”怠け”がこんなに苦しいはずがない!これは病気だ!
医療
働き始めて1年半。順調に高校、大学ついでに留学、就職と、この就職氷河期の中でも運よく企業に就職することができた、未来も本人も明るい人だった。しかし働き始めて1年半。なんだか自分が誰だかわからなくなっていた。それは”うつ病”という今誰もが名前を知っている、流行病にかかっていたのだ。
はじめに(書き出しの一章)
現状
…自己紹介、自分のスペックと現在の様子について。
第1章 覚えていない
…症状のひとつ、記憶力が低下することについて。
第2章 眠れない、しかも起きれない
…症状のひとつ、不眠と過眠について
第3章 食べれない、しかも美味しくない
…症状のひとつ、拒食と過食について。体重が繰り返し7kgの幅で増減していたことと、吐いていたこともしばしば。
第4章 読めない、気づけば書けもしない
…事務職に必要な読み書き、ロシア語がわからないどころか日本語がわからなくなったことについて。
第5章 描けない、そういえば好きなこともない
…好きなこと、気晴らしといえる趣味のようなものが一切なくなったことについて。
第6章 見れない、頭に入ってこない
…テレビが見れなくなったことについて。音や神経について。
第7章 自分が誰だかわからない
…ここまでの章で紹介した症状により、自分が一体何者なのかわからなくなった体験です。結構あるようです。
第8章 働けない
…病気の発見、休職への経緯。
第9章 ワカッテモラエナイ
…父親に「お前は社会不適合者ってことか」と言われた話。これが一番堪えていること。
第10章 わかってもらいたい
…上の章で起きたことで変わったこと、思ったこと。理解してもらいたいとまでは言わないが、理解したいと思って欲しい。理解しようとすることをやめないでほしい。私自身も、理解してもらいたいということをやめたくないということ。
第11章 読みたい、書きたい、描きたい
…本が読めるようになり、文章を書けるようになり、絵を描ける様になったこと。それに付随して考えること。
第12章 眠りたい
…それでもなかなか症状はすぐには治らず、不眠状態が進んでいること。自分で試行錯誤する不眠対策。その他諸症状との対決。
第13章 食べたい、動きたい
…実際に今やっている、食べることや動くことに関すること。
第14章 見たい、好きになりたい
…次第に浮かんできたこの病気の本性。テレビが見れるようになり、思うこと。
第15章 自分が誰だかわかりたい
…うつ病の原因に一部見られるのが、理想の自分と現実の自分とのギャップや、他人からの期待。あと、「普通」を求める人の恐ろしい誘導。それに関するエピソード。
第16章 はたらきたい。
…うつ病と共に生きる前提で。うつ病でも働いている人がいる。それはなぜか。どうすればいいのか。私は何ができるのか。働くとは、傍らの人を楽にすること。私にできる仕事は何か。どうすれば今の職場へ復帰できるのか。もう一度働くためのアイディア。
終章
…結びの章。周りの人、両親、兄、医師、静かに支えてくれた人も、そうでない人も、すべての人へ。最も悲しかったことも触れつつ。
(文:羽多蛙声)
この情報化社会でうつ病に対して理解がないのは、最早それ自体が病気である。江戸時代に集落で発生した感染症が都に蔓延した頃に、「一体何だこれは?!」とあたふたしているのを「それは風邪だ・・・」と一歩ひいて見る医師の気分である。その時代と今と、違うのは何か?インターネットというものがあることだ!
