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新人賞投稿作品

「猫に小判」のアフターストーリー

だいもん
2014年12月29日 投稿

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猫を変えますか?小判を変えますか?それとも...。

カテゴリ

教育

内容紹介

 猫に小判を与えても意味はない。小判の価値が分からないからです。では、私たちはどうすべきなのでしょう。猫以外に小判を与えるべきなのでしょうか、猫に小判以外の物を与えるべきなのでしょうか。

 私は、何れも違うと考えます。猫が小判の価値を分からないのではなく、我々が小判の価値をきちんと猫に伝達できていないのではないでしょうか。それは、ちょうど大人が子どもに勉強を強いるときと同じように。猫が小判の価値を分かり活用できるようにすることは、猫を育て、猫が成長することを意味します。

 本書では、「猫に小判」のアフターストーリーに思いを馳せることで、人材育成の在り方の類推を試みたいと思います。

目次案・語りたい項目

はじめに : 「猫に小判」のアナロジー
第1章 : 別物志向者と別者志向者
第2章 : 社会はニーズに従う
第3章 : トラベラーとタイムトラベラー
おわりに : すべてのコドモ経験者へ

書き出しの第1章

はじめに:「猫に小判」のアナロジー

 「猫に小判」。日本人ならば誰でも聞いたことがあるのではないでしょうか。価値の分からない相手に価値あるものを与えても意味がないことを示したことわざです。このことわざは外国語にもあるようで、英語では「cast pearls before swine」、中国語では「对牛弹琴」です。これら2ヶ国語を母国語または公用語とする人口は約37億5千万人。したがって、世界の50%以上の人々が「猫に小判」に直面してきたことになります。
 人々は、「猫に小判」という局面をどう乗り越えてきたのでしょうか。あるいは、やり過ごしてきたのでしょうか。相手が価値を解さない場合、諦めるしかないのでしょうか。ここで思考をストップすることなく考えてみたいと思います。猫に小判を与えて意味がないことを悟った人間が、その後どのような行動をとったのかを。
 私は、3種類の人間がいたのではないかと考えます。1人目は、与える相手は変えずに、与える物を変えた人間です。たとえば、猫が喜ぶ鰹節やキャットフードを与えるなどです。この1人目は、価値ある別の物を探す者という意味で、別物志向者と言えます。
 次に、与える物は変えず、与える相手を変えた人間がいたはずです。たとえば、小判を猫ではなく人間に渡すなどです。ことわざから連想できるのはこのタイプの人間でしょう。この2人目は、価値の分かる別の者を探す者という意味で、別者志向者と呼ぶことができます。
 「猫に小判」の局面に遭遇した人々のなかで、別物志向者や別者志向者はきっとたくさん存在していたことでしょう。それはそれで骨の折れる作業です。別物志向者は、猫が求めるものを探し、調達しなければなりません。荒節の鰹節を好む猫もいれば、枯れ節の鰹節を好物とする猫もいます。別物志向者のなかには、猫のニーズを汲み取ることに長けた者や調達能力に優れた者もいたことでしょう。
 一方、別者志向者は、小判の価値を説いてまわり、価値を理解する者を探さなくてはなりません。彼らの中にも優秀者はいたはずです。小判の価値を論理的かつ情熱的に語ることのできる営業能力に長けた者や、どこに理解者が多く存在するかを分析できるマーケティング能力に秀でた者が。
 ただ、彼らの行為は、今いる者に何を提供するか、今ある物を誰に提供するか、についての思考錯誤でしかありません。今という時間を固定して空間のみを移動するただの旅行者(トラベラー)なのです。
 そこで、私は、3人目がいたのではないかと考えます。それは、ただ空間を移動するだけのトラベラーではなく、過去と現在と未来を行き来する時間旅行者(タイムトラベラー)です。
 もちろん、実際に時間を移動することができたわけではありません。そんなことができるのは猫は猫でもネコ型ロボットのドラえもんくらいのはずですが、意識の中で時間を移動する者がいたということです。タイムトラベラーは、猫の過去に興味を持ち、将来に思いを馳せ、そして目の前にいる今この瞬間の猫に全力を投じた者です。
