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HOME > ジセダイ編集部 > エディターズダイアリー > ミャンマー旅行記 第一回:中国語戦法敗れたり?

エディターズダイアリー

ミャンマー旅行記 第一回:中国語戦法敗れたり?

平林緑萌
2015年05月14日 更新

珍妙な四人組、ミャンマーに降り立つ

「スモーキング、オーケー?」
 タクシーの助手席に座る、梶田さん(マフィア梶田、ゲームライター)が聞いた。このタクシーは日本の中古車で、「車内禁煙」のシールが貼られたままになっている。
 運転手は苦笑いしながら「As you like」と言ったが、梶田さんはうまく聞き取れなかったようだ。
「好きにしろって言ってますよ」
 真後ろに座っていた高口さん(高口康太、中国語翻訳者・ライター)が通訳する。丸々と肥満した高口さんは、すでに首回りに汗をにじませている。暑い。まだ午前中であるにもにもかかわらず、気温は35度を超えている。桜もまだ咲いていない東京とは、ざっと20度の気温差がある。
 後部座席で僕と高口さんに挟まれている御簾納さん(御簾納直彦、ライター)は、長髪だからなおさら暑そうだ。既にへばり気味なのか、むっつりと黙り込んでいる。
 結局梶田さんは、タバコに火をつけるのをやめた。運転手がエアコンをつけてくれる気配はない(あとから分かったが、ミャンマーでは大抵そうだ)。窓は全開で、排気ガスと南国の熱気だけが送り込まれてくる。
 暑い。けれど、車窓を流れる異国の風景に、僕は少しずつ昂りを覚えていた。今日から足掛け6日間、ヤンゴンに滞在する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



左:お疲れの梶田さん(手前)と御簾納さん(奥)。トランジットのスワンナプーム国際空港にて。
右:ヤンゴン空港でタクシーを拾う。ホテルまで9,000チャット(約900円)。


  これまでに利用した国際空港の中でもダントツで貧弱なヤンゴン空港から、ダウンタウンにあるホテルまでは、渋滞がなければタクシーで約30分。到着する頃にはすっかり汗だくになっていた。我々はひとまずチェックインを済ませ、シャワーを浴びることにした。

 この妙な面々がミャンマーに降り立つことになったのには、それほど複雑な理由があるわけではない。僕が誘った、というだけである。
  僕がミャンマーに行こうと思った理由もシンプルだ。編集担当をつとめている『マージナル・オペレーション』という小説作品がある。この作品はほぼ日本を舞台にしておらず、タジキスタン→日本→タイ→ミャンマーと、頻繁に移動していく。この作品の後半の舞台であるミャンマーを訪ねてみたかった。
 そして、登場人物のモデルである梶田さん、中国語が達者で旅慣れてもいる高口さんを誘い、梶田さんが御簾納さんを誘った。そんなわけで、珍妙な4人組ができあがった。平均年齢33歳、平均体重80キロ(つり上げているのは高口さんと梶田さんだ)のおっさんたちだ。
 本日から、足かけ6日間にわたるミャンマー滞在記を、幾度かに分けてお送りする所存である。

ダウンタウンを歩く

 ヤンゴンのダウンタウンは狭い。
 もともとヤンゴンはモン族の町で、しかもそう大きな町ではなかったようだ。その頃の名はダゴンといい、街のシンボルでもある寺院、シュエダゴン・パヤーを中心とした漁村だったともいう。1755年、ビルマ(族)最後の王朝であるコンバウン朝の英主・アラウンパヤー王(未来仏、の意)がこの町を征服し、敵(ヤン)が尽きる(コン)地……ということでヤンゴンという名がついた、という伝承が知られている。
 コンバウン王朝はその全盛期にイギリスの侵略を受け、三度の英緬戦争に敗北して英領インドの州に編入される。ヤンゴンは第二次英緬戦争によって英占領下におかれ、ラングーンと改名される(第三次英緬戦争後に英領ビルマの首都になる)。


 英占領下に入ったころのヤンゴンは、狭苦しく汚く、しかも満潮になるとヤンゴン川(エーヤワディー川支流)の水が逆流して冠水するという有様で、植民地でも北極でも本国並の暮らしがしたいヴィクトリア朝のイギリス人にとっては我慢ならなかったと思われる。そんなわけで、イギリスはヤンゴンに大規模な再開発を施し、市街は碁盤目状に区画整理され(現在のダウンタウンに相当する)、本国風の建築物や協会、下水道の整備や鉄道敷設など、インフラの拡充に邁進した。
 第二次大戦前の人口は50万人ほど(現在はヤンゴン市圏で400万人以上)で、半分以上がインド系など南アジア系、ビルマ系は三分の一にすぎなかった。今でもダウンタウン中央部はインド人街で、西側はチャイナタウンになっている。
 我々はチャイナタウンに宿を取った。高口氏は中国語が達者だし、梶田氏も中国育ちだからそこそこできる。それをあてにしたわけだが、結果的にこのもくろみは外れた。
 中国語をしゃべる人間がほとんどいないのである。ホテルのフロントのスタッフも、ビルマ語以外は英語しか解さない。中華料理店に入っても、中国語を解する店員が一人もいない。ミャンマーが過ごした長い孤立主義の時代の中で世代を重ね、現地化が進んでいる、と言えるのかもしれない。

