尋常小学校教科書から学ぶ 修身論2.0
教養
政治や文化の分野で道徳教育の必要性が議論されています。
「昔は良かった」あるいは「軍国教育のせいで日本は焼け野原になった」等、いわゆる知識人の意見は百家争鳴です
どこが良いのか、悪いのか。
判断するには原著を読むのが一番です。本書は戦前の道徳の教科書からここは引き継ぐべき、ここは現代にはそぐわないという点を紹介します。
また、小学1年生から6年生までの教育内容を通読することで、戦後から続くゆとり教育がどれだけ児童の国語力を低下させたか。これを実感できる構成としました。
議論に、自己啓発に、ご活用ください
本書の効用
(1)戦前の道徳教育の内容が具体的に分かる
(2)日本古来の美徳を身につけられるかもしれない
(3)教育勅語が賛否両論である理由を説明できる
(4)歴史の教科書にほとんど載っていない、昭和近代の教育内容が分かる
(5)家のじいさん、ばあさんが小学校で何を勉強していたかが分かり、会話が弾む
(6)今の教養レベルでは小学校の教科書もまともに読みこなせない。数時間で、自分がゆとり教育で受けたダメージを体感できる
目次案
プロローグ 捨てるのはもったいない
第1章 引き継ぐべき? 孟子の四端『仁・義・礼・智』
捨てるべき? 『教育勅語』 児童用修身書 6年生用の解説より
第2章 小学校1年生レベル 第1巻
第3章 小学校2年生レベル 第2巻
第4章 小学校3年生レベル 第3巻
第5章 小学校4年生レベル 第4巻
第6章 小学校5年生レベル 第5巻
第7章 小学校6年生レベル 第6巻
プロローグ 捨てるのはもったいない
教育再生実行会議。この文言を目にしたことのない方は少ないと思います。
2013年1月に発足した、安部信三首相の諮問機関です。
この会議では、いじめ問題並びに、道徳の教科化が議論されます。
ここまでは、皆さんも良くご存知かと思います。
では、 何を再生させるの?
軍国教育への回帰との批判があるけれど、どの点が問題なの?
再生させない方が良い項目は?
この3点、他人にきっちり説明できる自信がある方は、何人いるでしょう。
私は説明できませんでした。
なので、戦前の道徳の教科書を調べました。
『尋常小学校修身書 復刻版 ノーベル書房』です。
初版は昭和2年。1927年です。
1927年がピンとこない。無理もありません。
ここで、歴史の年表を紐解いてみると、
1926(大正15)年:昭和天皇即位
1927(昭和2)年3月:金融恐慌が始まる
1927(昭和2)年5月:第一次山東出兵(9月に撤退)
1927(昭和2)年6月:憲政党・政友本党が合同して立憲民政党が結成される
1927年:ジュネーブ軍縮会議が開かれる
1928(昭和3)年2月:はじめての普通選挙が行われる
1928(昭和3)年3月:共産党員ら多数検挙される(三・一五事件)
1928(昭和3)年6月:張作霖が爆殺される(満州某重大事件)
1928(昭和3)年7月:特高警察が全国に設置される
激動の時代です。これで、イメージできたのではないでしょうか。
内容は、確かに、軍国教育だなあ、復活してほしくない。というものがありました。
しかし、これは知らなかったし、良い内容と思われるので、再生しても良いのでは。という項目もありました。
軍国教育の歪んだ内容だからと切り捨てるのは簡単です
でも、もったいない!
使えるところは使おうじゃありませんか。
そこで、温故知新ではありませんが、古き良き物は活用する。
この姿勢を、『温故修身』修身論2.0として提案いたします。
次に、本書2番目のねらい。
ゆとり教育による学力低下です。
尋常小学校修身書を読んで驚いたのは、文章の長さと、読みこなすに当たって要求される予備知識の量。
尋常ではない難易度!
