世界の…は途方もなくむりなんだけど、旅歩いたあっちこっちにおける、パン文化見聞録。各地のパンを食べ肥えながら、それを作り、食べる人たち――「彼らの世界」というものに目を凝らし、その息遣いの一端をここに描きつける。
紀行・旅行
どのような食文化が育まれてきたのか。小麦・それも「パン」に今回焦点を当て、各地域に根付くそれぞれを旅の中から見つめる。
「パン」を凝視していると、ポツンとただひとり立っていたその位置から、じわりじわりと視界が開けてくる。そこに広がっているのは、それを作り、食べる人達が営んできた、生活習慣、嗜好、そして歴史…。「パン」に対する興味は、やがてそこで生きる「人々」へと繋がってゆく。そして「パン」とは、人々にとってのアイデンティティーでもあることに気付くのだ。
はじめに
I植民地時代の名残
・ベトナム 「フランスパン」から「バインミー」へ (ソクチャン他)
・ラオス ベトナム人コミュニティー(サバナケット)
・カンボジア ノンパンの母子 (ストゥントゥレン)
・インド 「ワッサン」(ポンデチェリー)
II異文化の匂い
・ロシア 出稼ぎのウズベキ人たち(シベリア鉄道)
・ビルマ ペチペチ平焼き (ヤンゴン)
・タイ 欧米嗜好も侮れない(コンケン)
・マレーシア 耳か中身か(クアラルンプール)
III いつものそれを、一つ。
・ タイ 豆乳おばさんと揚げパン(バンコク)
・グルジア 奇怪型・菱形ビヨーン(トビリシ)
・イラン 砂利焼きサンギャクの至福(アルダービール)
・トルコ
・なぜここにフランジャラ(ドーバヤズット)
・巨大パンの威厳(トラブゾン)
・ウクライナ 黒パンの重みと菓子パンの軽さ
・ルーマニア トラディショナルパンケーキ(シビウ)
・ブルガリア 「バリニッツァ」で朝食を(シューメン)
IV強烈なアイデンティティー
・中国 歯が立たないほどのパン(ウィグル自治区)
・トルコ フルンと家庭の共存する世界「ハムル」(ディヤルバクル)
・ナゴルノ・カラバフ 「カラバフスキ」という、独自性
「食べる」とは、生きとし生ける、ありとあらゆるものにとって、命を繋ぐ上で欠かせない行為。であるからして人間にとってもモチロン、それに関わる営みとは、生活の中でも重きを占めるものである。
が、それは土地環境や民族等、「まとまり」によって異なり、一様ではない。
もしあなたが「未知のまとまり」に遭遇したならば、そして、そこに生きる人々の暮らしについて知りたいと思うならば、その糸口として、古来より食卓に欠かせないとみなされている食べ物・主食の類に着目してみるのもいい。
たとえば、小麦から作られる「パン」がある。
西アジア原産の小麦は、製粉されて様々な形へと姿を変え、世界で広く食されてきたことは改めて言うまでもない。その「様々」のうちの一種である「パン」にスポットを当てる理由――とは、単に私の好みデス、と答えるしかないのだが、「パン」と一言で表せられるものはあちこちに存在するとはいえ、それもまた一筋の縄で括るには、あまりに多様性に満ちている。
それが、面白い。
各地の「パン」を吟味することは全く難しい事ではなく、パン屋に行けばいいじゃん、という話でしかない。…んだけれども、そりゃ自販機じゃないんだから、言葉の通じない場所でのやりとりには緊張が伴わないはずがない。でも、「コレください」「いくらですか」のセンテンスと、あと数字の言い方を覚えさえすればなんとかなる。パン屋にやって来た人間が欲しいものは、パンに決まっているのだ。大事なことは、礼儀正しく。かつ、焼き立ての温もりにタッチするよう、タイミングを狙うことであり、モジモジしている場合ではないのだ。
手にしたパンがアツアツならば、スグのスグ・道を歩きながらでもその喜びを享受したいし、モチロンどこか適当な場所に腰を掛けても、宿に戻って一息ついてからでもいい。玉ねぎ嫌いの子供が、目をピンセットにしてポテトサラダを凝視するように、一切れごとに丹念に丹念に観察し、咀嚼して得られる感覚・その味を言葉で表現しよう努力にひとり遊んでみるだけだ。
そうするうちに勢い付く好奇心は、「パン」そのものから、「誰が、どのように作っているのか」へと波及するだろう。
「現場」が見たい。でも一見さんに作業なんて見せてもらえるだろうか――不安・緊張を抱きつつパン屋へと歩を進めるが、「パン食い」の世界において、客と店との間に「関係者立ち入り禁止」的な壁を張られることもまた、殆どないのだ。
