ミャンマー人は英単語の最後の1音を省略することが多い。「オールド・マーケット」は「オールド・マーケッ」となり、「バンク」は「バン」、「ライス」は「ライ」と聞こえる。空耳が多発することがあるので要注意である)

左:入り口からして趣がある。
右:そして、かなり広い。


 さて、入り口で修学旅行生よろしく記念撮影を済ませた我々が建物内に入ると、「カモがきたぞ!」とばかりに、「案内してやるぞ!」という人々が寄ってくる。中には多少の日本語をしゃべるやつもいる。
 旅行先で話しかけてくる妙に日本語が達者なやつは、全員詐欺師と相場が決まっている。ミャンマー人はおしなべて親切であり、何かとチップをせびったり、値段をふっかけてくることは少ないのだが、このときはまだ警戒心が緩んでいなかった。口々に「ノーサンキュー」「不要(ブーヤオ)」(これは高口さん)と言って追い払う。
 しかし、話しかけてきた中に、かわいらしい女の子が一人混じっていた。
 邪険にするには忍びない……そんな気持ちを抱かせるような少女である。
「俺、この幼女にだったら騙されてもいいっすわ……」
 梶田さんのその一言が決め手となり、我々は少女に案内を頼むことにした。

 

左:マーケット内部。天井が高く、中心部は広々としている。
右:ガイドを頼むことにした少女。




ガイドの少女・マーヤー

 彼女の名はマーヤー(仏陀の母・摩耶夫人から取っている?)。
 現在9歳で、お兄さん(27歳と聞いたがとてもそうは見えない)とともにこのマーケットで働いているという。当然、学校は行っていない(5歳から5年の小学校教育が義務教育となっているが、まだ就学率は低いようだ)。
 マーヤーとお兄さんは、「ロンジー(民族衣装の巻きスカート)が欲しい」「シボレー(葉巻)買いてえ」「絵葉書はいらない」「砂絵も買わない」「それよりナイフない?」「僕は漆器に興味がありますね……」「シャンバッグ(少数民族・シャン族の肩掛けカバン)も安く買いたい」「ちょっと疲れたから冷たいものが飲みたい」「この人形の、モン族のやつとシャン族のやつが欲しいんだけど」「腹が減った」などの我々のわがままを聞いて、広大なマーケットの中をあっちに行ったりこっちに行ったり、実にマメによくしてくれた。

左:葉巻売りのおじさん。市場中を歩き回っているようで、何度か遭遇した。
右:ちょっと休憩。右の兄ちゃんは僕たちについてきたが、特に何をするでもなかった。暇なのか。


 都合3時間ほど、彼女たちにガイドをして貰ったのだが、いったい彼らはどうやって稼いでいるのか?
 絵葉書やキーホルダーなどの小物を売っている子供たちは、どうやら店からそれらを借り受けて売っているようだった。つまり、店側からすると、子供たちが勝手に在庫を売りさばきにいってくれるわけだ。値段交渉は勿論可能だが、値切るほどに子供たちの取り分は減るという仕組みだ。子供たちは、自分と取引がある店主のことを皆「ボス」という。マーヤーは「日本人のボスも、中国人のボスも、インド人のボスもいる」と言っていた。
 また、我々を特定の店に連れて行ってそこで買い物が成立すると、いくらかキックバックを受け取っている可能性もある。ただ、これは店ごとに違いもあるようで、一概には言えないかもしれない。
 どちらにせよ、彼らの稼ぎはそう大したものではないし、さほどの買い物をしなかった我々からの上がりは知れたものだっただろう。
「もっとこの子に稼がせてやりたいっすよ」
 と梶田さんは言ったが、「じゃあマーヤーから直接絵はがきを買ってやれよ」という話である。
 しかしまあ、いらないものはいらない。
 そこで、我々は彼女たちに昼飯をおごることにした。

 呼び込みのおばちゃんたちがやたらとうるさく、味は悪くないがとにかく油っぽいビルマ料理が出てくる食堂で、皆で飯を食う。
 せめてこういうときにしっかり飯を食ってほしい……と我々は思ったのだが、マーヤーは米以外は空心菜の炒め物しか食べない。
 お兄さんは鶏肉を油まみれにして炒めたのか揚げたのかしたやつを食べながら、ビールを飲んでいる。高口氏も負けじとビールをぐいぐい飲んでいる。マーヤーは空心菜しか食べない。
 こんなつもりじゃなかったんだけど……。


左:好き勝手に食う我々。最終的にこの3倍ほどの量を食べた。
右:空心菜とごはんしか食べないマーヤー。


 あとから思ったのだが、彼女とお兄さんは実の兄弟ではないのかも知れない。滞在中、「カズン・シスター」とか「カズン・ブラザー」という表現を何度か聞いた。また、三いとこまでが一族、という概念もあるらしい。
 そして、マーヤーはインド系ムスリムで、我々の注文していた料理が食べられなかったのかも知れない。もしそうだとしたら、実に悪いことをした。
 昼過ぎ、タクシー乗り場でマーヤーとお兄さんに心付けの5000チャット(日本円で500円ほど)を渡して、我々はホテルに戻った(ちなみに、彼女たちが自分からチップを要求することはなかった)。

 

国共内戦から逃れて 


 ちなみに、このマーケットで僕と高口氏はもう一人の中国語話者に出会った。
 梶田氏ら二人はお兄さんとともにナイフを探しに行き、興味のない我々が適当なところでタバコをふかしていると、何人かの若者が集まってきた。
「この人たちは私の客なんだから!」
 といった風情で追い払おうとするマーヤーをなだめつつ話していると、隣の店の店主らしきおばちゃんも会話に参入してきた。
 どうも中国系らしい顔立ちなので、高口氏が中国語で話しかけてみるとビンゴ、なんと生粋の漢民族だった。
 しかし、僕が横で聞いていてもおばちゃんの普通語はたどたどしい。
「なんか、このおばちゃんは小さい頃に国共内戦から逃げてきたって言ってますよ」
「えっ、てことは……」
「もうミャンマー在住60年らしいです。そりゃあ中国語も忘れますよね」
 詳しくは聞けなかったが、国民党軍の残党とともにビルマ側に越境し、そのままヤンゴンに流れてきたのだろう。壮絶な人生だが、国境地帯のシャン州では未だにドンパチが散発的に続いているから、ヤンゴンまで逃れてきたのはせめてもの幸いだったかも知れない。
 これ以降、我々はヤンゴン在住の中国語話者に出会うことはなかった。

写真奥が件の女性だ。





(第三回に続く)

エディターズダイアリー

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