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ジセダイエディターズ

柿内芳文

プロフィール

星海社新書OB。
新卒で光文社に入社し、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』『99.9%は仮説』『若者はなぜ3年で辞めるのか?』『非属の才能』(すべて光文社新書)など、自分と同世代以下に向けて、メッセージ性が強く、かつ読みやすさにとことんこだわった本を作り続ける。2010年春に杉原幹之助・太田克史の両氏と出会い、「星海社で共に戦おう」と誘われ、3カ月悩んだ末に移籍を決断。星海社でも「新書」をベースキャンプとしながら、出版界の「高み」への登攀を目指す。新書編集歴9年の新書バカ。新書こそがノンフィクションの完成形であると信じて疑わない。尊敬する編集者は、戦後最大の出版プロデューサー・神吉晴夫。好きな言葉は、「俺は有名人と称する男のおこぼれは頂かぬ、むしろ無名の人を有名に仕あげて見せる」(神吉晴夫『カッパ大将』より)。

略歴

1978年:東京都町田市にて三人兄弟の末っ子として生を享ける。父、長男ともに編集者。次男はサーファー。三男はAB型。故郷は鹿児島・天文館。

1997年:6年間におよぶ中高一貫の男子校務めから解放される。

2002年:慶應大学文学部卒業後、光文社に入社。新書編集部に配属される。優秀な上司、先輩に恵まれ、創刊間もない編集部で編集のいろはを学ぶ。処女編集作は、『ブランド広告』(内田東著)。

2004年:青春18きっぷのテツ旅の道程、全国には聞いたこともない小さな藩がたくさんあることを知り、『江戸三〇〇藩 最後の藩主』(八幡和郎著)を企画・編集。18万部のベストセラーとなる。浅田次郎氏に「こんな本を待っていた」と言われ、有頂天に。

2005年:会計士の山田真哉氏と一緒に、20代ふたりで作り上げた『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がミリオンセラーを達成。さらに有頂天に。本作りの面白さと、新書が持つ可能性を強く実感する。

2006年:ある先輩とのいざこざ(まったく話が通じない!)をきっかけに、『99.9%は仮説』(竹内薫著)を企画・編集。その先輩とは違う仮説の世界を生きていることを理解し、相対的な視点を身につける。同年、富士通人事部を辞めた城繁幸氏の『若者はなぜ3年で辞めるのか?』を編集。日経新聞に掲載した同書の全五段広告が大きく注目をあびる。

2007年:『さおだけ屋〜』続編のプレッシャーから、スランプに。山田真哉さんと『マスオさんはなぜムコ養子ではないのか?』という税金の本を作ろうとするも、挫折。ハードルをさらに上げて、『食い逃げされてもバイトは雇うな』を編集。いつの間にか上下巻に。

2008年:就活で50社に落ちた悔しさをバネに『就活のバカヤロー』(大沢仁・石渡嶺司著)を編集。また、ウイイレ(ウイニングイレブン)のフォーメーションの違いがわからないことから『4−2−3−1』(杉山茂樹著)を編集。ともに、予想外に売れる。『就活のバカヤロー』の帯は、同年の新書大賞・帯部門を受賞。

2009年:『ウェブはバカと暇人のもの』(中川淳一郎著)の売り出しのため、著者と一緒に「テレビブロス」の“赤裸裸対談”で全裸になる。10年間音信不通の知人から「何をやってるんだ」と連絡が入る。

2010年:光文社を退職し、星海社に移籍。

2011年:光文社時代の編集担当作『非属の才能』(山田玲司著)が、本屋大賞の「中2男子に読ませたい!中2賞」を受賞する。が、手違いから受賞の連絡が届かず、著者、担当者ともに式典を無断欠席するという事態に。同年9月21日、星海社新書を創刊。竹村俊介とともに、飽和状態にあると言われている新書界に殴り込みをかける。 ←いまここ

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