匿名が教育を変える?ネットの悪とされた匿名の問題点を洗い出し、良い匿名システムを創る方法。
教育
インターネットが普及してから、その匿名性への批判を多く目にします。しかし、匿名というのはそれほど悪いことばかりでしょうか。匿名で質問できれば、手を挙げて質問できない生徒が賢くなるかもしれない。匿名で議論すれば、発言者が誰かに惑わされる可能性が低くなるかもしれない。意外と良いことも多いように思われます。匿名性の一番の欠点は、それを使って特定の個人を傷つけることができてしまう点にあります。それを防ぎ、匿名の利点を享受する方法を考えられないかというのが本書の目的です。私は、匿名性がうまく導入されることによって、特に教育分野で目覚ましい効果があがると信じています。
第一章:名を晒す困難
手を挙げて質問できますか?
親を批判する勇気がありますか?
公平な判断ができますか?
第二章:匿名性の成功事例
知恵袋
転職エージェント
クラウドソーシング
第三章:匿名性の問題点
匿名批判
意見の盗用
有名人の反発
第四章:ではどうすればいいのか
匿名批判のない匿名システム
意見の盗用を防ぐ匿名システム
有名人も使ってくれる匿名システム
第五章:おわりに
新しい学習体験
健全な世論
匿名と非匿名のバランス
第一章 名を晒す困難
インターネットが普及してから、その匿名性というのが問題視されるようになりました。匿名での誹謗中傷やいじめ、機密情報のリークなど、時には人が死ぬような事態にも発展しています。そのような背景から、匿名性に問題があると私も認識しています。
匿名という仕組みは以前からありました。陰口や愚痴などは匿名(その場にいる人だけの秘密)で行われるのが一般的ですし、無記名投票なども昔から行われています。そうした陰口などがインターネットという拡声器を使って、瞬時に、不特定多数に広まることで、見過ごせない問題になったのが現状だと認識しています。では、匿名性には悪いことしかないのでしょうか。昔から一部では匿名という制度が使われていたことからも分かるように、匿名性にも利点があるはずだと私は考えます。
[手を挙げて質問できますか?]
私はみんなの前で質問できる方でした。疑問があると、手を挙げて小学校の先生に質問していました。しかし、中学・高校ぐらいから質問することを恥ずかしいと思うようになりました。「そんな簡単なことがわからないの?」と思われることや、「優等生ぶって質問しちゃって」と冷笑されることに怯えていました。大人になるにしたがって周りの目が気になるようになったという人は多いでしょう。私もそんな一人でした。そして、社会人になり、先生と呼ばれるような職業に就いて、ますます聞きづらくなりました。先生が質問していたことが噂になれば、会社の評判を落とすことになります。
質問をするぐらいの勇気がなくてどうするのだ、とおっしゃるかもしれません。しかし、私のように引っ込み思案な人も結構な数いますし、立場上質問できないこともあります。質問を匿名でできるようにすれば、引っ込み思案の人が自分の考えに自信を持てるようになって、いつかは意見を実名で表明できるようになるかもしれません。学習の過程として、問題を認識したあと、質問が生じ、それを解消した後に意見が生まれます。「質問→意見」という流れです。この意見の前段階、質問フェーズにおいては、匿名を認める制度があってもいいのではないでしょうか。
[親を批判する勇気がありますか?]
質問段階だけでなく、意見の段階においても匿名性が求められることがあります。たとえば、私の両親が人材派遣会社を経営しているとしましょう。私は派遣切りやワーキングプアの問題に実名で口を出せるでしょうか。特に派遣会社は悪というような意見は簡単には口にできないと思います。(私の父は派遣会社を経営していませんし、私は派遣会社が悪だと思っていません。) 親と決別することになりかねません。これには沈黙すればいいというご意見があるかもしれません。
では次の場合はどうでしょう。あなたは同窓会で親友のAさんとBさんと同じテーブルに座りました。ただし、AさんとBさんはあなたを介してお互いを知っている程度、現在のお互いの状況は知りません。派遣切りに遭ったAさんから派遣問題について意見を求められました。当然Aさんは「ひどい。許せない」という同意を求めて聞いています。普段なら同意しておいても問題ないかもしれません。しかし、もう一人の親友Bさんは苦労して派遣会社を立ち上げ、やっと軌道にのせたところです。あなたはそれまでの苦労も知っています。なかなか答えに窮するのではないでしょうか。現実にはあまりこのような状況はないかもしれません。しかし、インターネットを使った場合、このようなことはむしろ当然に起こります。インターネットでの誹謗中傷が瞬く間に拡がるのと同じ理由で、インターネットでのこうした主張も瞬時にひろまります。意見をインターネットに書くよう促されることは少ないかもしれませんが、インターネットでの意見表明はそれほどリスクがあることなのです。
人は大人になるにつれてたくさんのつながりやしがらみを持つことになります。中学から高校に上がれば違う人間関係の中で、違うキャラクターを演じる必要がでてくるかもしれません。会社に入れば、その会社の論理に従うべきでしょう。結婚すれば、相手方の両親とも強いつながりが生じます。それぞれのつながりに配慮して発言をするのは至難の業だと思います。
また、かつてイタリアの物理学者、ガリレオ・ガリレイは地動説の支持を撤回したそうです。異端審問にかけられ、その説を主張しつづければ死という状態にあったからでしょう。発言に生死が関わるような状況はガリレオの時代だけでなく、大東亜共栄圏を作ろうと言っていたころの日本にもあったのではないかと思います。今でいうと企業の内部告発や司法取引などがそれに近いかもしれません。そのような状況下では、とても好きなことを自分の名前で言うことができません。
[公平な判断ができますか?]
アリストテレス以来の天才と言われる数学者、クルト・ゲーテルは晩年最後の論文を書きあげ、合衆国科学アカデミーに投稿したそうです。しかし、その論文には「承服し難い」箇所や「非常に問題がある」箇所が含まれていました。アカデミーの編集委員長が、ゲーテルの論文であることを伏せて査読を依頼したところ、上記のような問題が指摘されたわけです。
ゲーテルの例では、アカデミーがゲーテルに論文を返却し、ゲーテルはそれに感謝したそうです。ゲーテルが「病気のときに書いたので、よいものでなくても頷けます」というような内容を書いた手紙の下書きが死後見つかったそうです。誰かに意見を聞くときに「これとこれだと、どちらがいい?」と名前を伏せて聞くことは今もあります。先入観を排除し、内容によって判断するためです。これは学習段階においても有益な匿名の利点ではないでしょうか。
以上のように、匿名というのは悪いことばかりではありません。もしうまく仕組みを作ることができれば、恥の文化と言われた日本での議論が活発化し、発言者が誰かということに惑わされず、自分の頭で考えるということがもっとされるようになるのではないかと思います。この後の章では、匿名性を採り入れて成功している事例を紹介し(第二章)、匿名性の問題点を洗い出し(第三章)、その解決方法や未来について(第四章・第五章)考えていきます。
解決方法について特に難しいのは、すでに有名な人々に匿名の世界に入り込んでもらうことです。すでに名前が売れている人はふつう、その看板を使って発言をします。こういう現状の仕組みに満足している方にも使ってもらえる場でないと普及はしません。そういう有名人に、全員ではなくとも一部は参加してもらえるような匿名の場を作る方法として、「無記名でも私の論説は評価されました」というセルフブランディングの場を提案します。詳しくは後の章をお読みいただければと思います。
[参考文献]
高橋昌一郎『ゲーテルの哲学 不完全性定理と神の存在論』,講談社 (講談社現代新書)
とっくんさん
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