星海社の社長・杉原幹之助が一読して、
「カッキー、これめちゃくちゃ名著じゃん。おもしろい!」
と興奮した渾身の一冊
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(古賀史健)
がついに発売になります!!!
※搬入発売日は、明日25日です。出版業界で使われる「(取次)搬入発売日」とは、問屋である取次さんに卸される日を差します。小売りである本屋さんの店頭に並ぶのは、早くても翌日の26日以降になります(紛らわしくてごめんなさい… …)。
若いうちに絶対おさえておきたい「文章を書く技術」を講義形式で伝える一冊ですが、
講義(授業)形式としては『武器としての決断思考』『世界一退屈な授業』についで3冊目、
著者の単著デビュー作品としては『武器としての決断思考』についで2冊目になります。
ちなみに、2月刊の『21世紀の薩長同盟を結べ』も、著者の記念すべきデビュー作になりますよ。
創刊半年で3人がデビュー。この本については、また次の機会に語っていきたいと思います。
ちなみにちなみに、『21世紀の薩長同盟を結べ』は、400ページの大著です。
価格も980円・・・。もうこれは新書じゃない!?
星海社新書をどういうシリーズにするか考えているときに、
競合として想定したのが「授業」と「教科書」でした。
経験上、面白い授業も興奮する教科書も少なかったので、
「だったら作ってしまおう!」と思ったのがきっかけです。
はっきりと言ってしまうと、他の新書シリーズは尊敬こそすれ、ライバルではありません。
参考にすることもめったにありません。
ぼくが本作りで参考にするのは、映画が多いですね。
たとえば、『世界一退屈な授業』や『世界史をつくった最強の300人』『仕事をしたつもり』のように、
星海社新書がやたらと〝イントロ〟を多用しているのは、
斬新なタイトルバックで映画業界に旋風を巻き起こした「ソール・バス(Saul Bass)」の影響が強いです。
どうやってその「世界」に観る人(読む人)を誘い込むか、没入させるか――。
そういうことを常に考えています。
ともあれ、星海社新書がライバルとするのは、
「他の新書」ましてや「本」ではなく、「授業」であり「教科書」です。
要は「学校」ですね。
創刊から半年近くが経って徐々に基盤が整ってきたので、
2012年はもっと積極的にそこの牙城を崩していきたいと考えています。
*
さてさて、今日は編集者であるぼくが普段どんなふうに原稿を読んでいるのか、ちょっとだけ語ってみようと思います。
ぼくが原稿を編集するとき、なるべく同じ文章を「5回に分けて」読むことにしています。
1回目は、「読者の目で読む」ため。
編集者にならなかった自分(たとえばメーカーに勤めている自分)が満員の通勤電車のなかで読んでいることをイメージしながら、まずはさらっと読みます。ここでチェックするのは「全体の印象」や「そもそもの面白さ」です。非ロジカルな視点で、立ち止まってメモしたりもせず、まずは最初から最後までざっと目を通します。ここでピンとこなかったら、全文を書き直してもらうこともあります。書き手からすると「マジか!」と思うかもしれませんが、ぼくが読んで面白くなければ他の読者も面白くない、という確信のもと、心を鬼にするのです。
2回目は、「柿内の目で読む」ため。
ここでは、自分の主観を最優先して読み進めます。「ここでコレを述べるなら、アレについても触れたほうがいいのでは?」とか「2章で語っていることは1章のこの部分に移したほうが、トータルな主張が引き締まるのでは?」「面白いんだけど、何かが足りない。そうだ○○しちゃおうか!」などと、あれこれ想像しながら、ツッコミを入れながら、考えを広げながら読んでいきます。要は「もっとこうしたほうが面白くなる!」という感じで、どんどん主観的意見を入れていくのです。ここでは読者のことはいったん無視して、「こうしたほうが俺が面白いんじゃ! 満足するんじゃ!」と〝俺様視点〟でなかば強引に進めます。文章を再構成・再構築していく作業にもなります。
3回目は、「数学者の目で読む」ため。
今度は、原稿の論理的整合性を徹底的にチェックしながら読んでいきます。数ページ前の文章と矛盾がないか、接続関係は明瞭か、などを、少し引いた視点でロジカルに見ていきます。かなり細かい直しを入れていくのは、この段階になります。視覚的に「言う」なのか「いう」なのか、語尾が同じ調子で続いていないか、といったリズムの部分についても、一段引いた視点から見ていきます。ここで、論理的に整合性が取れている文章にするため、「数行程度の文章の加筆」を著者さんにお願いしたりもします。
