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HOME > ジセダイ編集部 > エディターズダイアリー > ニコ生「集団的自衛権をめぐる喧噪の中で、憲法について一人で静かに考えてみる番組」書き起こし④

エディターズダイアリー

ニコ生「集団的自衛権をめぐる喧噪の中で、憲法について一人で静かに考えてみる番組」書き起こし④

林佑実子
2015年07月11日 更新

話を元に戻しますね。

憲法について。

じゃあ、(仮に「憲法」を新しく「つくる」と考えて、それは)変えやすい憲法をつくっていくのか変えにくい憲法をつくっていくのか。ここも結構、大事な問題です。

Q9「憲法は変えやすい憲法か、変えにくい憲法か、どちらが理想か」

1.変えやすい憲法

2.変えにくい憲法

今、改憲派の人たちがいる。じゃあ改憲派の人たちが考える新しい憲法ができたときに、じゃあこの先どうするんだ。(新しい憲法に)どんどん不備が見つかったときに、変えていこうということを選択するのか。あるいは今度は自分たちが思う憲法ができたので護憲派になって絶対変えないと攻守が逆転するのか。これ不毛ですよね。堅い憲法、変えにくい憲法、一度、確固たる憲法をつくったら変えないという考え方なのか、あるいはもっとフレキシブルに変えていく、柔らかい憲法にしていくのか。どっちがいい悪いという議論も含めて、こういった考え方も選択としてあるんだということですね。

 

その中で、憲法っていうのもを考えたときに、目先の問題のために憲法を変えていくのか、あるいは50年とか100年とかスパンはおいておいても、もう少し長い未来を設定していくために私たちは憲法をつくるべきなのか。どっちの憲法を我々はつくろうとしているのか。

Q10「憲法は目の前の問題を解決する手段なのか、長いスパンの将来を設計するものなのか」

1.今の問題

2.将来の設計

今、あまりにも目先の問題で憲法を変えようとしている、解釈を変えようとしている。しかし、憲法は本来そういうものなのか。目先の状況に対してフレキシブルに対応していくのは、集団的自衛権に関する法律が違憲かどうか、これについてはいろいろな議論があるし、ぼくもあの法律に対しては異論がありますが、目先の問題は法律によって対処していくものであって、憲法というのは長いスパンでの設計のほうがいいんじゃないかとぼくは思います。安保法制に合うように憲法変えちゃうみたいなニュアンスの発言をした与党の人もいますよね。

 

最後の質問が近づいてきたので、「責任」ということばをもう一回考えておきましょう。(今のこの国では)「責任」という言葉、あちこちで飛び交っていますよね。

Q11「あなたは「責任」ということばを日頃、どちらの形でより多く使うか」

1.他人の責任を追及する。

2.自分の責任を果たす。

このことばってあなたたちどうやって使ってますか? ぼくはどうやって使ってるんだろう。①他人の責任を追求するときに使ってるのか②自分の責任を果たしたり反省するときに使ってるのか。「自己責任」という言い方が象徴的ですよね。ぼくはぼくの責任を果たせなかったというふうに使うのか、あんたそれは自己責任でしょと他人を突き放すように使うのか。こういった言い方も含めて、責任ってことばの意味を考えなおさないと、憲法や政治にぼくたちはコミットできないわけです。

つまり、ぼくらは有権者としての責任があるわけであって、そこに立ち返らなきゃいけないからですね。(他人に責任を問うんじゃなく、自分の責任を果たす、という意味に「責任」っていうことばを戻す必要があるわけです)

 

ですから、こんな質問をしてみましょう。憲法には3つの義務がありますよね。納税・労働・教育を受けさせる義務。じゃあ、我々の今の社会は、国民が果たさなきゃいけない憲法に定められた3つの義務を果たしうる社会、つまりぼくたちがちゃんと税金を払えるような社会、ちゃんと働けるような社会、あるいはちゃんと親が子に教育を受けさせることができるような社会として機能しているのか。

Q12「今の日本は憲法が定める義務(納税、労働、教育を受けさせる)の3つを国民が果たしうる社会として今、あるか」

1.YES

2.NO

ぼくが田舎の私大にいてショックだったし憤っていたのは、ぼくがいたような田舎の大学に行くなって説もあるのかもしれないですが、そこに来る真面目な子たちは、大抵が奨学金を借りてくるわけです。奨学金ってただのローンですよね。卒業すると200万から500万のローンを背負うわけです。教育って義務教育のことだけだよって言うかもしれませんが、でもこうやって教育を若者や子供たちが受けていくようなシステムや経済的な枠組みがちゃんとあるのかということを含めて、義務教育の小学生中学生も含めて、あるのかということです。あるいは単純に、税金払いたくても働けないという人たちもいるわけですよね。義務を果たしうる社会としてこの国はあるのか。そういった視点からも憲法を問うていかなきゃいけないということです。

 

ぼくらは責任をもって選挙や国民投票に行ける有権者なんだろうかって一回考え直してみましょう。

Q13「あなたは責任を以て選挙や国民投票に一票を投じる有権者である自信はありますか」

1.YES

2.NO

つまり、ぼくたちはまだ「公民として病み且つ貧しい」のかもしれないよねってことをもう一回問いなおしてみましょう。それがぼくの提案です。

 

