はいこんにちわ。
何となくですがこれで最終回にするからな馬鹿野郎と申し渡されましたので、何かこう、纏める感じにしなきゃならないかなってなってるんですけど、纏めきれなくて、どうしたもんかな、そもそもあの作品を纏めるとか、何か上から目線になってないかなって不安がございまして。
「語る」と「評価する」って似ているようで全然違う訳でして。当方、評価とかしたくないし一ファンとしてただただ語りたいな〜って気持ちでこの企画持ちかけたんですけど。そういうのも無責任かなって考えたりするんですけど、まあ、おめえの悩みなんかどうでもいいし、そもそもお前、誰なんだよ何処の何様なんだよって感じっすよ。
どうやって終わりにしようかなって考えても浮かばないから、HiGH&LOW THE MOVIEをぼんやりと見直しているんですが、ともかく何回見ても面白いですね。脚本だの演出だの本気でどうでもいい感じですよ。
以前からこれは色んな人に言っているんですけど、「応援上映」ってあるじゃないですか。何回か行ったんですけど。あれも何か違ってて。もう既に、どこでどんなツッコミを大声で言うか決まってるんですよね、あれ。そういうの何か違ってて。個人の意見ですが。
なんというか、日本じゃあんまり見ないですけど、ドライブインシアターって上映方法があるんですよ。ドライブインに車で乗り付けて、仲間同士、あるいは恋人同士でワイワイしながら、何となくスクリーンに目を向けると何か映ってる、そういう感じの。
HiGH&LOWってそれだと思うんですよね、ドライブインシアター。
応援上映みたいな合いの手決まってる様式美じゃなくて、雑談上映。例えば、ヒマこいた大学生が誰かの部屋に何人かで集まってる時に、何となくバックグラウンドで流れてて、ちょっと目を向けたシーンがメッチャかっこいい、あがる、理屈じゃない、みたいな、そういう消費のされ方。
これが例えばフランシス・コッポラだとかラース・フォン・トリアーだとかだと、そういう鑑賞の仕方、作品に対して失礼だろってファンは怒ると思うんですが、HiGH&LOWってそういう評価のされ方してない、言い方悪いけどジャンクフードのバカ盛りみたいな、そういう作品だと思うんですね。
そういうのって絶対に需要あるしそれなりの数字になると思うんですけど、大学の映研上がりから他人に褒められようと努力してきた人間、気取ってそういう作品作り、避けたがるじゃないですか。
HiGH&LOWの場合、そういうしがらみが一切なくて(あるいは持っているのかもしれないけれどこちらに感じさせない)、そこがストンと気持ちいいんですよね。
小賢しくない、というか。
いつも通りLDHファンのために、みんながカッコイイ感じで作りました、みたいな。それが何故か一部の、今まで全くLDHに興味のなかった層を取り込む事に成功した、これって割と奇跡的な、計算じゃない、また言い方悪いですけど「ポテンヒットでランナーを塁に出せればいいや」ぐらいの物が場外ホームラン、みたいな。
爽快ですよね、なんかそういうの。下克上感、ありませんか?
いや元々、下じゃないよとも思うんですけど。世間的には、まあ言ったらまたアレなんですけどLDH関連のコンテンツって雑に扱われてる感が凄くてですね。
だからといって「いやこれはこんなに高尚なんだ」って庇うのも筋違いというか。
何なんだよ。
何なんでしょうね。
とにかく浅ましさがないと申しましょうか。売ってやる〜広めてやる〜ってグイグイ来る感じが全然なくて、その分、こっちもストレートに受け止められるといいますかね。
初見時のインパクトなど思い出すと、こんな危ない喧嘩にあいつら連れて行ける訳ねーだろーが!(プワップワーン)「村山さぁぁぁん!」なんですけど、あれで気持ち一気に持っていかれたんですけど。そういうポイントが初見でなかった人には、もう何をどう勧めても無理というか無駄というか、無力感に苛まれるというか。
「面白い」の定義って人によってコロコロ変わるというか、凄い、伝わらない時には伝わらないんだな......ってそんな今更? って感じになりましたよ。
もう「広める」とか「みんなに見て貰う」とか諦めよう!
