「アートなんて食っていけないんだよ!」と夢を潰された著者が体系化した前代未聞の芸術起業論【アーティスト・マーケティング】!
夢でメシを食う脱サラ無名アーティストの人生。
芸術・アート
人は皆、「才能の種」を持っています。
「個性を大事に、自分だけの花を咲かせましょう」
一度は聞いたことがあると思いますが、そう体現できるものではありません。
才種(さいだね)の発見途中で、本当の自分と向き合うことを避けたり、才種の発掘や育成を放棄したりするかもしれません。
逆に、満開の花を咲かせることで、何事にも代えられない人生の喜びに包まれるかもしれません。
本書は、平凡なサラリーマンだった僕自身が才種を発掘・発芽させて、最適な育成方法で開花させた図鑑のようなものです。
才種を開花させて人生を楽しみ、色彩豊かな「世界に一枚だけの絵」を完成させることで、これまでない幸せを感じることになるでしょう。
プロローグ
第一章 「守」
・スプレーアートで心に花を咲かせる
・自由に羽ばたけないカゴの中の鳥
・模範生徒になるためのセルフブランディング
・凡人は大学生になっても凡人
・成幸者インタビュー
第二章 「破」
・最悪の上司とラットレース
・人生を180度変えるキッカケ
・スプレー缶を両手に
・見切り発車は止まれない
・成功アーティストに降りた神様
・究極の精神領域
第三章 「離」
・人生史上最悪のドン底に突き落とされる
・ただ、自分に正直に生きる
・未来を想像して創造していく
・真の成幸の定義
・学歴・性別・年齢・才能は関係ない理由
・才能とセンスの違い
第四章 「教」
・アーティストの残酷な真実
・ビジョンを明確にする
・投資脳を持つ
・右脳と左脳を融合させる
・先駆者の特権
・自己管理スキル
・3つのマネジメントスキル
・アーティスト成功方程式
第五章 「アーティスト・マーケティング」
・芸術起業論
・参入ジャンルとマッチング
・ITブランディング
・ライティング
・スパイラルマーケティング
・師弟制度構築
・メディア出演
・マネジメント
・マインドセット
・気のコントロール
・神降ろし
第六章 「メッセージ」
・人生という名の航海
・人生を狂わす2つの見えない波
エピローグ
●アートで心に花を咲かせる奥義
僕が描くスプレーアートは、下書きなしの一発勝負です。
数分という短時間の間に、両手と五感を使って自由自在にスプレー缶を操って描いていきます。スプレーアートは絵が完成するまでの制作過程を観ることも醍醐味となる絵画手法で、人前でそれを見せることを「ライブペイントパフォーマンス」といいます。ライブ感覚になってその場で、即興で描き上げる実演のことです。公園でスプレーアートを楽しんでいた僕は、思い切って都内の路上でライブパフォーマンスを試みました。
「このスプレーアートは誰でも釘付けになるはずだ!」と思って興奮しながら路上でのパフォーマンスを用意する自分がいました。スーツケースにスプレー缶を数本詰めて、人通りが多い場所へ繰り出したのです。
「え…、まだ見てるの…?」
実際に路上で絵を描いてみると、心臓が飛び出るかと思うほど緊張しました。今思えば、当然のことです。学校でのホームルームさえ嫌で仕方がなかった僕にとって、人前で絵を描くなんて免疫がまったくないからです。しかも、1枚絵を描き終わるまで、僕を中心に円ができるように凝視されるため、ブルブルと手が小刻みに震えるのです。
描き上げた絵を観ると、普段描いている絵の半分の実力程度しか発揮できていないことが分かりました。そして、後片付けをしながら落胆していました。前述した通り、僕は人前で何かすることが大の苦手だったから、急に話しかけてくる人には戸惑ってばかりでした。
「この絵、いくらで買えますか?」
「元々は美術系の大学とか行かれていたのですか?」
「どこでスプレーアートを習得したのですか?」
「最初から完成した絵をイメージできているのですか?」
慣れない質問や初めての対応にしどろもどろになっていました。そんな自分はダサいし恥ずかしくもなります。けれど、新鮮で楽しいという新しい感覚は、観客側では味わえない独特の無形創造物です。
パフォーマンスについてメリット・デメリットがあります。前提として、路上での実演や音出しなどのパフォーマンスは「許可が下りない」ということです。路上パフォーマンスをやっている時に、「許可はもらっているの?」「場所代としていくら支払っているの?」などと聞かれることが多々ありました。しかし、警察に許可書を提出しても許可が下りることはまずありません。例外として、東京都から許可証を得る方法もあるが、「物理的な商品と金品の交換は不可」ということが条件になります。なので、ボランティア精神のある大道芸人しか当てはまりません。