彼らと接触し、しつこく長居するなどしていれば、出入りする客ともやがて顔見知りになるだろう。
さらに知りたくなる。あなたたちはいつ、どのように、どれくらいパンを食べているのですか。いつから、「このようなパン」が食べられてきたのですか。なぜ、「このような」パンなのですか。
ここで「いつのもパン」が、「いつもの」となった、その由来・経緯とは何だろう。環境や土の性質によって、穀類の収穫量や種類は変わり、経済状況によって、その製粉の具合やパンへの生地配合は調整されよう。また傍で成り立っている「食」との組み合わせるのに「相応しく」と求められた果てのソレ、なのかもしれない。
小麦を栽培・収穫し、製粉する。水や塩などと配合させ、捏ねる。成形する。パンは、人が手を施す必要があるのに加え、生地を放置することで空気中の微生物の力を借り、「醗酵させる」という工程も経る。醗酵によって生地の形や風味は変化し、その度合いによって、最終的な出来上がりは大きくも微妙にも揺れ動く。
「醗酵」は、自然の力に思いを馳せる、パン作りの醍醐味ともいえる現象であるが、とはいえそれに因らない・つまり捏ねた生地を「無醗酵」で焼き上げるパンもある。生地にバターを折り込んで「層」を作ったり、ソーダ(膨張剤)を混ぜたり、薄く伸ばした生地を高温に晒して水分を蒸発させたり等で、気泡を生地内部に発生させれば、火通りよく、噛み心地も良いものが出来る。これもまた「ナルホドね」と、旨く食べられるよう凝らされた知恵に、感じ入るのだ。
「パン」を食べる。そのサイクルの中にある人々にとって、「いつものパン」の姿かたち、香り、味わいは、空気のように水のように、自身の体内に浸透しているものだろう。そしてまた、生まれた時から周囲に在った家族、隣人、友人らと共に食んできたものでもある。それを食べ続けることによって備わる感覚、慣習、そして育つ味覚がある。
パン食いの世界において、「パン」とは周囲との記憶と分かち難いもの。「愛郷心」――その表象ともいえるのだろうか、「パン」とは。
とはいえ、「貧困」「村落破壊」或いは、自由のない「束縛の世界」。故郷とは、暗い陰に彩られた、振り返りたくないものだと見なす人もいる。万人が故郷に対し、一様に「愛しさ」を持っているとは限らないが、両親があるからこそ自分が存在するように、そこで生まれ、生きてきたがゆえに備わったものは、無意識のうちにも個人の価値観に影響を与えることだろう。一つのパンを「いつもの」とみなすこともまた、それを食べ続けてきた積み重ねに因るのであり、ゆえにそれは、自身の歩んできた道を想起させる、一つのアイテムであるともいえる。
パンとは、自己を構成する骨格のひとつであり、アイデンティティー――個人の「原風景」でもあるといっていいのではないか。
たとえば、トルコにおいてのことだ。
華やかなりしイスタンブールからは東に約一一〇〇キロ。トルコ中部・アナトリア半島のど真ん中よりチョイ南東寄りに、「マラテヤ」という町がある。ここからは世界遺産「ネムルート山」に車で約三時間と近く、そこへ向かう為の拠点として、この町に立ち寄る旅人も少なくない――らしい。ただ私としては、ここにある馴染みのパン屋で体重を増やすということが、トルコに来たならば避けられない、必須の旅程なのである。
そういうわけでお約束の日々を堪能したのち、後ろ髪をひかれながらも、帰国の為にイスタンブールへと向かう夜行バスに乗り込んだ。
発車して二、三時間だったろうか。夕方、バスは幹線道路沿いの大きなドライブインに停まり、隣席のおばさんは、乗客の多くが向かっている食堂の方には背を向け、外の植え込みのヘリに行き、腰をかけた。屋内で食事をする気がなかった私も、「こっちこっち」と手をチョチョイ振られるがままに、その隣に。
大きく開けた空に、曖昧に染まった夕暮れを見上げた。あぁ、涼しいですねぇ。綺麗ですねぇ…等などの言葉を口走ろうとすると、おばさんはスカーフを巻き付けた頭を低くして、足元に置いた手提げかばんに手を突っ込み、ゴソゴソとなにやらまさぐっている。そうしておもむろに引き出し、見せてくれたのは、「パン」。
厚さ一センチほどの、扁平に焼かれた「平型パン」だ。わらじ二個分の大きさはある。まさか今パンが出てくるとは思わず、「ン?」という顔をしていると、それを掌より大きく千切り、「コレ、ね」と渡してくれた。ど、どうも…と受け取ると、再び頭を垂れて背中を丸め、次に引き出したるは、マスカットのような薄緑色のブトウの房。それも少々、こちらへ。
…パンと、果物?
