今から10年前の「盗作裁判」の判決から、現在の「日本の歌謡界の現状」まで――
芸術・アート
大物作曲家である小林亜星氏と服部克久氏が争ったいわゆる『記念樹事件』。
最高裁の上告不受理により『記念樹』の作曲が著作権法違反にあたるとされたのは今から10年前の2003年3月11日。
実際の裁判は、どのように進められていたのか。当時の音楽界の反応はどんなものだったのか。一審で認められなかった小林氏側の主張が、二審で認められた理由は?
メロディの著作権とは何か。事件後、音楽界は変わったのか?
この裁判を最もよく知る者の一人である著者が、自身の全公判の傍聴記録と詳細な裁判資料をもとに語る。
序章 日本の歌謡界の現状
一章 「どこまでも記念樹」!?
・記者会見前日
・「パクリ」「オマージュ」「リスペクト」
二章 一審での敗訴
・同一性の否定
・メロディの確率論
三章 高裁での争い
・翻案権・編曲権侵害
・依拠性の証明
・証人尋問
・和解勧告
三章 逆転勝訴
・高裁判決
・上告不受理
四章 その後の音楽界
・「盗作」はなくなったのか
・この世のすべてのメロディ
2012年12月30日。「日本レコード大賞」はAKB48が2年連続で受賞した。制定委員長の服部克久氏は「これが今の日本の歌謡界の現状」とコメント。本人の真意は不明だが、ネットを中心に賛否が巻き起こった。
現在、日本作曲家協会の会長である服部克久氏。父は国民栄誉賞を受賞した服部良一氏で、息子は服部隆之氏という三代に渡る音楽一家。そんな彼が2001年3月30日、東京裁判所の法廷にいた。
服部克久氏が作曲したテレビ番組「あっぱれさんま大先生」のテーマソングである「記念樹」が、小林亜星氏作曲の「どこまでも行こう」の盗作であるとして訴訟を起こされていたのである。一審では「盗作ではない」と判断された裁判の控訴審での証人尋問。服部氏は、証言において「理不尽な訴えであり、創作活動のさまたげになっている」と盗作を明確に否定した。
実際、一審判決では「一部では相当類似するフレーズがあるものの、全体として同一性は認められない」と小林氏の訴えを退ける判決が出ていた。
縁あって小林氏より作曲を学んだ筆者は、一審の裁判公判をすべて傍聴させていただいていたのであるが、控訴審においては裁判の資料作りの手伝いをするなど、より深くこの事件と関わっていくこととなった。まずは一審の裁判資料に細く目を通すことから始めた。
そして、しばらくして小林氏側の弁護士から電話をもらう。
「盗作をするからには、往々にして先方は何かを隠そうとしているわけだ。それが何なのか、探ってみてはくれないか」
もし盗作をしたなら、それがバレないように意図的に「どこまでも行こう」との関連性に何らかの粉飾を行っているはずだという。制作過程の推理を行ってみてくれとのことだった。
一審の資料を読み進めて行く上で、なんかモヤモヤとしたものを感じていたのだが、弁護士からもらったこの課題に答えを出すことが出来れば、それが解消できるのではないかと感じた。
・アレンジャーとして名を成している服部氏が、この曲は編曲を行っていないのは何故なんだろう。
・どんな感じで曲は制作されたんだろう。
・そもそも、盗作したとして元ネタに「どこまでも行こう」を選んだ意図は何だったんだろう。
・「どこまでも行こう」はCMソングとして有名な曲だが……
さまざまなことを考えながら一審で提出された裁判資料を読みふける。こちら側とあちら側の陳述書、意見書。「どこまでも行こう」がどれだけ世に広まっていたかを示す資料。
ふと、あることに気が付いた―――。
大森あらしさん
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