私は一応大学を卒業しましたが、小学校の教科書を読むために辞書を引きまくりました。
ゆとり教育のダメージを痛感しました。
学力を犠牲にして、『ゆとり』を生み出したのだから、学力低下は当然です。『ゆとり』が有効活用された例もあるでしょう。
しかし、自分の祖父母が小学校で習った内容が、辞書なしで理解できないのはさすがにまずい。
小学校の教科書を物差しとして、自分が戦前なら何年生レベルなのかを測定する。
これは、自己啓発、勉強する上で有効なことだと思います。
恥ずかしながら、私は小4レベル。
ただ、少し弁解しておくと、小5レベルは教育勅語をルビ無し、旧字体で音読できるレベルです。
本書の構成
文章は、『尋常小学校修身書 復刻版 ノーベル書房』からそのまま取ります。
ただし、旧字体は特に断らない限り、常用漢字に変換します
修身書の文章の後、解説、注釈を入れます。
第1章は、再生が望まれる道徳、批判の多い道徳を紹介します。
(再生が望まれる道徳)
孟子の四徳(四端)『仁・義・礼・智』が尋常小学校でどのように教えられていたかを紹介します。
(批判の多い道徳)
『教育に関する勅語』修身書第6巻に記述されている解説。つまり小学校6年生を対象とした授業内容を紹介します。
第2章から第7章にかけては、各章と学年を一致させて紹介します。
自分のレベルがどこにあるのか、試してみて下さい。
第1章
『仁』他人に対する親愛の情、優しさ
『原文(修身書 巻二 ヒトノ ナンギヲ スクヘ)
一人 ノ デツチ ガ クルマ ヲ ヒイテ サカミチ ヲ ノボツテ 行キマシタ
ガ、 ヌカルミ ニ カカツテ、 ナンギ ヲ シテ イマシタ。
吉太郎 ハ ガクカウ ノ カヘリガケニ、 ソレ ヲ 見テ キノドク ニ オモヒ、
アト カラ オシアゲテ ヤリマシタ ノデ、 ヤット サカ ノ 上 ヘ 行ク コト
ガ デキマシタ。
デツチ ハ ヨロコンデ オレイ ヲ イヒマシタ。』
尋常小学校はカタカナから教えるようで、2年まではカタカナ、3年からひらがなになります。
現代の我々からすると、非常に読みづらいので、編集します。
『人の難儀を救え
一人の丁稚が車を引いて、坂道を登って行きました。 吉太郎は学校の帰りがけに、それを見て気の毒に思い、後から押し上げてやりましたので、やっと坂の上へ行くことができました。
丁稚は喜んで、お礼を言いました』
孟子によれば、惻隠(思いやり)の心が仁のはじめですから、これは見習いたいものです。
『義』正しい行いを守ること
『原文(修身書 巻五 信義)
加藤清正は信義の心の強い人でありました。
豊臣秀吉が明国を討つために、兵を朝鮮に出した時、浅野幸長が蔚(ウル)山の城を守っていたところへ、明国の大兵が攻めよせて来ました。
其の時、城中の兵が少ない上に、敵がはげしく攻めるので、城は日にましてあやうくなりました。
幸長は使を清正のところへやって救いを求めました。
清正はそれを聞いて、「自分が本国をたつ時、幸長の父の長政がくれぐれも、幸長の事を自分に頼み、自分もまたその頼みを引受けた。今もし幸長のあやういのを見て救わなかったら、自分は長政に対して面目が立たない」と言って、すぐに部下の者を引きつれて出発しました。
清正は手向かって来る敵を僅かの兵で追散らして、蔚山の城に入り、幸長と力を合わせ、明国の大兵を引受けてここにたてこもり、大そう難儀をしたが、とうとう敵を打ち破りました。
格言 義ヲ見テ為ザルハ勇ナキナリ 』
(注釈)
蔚山城の戦い:慶長の役(1597)で明・朝鮮連合軍と日本軍との間で行われた交戦
加藤 清正:安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後国熊本藩初代藩主。別名虎之助(とらのすけ)
浅野 幸長:安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。紀伊国和歌山藩(紀州藩)の初代藩主。浅野氏宗家初代。
まず、注目するところは、道徳の教科書に合戦の話が記載されているところです。
現代の教科書にこれを載せたら、かなりの非難が寄せられるのではないでしょうか?