「ありがとうございます」と両手で受けながらも、内心は「んんんん?」と、戸惑っていた。
おばさんは早速パンをひと口しては、続けてブドウをプチンプチンと千切り、モグモグとする。これは、「夕食」のつもりだろうか。予め準備していたのだろうから、このカップリングは「無理やり」というわけではないのだろうが、しかし果物は「オカズ」とみなすもんなのだろうか。…もしかすると、これはパンに「ジャム」のつもりなのかもしれない。それならば違和感がない。「ジャム」との違いは、果物を煮ているか・煮ていないか、であって…。
おばさんは、現在イスタンブールに住んでいるが、故郷はマラテヤ。里帰りをしてしばらく過ごし、今はまた家に帰る途中であるという。
アナトリアでは、多くの地域で「平型」が一般的であるが、その姿かたちは「マラテヤで」よく見るスタイルだ。この厚さ、この大きさ。そして表面の、この網の目模様…。
「イスタンブールでは、こういうパンを食べますか?」
一応問いかけてみると、首を振った。さらに意地悪く「どっちが好き?」などと訊くと、こっち、と笑って言いながら、またパンを千切ってくれる。
パンとブドウの組み合わせは、思ったほど悪くはないのだと気が付いた。お供にチャイ(トルコ紅茶)が欲しいところだが、爽やかな味と瑞々しい果汁をたっぷり抱えたブドウが、パンを含んだ口にはいい潤しとなって、食べていて心地よいのである。結局、違和感なく食べ進んでしまった。
「じゃあ、しばらく食べられませんね。このパン。」
その愛着とは、比べられるべくもないのかもしれないが――私も「そのパン」に囲まれた日々をかの地で過ごしていたから、おばさんには、あたかも同郷人のような親近感が湧いてくる。
イスタンブールに多いのは、フランスパンのような棒型の、フックラとしたパンだ。「平型」も無いこともないのだが、棒型に比べれば少数派。しかも、マラテヤなど「平型」がメジャーである地域の平型と比べると、味・触感ともに異なるのである。
ここでその違いについての詳細は避けるが、ともあれ「パン」自体は食事に欠かせないのだから、不本意ながらも「郷に入っては郷に従え」。あるものに甘んじるしかない。そのとき、自分の中に「パン」に対する固定したイメージが存在していたことを、つくづくと実感することだろう。パンとは、自分の過去、そして故郷への思いを呼び覚ますものでもあったのだ。
その大きなかばんの中に、まだ数枚入っているパンは、「マラテヤ」。――「故郷」そのものなのだろう。
身に覚えはある。紙袋に、母の作ったおでんや煮物、焼き菓子を詰めたタッパを入れ、「またね」と、実家から一人暮らしのアパートへと出て行った、学生時代――
望郷の念は、誰にでもある。
「クルド人」も「ラズ人」も「トルコ人」も、「日本人」という括りも関係ない。誰にとっても共通な「思い」だろう。
だからこそ、それぞれが譲れないものがある。それが、「パン」にも個性を与えているのだ。
やがて「彼ら」の大事なパンが、私自身にとっても「かけがえのないもの」のように思えた時――また食べに戻ってこようと心に誓った時、自分もその世界の一員になれた気がする。
あくまで「気がする」に過ぎないのだが、正直、それが快感でもある。
とはいえ。「パン」とは変幻自在に出来上がるものだけに、作り手のクセや主義もまたよく反映され、その特徴を細かく探っていけばキリがない。よって、ひとところのパンを「その国の代表」のように紹介することは、あまりに大雑把すぎることは心得てはいるつもりではある。「すましに丸餅」が日本の正月の典型的なお雑煮である、などと紹介されたなら、私だってちょっとムッとするだろう。が、「では」と、一見同類と思われる地域単位へ視界を狭めたつもりでも、その内でも区域によって存在する特徴に気付いてくる。それを無視して一括にすることは、やはり「ウチらの雑煮は…」と納得のいかない意見が飛び出す、「価値観の押し付け」に等しいこともあるだろう。地域における特徴づけ・線引きなんて、曖昧でしかないのかも…と弱気になる。さらに、世帯で「自家製」が当たり前の地域ならば、パンの特徴なんて「各家庭」で異なるといえるのであり、無限大に枝分かれてゆく個性を前に、結局「収拾がつかない」という結論に落ち着くしかない。
雲をつかむようなその「枝分かれ」・世帯一つ一つのありさまを見てゆく紙面は、欲しいんだけれども今はない。だから、「諦めの境地を持ちつつも」と前置きし、スポットを大きく、時には狭い範囲に当てながら、その中で垣間見られるその特徴を、あくまでも「傾向」として括ってゆくことを言い訳しておきたい。それって「逃げ」じゃん、と言われても仕方ないんだけれど、記したことが「全て」であるかのような断定ではない、ということだ。
個性はそれぞれ。のびのびとあってよい。まとめられなくともよい。…んだけれども、そうはいっても。その中でも「共通点とは何か」と探り探り、意味付けしたがる私がいるのだ。
椿田 胡桃さん
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