嘘。ホントは大スキ
サブカルチャー
1999年、西村博之氏の手によって作られたインターネット掲示板「2ちゃんねる」。
紆余曲折ありながらも、インターネットの普及とともに成長していったこの掲示板は、少なくともインターネットをやる人の中では知らぬ者がいないほどの巨大な存在となっていった。
そして、その陰には「炎上」「祭り」などにより少なからず人生が狂ってしまった人々も――。
複雑に絡み合うネット事情・社会情勢を交えながら、10数年における2ちゃんねるの歴史を紐解く。
第一章
はじめに
第二章
伝説の東芝クレーマー事件と西鉄バスジャック
第三章
Winny誕生
第四章
「炎上」「祭り」とネットニュースサイトの勃興
第五章
何故か流行った電車男
第六章
ニコニコ動画とひろゆき
第七章
まとめサイトとステマ騒動
第八章
ネット右翼!?
第九章
ソーシャルネットワークと2ちゃんねる
終章
祭りのあと
はじめに
今の学生には想像しづらいであろうが、ブロードバンドが普及しておらず、ケータイでネットを見るなんてことも一般的ではなかった1999年5月30日。「2ちゃんねる」はインターネットの片隅にひっそりと誕生した。その後、インターネットの普及とともに成長を続け、今や情報インフラのひとつといっても過言ではない巨大掲示板となっていった。
2ちゃんねるがここまで成長した理由はさまざまであろうが、「初代管理人」の西村博之氏の特異なキャラクターによるところも大きいというのは異論のないところであろう。
名誉棄損などで損害賠償の裁判を起こされても気にしない。
遅刻の常習者。
姉が2ちゃんねるに自分のことが書かれているから消してと頼んでも応じなかった。
……などいろいろな逸話がある彼に、筆者が初めて取材を行ったのは2002年の6月。某化粧品会社との裁判の日であった。
ひょうひょうとしてつかみどころのない彼。2ちゃんねるで名を成し、相応の財を築いたであろう今でも、さほど変わっていないように思える。
しかし、その頃と比べインターネット人口は桁違いに増え、普段の生活においてなくてはならない存在となっていった。2ちゃんねるはというと、初めのうちは極めてアングラな存在だったが、いくつかのターニングポイントを経て一般化していった。
テレビは新聞などの既存のマスメディアにおいては、「自主規制」のもとに目にする、耳にすることのないような差別的、性的な表現が飛び交う巨大掲示板。
評論家の東浩紀氏は、「戦後日本の最大の発明はコミケと2ちゃんねる」と言及している。
また、2ちゃんねるを生み出した西村博之氏は、後世の歴史の教科書に載るような存在であるという論すらある。
ユーザーも増えていく中で、2ちゃんねるがなければ困るという人もいることだろう。
しかし、名前のわからない者に誹謗中傷されたり、いわゆる「炎上」の当事者となってしまい人生が狂ったりした人たちにとっては2ちゃんねるそのものが憎悪の対象であるに違いない。
筆者は、インターネット雑誌の編集者・ライターとして、またネットニュースサイトの記者として、はたまたネットを特集したTV番組の制作などにも携るなどもして10数年に渡って2ちゃんねるとその周辺の出来事を追ってきた。その歴史を紐解いていく上で――もしまだアナタが2ちゃんねるを大キライでなければ、今後もそうならないために。つまり、アナタ自身が「炎上」し「祭られ」ないためにも、本書が参考になれば幸いである。
東村タカユキさん
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