さて、ここで憲法について、そのことに絡めてぼくの考え方を表明します。それは、もう(色々、言い訳は)諦めて、面倒くさいけど、ちゃんと公民・有権者になろうと。(その一点です)かったるいんです。ちゃんと考えて行動するって。政治についてニコ動でコメントしてたほうが楽なんです。空気に流されてその都度、自民党だ民主党だなんだって言ってたほうが楽なんです。橋下さんだ、民主だって言ってね。それで失敗したら叩けば楽なんです。でも、いい加減やめようと。もうちょっと考えて政治を選ぼうと。そろそろちゃんとやろうねってみんな言ってるんだけども、なかなか先に進まないですよね。(ぼくはいつも)同じことを言います。でも柳田國男が言ってたこともそういうことですね。でも、このことって、ぼくが『護憲派の語る「改憲」論』の最後に憲法について書いたことです。ぼくが言ったのは、これから12年かけて教育が一回りする間の中で、次世代の有権者を育てる実践をみんなでしてみようと。(この本では)妥協案として6年って書いてありますが。小さな子供が大人になって投票できるようになるまで。小学一年生が18歳になって、今回投票の年齢が下がりましたから、有権者になれるまでの12年間なのか、あるいは中学校一年生が有権者になる6年間なのか、スパンに関しては議論してもいいでしょう。ただ、我々のこの社会が、有権者を最初の世代として育てるためには、6年から12年が絶対に必要なんだと。一回、まず、その時間を担保してみようと。そうやってお前は憲法が変わることを阻止するつもりなんだろ、と思われたくないので、教育が一巡する6年・9年・12年(年数は議論しましょう)、例えば、12年後に憲法を変えるため国民投票をします、と立法してしまう。(法律で)決めちゃう。変えるって。少なくとも改定案を出して国民投票をすると決めてしまう。その間、憲法についての教育の自由や言論の自由や学問の自由を徹底して保障しましょうと。国もメディアも我々も、ニコ動も、です。もともとこれこそが柳田國男の考え方だったわけです。柳田國男は教育の中で有権者をつくっていこう、これが柳田國男の最後の結論でした。柳田國男の文章、これは戦後に書かれた文章ですね。

 

普通選挙には条件がある。今でこそ六年・三年の義務教育であるけれど、当時は六年間で、ふつうの人間は世の中に出ていって、それからせいぜい勉強したところで、九年にならない間に世の中に出ていって、それですっかり一国の政治を理解し、かつ、その甲乙の候補者の優劣を、可否を判断することはできるものでない。

 しかし、そのようなことをいっていたら、きりがない。いつまでも準備がたりないという理由で、普通選挙の実現をのばすことはできないという意見が有力になって、とにかくやってみようということになったのである。

(「話し方教育の方向」『柳田国男教育論集』1983年、新泉社)

 

大正デモクラシーから昭和の初頭にかけて、最初の普通選挙の体制ができあがる中での議論だったそうです。当時の教育を受けた後で、そんな簡単に有権者になれっこないんだから、まずは教育をちゃんとやってから普通選挙法やったらどうなんだって議論もあったが、とりあえずはやってみようってことになっちゃった。やはり当時から、普通選挙をやっていくには教育が大事なんだという議論はあったんだということを柳田國男は言うわけです。しかしそこが十分じゃなかったから、選挙が行われて、選挙で選ばれた内閣が最終的には戦争を行ってああいう結果になったわけですよね。誰かがもう選挙はしないぞと決めて、銃を突きつけて国民を戦場に連れて行ったわけではなくて、ちゃんと「民主主義システムの中でこの国はあの戦争を選んだ、という責任」が有権者にはあるわけです。ぼくが東京裁判のA級戦犯的な史観にリベラルの側から反対するのは、A級戦犯に責任があるんじゃなくて、ああいった内閣を選んだ有権者に責任の一端があるんだ、ということです。だから、その責任の一端を特定の人間に押し付けてしまって、自分たちは免罪できたような気になるのは欺瞞でしょ、というのがリベラルの側からの東京裁判批判です。だから結局柳田國男が危惧したように、「群れ」が政権を選び、そしてひとつの悲劇を生んでいったわけです。だから、こうしようと。「そのためには憲法を自分たちで創れるように有権者に自らがなり、自ら(次世代の有権者を)育てられる状況をつくる必要がある」。有権者になるだけじゃなく、我々大人は有権者を育てましょうということですね。で、それぞれの現場でちゃんと努力していきましょう。教育の現場では何をやっていくのか。柳田國男の話になります。「史心」、歴史をみる心と書きます。さまざまな材料から最終的に自分の歴史観を構築できる人間です。それはなんとか史観だというふうに他人の史観を批判したり、誰かの受け売りを語るんじゃなくて、具体的な史料や材料から最終的に自分の歴史認識を自分で判断できる技術を柳田國男は史心と呼んで、それを訓練することが自分の学問なんだといっているわけです。柳田國男の民俗学ってみんな間違えてるんだけども、田舎に行って昔話とか妖怪の本を探してきて、古い変なお祭を見つけてきて研究するのが民俗学ではないです。今はそうなったからあの学問はダメになったんです。そうじゃなくて、有権者になるための教育をしていく、そのために自分自身が自分の社会のことを具体的に調べて判断材料を得ていく、そのための学問が民俗学だったわけです。戦前の時点では日本の多くの部分が村だった。農村や漁村や山村だったから、目の前の自分の社会を見ていくためには、結果として自分たちの村を見る必要があった。そして自分たちの社会の中には、新しい近代の習慣だけではなく、古いさまざまな習慣があって、そういうものも含めて一個の社会を構築していたから、だからそれをきちんと調べる必要があった。これが民俗学です。

 