4回目は、「コピーライターの目で読む」のため。
この手順を踏むのは、文章のなかのキーフレーズ(ポイントとなる言葉や文章)を「拾う」ことが目的です。キーフレーズは「タイトル」や「宣伝コピー」「カバー・帯の文章」などにも使えますし、そこから発想を広げていくことで効果的な「小見出し」をつくっていくこともできます。ここらへんはコツがあるので、今度詳しく述べたいと思います。逆に、キーフレーズがあまり見当たらない場合、主張が弱いかもしれないので、加筆修正を依頼することになります。
5回目は、「書評家の目で読む」ため。
「この原稿を端的にまとめるとき、どの部分に着目すればいいか?」という視点で読み進めます。ここで着目した部分は、ぼくが編集する本の場合、太字になることが多いです。太字の部分を読むだけで、一冊の本の主張が見えてくるように考えながら太字にしています。「小見出し」と「太字部分」は、本屋さんで本を手に取ったときにどういうふうに読者の目に映るか、ということもかなり考えてつくっています。立ち読みしたときに「これは面白そうだ」「自分に必要だな」と思ってもらえなければ、誰がわざわざお金を出して買うでしょう。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』のときは、本のどのページを開いても、刺激的な「小見出し」と主張を明確にした「太字部分」が目に飛び込んでくるように、徹底的に計算してつくったりもしました。それくらいやらなければ、普通の人が「会計学」の本を買うことはありえない、と思っていたので、小手先と思われようが全精力を傾けてつくりました。そもそも読んでもらえなければ、主張が伝わることなどありえないのですから。
さて、駆け足で説明しましたが、こうして5回に分けて読み進めるのは、はっきりいって大変です。膨大な時間がかかります。
慣れてくると1回読むだけでこのすべてを同時に行うこともできるのですが、そうすると「精度」は落ちます。
(たとえば、「小見出しをつくる作業」と「太字にする作業」を同時にやると、どちらもイマイチな感じになります)
なぜなら、これら5つの「目」で読むとき、それぞれ頭の違う部分を使うからです。
同時にやるには限界があるのです。
だから、どんなに大変でも「今回はコピーライターの目で見よう」と分けて読むようにしています。
読む時間としては、2回目と3回目がダントツで時間がかかります。
「柿内の目」で読むときは、子供のように想像力・直感力を駆使して読まなくてはならないので、
ときどき発想がどんどん飛躍して、途中で新企画の企画書なんかを書いてしまうこともあります(笑)
でもそういうときは、ノっている証拠。面白い原稿になることが多いですね。
テンションが上がります。
「数学者の目」で読むときは、正直、頭がクタクタになります。
A→Bと話が進んでいるけど、実はA→(Aダッシュ)→Bと、あいだ(Aダッシュの文章)が抜けているのではないかとか、
「〜が、」の「が」は順接なのか逆説なのか、この場合どちらがより適切か、といったことを細かく考えながら読んでいくので、
まあ脳みそが悲鳴をあげるわけです。
僕の場合、だいたいメンズポッキーかパイの実を食べて糖分を補給しながら作業にあたります。
1冊の本を普通の読者が2時間かけて読むのだとすると、その10倍以上の時間がかかります。
テンションはあまり上がりませんが、ボケ防止にはなりそうです。
というわけで、今日はこのくらいで。
ええと、2月刊『21世紀の薩長同盟を結べ」は何ページあるんだっけ……?
あはは。時よ、止まれ!
星海社新書 初代編集長
星海社新書OB。
新卒で光文社に入社し、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』『99.9%は仮説』『若者はなぜ3年で辞めるのか?』『非属の才能』(すべて光文社新書)など、自分と同世代以下に向けて、メッセージ性が強く、かつ読みやすさにとことんこだわった本を作り続ける。2010年春に杉原幹之助・太田克史の両氏と出会い、「星海社で共に戦おう」と誘われ、3カ月悩んだ末に移籍を決断。星海社でも「新書」をベースキャンプとしながら、出版界の「高み」への登攀を目指す。新書編集歴9年の新書バカ。新書こそがノンフィクションの完成形であると信じて疑わない。尊敬する編集者は、戦後最大の出版プロデューサー・神吉晴夫。好きな言葉は、「俺は有名人と称する男のおこぼれは頂かぬ、むしろ無名の人を有名に仕あげて見せる」(神吉晴夫『カッパ大将』より)。
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