そういった意味で、戦前、戦後をはさんだ、意識の変化を考えることは、歴史を学ぶ上で重要だと考えます。
現代の日本人の考えが、戦前の日本人の考えと同一である、という思考は、歴史認識を誤る原因となり得るからです。
次に注目すべきは、前提とする予備知識の量です。
当時の小学5年生は、秀吉の朝鮮出兵について、私の注釈を必要としないレベルの知識を持っていたことが分かります。
そして、日常会話ではこのレベルの歴史が語られていた。ここは、現代人が見習うべきところではないでしょうか?
『礼』仁を具体的な行動として、表したもの。
『原文 礼儀(尋常小学修身書 巻五)
我等が世間の人と共共に生活するには、知っている人にも知らない人にも礼儀を守ることが大切です。礼儀を守らないと、人に不快な念を起させ、また自分の品位をおとすことになります。
人の前に出る時には、頭髪や手足を清潔にし、着物のきかたにも気をつけて、身なりをととのえなければ失礼です。
人と食事をする時には、音を立てたり、食器をらんざつにしたりしないで、行儀をよくして、愉快な心持でたべるようにしなければなりません。又室の出入りには、戸・障子のあけたてを静かにするものです。
汽車・汽船・電車などに乗った時には、互に気をつけて、人に迷惑をかけないようにすることが必要です。自分だけ席を広くとったり、不行儀ななりをしたり、いやしい言葉づかいをしたりしてはなりません。集会場・停車場其の他、人がこみあって順番を守らなければならない場所で、人をおしのて、われさきにと行ってはなりません。又人の顔かたちやなりふりを笑い、悪口を言うのはよくないことです。
外国人に対して礼儀に気をつけ、親切にするのは、文明国の美風です』
これは全面同意できると思います。
むしろ、情報伝達が発達した現代の方が、より気をつけるべきことだと考えます。
『智』学問に励むこと、知識を重んじること。
『原文 迷信におちいるな(尋常小学修身書 巻四)
或町に目をわづらっている女がありました。迷信の深い人で、かねてあるところのお水が目の病によいということを聞いていたので、それをもらって来て用いました。けれども病は日々重くなるばかりで、何のしるしも見えませんでした。
或日親類の人がみまいに来て、おどろいて、むりにおいしやのところへつれて行って、見てもらはせました。おいしやはしんさつをして、「これははげしいトラホームです。右の目は手おくれになっているので、なおすことは出来ません。左の目はまだ見こみがありますから、手術をして見ましょう。これも今少しおくれたら、手のつけようもなかつたでしょう」といいました。
その後手術をうけたおかげで、左の目はようようなおりましたが、その女は、「自分のおろかなため、どうりに合はないことを信じて、まつたくのめくら(注;原文ママ)になろうとしました。おそろしいのは迷信でございます」とつねづね人にはなしました。』
(注釈)
トラホーム:伝染性の慢性結膜炎。 クラミジアという微生物から発症する病気。放置すると角膜 が混濁して視力障害を引き起こす。
現在ではほとんど見られない病気だが、戦前は恐ろしい病気の一つだった。
めくら: 視力を失っていること。盲目。現代は差別的な意味合いから、あまり使用されない
がん、アトピー、等々、現代でも【奇跡の水】ビジネスは横行しています。
そこに飛びつくよりも、まず、確立した治療法は無いのか、専門家に尋ねることが、お金も健康も失わずに済むことではないでしょうか。
つぎに、教育勅語を見てみましょう。
きっちり全文を読んだ人は、少ないのではないでしょうか。
小学校6年生で、教えられていた内容です。
『教育に関する勅語は明治二十三年十月三十日、明治天皇が我等臣民のしたがい守る
べき道徳の大綱をお示しになるために下し賜はったものであります。
勅語を三段に分けますと、其の第一段には
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏速ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠
ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ
淵源亦実ニ此ニ存ス
と仰せられてあります。
この一段には、まづ皇室の御祖先が我が国をお始めになるにあたって、其の規模
ことに広大で且いつまでも動かないようになされたこと、御祖先はまた御身をお
修めになり、臣民をお愛しみになって、万世にわたつて御手本をおのこしになっ