もうひとつが、「思い方、話し方の訓練」。自分で感じて、そして話す。こういった言葉の訓練。このふたつが彼の学問の本質でした。戦争中にこういうことを言ってます。

柳田國男は戦後になって国語の教科書と社会科の教科書を作ります。それがいわば柳田民俗学の最後の局面でした。社会科の教科書は社会という目に見えないものを自分で見つけ出していく、そういう技術です。そのために目の前にある出来事や材料を集めていって、そこに何があるのか、どういう問題があるのか。社会というのは、私たちが生きていく上で問題が起こる場所です。社会で起こる問題が社会問題というのは非常に古い手垢がついてしまったことばです。そして社会問題を解決する主体が同時に社会なわけです。その社会を見つけ出していく技術ですね。そしてその社会の中で問題を見つけ出していき、具体的にそれを言葉にし、あるいは書き、議論していく。こういった言葉の技術。これが国語です。柳田國男が国語の教科書を書いたっていうと、みなさんは柳田が美しい日本語を守るって言っていると思うでしょ。書いてないんです。古典なんか載せるなと。言葉なんか使い勝手がよければいいんだと彼ははっきり言い切るわけです。言葉はツールです。そこは非常にクールです。古典を研究していく、国文学を研究していく。それはそれで大事だよ。一方で我々は言葉をツールとしていかに使い勝手がいいものにしていくのか、そして使いこなしうるのか、それが大事なんだ。これが柳田國男の国語観です。戦争中にもこんなことを言ってます。

 

正しく言ひたいのは「めいめいの思ふことを」なのである。それをわざわざ教へてくれる人は、教育者以外には有らう筈が無い。永い間に覚え込んだ沢山の言葉を、自在に組合わせてこそ自分思つたことが言へる。文句丸呑みだつたら鸚鵡ぢゃ無いか。自分の生活とは言へないでは無いか。

(昭和十八年「教育と国語国策」)

 

「正しく言いたいのは『めいめいの思ふことを』なのである」。めいめいの思ふことというのをみんな正しく言いたいと思っているんだ、ということですね。そしてそれを教えるのが教育なんだと。誰かが言うこと、文句=フレーズを丸呑みにするんだったら、そんなものはただの鸚鵡じゃないかと、昭和18年の時点で言い切っている人がいるんだ。何度も言うようだけれども、柳田國男は国家官僚です。保守主義者です。いわゆる共産主義者、左翼ではありません。保守思想家です。国文学の歴史の中なら日本浪曼派の流れに組み込まれるような、いわゆる広い意味での日本の保守思想の根幹にいる人です。その人がこういうことを言っているということは、柳田國男の読み方として、注意してほしいところです。彼は同時に近代という社会をどう設計していくのか、これが明治の人間たちの大きな命題だったわけです。日本という国が近代国家になっていく中で、彼らがこの社会をどう設計していくのか、というときに出てきた人たちですよね。そのときに、国語という問題があって、彼らは標準語、国語を作るわけです。彼らが作ったのは美しい日本語じゃないんです。コミュニケーションのツールです。学生の頃、民俗学をやっていてショックだったのは、山形県の山奥の村に行って、昔話のフィールドワークをするんです。そうすると目の前に座っているおばあさんの日本語がぼくには聞き取れないんです。しかし、おばあさんはぼくの日本語が聞き取れる。NHKを見ているから、なんです。明治のはじめに起こったことは、明治維新があって薩摩や長州やいろんな場所から、いろんな地域から人々が東京にやってきて、政府や会社や社会を作っていくときに、みんな違う地方語をしゃべっているから、何を言っているかお互いわからないんですよ。そのときに、共通語という人工言語を江戸弁をもとにつくらなきゃいけなかった。これが日本語、標準語の本質です。我々が今使っているこの日本語です。だから、言葉は異なる人間たちが使っていく一種のエスペラント語なんです。明治期の文学者たちってね、柳田國男も含めて、大正時代に入るとエスペラント運動に結構コミットしていくというのはこういうことなんです。だから、言い方、思い方の訓練をしなきゃいけないんだということを彼は戦争が終わった後に(改めてもう一度)言っているわけです。

 

それは何かといふと国語の普通教育、国語を是からの少年青年に、どういう風に教へるのが最も良いか。国を健全なる成長に導くが為には、如何なる道筋を進むのがよいかといふ問題である。聴いて見れば成るほどさうだつたと、思はぬ人は恐らくは無いであらうほど、今が一ばんこの問題を考へ見るべき、大切な潮時であると自分は信じて居る。

(「喜談日録」『展望』創刊号、昭和21年1月)

 

柳田の文章はわかりにくいので要約してしまえば、戦争中言論弾圧があったから自分の好きなこと言えなかったと今みんな言っているけれども、それだけなのか。そうではなくて、そもそも自分の意見を言う言い方話し方、自分の言葉というものをみながもっていなかったことに大きな問題があるんじゃないのか。自分の言葉をもたなかったことを棚上げにして、人のせいにするなということです。かなり厳しいですが、ぼくはひじょうに納得がいく部分です。コミュニケーション、言葉の問題、そして自分たちの目の前の問題をどういうふうに見ていくのか。具体的なものとして民俗学がどうあるのかはみなさんが柳田國男の『明治大正史世相篇』でもいいし、『郷土生活の研究法』でもいいし、『青年と学問』なんて本もあります。いろいろと読んでみてください。ぼくもそれについて書いた本があるので、気が向いたら読んでいただけると嬉しいです。(柳田と公共性についてぼくの書いた一番新しい本は『社会をつくれなかったこの国がそれでもソーシャルであるための柳田國男入門』です。『公民の民俗学』という本もあって、内容は被りますから、どちらか一冊でけっこうです)『サイコ』よりは読んでほしいと思って書いてる本なんですけど、まったく読んでいただけていないので読んでほしいと思います。