 もちろん、猫に小判の価値を知ってもらう営みは一筋縄ではゆきません。最初は猫の首に小判をぶら下げてスーパーや八百屋に行かせることから始めなくてはならないでしょう。失敗も多かったはずです。他の猫に白い目で見られたり、スーパーでは門前払いにされたり、八百屋では頭を撫でられるだけの日々が続いたかもしれません。それでも、行動を止めなければ、魚と交換してくれる八百屋に出会うことでしょう。
 最初はなぜ小判と魚を交換してくれたのか理解できなくとも、何度か成功体験を重ねる過程で猫は疑問に思うはずです。「なぜ小判で魚がもらえるのかニャ」「なぜ小判の量によってもらえる魚が異なるのかニャ」と。そして、「おや、小判には何やら力があるのではないかニャ」と気づき、価値という概念を知ることになるでしょう。それは、鰹節やキャットフードを与えられていたそれまでの条件反射的本能的レベルから賢明になっているに違いありません。思考と行動が備わったためです。猫は、タイムトラベラーの計らいによって魚の獲得方法を知ったのです。猫は、成長を遂げたのです。成就感を得た猫は思うでしょう。「より効率的に魚を得る方法はないのかニャ」と。またしても、タイムトラベラーの役割が重要になります。
 鰹節やキャットフードで猫をやる気にさせるのではなく、猫自身が自発的にやる気になるためには、「二感」が欠かせません。ひとつは、やればできると自分に期待する有能感。もうひとつは、自分で決めたという自己決定感です。有能感とは、小判によって魚をもらえた、すなわち、やればできると感じること。そして、そうした獲得行動を自分で決めて行ったのだと感じることが自己決定感です。
 この二感は、ひょっとすると、生まれながらにして持っている猫がいるかもしれませんし、自発的に身につけてゆく猫もいるでしょう。しかし、そうではない多くの猫には、手解きが必要なのです。「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」という育成論がありますが、タイムトラベラーは、魚釣りという手法に限らず、魚を得る方法全般について伝授し、尚且つ二感を達成しなければならないのです。
 言葉を解さない猫にこのような手間暇をかけられるのは、単なる猫好きではなく、猫の成長のためにコミットしてくれるハードワーカーでなければなりません。それは、将来に期待しつつ、目の前のことから目を背けない当事者意識高き者です。猫が小判の価値を解さないからとすぐに諦めて他をあたったり、猫が求めるからと安易に餌を与えるのではなく、時に厳しさをもって積極的に関与する伴走者です。
 これが、ただの旅行者であるトラベラーとタイムトラベラーの決定的な違いです。トラベラーは他に適したものはないかと探し回りますが、タイムトラベラーは目の前の猫に費やす手間暇を厭いません。タイムトラベラーは、育て屋でなくてはならないのです。育て屋とは、育つかどうか、いつ育つかが不確実ななかで、その不確実性を引き受け、時間やその他の資源の投資決断ができるリスクテイカーを指します。相手が植物でも猫でも人でも、育て屋は、基本的性向として、目先の利益よりも将来の利益を優先する一樹百穫のスタンスが求められます。トラベラーの場合は、すぐに見返りを求める傾向にあります。だからこそ、今という時間軸でしか行動を選択できないのです。
 いかがでしょうか。ここまで、「猫に小判」について紙面を割いてきました。猫とは価値を解さない存在です。なぜ価値を解さないかと言えば、言葉を持たないからでしょう。猫は人と違って生まれながらにして言語体系がインストールされていません。では、これまでの話は猫社会にだけ適用されるのでしょうか。答えはNOです。猫は言語を解さない存在の代名詞。もし「猫に小判」が猫社会だけに通じる概念であるならば、ことわざにはならなかったはずです。ことわざになっているという事実は、人間社会で同様の事象が多数散見されることの何よりの証拠です。
 言語体系がインストールされている人においても、価値が通じないケースはあります。子に勉強、学生にキャリア、新入社員に研修...。何れも、「猫に小判」と相似形であることが多いのではないでしょうか。子は親の考えを理解できず、学生はキャリア教育の知見に気づかず、新入社員は研修の意義について無知な存在です。ここで、勉強やキャリアや研修を提供する側をオトナ、提供される側をコドモと表現するならば、オトナとコドモはそれぞれどのように振る舞うべきなのでしょうか。
 まず、オトナについては、別物志向者や別者志向者になっていないか内省する必要があるでしょう。勉強が得意な生徒ばかりに教えていないか、就活生が喜ぶからといって面接の作法ばかり教えていないか、研修の意義を語らず実施するだけで満足していないか、などです。これらに当てはまる方は、別の適した存在を探し回るトラベラーかもしれません。