ことを仰せられ、
次に臣民は君に忠義を尽し親に孝行を尽すことを心掛け、皆心
一つにして代々忠孝の美風を全うして来たことを仰せられてあります。終に以上
ことが我が国体のきっすいなりっぱな所であり、我が国の教育の基づく所もまた
ここにあることを仰せられてあります。
(注釈)
国体(こくたい):その国の基礎的な政治の原則を指し、日本語の文脈で使用される際、通常は「天皇を中心とした秩序(政体)」を意味する語
勅語の第二段には
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホ
学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国
憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足
ラン
と仰せられてあります。
この一段には、初に天皇が我等臣民に対して爾臣民と親しくお呼びかけになり
我等が常に守るべき道をお諭しになってあります。
其の御趣旨によると、我等臣民たるものは父母に孝行を尽し、兄弟姉妹仲よくし、
夫婦互に分を守って睦まじくしなければなりません。また朋友には信義を以て交り、誰に対しても礼儀を守り、常に我が身を慎んで気ままにせず、しかも博く世間の人に慈愛を及すことが大切です。
また学問を修め業務を習って、知識才能を進め、善良有為の人となり、進んでこの智徳を活用して、公共の利益を増進し、世間に有用な業務を興すことが大切です。
また常に皇室典範・大日本帝国憲法を重んじ、其の他の法令を守り、もし国に事変が起つたら、勇気を奮い一身をささげて、君国のために尽さなければなりません。
かようにして天地と共に窮ない皇位の御盛運をお助け申し上げるのが、我等の務であります。
終には、以上の道をよく実行する者は、忠良な臣民であるばかりでなく、我等の祖先がのこした美風をあらはす者であることをお諭しになってあります。
(注釈)
爾:なんじ
勅語の第三段には
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶二遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民卜倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
と仰せられてあります。
この一段には、前の第二段にお諭しになった道は、明治天皇が新におきめにな壇ったものではなく実に皇祖皇宗がおのこしになった御教訓であって、皇祖皇宗の御子孫も一般の臣民も共に守るべきものであること、またこの道は古も今も変りがなく、どこでも行われるものであることを仰せられてあります。
最後に、天皇は御みづから我等臣民と共にこの御遺訓をお守りになりそれを御実行になって、皆徳を同じくしようと仰せられてあります。
以上は明治天皇のお下しになった教育に関する勅語の大意であります。
この勅語にお示しになつている道は我等臣民の永遠に守るべきものであります。
我等は至誠を以て日夜この勅語の御趣意を奉体せねばなりません。 』
(注釈)
奉体:上からの意を受けて心にとどめること。また、それを実行すること。
いかがでしたか?
私見ですが、
『 また学問を修め業務を習って、知識才能を進め、善良有為の人となり、進んでこの智徳を活用して、公共の利益を増進し、世間に有用な業務を興すことが大切です。』
この段落は、よいことを言っているなと思いましたし、
『 また常に皇室典範・大日本帝国憲法を重んじ、其の他の法令を守り、もし国に事変が起つたら、勇気を奮い一身をささげて、君国のために尽さなければなりません』
この段落が、曲解、悪用されると、「国を守れ」から、「国のために死ね」にシフトするのだと考えました。
また、護憲、戦争反対を唱える方。この方々がよく主張する言葉に、「押し付けかもしれないが、平和憲法を守れ。軍国教育を復活させるな」というものがあります。
ちょっと反論したいことは、
押し付けでも、よいものは良い→護憲
ならば、教育勅語も、天皇からの押し付けですが、良いところは良いと言って、広めるべきではないでしょうか?
「軍国教育」の一言で、ばっさり切り捨てて、一顧だにしないのは、あまりにもったいないように思います
青野 誠さん
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