各地で好評いただいている3月の新刊『君の歳にあの偉人は何を語ったか』から
今日はチェ・ゲバラのこのエピソードをご紹介します。
僕らに「行動」を促してくれる熱い言葉です。
「一発も撃たずに革命をする気かね?
きみらは頭がおかしいんじゃないのか!」
とチェ・ゲバラは23歳で言った!
■口先だけでは何も変わらないと20代で気づいていたゲバラ
理想を語り、夢を語り、高みを目指そうとする。
しかし、目の前にはその理想とは大きくかけ離れた現実が横たわっている――。
それが20代ではないだろうか。
コンプレックスばかりを気にして、他人の批評に明け暮れ、実行が伴わない。
人生の中でもそんな日々を送りがちだ。
しかし、革命家・チェ・ゲバラは違った。
「鉱山の労働者を組織しなければならない」
「文明の恩恵を受けていない住民のために革命を起こして新しい政府を作ろう」などと語り合う
友人たちの話を聞いて、それまで黙っていたゲバラは、いきなり笑い出して、こう言い放った。
「一発も撃たずに革命をする気かね? きみらは頭がおかしいんじゃないのか!」
このとき、ゲバラは23歳だ。
今で言えばまだ大卒で入社2年目といったところだろう。
そんな歳で、物事をひっくり返すには圧倒的な「行動」が必要であると気づいていたのである。
筆者は武力の是非をここで問うつもりはない。
ただ、武力による革命という極めて現実的な選択肢をすでに持っていたことに驚くのだ。
盟友カストロとともに、キューバ革命を成功させるのは、この7年後の30歳のときである。
■ぜんそく持ちで弱々しかった幼少期
幼少期のゲバラは、ワイルドなイメージからは程遠く、かなり病弱だった。
早産で生まれたため体は小さく、おまけにひどいぜんそくに苦しめられていたのだ。
5人兄弟のなかでも、健康面で最も不安視されたのが、ゲバラだったというから意外である。
父は農場を経営しており裕福な家庭に育った。
ゲバラの健康のために少しでも環境のよいところへと都会から田舎に引っ越した。
そんな病弱なゲバラだったが、その後はワンパクな少年として育った。
ぜんそくの吸入器を吸いながら、ラグビーに夢中になり、
体罰を行う教師にも勇敢に立ち向かっていったのだ。
ゲバラには、革命家だった祖父の血が流れていた。
ぜんそくを抱えていたにもかかわらず、強いリーダーシップを発揮して、
ガキ大将を束ねるような存在へと成長していった。
やがて、進路を決める時期になると、ゲバラは医者を志して医学部へ進学。
ぜんそくに苦しんだことがきっかけだ。
ゲバラは見聞を広めるため、いろんな国を放浪した。
特に経済的な格差がひどかったラテン・アメリカ諸国を見て、この社会そのものに疑問を持ち始めた。
一部の金持ちに貧しい人たちが搾取されている資本主義の現実を目の当たりにし、
これまでの価値観が大きく揺さぶられたのである。
病人を治療するよりも、この社会の病を治療しなければならない――。
スケールの大きい目標を抱いて、ゲバラは医者から革命家へと方向転換する。
この20代のときの旅が、ゲバラの人生を決定づけることになったのだ。
■理想を「実現」する勇気
革命家としての人生をまっとうしたゲバラは、
ボリビア山中でゲリラ活動をしているときに、捕えられて射殺されてしまう。39歳のときだ。
殺される間際に革命を起こした理由を聞かれ、ゲバラは次のように答えている。
「理想を実現するためだよ」
理想を追求してばかりでは、物事は変わらない。
理想は実現して初めて、世界を変えることができる。
20代のころから、ゲバラは行動して結果を出すことの大切さに気づいていた。
僕らは若いときほど理想を語るのが好きで、頭でっかちになりがちだ。
ツイッターなどを使って発信したり、夜が明けるまで友達と語り合うこともあるだろう。
しかしそれだけで悦に入ってはいないだろうか?
きちんと現実に落としこむ作業をしているだろうか?
ゲバラが教えてくれるのは、理想を実現するには覚悟がいるということ、
そして多くの困難が伴うということだ。
自分の祖国ではないキューバを救うために命をも投げ出したゲバラに学ぶことは多い。
君がパソコンのキーボードを打っていた歳に、革命家は理想の実現に向けて銃を撃っていたのだ。
23歳のゲバラは僕らにきっとこういうだろう。
「ネット上で夢を語っても何も起きない。もっと外に出て行動せよ!」と。
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