 

それはおいておいて、(もし、6年なり12年で憲法を変えられる「有権者」に自らなり、次世代を育てようとするなら)いろんな人間がいろんなことを(それぞれの責任)でやるべきですね。

 

まず、大学では、学問と社会の関係をいい加減問い直しましょう。大学にかつていたぼくの経験を踏まえてです。今回の番組のタイトルにもなってますが、文部科学省が国立大学に、人文系、文系と教育系、やめちゃえば、みたいなことを言っているわけです。そうじゃなくて新しいやり方を見なおしてくれってことなんだと(文科省は)言ってますが、現場としてはやめろと言われているに等しくてパニック状態ですよね。実際、そうやって国立大学の中には(文系を)廃止しなくちゃいけないんだという先回り的な動きだってできてるわけです。しかし、文科系の学問を殺していいのか、教員を育てるということをやめていいのか。全部、私立大学に任せろ、といいます。しかし、私立大学はいくら国の助成金があるからといって、この少子化の傾向の中でより経済効率のいい学科しか残せないのが私学のあり方だ、というのは田舎の大学にいたぼくにはリアルにわかります。田舎のぼくがいた大学で、人文科学を引き受けられるはずがないんです。ま、美大ですけども。(あの大学では)神戸の小さなデザイン事務所でどうにか食っていける人材を教育するのが手一杯だと思うんです。それが大学なのかというとなかなか疑問なんですが、そういう生々しい選択をせざるをえないんです。そういった私大に、人文系の学問を任せていいのか。もちろん、短期間的に役に立たないことをやっていていいのか、税金の無駄遣いじゃないのかという議論もあります。はっきり言いますが、税金の無駄遣いに等しい研究や学者もいっぱいあります。(ぼくだって今やそうかもしれないし、そうならないように「世界」中、飛び回っているわけです)言った瞬間に自分たちにも跳ね返ってくる部分があるなと思います。

じゃあ、我々の人文科学、文科系の学問というものが、一体どうやって社会と関わっていくのか。半年後、あるいは一年後に役に立つのとは違うやり方で役に立つやり方があるわけです。それがつまり、私たちが社会や世の中を見ていく、将来を設計していく、(という)ことです。何回もいうけれども、柳田国男は自分たちが有権者になっていくためには自分たちで材料を集め考え判断し議論をしコンセンサスをつくり、そして未来を設計していく、それが自分の学問なんだと言っているけれども、別段これは柳田國男の学問だけではなくて、すべての学問になくてはいけないはずなのに、忘れちゃってるわけですよね。だから、民俗学の妖怪の研究をまんがのネタに使ってますけどね、まんがのネタに使えるからいいかとか効率がいいとか経済性があるとかじゃないわけですよね。(でも、今求められている「経済性」ってそれに近いレベルです)そうじゃなくて、たとえば妖怪というものを通して我々の中にある考え方について迫っていけるのかということに関して説得力がある議論ができたときにはじめて意味があるんだろうけれども、そこにはいかなくて、ぼくが。まんがのネタにするところで終わっちゃう。これが民俗学の妖怪の研究の限界ですよね。(今の民俗学者は角川の『怪』で妖怪ファン向けに妖怪論書いていることと、柳田の「妖怪論」の違いが見えなくなっているわけです)一方で今の政権が進めている、あるいは今の大学が求められているのは、短期的な実用性や経済効率です。それはそれで必要なのかもしれないけれども、全部そうなったときにどうなの、と。お前に言われたくないと思うかもしれないけれど、ぼくが言わないといけないくらいに結構危機的な状況です。そういう中で自分たちが人文科学をどうやって再構築していくのか、そして教員というものをどうやって育てていくのか、ここを考え直さないと。おそらく、人文系の学者たちや国立大学の先生たちって、今の政権に嫌なことばかり言うし左翼多いし、とりあえず潰しちゃえばくらいのノリだと思います、ぶっちゃけ。でもね、それで潰されるほうも潰されるほうで、黙って潰されてるやつはアホなんだけど、だからこそ自分たちの存在意義を大学の人間たちはきっちり言えるのかと。小声でボソボソボソボソ、反対さえも言えないですよね。民俗学はぼくがかつて学んだ学問です。その初心に戻りましょう。シンプルです。つまり、柳田國男はこういうことをいっているわけです。社会科の教科書作って、小学校6年間の間に有権者になってよかったなということを考えるきっかけを与えることができるんだというふうに、そういった社会科を作ろうと言ってるわけですよね。

 

大きくなつて選挙民になつた時に、はてなと考える資料をずいぶん六年の間に与えることができると私は思う。

(昭和22年4月9日「社会科の新構想」『柳田国男教育論集』1983年、新泉社)

 

(自分で歴史を判断できる能力、「史心」の育成を)民俗学も人文諸科学もやっていくべきですよね。子供だからってナメてかからないで、レベルを下げないで、どうやって子供を育てていけるような言葉を自分の学問の中に作っていくのか。これはすごくしんどいものなんだけど、やるべきでしょうね。なんて言うとすぐに近所の小学校に出前授業とかして(形の上での)実績だけ見せて「やっちゃった」というふうにごまかすのが、今の人文科学系がやっていることのダメなところなんです。これでは意味がないです。そういうことじゃないんです。

