星海社新書3月新刊、大塚英志さんの『「おたく」の精神史――一九八〇年代論』が、3月24日(木)に発売となりました。
2004年に講談社現代新書として、2007年に朝日文庫として刊行されてきた名著に、書き下ろしの序章〈見えない文化大革命――外国の人たちによせて〉、終章〈二〇一五年の「おたく」論――『黒子のバスケ』事件と「オタクエコシステム」における「疎外」の形式〉計2万7000字を付した、待望の復刊です。
今回の星海社新書版では、新書としては珍しく(星海社新書としても初の試みです)、フルカラーイラストをカバーに配した装いとなっています。
この、白地にとてもよく映えるすばらしいイラストは、80年代に活躍されたまんが家・早坂未紀さんの「萌」という作品です。
本イラストを使用させていただくことになった顛末を、本書の「星海社新書版・あとがき」から、少し長くなりますが引用します。
さて、表紙に早坂未紀さんのキャラクターである、「萌」のイラストを勝手に使わせてもらった。このイラストは、ぼくの仕事場に、彼に返し損ねて今も飾ってある。連絡先を探したが、今回も見つからなかった。著作権的にはアウトと知りつつ無断で使わせてもらうことにしたのは、彼が「萌」というこの文字を美少女キャラクターに付した、多分、最初の例だからだ。といってもこれは、彼が原宿の竹の子族のとりまきの女の子の中に、こういう水玉のワンピを着た娘を見つけて、ひどく気に入って彼女の写真をもとに描いたものだ。そこに何故、彼がこれを「萌」と名付けたのかは忘れてしまった。あるいは早坂の中では「萌」はこの時点では、竹の子族というヤンキーの女の子の名としてふさわしかったとおもえたのだろうか。そんな話を仕事場に来た外国人研究者にしたところ、話の半分しか聞いていなかったのか、「日本おたく文化における萌の起源」を発見したような気になって興奮して帰っていってしまったことがあった。その後、このことを彼がどこかに書いたかどうかは知らない。しかし、ディスコミュニケーションもまた歴史の一部である。「おたく」の世界化も所詮はこういうディスコミュニケーションの果てにある気がする。だから、そのままにしてある。
考えてみれば、同人誌における「萌え」的キャラクターを吾妻ひでおの周辺で「発明」した人々の中心に早坂はいたのだが、彼もまたこんなことに世界がなるなんて予想だにしなかったはずだ。そして、ここまで正直に記しても「日本における萌キャラの起源は早坂未紀のこの絵だ」ときっと伝言ゲームのように世の中に伝わっていくにちがいない。竹の子族、などという「ヤンキー文化」の中に「萌え」が見出されたなんて書くと、斎藤環でも引用して誰かが間違った論文を北米あたりで書きそうな気もするが、そういうどさくさの中であっても早坂の名はぼくよりは記憶されるべきだ、と今も思うが、彼がどうして居るのかはわからない。
彼の連絡先を知っている人は御教示下さればうれしい。
早坂さんが本書にこの絵を使われたことが不快とわかったら、カバーはつくり直します。
上記にもあります通り、星海社編集部では「萌」の使用許諾をいただくために手を尽くしましたが、3月25日現在、早坂さんと連絡をとることができておりません。
つきましては、早坂さん、もしくは早坂さんの著作権者の方のご連絡先を探しております。
ご連絡先をご存じの方がいらっしゃいましたら、下記までご一報いただけますと幸いです。
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電 話:03-6902-1730
F A X:03-6902-1731
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何卒、よろしくお願い申し上げます。
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