信長の死をめぐる陰謀説の古典
「天下統一を目前に、家臣である明智光秀に裏切られ、本能寺で非業の最期を遂げる織田信長」。ところが、本能寺が炎に包まれたとき、光秀は本能寺はおろか京都にさえ居なかった。著者は当時の公家の日記「言経卿記」を引いて、光秀が京都にあらわれる前に本能寺は灰塵に帰しており、光秀にはアリバイがあったと断言する。では、信長殺しの真犯人は誰か? 光秀の重臣・斎藤利三の暴走説から、信長の正室・奇蝶の黒幕説、イエズス会による爆破説まで。稀代の歴史作家が本能寺の変の「正史」に真っ向から斬り込んだ、異端の王道「八切史観」を知るための代表的著作。解説/井沢元彦、作家案内/若狭邦男
八切史観とは?
「上杉謙信は女性であった(上杉謙信女性説)」「織田信長暗殺は明智光秀ではない」「徳川家康は二人いた(徳川家康の影武者説)」「藤原氏の起源は、日本に進駐した唐軍」「大和朝廷は百済系」「イエズス会は火薬に使われる硝石で戦国武将を懐柔した」など、それまでの歴史学の常識に大胆に疑問を投げかける独自の歴史観を展開。自ら「八切史観」「八切意外史」と称した。
八切止夫
1914 ‐1987年。名古屋市生まれ。1939年頃から「新青年」などに冒険小説や推理小説を書き始める。1964年「寸法武者」が第3回小説現代新人賞を受賞。1960年代後半から、歴史小説家として本格的な文筆生活に入る。以後、「八切史観」とよばれる独自の歴史観に基づく膨大な作品を発表。本書の「織田信長を殺したのは光秀ではない」をはじめ、「上杉謙信は女だった」「徳川家康は二人いた」など、従来の「歴史学」では考え得ない大胆な異説の数々は多くの読者を驚かせた。
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