左:現地通貨のチャットに両替を済ませ、札束を数える梶田さん。
右:ホテルの窓からの眺め。向かいのビルは英植民地時代の建築か。まだまだ現役だ。


 荷ほどきを済ませ、シャワーを浴びて、四人で昼食を摂りに出かけた。
 適当な店に入り、中国語も英語も通じないので適当に指さしで注文すると、いかにもビルマ飯と言うべき油っぽい料理が出てきた。辛いものもあるが、全体的に味は日本人の口に合う。パクチーやナムプラーは控えめなので、タイやベトナムの料理よりも口に合うという向きは多いのではなかろうか。ただし、油はものすごい。
 僕と御簾納さんは、さっそく胃薬を投入する。

 その後、僕は高口さんと引き続き町を散策することにした。
 梶田さんと御簾納さんも誘ったが、
「ちょっと疲れたんで、夕方まで休みますわ」
「僕もそうします」
 と、既にお疲れモードである。トランジットのスワンナプーム国際空港で、軽くぼったくられたダメージが残っているのかもしれない。
 ともあれ、僕と高口さんはぶらぶらと街路を歩くことにする。まずはホテル近辺の地理を把握し、町の雰囲気をつかんでおきたい。
「とりあえず、ぐるっとそこら辺歩いてみますか?」
 ホテルで貰ったミネラルウォーターをぐびぐびと飲みながら、高口氏を見る。
「うぐぐ……重い」
 体脂肪が、ではなかった。
「ダメだ、このWi-Fiはクソですよ……」
 そう、高口氏は日本を発つ前に、ミャンマー国営系のMPTというキャリアにローミング対応しているモバイルWi-Fiを契約してきていたのだ。『地球の歩き方』のミャンマー編は、薄っぺらくてあまり頼りになりそうにない(そのくせ、倍の厚さを誇るタイ編よりも高い)。そこで、GoogleMapなどが使えれば便利だろうという目論見である。
「そんなに重いですか?」
「重いですよ。だってほら、Twitterすら厳しいですよ……」
 確かに、高口氏のスマホ(ASUSのSIMフリーモデル)の画面からは、TLの画像すら読み込みに四苦八苦している様がうかがえる。
「ちょっと、滞在中このWi-Fiに頼るのは厳しいですね」
「そうですねぇ。私のスマホ用に、トラベラーズSIMを買いましょうか」
 そんなわけで、我々はケータイショップを求めて町をさまようことにした。


左:賭博ネットカフェ。ネット対戦の賭け麻雀が人気。 
右:モバイルショップ。左の店はSAMSUNGとMPT、右の店ではVIVO製品を取り扱っている。

 

中国語戦法敗れたり

 ミャンマーは2009年の民政移管まで、長らく半鎖国状態にあった。そのため、外資企業は未だにあまり入り込んでいない。
 世界中で人々の暮らしに溶け込んでいるコカコーラですら、ミャンマーに進出したのはこの数年のことらしい(2011年頃?)。
 しかし、たった数年のこととはいえ、スマホなどのデジタルガジェットはものすごい勢いでミャンマーの人々の暮らしを変えつつあるようだ。
 街角に掲げられた看板で、一番多いのは韓国のSAMSUNG、それに次ぐのが中国のファーウェイとレノボだ。ノルウェーのキャリアであるテレノールやミャンマー国営MPT、中国のPC・スマホメーカーであるVIVOやOPPOの看板も多い。対して、日本企業の看板はほとんど見ない。空港から市内に入る時にクボタの大きな看板が一枚あったが、市内では若干のパナソニック、高級ホテルにHITACHIの電飾、ひとつかふたつSONYのものを見かけたか……というくらいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左:ファーウェイの看板もよく見かけた。
右:夜のダウンタウン。奥に見えるのは、ダウンタウン東部に鎮座するスーレー・パヤー。

