『HiGH&LOW』のキャッチコピーといえば「全員主役」。これを真っ向から受け取るなら、SWORD地区の各チームのリーダーやメインの構成員といった人たちだけではなく、一見脇役にしか見えない人物たちもまた主役であるということだ。今回は、メインのストーリーの中で大きく活躍することはないが各所で鮮烈な印象を与える二人の主役たちについて考えてみたい。
『HiGH&LOW』という物語の根幹の一つにあるのは「若者の成長譚」だ。若者同士が互いのプライド剥き出しでぶつかり合ったり、力を持った大人の汚い欲望から生まれた理不尽な圧力の前に共闘したりしていく中で、それぞれが人間的な成長を遂げていく。過去の悲しい現実に捕らわれて己の時間を止めてしまい、周りの人間が成長していく中で変わることを拒否して「取り残された先輩」になってしまった琥珀さんの物語や、家族という最小限の単位を信じ、社会から自由であろうとする雨宮兄弟の物語も大筋ではそこに沿っていると言える。
では、そういった若者たちに対峙する大人側はどのように描かれているのか? これがあまり大人らしい大人というのは登場してこないのだ。ヤマトの母や小竹のママといった年上の女性は「母」として若者を肯定していく役割を果たすのみであり、見守る以上の何かを提示することはない。汚い大人の代表である家村会の面々にしても、幹部たちは内輪でガキじみた言い争いに終始したり、一見紳士然とした家村会長ですら九龍の会合においてはチンピラ然としてガキ剥き出しの態度を晒す。そう、家村会の人間たちは理想を失って欲望に動かされているに過ぎず、大人になりきれないまま我を通そうとしている「かってなガキ」でしかないのだ。
そういった登場人物たちの中で唯一、良くも悪くも大人らしい大人と言えば山王署捜査一課・西郷その人なのである。
西郷は家村会と通じる悪徳警官として登場する。賄賂を受け取り、家村会の悪事を見逃しているような様子が見受けられるが、詳細はわからない。山王連合会の面々にネチネチと嫌みを言ってくるのだが、それでいて目の前で自分の車をぶち壊したヤマトに対して、うろたえて文句を言ってみせるだけで特に警察権力を利用して圧力をかけようとはしなかったり、妙に憎めないところもある。二等辺三角形なみに急角度で椅子に座る癖があり、その横柄さと気怠さの混じった佇まいは味がある。非常にイヤな男ではあるが、『事件屋稼業』(原作・関川夏央/画・谷口ジロー)に出てくる五島田のように妙に憎めない悪徳警官なのだ。
嫌みとは言ったが、実は西郷の言うことは正論でしかない。意地を張って暴力で戦った結果、巻き込まれた弱い者がより多くの被害を受けるというのは真実なのだから。非常に正しい。正しいことが本当に正しいかというのは別にして。
まあ、自分が警官で向こうから手が出せないのをいいことに、ネチネチと嫌みを言いながら相手の襟に手をのばして服装を正していく陰険な体育教師みたいなやり方が本当にムカつくので、正しいことを言っていようがいまいが腹立たしいのは変わらないのだが。
実際のところ、西郷がどういう男なのだか深く語られてはいないので、もしかしたら凄くいい人の可能性だってある。戦争で泣くのは弱い人なのだから、あえて家村会とつながることで、屈辱に耐えながらも、うまいこと戦火の拡大を避けようとしているのかもしれないし、つながったと見せかけて家村会の情報を握り告発しようとしているのかもしれない。いや、善悪の彼岸を超えた存在、『クロコーチ』(原作・リチャード・ウー/画・コウノコウジ)の黒河内のような男の可能性だってある。『HiGH&LOW』の世界では誰もが主役、西郷に大きな物語がないとは誰も言えないのだ。
それはさておき、西郷から漂ってくる、うらぶれた中年男のいやらしさ、気怠さは得難いものであり、あの世界を彩る重要なファクターなのだ。
山王商店街に縦笛尾沢という男がいる。琥珀さんや龍也さんの同級生にあたる男だが、全く後輩から尊敬されていない。尊敬されていないばかりか、ラーメンを奢らされるのは当たり前、新参者で年下のチハルにすらタメ口をきかれてしまう、そんな男だ。コメディ・リリーフであり、テレビシリーズがHuluで配信された際の特典映像では、そのヘタレっぷりで大活躍していた。「自分の過去についてホラを吹き、普段はバカにしてくる後輩がそれに感動して涙を流すも、それがバレて怒られる」という、不良バトル漫画の抗争と抗争の間の箸休め的コミカル回でよくあるエピソードも披露する、不良漫画・ヤンキー漫画に出てくる尊敬されない先輩キャラの王道をいく人物だ。