 

国会・議会が何をすべきか。「意見の言い方、議論の仕方、合意形成の仕方の模範となる」姿をあなたたちは見せてください。野次が飛ばされると冷静な議論をしましょう野次はやめましょうと言って、立場がころっと変わると自分が野次を飛ばすのはいいっていうの、もういい加減やめましょう。今の国会を見てると、ニコ生やニコ動でコメントがばーっと流れて議論や議論している人間の顔が見えなくなる状態を、この状況の中で国会やってるというのがみなさんにも見えてきて嫌な感じがするでしょう。いい加減やめてね。さすが国会議員である、と。(と、有権者が感心する議論をしてほしい)無理かもしれないけどそのくらいの努力はしてほしいですよね。あとそういう人間を選びましょう、これから。

 

公務員・議員・首長はどうするべきか。パブリックサーバントです、みんなね。強い指導者がほしいって言うけど逆なんです。私たちの意見に従う指導者を私たちは選ぶべきなんです。私たちの合意形成を具体化していく議員や首長を選ぶべきであって、公務員にそれを求めるべきであって、ぼく何も考えたくない、でも誰々がなんか勢いのいいことを言っていてなんとなく感覚的に(気持ち)いいから(そういう人をリーダーに選ぶっていうのは)もうやめようってことですね。

 

「運動」している人たちはいっぱいいます。市民運動とか愛国運動とか、いろいろいます。なかば職業化した左翼も職業化した右翼もいます。あるいはそうじゃなくて、何か自分たちで行動を起こした人もいます。全部それぞれの立場で憲法の草案を作りましょう。リベラルな改憲派が出てこない限り、護憲派だけではだめです。今日は話しませんが、今の憲法にはたくさんの欠点があるとぼくは思います。(だから)変えるべきだ、というリベラルな改憲派が必要です。そこが出てこなきゃだめです。

 

憲法学者、今回注目されましたよね。憲法判断を憲法学者がした、違憲だって言った、説得力をもった。じゃあもうちょっと進めてもらおう、「見直しの憲法学」みたいな学問を作ってくださいと。社会学者が加わってもいいですよね、人文系の学者たちも。戦後憲法を戦後社会はちゃんと使ってきたのかどうか。憲法の検証をしていきましょうと。こういう局面で使えるはずだったのに使えませんでした、こういう条項があったからこういったことになりました。(それを検証しましょう)メリット、デメリット。メリットがないなんて言わせません。デメリットも当然ありました。さっき言ったように、ぼくは80年代の終わりから90年代にいわゆる保守論壇にいたわけです。そこでバカバカしいなと思ったのは、こういうふうな書き方をすると基本的に原稿が通るんです。なんでもいいから「今の日本は間違ってる」って書くんです。(それで)一番最後にこんなことになったのは、A:戦後憲法のせいなのだ。B:日教組のせいなのだ。これでどんな原稿でも通ります。でも、今の議論ってそうでしょ。こんなふうに日本がなってしまったのは、戦後憲法のせいなのだ。たとえば、日本人が合理的なものの考え方をするようになってしまったのはアメリカの憲法のせいなんだと言う人がいますが、実はこういった合理主義は戦争中のプロパガンダの中で推進されていったんだってことはちゃんと調べればわかるんですが、ころっと忘れてしまってそういう議論が出てくる。果たして戦後社会に対してメリットがあったのかなかったのか。デメリットがあったとすれば、憲法のこの部分があった結果こうなってそうなってああなってこうなったんだということを具体的に立証した人はいるのか。せいぜい憲法が「平等」というから運動会のときに手をつないでゴールするからよくない、くらいの感覚的な議論ですよね。(じゃあ「平等」って書いてある他の国の憲法の下でも子供は手をつないでゴールするのか? しないでしょ。だったら「言いがかり」か「憲法の誤読」のどっちかです)そうではなくて、一個一個の条項が具体的に法律に反映し、我々の社会的な倫理や社会構築の根拠になっていき、その結果として日本社会がこうなっていって、それが今の状況にメリット、デメリットを与えたのか、あるいはまったく作用しなかったのか。そういったことをちゃんと研究する学問を作るということはそれこそ専門家の仕事ですね。

 

司法は? これは、憲法判断をしていく府としてきちんと機能してくださいと。同時に有権者はそこに対して憲法判断を求めていきましょうと。選挙のときに渡されるもう一枚の投票用紙の意味を取り戻しましょうということです。

 

大人全般。子供たちに憲法のあり方や社会やこの国の将来を考えられる大人になってもらいましょう。つまり、教える側になりましょう。これは結構大事なことなんですね。ぼくみたいにバカな人間でも先生をやっていると多少はまともになってくんです。教えるということを選択すると、比較的人間はまともになれる部分があります。ちゃんと教えられる大人になるということは悪いことじゃないです。

 

18歳未満。近代を通して、もしくは昭和の初頭の普通選挙以降、我々有権者たちがなれなかった正しい有権者、病み且つ貧しくない最初の公民になってくださいねということです。

 

柳田國男は晩年、民俗学のテキストを作ろうとしてうまくいかなかったんですが、こんなことが書いてあります。

 

まなぶとおぼえるとはちがふ。

(中略)

自分でしらべ、知らうとすると、人のいふこともわかる。

(昭和27年頃「民俗学教本」草稿、柳田為正/千葉徳爾/藤井隆至編『柳田国男談話稿』1987年、法政大学出版局)