よく路上で歌っているミュージシャンたちも許可なしにゲリラ的にスピーカーから音を出しているのです。路上で活動していて、警察官に止められるケースも当然あるでしょう。本人たちからすると、許可が下りないからNGだと分かっていても決行するしかないという考えを持っています。しかし、警察官に止められる時は、通行の妨げになっているか、騒音で周囲が迷惑しているかのどちらかです。パフォーマンスが高評価で周囲から認められている場合、通行の妨げとなって止められることはあります。または、スピーカーの音量が高過ぎて、店舗の宣伝や周囲の迷惑行為だとみなされると止められます。
つまり、大勢の人が集まるほどのパフォーマンスは止められる確率が高くなり、人が集まらないパフォーマーには誰も干渉しないという厳しい現実があるのです。同時に、路上で商売が成り立つ可能性が高いパフォーマーを削除することが目的でもあります。
また、活動している路上がヤグザの縄張りだった場合、当然ヤグザから目をつけられることになります。大都市で一日に数百人も行き来する場所には、必ずどこかの組の縄張りになっている可能性が高いです。ヤグザが表立って直接パフォーマーに話しかけてくることは稀ですが、基本的には警察官を通してパフォーマンスの中止を訴えてきます。なぜなら、ヤグザと警察官はつながっているからです。表があれば裏があるように、すべては陰陽が上手く重なって構成されているのです。
数回の路上パフォーマンスを止められるならまだいいのですが、警察官に顔を覚えられるようになっては危険だといえます。パフォーマンスをしているその場で名前と住所を控えられて、警察署に連行される可能性もあるからです。そうならないようにするために、僕がやっていたことは「通行の妨げにならない」「大きく目立たない」「商売を表立ってしない」の3点に絞られます。
僕の場合、パフォーマンス中は自分を中心として円ができるほど数十人から百人は集まっていました。なので、車の通行の妨げにならないように足を止める観客にも気を配ることでそれを回避したのです。また、1回のパフォーマンスを短時間で終わらせることで、観客の集結と分散を速くしました。そして、商売の雰囲気を出さないようにするために、絵に値札を付けることをしませんでした。そうして僕は路上パフォーマンスをすることで、「好きなことをやって生み出した創造物の対価としてお金を得る」ということを実現させていきました。
裏のルートでヤグザに場所代を支払って、堂々と路上でパフォーマンスしたり商売したりする人もいました。しかし、僕はできるだけ関わりたくなかったのです。それは親が公務員だということが常に脳裏にあるからにほかなりません。そして、場所代を払ってまで路上でパフォーマンスをしたいとは思いませんでした。
絵の販売についてですが僕の場合、最初はどう販売すればいいのか分からず路上で描いた絵は基本的に「言い値」にしていました。しかし、それだと遠慮して買わない人が多いことを知ったので、1枚3000円で販売することをベースと決めたのです。そうすると1時間に10回のパフォーマンスをして、10枚描いたうちの8枚が売れれば2万4千円が売上になります。そこから必要経費を引いても、粗利率は8割を超えます。主にスプレー缶とキャンバスがランニングコストとなりますが、基本的に他の道具はコストゼロで仕入れられるのでビジネスにもなります。
ダンサーやミュージシャンなど目に見えない無形創造物を生むパフォーマンスは、パフォーマーであるアーティスト自身の体力や精神力も商品の価格に入ってきます。例えば、表現がパフォーマンスに直結するダンサーは、髪型や体型、衣装などにお金や時間を費やすことは当然となります。最初の第一印象はもちろん、外見で好印象だと感じてもらうことはそのダンサーのパフォーマンスの質に直結します。その上でパフォーマンスを鑑賞してお金を払ってまで感動する価値のある内容であった場合、クチコミが発生します。そうなるとファンやリピーターも増えていきます。
ダンスの中でもパントマイムショーやジャグリングショーなど物体が残らないパフォーマンスの場合、アーティストとしての成功は非常に難しいと思います。物体が残らないということは、対価交換ができないということだからです。つまり、パフォーマンスする時間に対して得られるお金が比例しないことになります。そうなるとアーティスト生命は短くなることは必然となり、本業にすることやメディアアーティストになる可能性は極めて低くなってしまいます。いくらパフォーマンスが楽しくて人前で披露することが好きでも、副業レベルにまでならないのではボランティアになってしまうでしょう。それでもやり続けている人たちが、パフォーマンス後に観客から小銭を投げてもらう「大道芸人」と呼ばれる献身的なパフォーマーたちです。
