かつての秀才達は何を思い、どう生きるのか。
教育
猛勉強の末エリート校に進学し、将来を約束されたはずだった少年の栄光と挫折、そして転落を描いたヘルマン・ヘッセの名作『車輪の下』。国も時代も異なれど、この小説の主人公のように学歴社会の犠牲となり、順当な人生のレールから外れてしまった者は少なからずいるだろう。その劣等感をバネに車輪の下から這い上がった者、車輪に押しつぶされあえいでいる者、あるいは車輪の下から這い上がろうと、いまなおもがいている者。
受験での勝利と名門進学校からのドロップアウトとを経験した著者が、自身の過去と重ね合わせながら、転落したエリート達のその後の人生を追う。
はじめに
一章 小説『車輪の下』
・神童などではなくただのガリ勉だったハンス少年
・自らの夢のため学校を去ったハイルナー少年
二章 現代の「ハンス少年」
・神経質で努力家の秀才
・燃え尽き症候群に陥った人々
三章 現代の「ハイルナー少年」
・破天荒で野心家の天才
・情熱で自らの人生を切り開いた人々
四章 校長の言葉
・「手抜かりがあってはいけない」入学後も繰り広げられる熾烈な競争
・「車輪の下に轢かれぬよう」競争に負けたものは車輪の下敷きになる
五章 作者ヘッセの思い
・教育が才能を潰してしまう怖さ
・情熱を捧げられる何かの大切さ
六章 車輪の下から
・学歴至上主義の犠牲者たち
・教育者達の真の役割
おわりに
「車輪の下」とはドイツ語で「落ちこぼれ」の意味を持つという。小説『車輪の下』は、町一番の秀才の成功と挫折、栄光と転落とを描いている。
主人公ハンスは周囲の期待を一身に背負い、当時のドイツのエリート養成所であった神学校に進学する。しかしそこでハンスを待ち受けていたのは、さらなる競争とがんじがらめの厳しい規則であった。そんな学校生活に疲弊し、最終的に精神を病んだ彼はやむなく学校を去る。そして故郷に戻ったハンスは心機一転、機械工としてやり直すことを決意する。しかしその矢先、職場の仲間に連れられて行った酒場で慣れない酒に酩酊し、帰り道に川に転落して命を落とす。
能天気に遊ぶ同級生たちを横目に、ストイックなまでに勉学に勤しんだ努力が実を結び、入学試験に合格したハンスは思う。「もっと高いもののいる領域へ来たんだ」と。しかしその自負と恍惚は長くは続かなかった。勉強という努力を怠った者は落ちぶれると信じてやまない教師たちによって自信を打ち砕かれ、絶望の淵へと追い込まれた。故郷に戻ってからも、ハンスを優しく迎え入れてくれる者はいなかった。地元の旧友たちからは嘲られ、彼を応援していた教師や牧師たちからも期待を裏切ったと冷たい仕打ちを受ける。ならば自分の力でやり直そうと、前を向き始めた再生への道すがら、不慮の死を遂げる。
この悲劇の物語を読んだ読者は、誰しも救われない気分になるだろう。しかし、思春期に学校という舞台で成功と挫折を味わった者にとっては、自身の経験と重なり共感できる部分も多いのではないだろうか。著者自身、名門と言われる進学校に合格した時は努力が報われたことの喜びでいっぱいだった。その学校の校章が刻まれたランドセルを背負えることを誇りにも思った。しかし、遠距離通学と宿題の山に途方に暮れ、同級生と共に卒業することなく学校を去った。地味な制服は嫌でたまらなかったが、二度と袖を通すことはないと思うと大きな敗北感に襲われた。ハンス同様新天地でやり直そうと奮起した著者であったが、あまりの文化の違い、都会の私立学校から都落ちしてきた人間への冷たいまなざしに耐えられず、無気力状態に陥っていった。意中の異性にどうしたら振り向いてもらえるか、それが目下の最大の悩みであるクラスメイト達に自分の悩みなど通じる訳もなく…。そんな時手にしたのが小説『車輪の下』であった。大きな共感を覚えるとともに、自分もこんな滑稽な運命を辿るのかもしれないと自嘲気味に思った。
そして大人になった今思う。あの頃の努力は何だったのだろうかと。かつて机を並べて勉強した友人たちは、今やエリートとなり異次元の世界を生きているだろう。一方で、勉強などせず遊んで来た同級生たちも、結婚し親となり幸せな家庭を築いているようだ。キャリアウーマンにも良妻賢母にもなれなかった自分。ならば、もっと好き勝手に生きれば良かった。そしてふと思う。自分と似たような境遇を持つ人達は、どのように生きているのだろうか。早々に打ち込めるものを見つけ、上手くやっているだろうか。それとも自信を喪失し、落ちこぼれ街道を突き進んでいるのか。
小説『車輪の下』には、悲劇の主人公ハンスの他に、ハンスが寮生活の中で友情を育んだ親友ハイルナーが重要な人物として描かれている。勉強などそっちのけで趣味の詩の世界に没頭したハイルナーは、寮を脱走して放校処分となるが、後年様々な苦悩や経験を経て一人前の男になったと記されている。そして『車輪の下』は作者ヘルマン・ヘッセの自伝的小説であるが、ヘッセの人生は主人公ハンスよりもむしろこのハイルナーの生き方に近いと言われている。ヘッセも神学校を脱出した後紆余曲折を経て作家となり、後にノーベル文学賞を受賞している。
エリート校からのドロップアウトという同じ岐路に立った二人が、その後対照的な人生を歩む。その明暗を大きく分けたものとは何だったのか。現代のハンス少年とハイルナー少年の行方を追うことで、その背景をひもといていきたい。
またこの小説で作者ヘッセが伝えたかったこと。それは、教師や親といった、子どもを取り巻く大人達のあるべき姿ではないだろうか。主人公ハンスは周囲の大人達の名誉心やエゴによって車輪に押しつぶされてしまった。しかし彼らは一人の年若い少年を傷つけたことにあまりにも鈍感であった。落ちていくハンスに心を痛め、軌道修正させようという大人がいないでもなかった。物語のラスト、ハンスの身を始終案じ見守っていた靴屋の親方フライクが、ハンスの父親に放った言葉が重くのしかかる。「教師の連中も、この子をこんな目にあわせるのに手をかしたわけですよ。それにあなたとわたしも、この子に対していろいろと手抜かりがあったのでしょうね。」
教育者の義務、そして使命は、若き才能の芽を摘み、節度ある従順な生徒たちを作り上げることではなく、生徒の力を引き出し、時に道を踏み外した者に対して車輪の下から救い出す手を差し伸べることなのではないだろうか。
学校の課題図書リストに必ずと言っていいほど挙げられている本小説、生徒だけでなく、教育者にこそ読んで欲しい一冊である。
永井 光さん
Copyright © Star Seas Company All Rights Reserved.
ジセダイユーザからのコメント