 

こういうことをしていきましょう。(若い人は「まなぶ」人になって下さい)今の日本人の教育改革の議論の中で、思考的な能力や分析的な能力や調べる力や議論の力がない、だから教育改革をしようといっているけども、じゃあ具体的になせる改革はなんなのかっていったときに道徳教育とかね、方向違うじゃんと。ちゃんとやろうと、文科省もそう言ってるんだからね。考えたり、議論できたり、そういった教育しなきゃだめなんだよって言ってるんだからしましょうってことですよね。

 

企業も考えましょう。企業には山ほど責任があります。でもせめて、派遣の人たちも含めて、親がちゃんと子供たちに教育を与えられるような雇用環境をまず作りなさいということですね。(国民が「労働」「納税」「教育を受けさせる義務」の三大義務を果たし得る労働環境をつくる責任が企業にはあるよってことです)

 

有権者。自分たちでちゃんと(有権者として)「責任」をもちましょうよと。責任をもつってなかなか難しいので自分で考えてください。自分の投票行動に責任をもつってどういうことなんだろうってなかなか難しい問いです。(一つの例が「ナベタくん」です)ナベタくんが誰かももう説明しないので自分で探してください。小さなブログをやっています。そういうことが(有権者としての一つの)「責任」のあり方なのかなって気がぼくにはしてます。

 

と、まあさまざまな立場、私はいったいなんなのか、私は大人なんだ、父親なんだ、あるいは学校の先生なんだ、どこどこの会社のサラリーマンだ、町内会の役員なんだ、小学六年生なんだ、いろいろな立場がありますよね。その中でやるべきことがあるでしょうということですね。「それぞれできることがある」(あるいは「できる限り何でもします」)という言い方は、実際には誰も何もやらないということの裏返しで欺瞞として使われる言葉ですけども、ちゃんとみんながやるべきことをやりましょう。みんながそれぞれやるべきことがあるはずだという言い方を、何もしないことの言い訳に使わないようにしましょう。

ああ面倒くさいですね(でも、仕方ないですね)。

 

そしてドワンゴ。自分たちは民主主義のインフラなんだということをもうちょっと自覚しなさいということです。(誰でも自分が自分の意見を自由に安価で発言でき、議論や共有もできる。ネットはそういうインフラです)最終的にぼくが言いたいことはここです。見てて腹立つわけですわ、この会社やこの会社のトップに。「角川くん」と「川上くん」も含めてね。このシステムで(ユーザーの欲求を)換金していく、それは企業だからいい。(「マネタイズ」っていう部署が今やこの会社にはあります)でもこのインフラは同時に民主主義システムを作っていくインフラとしても機能するんだってことをいい加減自覚しなさい、それが最低限の責任でしょ、と。その責任を果たす意志がないからこの会社の株がガンガン下がるんだよね。これ嫌味ね。

 

また柳田國男を引用します。こんなこと言ってます。

 

言論の自由、誰でも思つた事を思つた通りに言へるといふ世の中を、うれしいものだと悦ぼうとするには、先ず最初に「誰でも」といふ点に、力を入れて考へなければならない。もしも沢山の民衆の中に、よく口の利ける少しの人と、多くの物が言へない人々とが、入り交つて居たとすればどうなるか。事によると一同が黙りこくつて居た前の時代よりも、却つて不公平がひどくなることがあるかも知れない。自由には是非とも均等が伴なはなければならぬ。故に急いで先づ思ふことの言へる者を出来るだけ沢山に作り上げる必要がある。

(「喜談日録」昭和21年1月、『柳田國男全集 第三十一巻』2004年、筑摩書房

 

言論の自由ってなんなんだ。誰でもという点に力を入れるべきだと。柳田國男はずっとこういうことを考えているわけです。有権者一人ひとりが自分の言葉をもって発信してそして議論しあってコンセンサスを作っていく、でも自分の言葉を得て、そして自分で材料を集めて考えても、発信できる人間は実際には限られてるんですよね。村か何かで寄合を作って議論すればいいのかもしれないけれども、結局はメディアに出る人間って限られている。今回ぼくはズルをしているわけです。多少ものを書く人間だからこういう場(公式生放送)で発信できる。ただ同時に、しかし、ぼくとあなたたちの違いは、せいぜいここにあるカメラを自分でセットしなくていいと(いうだけです)。でもあなたたちは自分のパソコンでできる。ぼくにはできませんけどね。そこで(あなたは)大塚の言ってることはまったく正しくないぞと2時間発信できるわけです。ネットがもたらしたことというのは、自分の言葉を人々が獲得し、発信し、議論し、そしてコンセンサスを作っていこうと思っても、言葉を獲得した後発信していく場所を一般の人はもてなくて、結局は評論家や学者や政治家や作家といった特権階級にしか許されなかった、(それを可能にした)っていう事実ですよね。ネットはこれ(特定の人しか発信できないっていう「特権」)を壊した。(コメントに「8888」と書いたり、気に入らない奴の顔を消しても、意見の表明や議論ではないわけです)これが画期的なことだったし、(ネットって)こういう(民主主義のツールである)ものだと古い世代は思ったんです。だからちょっとネットに期待したんです。でもネット選挙とかって言っておいて、あれはあの直後だけだよね。そんなことすっかり忘れて、ネット選挙直後の超会議は共産党から自民党まで全部来てたけど、こないだの超会議は民主党だけがぼーっとしていた。ネット選挙っていう言葉も、あのときは騒いでいたドワンゴもすっかり忘れてますよね。そういうことです。でもネットのもってる可能性は、誰でも言葉を発信できる、そして議論もできる、コンセンサスも作れる、でもその前提は自分の言葉をもっている、自分で自分の意見を発信していく、自分で考える、まずはそこですよね。つまり、条件反射でコメントすることは考えることではないです。みんなが書き込んでいることに乗っかっていくことは議論を形成していくことではないわけです。だから今日あえてコメント全部止めてみました。