不動産屋の息子だけど家業に勤しむわけでもなく、昼間からパチンコ通いでチャラチャラ暮らしている尾沢は不良といえば不良なのだが、硬派なところは全く感じさせず貫目は低い。学生時代、現役の不良だった時も、同学年のムゲン面子の前では影の薄い存在だったのだろう。とはいえ、病院で琥珀さん、九十九さんと同室であった時も、迷惑がりながらも普通に話しかけていたり、なかなか鷹揚な男なのだ。得体の知れない流れ者である九十九さんに対してもフレンドリーであり、一緒にラーメンを食べに行ったりするわけで、人に偏見を持たない器のデカい人物とも言えよう。尾沢にとっては、琥珀さんも龍也さんも単に同級生であり友達。昔から知ってるコブラ、ヤマトも新参者の九十九さんやチハルも等しく後輩。凄く、ニュートラルな感性の持ち主なのだ。
尾沢がよく他人に奢らされている描写があるが、あれも別に相手が怖くてイヤイヤ奢ってるというふうでもない。尾沢はヘタレであり、チャラくていい加減な男ではあるのだが、セコい男ではない。
尾沢は強い男ではないが、尾沢なりにITOKANのことを考えていたり、山王商店街のことを想っている節はある。もしかしたら、その想いが表れているのが、カニ男とタッグを組んだランチ戦争のエピソードかもしれない。家村会が地上げの一環として移動販売車で安い弁当を売ることで山王商店街の飲食店を苦しめる作戦を決行、それに対して、尾沢が立ち上がったのがランチ戦争ではなかったのか? ......そうだといいなと思う。
誰からも軽々しく扱われる尾沢。しかし、尾沢は男だ。やる時はやる。達磨一家が山王商店街に攻めて来た時、尾沢は仲間たちと共に戦線に立った。ビビりながらも懸命に戦い、非力ながらも知恵を尽くして戦う尾沢の姿。時として逃げ惑う姿は滑稽といえば、滑稽であるが、それは違うのだ。まあ、尾沢はなんだかんだで4人ぐらいは達磨の構成員を倒しているので、そこまで弱くはないんですけどね。もしかしたら、キリンジさんくらいは強いかもしれません。
『機動戦士ガンダム』でマ・クベがガンダムに挑んだ姿を思い出してほしい。様々な罠をしかけ戦うマ・クベの姿を人は卑怯だと言うかもしれない。しかし、よく考えてほしい。マ・クベは文官である。一文官が、軍人、しかもエースパイロットに挑むということが、どれだけリスクが高い行為なのかということを。圧倒的に武力で劣る以上、知恵を使って戦うのは当たり前だ。一文官であるマ・クベがモビル・スーツに乗って、ガンダムに一騎打ちを挑むということがどれだけ勇敢な行為なのか。それと同じで、非力な尾沢が達磨一家との決戦に挑むということが、どれだけ覚悟がいることなのか。
弱い男が勇気を振り絞って戦いを挑む姿といって思い出すのが『からくりサーカス』(藤田和日郎)終盤での三牛親子のエピソードだ。裏切って敵方についたように見えた三牛親子。「パパは弱い人間なの」と三牛父が言い出した時に誰もが裏切り確定と思ったはずだ。それが「だからこそ、人間を裏切った思いを抱えたまま生きてはいけない」と言い出して父子で敵に特攻していく。その時に巻き起こった熱い感情。それと同じものが、尾沢の戦いを見た時に巻き起こった。弱い人間が懸命に己の弱さに打ち勝って、戦いに挑む姿。それは本当に美しいものだ。あの日の尾沢は美しかった。どんなにみっともなくても。そう、あの日、尾沢は跳んだのだ。
今回、ほとんど語られることがないであろう二人の男について書いてきたわけだが、『HiGH&LOW』世界の登場人物というのはパラレルワールドに実際に生きているかのようにイキイキとしていて、メインのストーリーの中では端役でしかなかったとしても、変に魅力的な人物が多く登場してくる。その中に「自分しか好きじゃないかもしれないけど、どうしても語りたいんだ!」と思わせる人物が見る人それぞれに生まれても不思議ではない。人によっては、それが右京・左京だったり、マシンガンおじさんだったりするかもしれないし、無名街で「だったらお前は助からない」と言われてしまったヤクザかもしれず、雨宮次男をすっぽかした女だったりする人だっているかもしれない。そして、見る人の中で無限に私的な外伝が形成されていく。それも、『HiGH&LOW』の持つ物語的な強度とガバガバで穴だらけの設定の兼ね合いが産む豊穣さである。そして、今回で最後になるわけだが、一つだけ言っておきたいことがある。私はまだキリンジさんについて何も語れない、なぜなら私はあの人について未だに何も知らないというからだ。キリンジさんという山はそれだけ大きいのだ。「キリンジさんとは何か?」を求める私の旅はまだ続くのである。
ロマン優光
音楽ユニット「ロマンポルシェ。」のDELAY担当。著作に『日本人の99.9%はバカ』『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』(コアマガジン刊)など。
Copyright © Star Seas Company All Rights Reserved.
コメント