路上で演奏するミュージシャンの場合は、曲が入ったシングルCDやアルバムCDが商品となります。そして、次回のライブチケットがバックエンド商品となります。なので、フロントエンドである路上パフォーマンスが成功しなければ、CDを買ってもらうこともライブイベントに来てもらうこともなくなってしまうのです。そう考えると、路上パフォーマンスは成功アーティストになるためには通らなければならない登竜門的なイベントだといえるでしょう。
もちろん路上でのパフォーマンスを経なくても、人脈やインターネットを通して一気に成功まで辿り着けるアーティストもいます。しかし、お金も人脈も才能もない無名アーティストが成功を望むのなら、実力が客観的に視てとれる路上でのパフォーマンスは最適な披露環境だといえます。そのようなパフォーマンスが成り立つアーティスト活動の中でも、制作過程を実演で見せて絵として物体が残るアートは、ビジネス面でも相性が良いです。
即興で描いた絵が10枚中8枚を路上で売れるということは、最低でも10人中5人は「お金を出しても買いたい」と思ってくれていることになります。そして、多くの人に受け入れられる絵であると同時に、街歩く見知らぬ人の足を止めるほどの「感動」を先に与えなくては成り立たないのです。例え、展示会のように額に入れて絵を路上に展示していただけでは大抵売れることはないと思います。一流の画家が路上で作品を並べて展示したとしても、打率8割はそう簡単ではないことは想像できるでしょう。
だからといって、路上パフォーマンスがすべてではありません。路上アーティストは「誰でも会える」ことから価値を自ら落としていることになり、CDや絵などの商品は安価になってしまうのです。なので、いつまでも路上で活動ばかりしていてはアーティストとしてのステージは上がりません。薄利多売のビジネスモデルになってしまい、アーティストとしての成功確率は低くなってしまうのです。
逆に、メディア出演している有名アーティストは、「簡単に会えない」ことがアーティストや商品の価値を高めています。メディアアーティストはアーティスト自身がブランドになっているので、商品は高値で売買されることになります。当然、路上はもちろんイベントでパフォーマンスしたらものすごい反響を得ることは言うまでもありません。
それら路上パフォーマンスについて総合的にみると、パフォーマーであるアーティスト本人の実力が試せる最適な環境であるといえます。ましてやアシスタントなどの味方がいなく、たった一人で実力を出さねばならない場所に立たされて初めて、人に与える影響力の度合いを知ることができるのです。
対人関係を苦手としていた僕は、ありのままの本質を軸とした生き方に変わった瞬間、「コミュニケーションが好き」になっていました。それは、路上で絵を描いていると、今まで出会わなかったいろんな人と出会うようになったからだと思います。仕事帰りのサラリーマン、買い物でぶらりと歩いている主婦、他愛のない話で盛り上がる学生、ブランド品で全身を飾る出勤前のキャバ嬢、ダンボールの家から出てきたホームレスたちと出会うことができました。スプレーアートを披露している僕を見る彼らの目は、確実に感動の色をしていたことを覚えています。
また、彼らと談笑することは楽しい時間でした。10代20代とは不思議と親戚に近い感覚でお互いの人生観を話し合えたからです。路上で歌うミュージシャンの卵と仲良くなって夢を語り合い、一緒にパフォーマンスもしました。どれも思い出の1ページになっています。
路上パフォーマンスでは、通行人に思い切り踏まれたこともあります。けれど、感動の場面に出会えた時には「路上パフォーマンスやっていて本当によかった」と思えます。僕のブログをよく読んでくれる女子高生が、離婚して会えなくなったお母さんとの再会の場になったことは特に嬉しかったです。
このように、スプレーアートを路上で描いて見せることはマイナスなこともプラスなこともありました。無料で絵を渡したこともあれば、1枚500円で材料費だけ頂いたこともありました。まだ路上に出始めた頃は当然、アートでサラリーマンの収入に達するとは到底思えませんでした。
けれど、脱サラ宣言してしまった僕には後がありません。決断したこの道で突き進むしかないのです。そういう気持ちを胸に、少しずつ一歩一歩、軌道修正して前進していきました。
来月で正式に退社しなければならない恐怖と戦いながら、一人孤独の道を歩いていったのです。
スプレーアートアーティスト YOSHIさん
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