だからこういうことです。インフラはあるんです。観察し分析し意見を言って発信していく、議論をして合意形成をしていく、こういったことをやろうとしたら、ニコ動だけじゃなくてさまざまなインフラがネットの上に存在します。もっと使い勝手がいいインフラもこれから出てくるでしょう。あるいはそういった使い手側の要求があれば、送り手の側は変えざるをえないわけです。「ユーザー」っていう言い方が欺瞞であって、あなたたちはお客さんって持ち上げられるけども、結局月500円とられてるわけでしょ。月500円とってるんだったら単に通信環境がどうとかじゃなくて、自分たちが民主主義のツールに使っていくために、ドワンゴそれでいいの、YouTubeそれでいいの、とか、そういった要求だってするべきなわけですね。インフラはある、インフラはあるけれども、そこでものを言う訓練はぼくもあなたも誰もまだ十分にできていない。ツールしかない。そして今我々は急に発信できるようになってしまった。だから何を言ったらいいかわからないわけですね。だからRTしたり拡散したり拍手したりするけれども、自分の意見を発信していいこのツールを手にした瞬間に、じゃあ、あなたには発信する言葉があるのか。(ぼくも、です)ここちょっと考えてみてください。自分の気持ちとか、テレビ番組やタレントに対するクレームもいいでしょう、それはそれでね。だけども、それ以外のことに関しても、最低限何か言葉をもっていないとあの一票ってもっちゃいけないものなんじゃないかってことなんです。誰か偉い人がやっていくんじゃなくて、我々自身の問題なんだ、欺瞞に思えるかもしれないけれども、ぼくら自身の問題なんです。

 

最後に柳田國男のこんな言葉を引用してみましょう。

 

社会はまだいくらでも賢くなることができる。どうか諸君もその心持をもって、この学問の成長を観てもらいたいと思う。

(柳田國男「郷土生活の研究法」1935年)

 

これぼくが一番好きなフレーズなんです。柳田國男が自分の学問、民俗学って呼ぶのが嫌でいろんな呼び方をするんですが、このときは郷土研究って呼んでたんですが、その郷土研究に関する方法論、入門書ですね。つまり、誰かが賢くなっても意味がないわけです。我々全体が賢くならなきゃいけないし、我々全体が賢くなる努力って意外とちょっとしたことでできるってことです。それはたとえば鬱陶しい、上から目線だと思うかもしれませんが、この番組が終わった後で、書き込めなくてイライラしたりぼくが好き勝手言うし、左翼ですから、どうもね。むかついている人もいると思います。そういったことも含めて、そのときに「ブサヨ」って書かないで、溜まったストレスをもうちょっと具体的な言葉にして、ぼくやこういった考え方に対する批判としてFacebookでもブログでも2ちゃんねるでもいいのでもう少し長い文章で上げることはできないのか。コメントには字数制限がないそうなので、2000字くらいコメントするとかすりゃあいいんですよ。むちゃくちゃ言ってますけどね。それはさすがに(ニコ生のコメントは)向いてないからもうちょっと他の場所でってなりますよね。自分でパソコン開いて議論できるはずです。隣に誰かがいたら、あいつが言ってたことありえないと思うんだけどどう思う? って周りの人間と話すことも可能でしょう。友達いなかったら一晩悶々と考えて、(一番、ぼくの言ったことに)腹が立つのはなんでだろうって考えてみて、次の日にどこかに書き込むのも悪くないと思います。こうやって話しましたが、この番組をやるために昨日一日かけて拙いパワーポイント作ってきて、つまり考えた上で今日ここに臨んだわけです。つまり、考えた上で発信する。これ、たぶんネットがぼくやあなたたちから奪ったことだと思います。どうしても書いた瞬間に発信されるんです。ぼくは基本的にFacebookやTwitterだとかやらないんです。ぼくほどキレやすい最低の人間はいません。基本的に毎日キレてます。キレた瞬間にTwitterやったら炎上どころの騒ぎじゃないというか、罵倒・罵詈雑言ですね。めちゃくちゃなことを言うはずです。それは嫌なんですね。(公的な部分だけは)一回冷静にならなきゃいけないんでやめようということですね。これはものを書いてきた人間の特権的なものの言い方じゃないかなと思うんですが、古いメディアの中で生きてきてよかったと思うのはそういうことなんです。原稿を書くでしょう。書いてから活字になるまで、最低でも一定のタイムラグがあるわけです。月刊誌でも2週間くらいは開くわけです。新聞でも3、4日かかります。まず考えて書きますが、同時にちゃんと推敲して、「公」になることを想定して文章をつくる。(つまり、それがこの書き起こし原稿の意味です)