というか初見でつまんねえと思ったんならつまんねえでいいよ、他に幾らでも面白いことなんかあるんだろうからそっち行けばいいじゃねえかよ、ええー!?(何故キレる)謎ってほどじゃありませんが、考えてみようかなってポイントがあって。
これはHiGH&LOW大好き人間でも「?」ってなる事が多いというか、正直、意味わかんないっていうか。
YOUと小泉今日子。
どっちも大物。使うとギャラが大量発生する。
というか正直、なんで君らがシメるの? 何のためなの? って思っている方、多いと思います。いらねーよ! ぐらいに思ってらっしゃる方までおられるのは肉眼で確認済みです。何でなんだろう? って考えたら、何なんだ? ってしかなりませんね。
よく海外映画で、大物スターとか、有名監督とかがチラッと分からない程度にカメオ出演するじゃないですか。そういうさりげなさがあるでもなく、ほぼ本編全部を勝手に纏めるこの二人は一体......ってんな事考えたって答えが出る訳ないんですよ。
いや無理矢理、何か筋道つけたっていいですよ? こっちだってそういうの馴れてますから適当に理由こじつけてみてもいいですよ? ですが敢えてあの二人に関しては、適当に日本人的に曖昧な笑顔で「......さあ? えへへ......」って言っていきたいですね。
何というか、映画として見た場合、あの二人くらい分かりやすい「欠点」もないです。だって大してというかほぼ本編と絡んでないのに酔い潰れたまま勝手にモノローグってるんだから仕方ないですよ。
多分だけど、あの辺ってLDHの茶目っけみたいな物なんですよ。
一応同じ芸能界とか、同じ業界にいても、まだお客様気分で接したい「上の人」がいるっていう状態。その体現。それがあのYOUと小泉今日子。それを批判するのは簡単ですが、批判する君らには童心がないのか、結構、キャリア積んできたよな......って自覚があり、その上でまだ、「この人の前では一ファンに戻っちゃうな......」っていう、そういう、要石みたいな存在ですよ。
それをビジネスとして、映画制作という理由にかこつけて、「起用」してみたかったんですよ、分かりませんか、そういう童心。
例えばですけど、当方、たまに小説とか出版させていただいている訳ですけど、「挿絵とかどなたがいいですか?」なんて一応、尋ねられる訳ですよ。それ、こっちの意見、訊く気あります? みたいな社交辞令的なやりとり。結局最終的には、こっちの希望なんか聞く耳持ってくれないし、まあそこは相手もプロですからね。無駄にリスキーな冒険なんかしないで堅実に選んで下さる訳で、仮に当方の意見が通ったらそれこそ目も当てられないカオスになるんですよ。ビジネスですからそんなリスク無駄なので、無視されてもいいよ言うだけ言ってみただけだよ、って割り切ってますが。
YOUと小泉今日子の起用は、その「言うだけ言ってみただけ、言ってみたかっただけ」という制作者側の童心が、マネーの力で実現した力業なんですよ。そういうところ、一応、作り手側にいる当方としては、すげー、すげー、カッケエ〜ってなります。
大体ね、客の顔色うかがってなるべく客層を広げようっていうの、攻めているようでいて完全に守りですからね。HiGH&LOWは違う。知った事かとばかりに攻めまくり、それじゃ予算が通りませんよっていう定型句を、LDHマネーで自腹で実現していく。
その豪腕ぶり。これはむしろ、何かを造って世に売り出したいという人にとっては本当に感動に値する物作りなんですよ。
つまりあの二人、YOUと小泉今日子の起用は別に作品本体に関わる理由など何もない。
はしゃぎたかっただけ!