さて、かくいう私は現在うつ病を疾患している。それも定型うつ病と非定型うつ病の症状が交互に現れるようでとっても疲れる。総じてうつ病というものにとっても苦しめられている。3ヶ月前までは本すら読めなかったほどだ。しかし、今、本が読める。なんと、文字も書ける。なんなら絵も描けるほどに回復してきた。(なんのこっちゃ、とお思いになるだろうが後の章で説明する)
先日(株)NEETという、ニートの人たちが立ち上がって企業をつくる、というニュースを見た。既存の社会のあり方に属することが出来なかった人たちが、一度は落ち込んだものの、勇気を持って立ちあがるニュースは実に爽快で、洞窟に窓をとりつけた気分だ。どんどんやってくれ!私も窓を全開にしたい。窓がないならつくりたい。風通しがいいのが好きなのだ。だから、このうつ病という”理解されない”もやもやした病気に一矢報いたい。私の人生の非常に貴重な時間達を喰って、この病気はピンピンして生きていやがる。本人よりも病気のほうがよっぽど元気なくらいだ。非常に不愉快だ。いい加減にしろ、と言いたい。だが同時に、今までの自分に対してこの病気は「いい加減にしろ」と言っているのかもしれない。なぜならこの病気は、あくまで私にとってだが、誰かが勝手に敷いてくれる、そしてそれに従えばうまくいくと、勝手に思い込んで自分を抑えて甘んじてきた自分に対する警報かもしれないと思ったからだ。
仕方がないから、この病と共に暫く生きていこうと思った。そして、これからこの病を私なりに理解してやろうと思った。手術で切り離せない心の病だ。けれど理解した暁には薬でじわりと溶かしてやりたい。時間と、自分と、他人という薬でじっくりと。そして自分の体に取り込み、一体となり、征服する所存だ。
もしかすると、うつ病は今、必要なのだ。この世に必要のないものはない。勿論、うつ病が必要だなんてそんなことは微塵も思いたくない。信じたくないし言いたくないし書きたくない。今この部分を読んだ方はさぞかしご不快になったはずだ。それもそのはず、病気はそんなに甘くはない。うつ病になんかなりたくなかったというのが誰もが持つ本心だ。でもなってしまったのだからそんなことを言ってても仕方がないし、今根底にあるあらゆる「常識という仮面を被った誤解」が自分の心の底にも根を走らせていて、それがこの病を進行させているのも事実なのだと感じている。まずはその根底を覆すことをやってみよう、と思うことにした。
うつ病は、堪えられないほどの絶望感を生み出し、人の心を地獄へと追いやる恐ろしい病だ。だがそれもきっと必要なものなのだ。NEETというのも必要なプロセスだったのだ。別にNEETとうつ病は結びついていないが、(株)NEETみたいに立ち上がりたいから便乗したまでだ。
改めてもう一度言おう。うつ病は私にとっては必然だったのだ。これから更に進化し成長するために、必要な病気だったのだ。そう思わないと採算がとれない。
それでは、これから私の中のうつ病とじっくり話し合おうと思う。少し辛い。症状を思い出すことは自分を分析し認知し、一体今自分が誰なのか確認する作業なのでとっても辛い。(これも何を言っているかわからないだろうが、後の章でじっくり説明させていただく)だが冒頭に書いたように、インターネットというものがあるだろ!うつ病という最強にフレキシブルな病気に対抗できるのは”情報”、これに尽きると。みんながみんなこの流行病にかかってしまう前に、自分で自分の身を解剖する心持で私はメスを取り出してみた。という風に精一杯格好つけてみたところに、奮い立たせなければへし折れそうな精神状態が出てしまった。あえてそれもそのままに記しておこう。だが希望を持って書けば、この文章が”情報”として読まれて、運よく広まった際には私は笑えるだろう。きっとそのときは、「うつ病をなくすには」ではなく「うつ病になったらこうすればいいんだ」という情報が蔓延して、例えうつ病になっても過剰に不安にならない時代に一歩近づいているからである。
死んではいけない。生きねばならない。例えこんな状況でも。これから記す各章は、私にとっても、私の近しい人にとっても、読んで下さった遠い方にとっても、辛く暗いものになるかもしれない。だがこの鬱屈とした状況で、遊んでやろうじゃないか。思いっきり。
これは、うつ病と対峙する1人の患者からのアイディアである。
誰か、精神科医の人にアナリズしてはもらえまいかとも期待しちゃっている。
(文:羽多蛙声 ウダアセイ)
羽多蛙声さん
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