そして、載るまでの数日間の間にすごく冷静になるんです。書いた自分に対して客観的になって、わーやっちゃったと。またこんなだめなこと書いちゃったとか、俺意外といいこと言ってたかもしれないと。そのタイムラグが自分の意見に客観的になれる。そのことが多少は物書きを(まともな方向に)育ててくれたんだと思っています。だからタイムラグがもしかすると大事なことなのかもしれません。そんな感じのことがぼくの中であります。(それもコメントを消した理由です)このタイミングで、集団的自衛権についてもっと具体的な議論をしろとか、そういう意見もあるのかもしれません。でもその前提となっていることをここではもう一回整理してみたかった。整理しきれたかどうかはぼくの中でも未消化の部分がたくさんあります。ぼくもこのあと自分の場所で、ぼくが話す相手、ぼくが教える小さな場所、そういった場所でこういう話をしていくと思います。ぼくの周りの何人かに対しては具体的な働きかけをしていくでしょう。だからあなたたちも同じようにしていってほしい、それだけですね。そういうふうにしていかなければ、結局この勢いの中で集団的自衛権の法律ができあがっても流れてもことは同じなんです。あるいは憲法が変わっても変わらなくても同じなんです。問題なのは、ぼくたちがちゃんとした公民になれるのか、公の民という意味を取り戻せるのかどうか。これが本当に面倒くさいですよね。言ってる今からこんなことをまた学生に言ったら嫌がられるなと思ってます。だけど、たまには言うわけですね。ということをしばらくやってみよう。喧騒があるからこそ、こういった静かさをそれぞれの日常の中で取り戻していかないと流されちゃうよという気がします。さて、果たして2000字のニコ動最長コメントは流れるでしょうか。(すいません。60字しか流せないシステムらしいのですが、そもそも何字流せるかって「ニコ生」のスタッフ、誰も知りませんでした。言い訳ですが)

 

〈付記〉

この原稿は「ニコニコ生放送公式チャンネル」内で6月23日に配信された「集団的自衛権をめぐる喧噪の中で、何気に国立大から文化学部・教員養成学部が失くなるかもしれなかったり、18歳に投票権が与えられたりする状況で、憲法について一人で静かに考えてみる番組」の書き起こし原稿です。星海社編集部が書き起こしてまとめた原稿に、単純に言い間違いやことばの不足は修正し、「加筆」に当たる部分は( )内に示しました。

活字の時代は( )内も地の文として組み込まれ、インタビューや口述筆記・対談の原稿はブラッシュアップされたわけです。

 

ちなみに番組の来場者数はこの原稿を書いている7月9日の時点で23160人。タイムシフト視聴で今も少しずつ見られているようです。コメント数は821。ちなみに7月8日に配信された安倍首相の「Café Sta特番 安倍さんがわかりやすくお答えします! 平保安全法制のナゼ?ナニ?ドウシテ第3夜」は来場者数11429人、コメント17139でした。安保法制についての国会の審議や記者クラブでの憲法学者の会見も含めて、「ニコ生」の場合、1万少しから2万代半ばが来場者数で、一人の人間がはじかれて、また再度アクセスすれば「2人」にカウントですから、いずれにせよ「政治」に対するネットの発信力は脆弱です。その「脆弱な発信力」を過大にニコ生は与党相手に演出してきたところがあって、それはいいかげん批判されるべきでしょう。

 

「ニコ生タイムシフト」が有料会員しか見られないということもあり、さすがに自分が出ていても番組はドワンゴの著作物ですから、勝手にYouTubeにアップするのも何なので、「文字」という形でここに置いておこうと思います。

(大塚英志)

 

おまけ

文学評論家・江藤淳との出会いを語る《書評》

斎藤禎『江藤淳の言い分』(書籍工房早川)

 若い頃、保守論壇で物を書いていた時期があった。そこには一つの「作法」があって、いかなる極論や暴論であってもそれは全て①戦後憲法のせいである②日教組のせいである、と締めれば論としてまかり通ってしまう、というものだ。保守論壇という「カルト」(若手編集者が彼らのことを「電波系ですから」と冷めた言い方をするのを幾度も聞いた)の中でのみ成立する書式だったが、今や一国の首相からwebまでこの論法でこの国の将来さえ語る。それでもあの馬鹿げた場所にしばらくは留まったのは、一つには江藤淳がいたからだ。あの頃も今もぼくは「戦後民主主義の擁護」を語る。しかし、マルクス主義ではない物書きだから、'80年代末の時点ではそれは「保守」に分類され、今は「極左」らしいが、ぼくは戦後の言語空間の息苦しさや閉塞に敏感に反応し、その象徴としての占領下の検閲と抑圧としての戦後憲法を批評的に語る江藤にいつも共感を覚えていた。江藤はその「戦後」を無邪気に批判して済ます者は許さなかった。それは、米軍基地に石を投げる若者を書き、「戦後」に何か言った気になっているかに見えた若き日の村上龍への批判となり、閉じた戦後があたかも実体化した80年代消費社会に半歩下がった諧謔を見せた田中康夫への賛美ともなった。江藤は愚かな戦後が「なんとなく」でなく、一つの歴史として「否応なくそうなった」のだという手続きを物書きが怠ることを嫌った。そしてこれは秘かに知られるが、江藤は田中や加藤典洋、上野千鶴子、そして晩年の一年ほどはぼくに対して、当人が困惑するほどの「好意」を示した。自分でいうのは面映ゆいが、これらの人々に共通するのは、この国の近代の可能性を戦後に於いても見出そうとしていた点で、だから、江藤が心を最も開いたのは吉本隆明だった。江藤に立ち返ってこの国の戦後はもう一度、読み解き直されるべきだという文藝春秋の元編集者のこの小さな書に触れると、その江藤の「言い分」が聞こえる編集者もういないことに気づく。「保守」が失ったものは大きい。 

エディターズダイアリー

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