 次に、コドモについては、勉強やキャリアや研修を意味づける試みをしているかが問われます。人は易きに流れる生き物だと言われるとおり、つい目先の利益に目が眩む急功近利な存在です。小難しいものより分かり易く便利なものを求めがちです。かつて与謝野晶子は、「制度も猫に小判ですから、私は先ず個人の自覚と努力とを特にそれの乏しい婦人の側に促しているのです」と主張しました。
 女性ではありませんが、サッカー日本代表の本田圭佑選手は、自覚と努力の人です。小学校の卒業文集に既に将来のビジョンを掲げ、今の自分(当時は小学生)とのギャップを自覚し、そのギャップを埋めるために階段をつけました。今の自分はサッカーが下手だが、ワールドカップに出場し、セリエAで10番を背負う、といったように。日々の練習や試合はこの階段のなかに位置づけられます。ひとつひとつのアクティビティを将来の自分から逆算して意味づけ、努力を継続しているのです。自覚と努力を自ら実践できる人にとって社会制度やそれにもとづく日々のアクティビティは価値あるものと認識されますが、それができる人は稀有な存在です。
 多くは、与えられたものに価値を見出し、将来の自分と今の自分との接続を図る作業が容易にはできない人ではないでしょうか。夢ややりたいことを問われても「特になし」というのが本音のコドモはどうすればよいのでしょうか。どうすれば、今の立場や立ち位置で力の限りを尽くすという、一隅を照らすような人物になれるのでしょうか。
 ここで、コドモの置かれた状況を把握するために、コドモの将来の選択肢について触れてみたいと思います。今のコドモたちには選択肢が多いかもしれません。『13歳のハローワーク』では514種類の職業が描かれました。また、仮に17歳のコドモが80歳まで生きるとして、睡眠時間を6時間/日、食事時間を3時間/日と仮定すると、可処分時間は344,925時間です。マルコム・グラッドウェルの「一万時間の法則」を用いれば、約34の分野でプロフェッショナルになれることになります。少なくとも計算上は、コドモの選択肢は多いのです。
 しかし、選択肢が多いだけでは幸せになれません。やればできるという有能感と自分で決めたという自己決定感の二感が伴っていないためです。親の意見やランキングで進学先を決める行為はその代表例かもしれません。生まれながらに選択肢が多いコドモにとって、二感を醸成するのは難易度が高くアクロバティックなことかもしれません。価値を測る物差しを持たない段階でオトナ(トラベラー)がツイートするノイズに惑わされ、結果的に、轍を信頼性の証とし、できる限り舗装された道路を歩むこととなるのです。
 やはり、オトナ(タイムトラベラー)の存在が欠かせません。コドモの将来を信じて期待し、成功体験を積ませてあげるのはオトナの役割なのです。小林虎三郎の「米百俵」というエピソードは、目先の利益にとらわれず、将来に期待し続けたオトナ(タイムトラベラー)の行為を示しています。数ある資産のなかで、教育による資産は、手間暇こそかかりますが、一度継承すれば暗黙知として装備されるポータブル資産です。オトナのなかでも特に教育的役割が大きいのは親の存在でしょう。「親」という字は「辛」いことも「見」届ける「人」と書きます。「辛」さを回避することなく、「一」つ乗り越えれば「幸」になれるはずです。
 本書がターゲットに据えるのは猫ではなく人です。それは、「猫に本」は「猫に小判」と同様だからです。思考と行動において重要な役割を担う言語体系をもつ人。この、人という生き物だけがキャリアやライフスタイルを能動的に考え行動でき、成長し、世の中を変えられるのです。人生はあっても、猫生は今のところありません。
 キャリアやワークライフバランスなどスタイリッシュな考え方も大切ですが、本書では、既に人々の中に共通言語として浸透している「猫に小判」というトラディショナルなことわざをベースに、肩肘張らず、人の成長について考えてみたいと思います。

応募者紹介

だいもんさん

1986年大阪生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。
中国東北師範大学への留学後、2010年リクルート社に入社。
人事部、総務部、営業部(新卒採用領域)にて勤務。
2014年より多摩大学にて職員として勤務。

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