それでいいんですよ、そのぐらい無茶苦茶やって本物なんですよ。
世の中、どの業界も不況だ不況だで守りに入って、学生がチンタラ恋愛してお涙ちょうだい造って何となくちょっとでも黒字にしようとして余計な気遣いをしがちな昨今、この思い切った、まるで上棟記念に景気よく餅をバラまくような江戸っ子気質。
そういう部分にこそ、当方は惹き付けられたと言っても過言ではありません。
守り、鉄板、危なげない道、そういうのを無視して金とかいういーやな事情はこっちで面倒見るわという男気。素晴らしい。そういうのを証拠立てる、それがYOUと小泉今日子の起用。
作品に対する完成度の追求とかいうオタクくせえ理由なんかありませんよ。ただただ「呼びたかっただけ、起用してみたかっただけ」ですよ。
聖地巡礼で山王商店街に行ったときに、案内役のおばちゃんに聞いたんですが、小泉今日子が撮影終了して帰る時はその場にいたスタッフ俳優のみならず、何故か山王商店街の一般人の皆様までお疲れ様でしたと挨拶するハメになったそうですが、その大袈裟なお見送りこそが、制作陣のやりたかった事ではないのでしょうか?
映画マニアらはそういう、無意味な演出を批判しがちですが、当方はそれを心地よく受け入れていきたい。何故ならその遊び心や私物化、本来なら却下されるアイデアをマネーと熱意で押し切った、不況という言葉を無視した起用。
YOUと小泉今日子の起用こそが、あの二人が何となくシメる事が、観客にとってはともかくこの映画で制作陣がやりたかった事ではないでしょうか。そしてそれをやり遂げたのです。拍手して然るべき。
LDHだって順風満帆じゃありませんし、今も順風までは行ってないかもしれません。そういう時に普通、何をするかといったら予算削減、黒字前提。そこで敢えて予算増強、黒字にならんかも分からんリスクを選ぶ男気。
最後のシメをあの二人じゃなくおにぎり作って待ってた苺美瑠狂にさせておけば綺麗に纏まっていたであろうものを敢えてゲストキャラ。感服せざるを得ない。
そういった制作側の「素」、そういった物を押し通した、ただそれだけであの二人には意味があります。そんな楽屋落ちみてえな解釈で納得できるかよと言われれば、えーとですね、「しなくていい」です。
映画を超えるって言ってんのに映画の文脈に沿ってたら意味なかろうですよ。
つまりはそういう理由です。あの二人は今作における「無茶」「無理」「無意味」を、本来なら却下されるであろうキャスティングを押し通した、LDHの豪腕そのものの体現。
そういう事で勘弁願いたい。
HiGH&LOWという作品は、当方のような立場の弱い創作者にとって、やっちまえばいいんだ、押し通せばいいんだ、しくじったらしくじったでまたやり抜けやあいいんだ、何回だってやればいいじゃねえか、たとえ世間にオラついたみっともない奴だと思われたって、とことん攻める。攻めた先にこういった作品が生まれる。そこには夢があります。その結果しくじって死んでも仕方ねえかと納得するほどの熱量がそこにあります。
何より邦画。このかなり制作費用に難アリの、ともすれば日和るこの業界での、あの猪突猛進ぶり。なんと美しい事か。
今後とも当方は、かの作品を胸に、誰にどう蔑まれ嫌われ仕事を切られようと、やってやる、と気持ちを新たにさせるに充分でした。
ありがとうHiGH&LOW。
だがさよならはもう言わない。
何故なら、もう2、3がクランクアップしているから。
さようならと言うべきではない。
期待しておりますが正解。
大変、殊の外、期待しております。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
はい、おしまーい!
いってえ、100人......行くぞオラ!
江波光則
小説家。著作に魔術師スカンクシリーズ『ストーンコールド』(星海社FICTIONS)、『我もまたアルカディアにあり』(ハヤカワ文庫)など。「cakes」にて映画評を連載中。
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