「ここ、入ってみます?」
 高口さんが、何軒か並んでいるケータイショップの中の一軒に入ったので、僕も慌ててあとをついて行く。
 どうするのかと思ったら、いきなり中国語で、「俺はSIMカードが欲しい。だれか中国語がしゃべれるやつはいるか」的ななことを言い始めた。しかし、残念ながら誰もいないらしい。
「ダメです、次行きましょう」
 店員たちは皆、お役に立てなくて申し訳ない的な笑みを浮かべている。
 ミャンマー入国以降半日、高口さんの中国語話者を求める手法はずっとこの結果である。この僕はこの時点で、「高口中国語戦法敗れたり」と心の中でつぶやいた。それは要するに、中国語をあてにしていた自分の敗北でもあるのだが、それはまあこの際措くとして、とにかく中国語戦法は敗北したのだ。
 常々高口さんは「英語がしゃべれれば10億人と話せる? いやいや、中国本土だけで人口13億人ですよ。英語より中国語のほうが話者が多い!」とうそぶいているが、簡単な英語を解する人間はきっと中国語話者よりもずっと多い。おまけにヤンゴンは旧英国植民地なのだ。
「高口中国語戦法敗れたり」
 今一度、僕は心の中でつぶやいた。

 が、2軒目であっさり中国語が堪能な若い店員が見つかった。
 高口さんはスムーズにトラベラーズSIMを買い、500MBのネット容量のチャージも済ませた。
「中国語大勝利!」
 とは言わなかったが、その顔面には誇らしげな表情が浮かんでいた。
 ただ、結果的に言えばこの件は僥倖であった。6日間の滞在中、中国語をしゃべるヤンゴン在住者には、あと1回しか出会うことがなかったからだ。
 当然だが、日本語はまったく通じない(日本統治期間は3年ほどしかなかった)。最も役に立ったのは英語である。中学英語でも案外何とかなるのだが、それはまた次回以降で。

 

日本の影が薄い国

 初回の最後に、日本の影が薄かったことを述べておく。
 滞在期間を通じて、スマホなどのデジタルガジェットや自動車、それからキャラクターコンテンツなどの状況を気にしていた。
 既に書いたように、ミャンマーのスマホ市場では、韓国・中国企業が熾烈な競争を繰り広げている。ヤンゴン市民でも、なかなか最新のハイエンドモデルは手が届かないようだが、型落ちのGALAXYなどを持っている人は多い。2台持ちで、ネット用と電話用で使い分けている人もいる(キャリアもMPTとテレノールで使い分けているようだった)。日本のスマホでは、Xperiaを一度見かけただけだった。ヤンゴンの若者たちは中国や韓国のスマホを使う。当然、アプリもそれらの国のものが多くなる。ここには日本のコンテンツが入る余地はない。
 自動車は、日本の中古車がまだかなり多いものの(韓国中古車も少し見かけた)、中国の自動車メーカーも猛烈な攻勢をかけている。新車の宣伝キャンペーンも何度か見かけたので、恐らくヤンゴンのハイクラス層にとっては、中国車なら新車でも手が届く値段になってきているのだと思われる。
 テレビやDVDプレーヤーも中国製品が多いが、どこの家でもパラボラアンテナを立てて、タイの番組などを視聴可能だ。そのため、若者では簡単なタイ語を解する人も多く、ファッションなどはバンコクの影響が強い(富裕層の旅行先としてもバンコクは人気だ)。また、英語話者が多いため(インド系もいる)、インドポップスを聴く若者も結構見かけた。ファーウェイのスマホで「君が好きだよ、君だけだよ」みたいな他愛のない歌詞のインドポップスを聴き、口ずさんでいる10代の女の子もいた。ここにも、日本のコンテンツが入る余地はない。
 日本は第二次大戦以降、ミャンマーとのつながりを絶やさなかった数少ない国のひとつである。多額の援助をしてきたし、3000億円を超える対日債務を棒引きにし、いままたさらなる援助を行いつつある。
 それはそれとして、評価すべき点もあるのだろうが、市場としては全く開拓できていないと言わざるを得ない。
 別に僕は、ミャンマーで日本企業が幅をきかせ、日本製コンテンツが受容されるべきだとは思わない。けれども、もしそれを目指している人がいるとするならば、今のやり方では不可能だと理解はするべきではないかと思った次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



明らかにダメなゲームセンター。ここでも賭博が行われているのか、外国人は入れて貰えないようだった。

 


第二回に続く)

エディター

平林緑萌

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星海社エディター。
1982年奈良県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士前期課程修了。書店勤務・版元営業を経て編集者に。2010年7月、星海社に合流。歴史と古典に学ぶ保守派。趣味は釣りと料理。忙しいと釣りに行けないので、深夜に寂しく包丁を研いでいる。

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